72: 釈放金
先ず女性はグラストスの拘束を解こうとした。が、グラストスはそれを固辞した。自分の拘束を解くことで、彼女への無用な迷惑を掛けることを防ぐ為だった。
生憎、牢屋の中ではする事もない。両手が使えた所で、どうにかなりそうな牢屋ではない。
ならばどの道、出来ることといえば会話をする事くらいで、それならば手が拘束されていようが特に不自由はないと考えたのだ。
女性はそれでも心配そうにしていたが、グラストスの真意を悟ったのか、それ以上は何も言わなかった。
それから二人は互いの経緯を伝え合った。このような薄暗い牢屋に囚われて、満足な人間はいない。何とかして外に出る為には、先ずは状況を把握する事が重要だったからだ。
しかし、それはともかくとして、グラストスとしてはこのような女性がどうしてここに居るのかが分からなかった。
少し話をしてみても、彼女がまともな人間である事はよく分かった。このような状況に置かれてなお、沈んだ顔を見せず気丈に振舞っている。自分が沈む事でグラストスが絶望感を募らせてしまうことを、避ける為なのだろう。
心細さで不安に思っているのはグラストス以上であるに違いない彼女が、それでもそのような気遣いが出来ることを、グラストスは素直に感心していた。
だが、それも無理しての事に違いない。いずれ張り詰めた糸が切れてしまうことは、想像するに固かった。
先に事情を話したのはグラストスだった。特に隠す話でもないので、素直に事情を話した。女性はグラストスが騙されてここに居る事を知り、本当に同情してくれた。
そうして、グラストスの事情を聞いた以上は、自分が話さない訳にはいかないとでも考えたのか、女性も静かに語り始めた。
***
その頃、グラストス以外の面々は前日に停泊していた場所に集っていた。
「た、た、大変ですぅっ!」
そこでドレイクとオーベールが野営の準備をしていると、グラストスを追っていた筈のリシャールが奇声を上げながら駆け込んできた。
激しく動揺しているのか、リシャールはひたすらにグラストスの名前を繰り返す。
「グラストスさんが、グラストスさんがぁあああああああ」
「落ち着け。坊主」
ドレイクはその様子を見て、恐らくこのまま話を聞いても埒があかないと判断し、手刀をリシャールの首筋に打ち据えた。
「ぐえっ」
が、余りにいい角度で決まりすぎてしまい、リシャールはそのまま気絶してしまった。
「あ、いけねえ」
「ああ! リシャール君!?」
オーベールの悲痛な声が夜の闇に響いた。
***
「……馬鹿なことをしたな。アンタ」
女性の話を聞き終わり、グラストスが口を開いて始めに出た言葉がそれだった。
「……はい」
だが女性もその通りだと思っているのか、今はその表情からは後悔の色しか見出せない。その表情を見て、グラストスもそれ以上は何も言えなかった。
もし仮に自分が同じ立場だったら、もしかすると女性と同じ事をしたかもしれない。そう思ったのだ。
そんな女性の悲劇は、数年前から始まっていた――――
女性には将来を誓い合った恋人がいた。
女性とは幼馴染の間柄にある男で、昔から彼女をとても大切にしてくれており、そんな二人が結ばれたのは必然だといえる。
やがて、ささやかながらも周囲にも祝福された幸せな結婚式をあげた。
二人で築いた家庭は決して裕福とはいえなかったが、家族が普通に暮らしていけるだけの余裕はあった。
そして、女性は数年前のある晴れた日に子供を出産した。元気な男児だった。
待望の子供が生まれた事で、更に幸せな家庭を築いていける、と誰もが疑わなかった。
不幸はまず夫に起こった。ある日突然、病に倒れたのだ。
当然女性は夫の命を救う為、街の医者に見て貰らうことにした。医者も快くそれを引き受けた。だが、運悪く最初に診せた医者が質の悪い医者だった。夫は病を治す所か、徐々に病を悪化させていった。
ようやく医者がヤブであることを悟った女性は別の医者に診てもらったが、その医者も病状を診るなり自分の手に終えないと、治療を続けてはくれなかった。
それでも、女性は方々を駆け巡った。どこかに夫を救ってくれる医者が居る事を信じていた。
だが、結局夫は最後まで苦しんで死んでいった。今際の際に、生まれたばかりの子供のことを彼女に託して。
