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The Left Arm Wars  作者: 過酸化水素水
【3章 生命の代償】
63/121

60: 希望

これで三章は終わりになります。

何か気づいた点、誤字脱字報告を頂ければ助かります。

また、感想、批評・評価を下さると、かなり嬉しいです。

 

「そうですか…………」

 教会の神父は、悲痛な表情で目を伏せた。

 リシャール達に事態の収束を伝えてから、街に戻ったグラストスが最初に足を向けたのが教会だった。

 そのグラストスに、事の顛末を聞いたのだ。


 奥では、団員達によって運ばれた子供達が、深い眠りについている。

 先程少しだけグラストスが覗いた時には、三人とも涙の跡を残した顔で、それでも穏やかな表情で眠りについていた。

 ルーと遊んでいる夢でも見ているのかもしれない。

 それを思うと、グラストスの胸はズキリと痛んだ。


「申し訳ない。ルーは守る事が出来ませんでした……」

「いえ……仕方ありません。子供達だけでも、お救い下さった事に感謝しております。本当に有難うございました……」

 悲しみの中で、精一杯の微笑みを浮かべて、神父はグラストスに頭を下げた。

 悲痛な顔で俯くグラストスを安心させようとしたのか、頭を上げた神父は吹っ切れたような表情で言った。

「これで、この教会を引き払う事が出来ます」


 グラストスは眉を顰める。

「? どういう事……ですか?」

「はい……。実はこの教会は、もうじき閉鎖される事に決まっていたのです」

 神父は晴れやかな表情で告げた。

 子供達の事が浮かんで、グラストスは何か言おうとしたが、神父はその機先を制して話を続けた。


「この街の自由区に、大きな教会があるのをご存知ですか?」

 グラストスは街を思い浮かべて――――街の南門の近くに教会があった事を思い出した。

「確かに……ありましたね」

「近く、そこに併合される事になっていたのです。あれほど立派な教会があるので、このような小さな教会は必要ないと判断されたのでしょう。……ああ、ご心配には及びません。子供達と、そして私もそこでお世話になる事になっております」

 それを聞いて、グラストスはホッと安心する。

 そんなグラストスを見て、神父は「ありがとうございます」と微笑んだ。


「子供達にとっても、そちらの方が良い環境だとは分かっていたのですが……。ただ、ルーの事がありましたから、移動する訳にはいかなかったのです。あんな大きな教会では、ルーが訪ねてきた時に隠せませんから……。それに何より、子供達が反対しまして。この教会が存続できるようにオーベール様……ああ、オーベール様は領主様のご子息様に在らせられます。そのオーベール様に、子供達は何とか存続させて貰えるように、ずっとお願いしていたのです」

 なるほど、とグラストスは頷く。

 昨日、イーナが領主の館を見ていた理由が分かったからだ。

「オーベール様には、かねてから子供達のことを心配して頂いておりまして……。その関係で、ルーの事も知られてしまいました。ですが、オーベール様は咎めるどころか、ルーや子供達の為に色々取り計らってくださいまして、ルーの餌代なども全てオーベール様に工面して頂きました。本当にお優しい方です……」

 神父は敬愛をその目に宿らせて、オーベールの事を話す。

 子供達とルーが今まで無事で居られたのは、その人物の力に寄るところが大きかったというの事が、グラストスにも十分伝わってきた。

 そして、子供達がこの街の権力者に守られている事を知り、安心もしていた。

 そんな風に子供達を思いやっていると、ふとグラストスを不安が襲う。


「しかし、子供達は大丈夫でしょうか? 眠りから覚めた時、あの子達はルーの事を思い出してしまうのでは……?」

 グラストスは、再び子供達の心が折れてしまうのを心配していた。

 あの場はドレイクのお陰で何とか乗り切れた。

 だが、一晩眠って、もう一度事実に対面した時に、果たしてあの時の最後に至った心境を思い出せるだろうか。

 グラストスにはそれが分からなかった。


 神父はそのグラストスの疑問に、首を振って答える。

「…………分かりません。ルーはあの子達にとって、家族も同然でしたから……。忘れる事は出来ないでしょう」

「…………」

「……あの子達の両親は、不幸にも夫婦共に昨年国を襲った病に侵されまして。皆、子供だけを残して帰らぬ人になってしまいました……。その為、子供達はここに連れて来られたのです」