それから、彼女は子供を両親に預けると、夫の死を悲しむ間もなく働きだした。家族が生きていけるだけの賃金を稼ぐ為にはそうするしかなかったのだ。唯一良かった事は、彼女が働く術を持っていた事だった。その術に頼る事によって、なんとか生活を取り戻し親子二人暮らしていける。
そう確信を得た時、再び彼女に不幸が襲った。両親が病を罹ったのだ。
――――その病こそが、安死病だった。
今でこそ安死病という名前が付けられ、治癒率は低いものの薬が作られているが、流行当初はまるで謎の奇病だった。
治癒する必要があることも分からず、通常通り生活していった者達が次々と亡くなっていった。
女性もその口であった。両親が死病に罹っていることすら分からず、気づいた時には既に取り返しのつかない状態で……。
医者に罹ろうにも、治療方法を知っている医者など居ない。どころか、医者も夜逃げするような有様だった。安死病の所為で住民の怒りを買い、廃業に追いやられた医者も決して少なくなかったのだ。
やがて、両親は亡くなった。
夫の両親は既に他界している。彼女と息子の最後の寄る辺がなくなってしまった。
そして、両親の治療にせっせと蓄えた財産を使っていた為、彼女たちは日々の生活すら危ぶまれる状況だった。
仕方なく、彼女は生家である実家を売り払った。その時世たいした額にはならなかったが、そうするより他なかった。
次に彼女はその大事な資金を信頼できる友人に渡し、息子の面倒を暫く見てくれないか、と頭を下げて頼みこんだ。日々の糧を得る為には、彼女が働かなくてはいけない。友人は当然渋ったが、必死に頼み込む事でようやく頼みを呑んでくれた。そうして、彼女は生活費を稼ぐ為に働きに出た。
だが、その当時安死病の影響で満足に働ける場所はなく、やがて彼女は困窮した。遂にどうにもならなくなり、夜の世界に身を投じる事を真剣に検討していた時、不幸続きだった彼女に救いの手が差し伸べられた。
ある出会いにより、ようやく働き場所が見つかったのである。
ただその場所は遠く、息子とは暫く離れることになったが、これも息子の為と、彼女は故郷の地を離れる事に決めた。
そうして、再び生活が落ち着き始め彼女も次第に活力を取り戻そうとしていた時、三度目の不幸が彼女を襲う。
彼女を誘ってくれた勤め先の恩人が亡くなったのだった。
彼女はそれをとても悲しんだが、その悲しみも癒えぬ内に不幸は立て続けに起こった。
勤め先を失い、久しぶりに顔を見に息子の元に立ち寄った彼女が見たものは、病に苦しむ息子の姿だった。
安死病でこそなかったが、その病も死病。それは夫の命を奪ったのと同じ病であった。
友人はこうなってしまった事を涙ながらに彼女に謝罪してきたが、彼女に友人を責める事はできなかった。
唯一の希望はあった。
幸か不幸か、安死病の研究の副産物として、この病の治療薬が開発されていた事である。ただし、それも絶対なものではない。その上、その薬代は平民にはとても手が出せる代物ではなかった。
だが、それでも彼女は求めずにはいられなかった。彼女にとって最後の家族を、夫に託された我が子を何としても助けたいと思った。
そんな時、彼女は噂を聞く。
ムマルという領地に、賭場が存在する事。そこで勝つ事ができれば、治療費を稼ぐ事が出来るという事を。
彼女は葛藤した。
真面目一辺倒で暮らしてきた彼女は、賭け事などに手を出した事は無い。それに、勝った場合は良いが負けた場合彼女に払える蓄えは無かった。
だが、もう時間もない。結局彼女は息子を救えるという可能性に目が眩み、ムマルの地に足を踏み入れることになった。
そして、何とか賭場を探し出し、挑んだ結果が――――この状況であった。
全てを語り終えると、彼女は静かに涙を流した。
己が状況に絶望しているというより、残してきた息子の事を改めて思いやったのだろう。ここで浪費する時間は、それはそのまま息子への死への時間が縮まる事と同義だった。
そんな彼女に、グラストスは掛ける言葉が思いつかなかった。
記憶の無い自分にとって、生きてきたと実感できるのは意識が戻ってのここ一ヶ月強の時間だけである。そんな短い時間しか人生経験のない自分が、彼女の境遇に対して、何か助言できる筈もないと思ったのだ。
それに、どんな言葉をかけようと、今現実問題として二人は牢屋の中に居る。出来ることは何もない。