「病……」

 マリッタから夫人の事情を聞いていたグラストスは、それが安死病である事に気付いた。


「両親を失ったので当然ですが、始めてここに連れて来られた時には、三人とも今の姿からは想像できないほど沈んでましてね……。コリンやイーナなどは口も聞けなかった程、心に傷を負っておりました」

 その話は、グラストスが接した彼らの様子からは、とても想像出来なかった。

「ただ、同じ境遇の同世代の子供達が居た事が、せめてもの救いだったのでしょう。あの子達は本当の兄妹のように親しくなっていきました。そして、そんな時にあの子達はルーと出会ったのです」

 イーナを護ろうとして、自分に飛び掛ってきたコリンとエイミーの姿を、グラストスは思い出す。

 彼らの行動には、そんな想いが込められていたというのに、今始めて気付かされていた。


「恐らくあの子達は、衰弱していたルーの姿に、生前の両親の姿を見たのでしょう。なので、ルーを救う事を、必死に私に願っていたに違いありません。私もそれが分かったものですから、ルーの事を無碍に扱う事はできませんでした……。今思えば、私はあの子達の為に、ルーを利用したのかもしれません。子供達の意識をルーに向けさせることで、あの子達の心を救おうと……。まるで、ルーのことを物か何かと勘違いしているような振る舞いです」

 神父はそう言って、俯いて目頭を押さえた。

「……本来、死の運命を与えられるべきは、私の方だったのに……」

 まるで、グラストスに事情を話すことを懺悔と思っているかのように、神父は心をさらけ出す。

 暫く声にならないようだったが、やがて目を真っ赤にしながら視線を戻した。


「……失礼しました。……そんな思惑で連れ帰ったルーでしたが、彼は子供達の心に非常に貢献してくれました。子供達はルーが次第に元気になり、大きくなっていくにつれて、どんどん元気になっていったのです。半年もする頃には、子供達の顔に笑顔が戻りました。それは全て、あのルーのお陰だったと言っても、過言ではありません」

「そうでしたか……。ただ、そんな事情があったのなら――――」

 そんな心の拠り所とも言える存在を亡くした子供達が、元の様に笑う事は出来ないのではないか、グラストスはそう思った。


「ですが……」

 神父はグラストスの考えを否定するかのように、穏やかな表情を見せる。

 その表情からは、子供達に対しての強い信頼が伺えた。

「あの子達は、強い子達です。一度は両親を亡くすという、子供にとっては絶望的な状況にさえ追いやられたにもかかわらず、あの子達は立ち直りました。もちろん、それはルーのお陰でしたが…………それでも。あの子達は、最後にちゃんとルーにお別れしたのでしょう? でしたら、大丈夫だと思います。暫くはルーを思い出して涙する事も有ると思いますが、きっと最後には乗り越えてくれると、私は信じています。そして、私も全力でそれを手伝っていきたいと思います」

「……そうですね」

 グラストスは狂おしい程の悲しみの中にあったに違いない子供達が、それでもしっかりとルーに別れを告げていた光景を思い浮かべて――――はっきりと頷いた。


 神父はグラストスの様子に満足気に微笑んで、「宜しければ、最後に一つ。お付き合い願えますか」と話し始める。

 首を傾げながらも了承したグラストスに、

「あの子の、ルーの冥福を私と共に祈ってもらえないでしょうか?」

 と、浮かべていた微笑みに悲しみの色を加えて、そう願った。

 グラストスは迷うことなく従った。



「……勇敢な迷い子ルーに、どうか惜しみないアマニの祝福が与えられますように……」

 小さな祭壇の前で、グラストスと神父は、ただ静かに祈り続けた。


 神父の脳裏には、いつか見た、泉の前で寂しく佇んでいたルーの事が思い浮かんでいた。

 親とはぐれ、教会から放たれた後、仲間も居ないあの小さな森で、ルーは一人寂しく夜を過ごしていた。

 与えられた生は、凡そ一年強というあまりにも短い間だった。

 もっと、ルーに何かしてやれたのでは。

 子供達の心を救ってくれた感謝をはっきりとした形で伝えてあげるべきだったのでは、という後悔は尽きない。

 だが、それでも――――


 あの子の生には意味があったと、あの子は幸せだった筈だと、そう神父は信じていた。

 なので、最後は謝罪ではなく、感謝の想いを込めて魂の救済を願い――――神父は一滴の想いをそっと溢した。

 


***



 街には既に夜の帳が訪れていた。

 ドレイクがこんなに遅くなってしまったのは、二匹目のリザードドラゴンを討伐した後、念を入れて森を探索し直していた為である。

 もし三匹目が居たとしたら、また同じ事の繰り返しだからだ。

 ただ、そんな不安は杞憂に終わる。

 結局、あれ以上の魔物の痕跡は見出せなかった。


 そして、ドレイクは今、ギルドに向かっていた。

 背中には、約束のリザードドラゴンの牙が四本背負われている。

 一本一本がかなりの大きさな為、その姿は街中には明らかに異質であり、ドレイクは道行く人の視線を一身に浴びていた。

 いつもなら苦笑いの一つでも浮かべていただろうが、今のドレイクにはそんな様子は微塵も存在しない。

 らしくない、険しい顔で歩みを進めていた。


 やがて、ギルド前に辿り着く。

 既に建物は消灯されており、人は誰もいないように見えた。

 ――――といっても、元々二人しかいない職場だが。

 ドレイクは僅かに眉を顰めて、入り口の扉を確かめるように押してみた。

 扉はすんなり奥に開く。

 どうやら、まだ誰か居るようだ。


 とりあえずドレイクは中に入り、目的の人物がいる筈の部屋の前に移動する。

 すると、その部屋の中から、薄暗い灯りが外に漏れていた。

 こんな時間にこの部屋にいる人間は、一人しかいない。

 ドレイクは勢い良く扉を開け放った。

 