――――しかし、グラストスは悲観はしていなかった。
確かに、グラストスには出来ることは無い。あるのは断片的な知識だけで、実体験は何も無い。
恐らく記憶を失った際に、とても多くのものも一緒に喪失したに違いない。
だが、自分にはこの『グラストス』という意識を持ってから、得たものも確かにあった。
その事を思い、グラストスは穏やかな口調で女性に話しかけた。
「安心しろ。ここから出ることは出来る」
「…………ですが……」
今の自分達に何も出来ない事は分かっている。状況が変わるとすれば、それは男達が再び地下牢に訪れた時である。
そして、その時は更なる不幸が待ち受けているだろう事は、女性には容易に想像がついた。
「大丈夫だ。と言っても、俺が何とかする訳じゃないが……」
「どういう……?」
意味なのか、女性は涙目で首を傾げる。
その様子は余りに儚げで非常に魅力的に映ったので、グラストスは慌てて視線を逸らした。そのまま彼女を元気付けるように言った。
「俺には仲間が居る。恐らく、きっと、奴らが何とかしてくれる」
ただし、一言だけ心の中で言い添えることも忘れなかった。
(――――筈だ)
***
あの後、暫くしてようやく目覚めたリシャールによって、グラストスが怪しい男に捕まっていた事を二人は知った。
それは流石に放置は出来ない、そう思ったドレイクは場所だけ聞いて、自分一人でグラストスの救出に向かおうとしたが、それは二人に拒絶された。
「グラストスさんの苦境に、僕だけのうのうとしている訳にはいきません!」
「もし、誰か襲ってきたら僕一人でどうしろと!? 責任取ってくれるんですか!?」
どちらがどちらの発言なのかは、言うまでもない。
ただ、どちらも一歩も引かぬという様相を見せていたので、ドレイクははぁと溜息を吐いて、一人で向かう事を諦めたのだった。
そうして、先ず一行が向かったのは、宿屋であった。
全員が救出に向かう以上、馬車をこの場所に放置しておく訳にはいかない為、誰かに預かって貰う必要があったからだ。
宿屋の亭主は最初は多少渋ったが、ドレイクの半ば脅しとも言える説得によって、一時の間だけ預かってくれる事となった。無論、その分の費用は支払うことになり、折角この街で稼いだ資金も丁度銀貨一枚のみを残す所となってしまっていた。
ただようやく準備が整ったので、リシャールにグラストスが捕まったという場所に案内させた。
そうして一行はグラストスの消えた家の前に立っていた。
「ここでいいのか? 坊主」
「…………ええ。そうです」
まだ首筋が痛むのか、先程の恨みは忘れませんよ、というような目と共にリシャールはドレイクに頷き返した。
とりあえず、ドレイクはその視線は無視する。
「地下への階段がありますよ!!」
ドレイクが外から眺めていると、一足早く中に足を踏み入れたオーベールが報告の声を上げる。貴族の坊ちゃんが偵察のような事をする、そんなオーベールに苦笑しながらドレイクも後を追った。リシャールはその後から恐る恐る付いていった。
家の中に入ると、オーベールが階段の上から下を指示しながらドレイクを振り返る。
「蝋燭の火があります。人が居る証拠でしょう」
「そうですなぁ……おい、坊主。兄ちゃんが連れていかれたのはあの奥か?」
階段を下りた先にある重厚な扉で先が閉ざされているのを確認し、ドレイクは尋ねた。
「そ、そうです。あの奥から怪しげな男が……」
リシャールが怖々そう語るのを話半分に聞き、ドレイクは階段を下りると躊躇いもなく扉を叩いた。
「ちょっ、な、いきなりですか!?」
「うるせえなぁ。ちょっと静かにしていろ、騒ぐとお前も連れて行かれるぞ?」
「はっ!?」
リシャールはもう僕は喋りませんよ、という風に口元を両手で押さえる。
これで静かになったと、ドレイクは再び扉を叩く。
数度それを繰り返すと、中からゴトリと音がした。
「おっ、誰かお出でになすったぜ」
「…………」
「…………」
物音を聞き、愉しげに笑うドレイクとはうって変わって、二人は緊張した表情になる。ただジッと扉が開くのを見つめていた。
ギィと開いた扉から、一人の男が出てくる。
感情があるのか、と疑問に思うほど無表情な男で、出てくるなり三人の顔をジロっと凝視してくる。
先ずオーベールを見て、次にリシャール。最後にドレイクに至って――――その視線がピタリと固定される。
男に微かな表情の変化しかないが、どこか驚いているようにも見えた。
そのまま何も言わないまま、時が経過する。
流石にただ警戒している、というには長すぎる時間だった為、三人の胸に疑問が湧き出した頃、男は唐突に視線を切ると再び元の無表情に戻って言った。
「…………ここは初めてか?」
もちろん三人とも初めてだった。しかし、ドレイクは直ぐには答えなかった。
『ここは初めてか』という男の尋ね方に何か脳裏で引っ掛かるものがあったからだ。突然の訪問者に訊く内容ではない。であれば、これには何か意味がある筈で。
それが何かを考えて――――ドレイクはムマルに関しての噂を思い出した。
もし、ドレイクの想像通りだとすれば、ここの答え方は決まっている。
「俺っち達は……」
ドレイクが熟考の末に何かを告げようとして――――
「グ、グラストスさんを返せっ!! 僕はこの目でしっかりと見たから、わ、分かってるんですよっ!? あなたがグラストスさんを連れて行ったという事は!!」
だがその前に、全てを台無しにした小僧がここに居た。
「坊主……」
ドレイクは疲れたように溜息を吐いた。
「グラストス……誰だそれは?」
男は首を捻る。その名前に本当に心当たりがないのだろう、という事がドレイクには分かったが……。
「し、しらばっくれないで下さい!! 一刻ほど前にグラストスさんを連れ込んだのを、僕は見たんですからねっ!!」
語気こそ強いが、リシャールは完全にドレイクの背に隠れ、その背後から顔だけ出して叫んでいた。再びドレイクは溜息を吐く。
男はそのまま押し黙った。
それが自分の発言に怒っているのだと思ったリシャールは、ひっ、と小さくを悲鳴を上げて、ドレイクの背中にしがみ付いた。
それを鬱陶しく思ったドレイクは、背中に手を回すとリシャールの襟首を掴んで強引に自分の前に立たせた。
「な、なにするんです!? や、止めてください! 止めて!!」
リシャールはジタバタ暴れていたが、ガッチリと肩を抑えられている所為で、どうにも出来ない。
そんなリシャールに男は静かに視線を移した。
「あ、ち、違うんです。さ、さっきは忘れてください。ぼ、僕の勘違いだったかもしれません」
何か訳の分からない懇願をしていたが、男が微かに口元を上げると、リシャールはビクリと竦んで黙り込んだ。
「ああ……お前達が言っているのが、誰だか分かった。お前たちはアイツの連れか。いいだろう。少しここで待っていろ」
「ほぅ、兄ちゃんに心当たりがあるんだな?」
ドレイクに言葉に男は何も答えず、扉の奥に消えた。
「グラストスさんは、大丈夫なのでしょうか?」
オーベールは不安そうに確認するが、ドレイクは自身有り気に頷き返した。
「恐らく。さっきの男は、俺っち達に兄ちゃんを会わせて良いかを上役にでも確認しに行ったんでしょう。であるなら、まだ大丈夫ですわ」
「本当ですか!? グラストスさんの死体と対面なんて、僕は嫌ですよ!?」
「……想像力豊かな奴だなぁ」
そんなやり取りをしていると、ようやく男が戻ってきた。
「で、兄ちゃんと会わしてくれるのかい?」
「…………付いて来い」
ドレイクの問いへの回答を避けながら、男は扉を開けて三人を誘った。ドレイク、オーベールは躊躇い無く中に進み、残されたリシャールは男に一瞥されると、縮み上がりながら慌てて二人の後を追った。
「待て」
中に入り、扉を閉め終わると男は三人を呼び止めた。
「なんだい?」
「武器類はここで預からせてもらう。お前たちは初顔だからな。そういう決まりになっている」
「なるほど。決まりならしょうがねえが……後でちゃんと返して貰えるんだろうな?」
「ああ。余計な心配はするな……」
「じゃ、預かっといてくれい」
ドレイクは躊躇わず背中の大剣を男に渡した。それに従うようにオーベールも自分の腰の剣を渡し、リシャールは武器を手放す事に不安さを覚えていたようだったが、仕方なくそれに続いた。
「帰りに返してやる」
「分かった。で、兄ちゃんはどこだい?」
「……付いて来い」
「門番のアンタがここを離れてもいいのかい?」
「お前が気にする事ではない」
三人は男に連れられるまま通路を進んだ。
大勢の騒ぎ声が聞える大部屋が三人の興味を引いたが、男はそこを素通りして、その隣にある部屋に入った。
中には数名の男達がおり、三人をにやけた笑いで出迎えた。笑いの意味が分からず、三人は怪訝な思いを抱きつつも、部屋の隅の階段に向かった。
「この下だ」
「へえ。まだ下があるのかい」
三人は言われるまま階段を下りる。
そこで見たものは、牢の中で両手を後ろ手に縛られた状態で座り込んでいるグラストスの姿だった。
+++
「……兄ちゃん。随分な状況だなぁ」
「大丈夫ですか? お怪我はありませんか?」
「どうしたんです? グラストスさん何をやらかしたんです!?」
三人は、グラストスと再会するなり同時に発する。
それらに対して、グラストスは纏めて一言で返答した。
「……すまん」
「まぁ、何があったかは今は訊かねえけどよ……。なあ、アンタ。こうして俺っち達を案内してくれたってこたぁ、兄ちゃんは返して貰えるって考えてもいいのかい?」
ドレイクは門番の男に確認を取る。
それに対しての男の返答は明快だった。
「……ああ。当然だ。お前達がコイツの負け分を払えるんならな」
「負け分?」
オーベールの疑問には、グラストスが説明する。
「ここは賭場なんだ」
グラストスの言葉に目を白黒させるオーベールの代わりに、リシャールが信じられないものを見るような目でグラストスを非難した。
「賭場!? グラストスさん、何で賭け事なんかしたんですかっ!? お金なんてないのに!」
「誤解するな。俺はしていない」
「じゃあ、どうして捕まってるんですか!?」
「まぁまぁ。落ち着け坊主。そんな事情は後で訊きゃあいいことだ。それより……」
ドレイクはリシャールを宥めながら、再び男に視線をやった。
「釈放金は一体いくらだい?」
「その男は、五十枚だ」
「五十枚……一応確認するが、そりゃあ銀貨なんだろうねぇ?」
「そうだ。パウルース銀貨だ」
その回答にオーベールが息を呑み、リシャールが敏感に反応する。
「パウルース銀貨五十!? そんな金額、簡単に払える人なんてそうそう居ないですよ!?」
「ここは賭場だ。運が良ければ直ぐに稼げる」
「にしたって……」
それきりリシャールは黙ってしまう。
一方、ドレイクは頭を掻きながら男に頼み込んだ。
「一応確認してみるが、もうちょっとまからねえかい?」
「銀貨五十だ」
「ああ……そうかい」
これは無理そうだ、と判断したドレイクは少し逡巡した後、
「分かった。どうやら、そうするしかねえようだな」
と、降参とばかりに両手を挙げながら言った。
「ドレイクさん!? 本当に賭け事をするんですか!? そんなことしなくてもこんな牢くらい、ドレイクさんなら何とかできるんじゃないですか!?」
「無茶言うねぇ。剣も取られてるんだぞ。どうしろっつうんだ」
ドレイクは鉄牢をコンコンと叩いて、その硬さを示す。
「ドレイクさんがここで大暴れすれば……!」
「……はぁ。坊主。そんな事しちまったら、とんでもない事になるぞ」
「それはもちろん争いになるでしょうけど……」
「違う。そうじゃねえ。お前は……この賭場の運営を誰がやってんのか分かって言ってるのか?」
ドレイクは呆れを滲ませながら溜息を吐いた。
「誰がって……この人達でしょう?」
リシャールは男を恐る恐る見ながら言い返す。
「その『この人達』は、一体誰なのかってこったよ」
「ムマルの領主の関係者でしょうか? ご自分の街の中にあるこの場所のことを知らないとは思えませんし……」
首を捻るリシャールを他所に、オーベールが脇から口を挟む。
それに対して、ドレイクは「まぁ、無関係って訳じゃねえでしょうな」と頷いた後、
「みかじめなんかは払ってるでしょうが……まあ、根本的な運営者じゃあねえ筈です」
「では一体……?」
「でも、運営者が誰かなんて関係あるんですか?」
「大有りだ」
そんなやり取りをしている最中、門番の男は何か口を挟むわけでもなく、無表情で三人を眺めていた。ドレイクが賭場の組織の素性を知っている風な事を言っているにもかかわらず、何の反応もしない。
グラストスはドレイク達より、そんな男の様子の方が気になりながら黙って話を聞いていたが、ふと大事なことを思い出し話に割り込んだ。
「すまん。大事なことを言い忘れていた」
「どうした? 兄ちゃん。まだなんかあるのかい?」
「ああ。釈放金についてだが、悪いがこの女性の分も頼む」
そう言って、グラストスは牢の隅に控えていた女性を紹介するように示した。
女性は一同の視線が自分に集まったのを悟って、気まずそうに小さく会釈を返した。
「おお!? こりゃあベッピンさんだなぁ……。兄ちゃんも隅に置けねえな! 一体こんな女性とどこで知り合ったんだ?」
「……ここでだよ」
「あっ! その人って確か以前宿屋で」
ドレイクとグラストスのやり取りを聞きながら、何かを思い出すようにジッと女性を見つめていたリシャールは、以前宿屋で見かけた時のことを思いだしたのか、唐突に声を上げる。
「ああ、あの時の」
宿屋という単語を聞いてようやくオーベールも思い出し、両手のひらを体の前でパンと合わせた。
申し訳無さそうな顔になると、
「その節は本当にすみませんでした……」
頭を下げて謝罪した。これはオーベールが以前、女性と宿屋の前でぶつかってしまったことを謝っていた。
グラストスとリシャールだけはその事を知っていたのでそれが分かったが、一人蚊帳の外のドレイクと、当人の女性は理由が分からなかったようで首を傾げる。
「ともかく。出来るなら、この女性の分も頼む。俺の分は後にまわしてくれていい」
「い、いけません。私などのことはお気になさらず……」
グラストスの言葉に、女性は慌てて辞去しようとするが、
「事情はよく分からんが、分かった。美人をこんな場所に閉じ込めておくのは、人類の損失だしな」
その言葉に覆い被せるように、ドレイクがにやりと笑いながら言った。
「そうですね」
リシャールも間髪いれずに同意した。オーベールも微笑みながら頷く。
そんな四人の言葉に、女性は何と言っていいのか分からない様子で、ただ返答に困っていた。その瞳は申し訳なさと、感謝で溢れている。
「っと、話が纏まった所で確認しておこうか……この女性の釈放額は一体いくらだい?」
男はジロリと四人を見回して、淡々と答える。
「……その女は二百だ」
「にひゃっ……!?」
「それは……凄い額ですね……」
「なんとまぁ……」
「くっ」
男の口から聞かされた途方も無い額に、四者四様の反応をする。
ただ、自分の額を告げられた女性は一人、青ざめた顔で叫んだ。
「わ、私はそんな額の負債ではありませんでしたっ!」
「……お前の負け額は関係ない。負け分が払えなかった時点で、お前の身をどうするかはこちらが決める。金を幾らで設定しようと、それはこちらの裁量次第だ」
「そんな……」
女性はそのまま呆然の体で言葉を失う。
「最近は、人身売買も認められてるのかい?」
「……金が払えなかった者に、負け分を稼げる働き場所に案内してやるだけだ。規約に背いてはいない」
「なるほど。屁理屈だねえ」
ドレイクと男だけが分かりあっている問答に、他の面々は疑問符を浮かべていた。
それに対して、ドレイクは何も説明しようとはせず、
「じゃあ、二人分。全部で銀貨二百五十枚稼げばいいんだな」
「そうだ」
「分かった。賭場は上に行きゃあいいんだな?」
「そうだ」
再び男に確認する。
そして、ウーン、と一度大きく毛伸びをすると、「ちょっくら行って来るわ」と、そのまま上の階に登っていった。
「ちょっ、ドレイクさん本気ですかっ!? 二百五十ですよ二百五十!! そんな途方も無い金額――――」
「では、グラストスさん。僕も行ってきます。必ずお二人を助けますからご安心下さい」
オーベールは檻の向こうのグラストス達を勇気付けると、ドレイクの後を追っていった。
「オーベール様!?」
門番の男もリシャールを地下に残したまま二人の後に続いた。
そうして、檻の向こうに一人残されたリシャールは、そのまま立ち尽くす。
沈黙が場を支配し、リシャールの額に汗が滲んだ。
やがて、リシャールは牢の中の二人の視線に耐えられなくなったのか、
「も、もちろん。僕も全力でお二人を助けますよっ!?」
そう言うなり、リシャールは愛想笑いを浮かべて、逃げるように階段を駆け上がっていった。
三人を見送り、再び暗い牢屋にグラストスと二人きりになると、女性は不安げに呟いた。
「…………大丈夫でしょうか? もし仮に皆さんがお負けになるようなことになれば……」
そうなれば、責任の一端は自分にある。というように女性は申し訳無さそうな表情で目を伏せる。
それ対してグラストスが出来た事は、「大丈夫だ」と返すこと。
そして、ただ胸の内で彼らを信じることだけだった。