+++


「……誰だと思ったら、お前か」

 書類作業をしていたらしいアドルファスは、片眉を上げて突然現れたドレイクを見据える。

 こんな時間に何だ、と言おうとして、ドレイクの背中にあるモノに気付いたようだ。

 僅かの驚きの後、口元に笑みを浮かべる。


「流石だなドレイク。もうアレを狩ったのか。腕は鈍っちゃいないようだな」

 その賛辞に対しては何も反応せず、ドレイクは背中の牙を下ろして、支部長室の中央にある机にドカっと置いた。

「……そんな事より、聞きたい事がある」

 そう言って、ドレイクはアドルファスをジッと見つめる。

「おいおい、どうしたそんな怖い顔をして」

 ドレイクの表情を見て、茶化すようにアドルファスは笑う。

 それには釣られず、ドレイクは今しがた置いた牙の束を指し示した。

「……お前に聞いた話と随分違ったんだが?」

「は? 何を言って……」

 そこまで言って、アドルファスはドレイクが何を言おうとしていたのかに気付いたようだ。

 視線の先には、四本の牙があった。


「四本? どういう事だ。リザードドラゴンにはこの大きさの牙は、二本しか生えていない筈だが?」

「…………リザードドラゴンは、あの森に二頭居た。どういう事だ? お前の話では一頭だけという話じゃなかったか?」

 ドレイクは咎めるようなそんな声で指摘する。

 それに対して、アドルファスは心底驚いた顔を見せた。

「何だと? ……嘘だろう、と言いたいが、実際牙は四本ある。信じなくてはいけないな……。よく狩ってくれた。お陰で更にギルドへの援助額も上がるに違いない」

 アドファスはにこやかに笑いながらそう言うと、机の引き出しから布袋を取り出して、ドレイクに放った。

「生憎、一体分しか用意していない。残りはまた今度取りに来てくれ」

 ドレイクは丸々と太ったその布袋を、何とも言えない表情で見つめた後、何も言わずに懐に入れた。


 そして、再びアドルファスに視線を送る。

「返答はまだ貰ってないが?」

「俺もその話は、偶然見かけたという懇意の商人に聞いただけだ。詳しい事は、実は俺もよく知らないんだ。情報に誤りがあったのはすまなかった」

「自分の目で確かめてないのに、そんな突拍子も無い話を信じたのか?」

「その人物は信頼の置ける人間でな。とても口らから出鱈目を言うような人間じゃないんだ」

 アドルファスはスラスラと答える。

 それに怪しさを覚えなかった訳ではないが、ドレイクは特に指摘はしなかった。


「……聞きたいことはまだある。この街の自警団員が、あの魔物の存在を知らなかったのは何故だ?」

「は? それは俺に聞かれても分からん。領主が伝えていないんじゃないか?」

 ドレイクはアドルファスと注視する。

 とりあえず、嘘を言っているようには見えない――――が。


「なら、領主の館の人間がそれを知らなかったのは?」

 ドレイクが直接、領主の館の人間に話を聞いたわけではなかったが、アーラとこの街の領主の仲は良好だとは話に聞いていた。

 あんな魔物の存在を知っていたとしたら、館の人間は間違いなくアーラを森にやったりはしなかっただろう。

 せめて、その事を伝えていた筈だ。

 しかし、アーラ達は森にはいるまで、リザードドラゴンの事を知らなかった。

 つまり、館の人間はリザードドラゴンの存在など、全く知らなかったと言う事だ。

 そう考えてのドレイクの問いだった。


 だが、アドルファスはその問いには答えずに、しかめっ面をする。

「……お前は、何が言いたいんだ?」

 不愉快さを顔の前面に押し出して、逆にドレイクに問い返した。


 ドレイク自身、何かはっきりした考えがある訳ではなかった。

 ただ、アドルファスの話はどうにも腑に落ちない。

 それがどうしても気になったので、尋ねたまでだった。

 なので、ドレイクは咄嗟に思いついたことを口にする。

「例えば…………これは本当に領主からの依頼だったのか? お前はこの支部のギルドの評価を上げる為に、実は領主に魔物の事は伝えていないんじゃないのか?」

 ドレイクの解答に、アドルファスは一瞬キョトンとした表情になる。

 次の瞬間、陰気になってしまった男とは思えないほど顔を歪ませて、腹を抱えて笑い始めた。


 唖然とするドレイクを置き去りに、アドルファスは異常なまでに笑い続けていたが、暫くの後、それは収まっていった。

 そして、目元に涙を滲ませた顔でドレイクに返答した。

そんな訳がない・・・・・・・・・・・・・・だろう。言っただろ? フォレスタにはリザードドラゴンを倒せる自由騎士はいないと。お前が訪ねてくるなんてことは全く予想がつかなかったんだ。もしそうなら、俺はどうやってあれを倒すつもりだったんだ?」

 リザードドラゴンを倒せる自由騎士など、そうそう居るものではない。

 ドレイクは考えるまでも無く、アドルファスの言葉の正しさを認めた。


 が、言葉尻を捉えて、もう一度問い返す。

「俺っちが現われなかったら、どうするつもりだったんだ?」

「もちろん、依頼を断るつもりだった。断わったとしてもフォレスタには大層な自警団がある。自警団員総出でかかれば何とかなっただろう。まあ、被害者は少なからず出ただろうがな」

 間髪入れずにアドルファスは答えたので、ドレイクは何も言えなかった。

 それがアドルファスの本音だとは、思っていなかったが――――


 それに、領主に話を本当に伝えていたのかどうかは、アーラに確認してもらえば済む事だとドレイクは考えていた。

 アドルファスが嘘を吐いていた場合は、その後にもう一度確かめれば良いだろうと。

 ――――だが、ドレイクは知らなかった。今領主がこの地に居ない事を。


 それから、前回の時と同様に二人の間に沈黙が訪れた。

 こんな気の休まらない関係になってしまった事を少し悲しんだドレイクだったが、直ぐに思考を切り替えると、

「話はそれだけだ。作業の邪魔したな」

 と、一言詫びて、支部長室の扉に手をかけた。



「…………なあ、一つ聞いて良いか?」

 不意に、背後から声を掛けられたので、ドレイクは半身で振り返る。

 その声には、先程までの楽しげな様子は感じられない。

 アドルファスは平坦な口調で前置きしてから、ドレイクをジッと見つめながら言った。


「……もし、俺と同じ目に合ったら……お前はどうする?」

 同じ目と言うのが、片腕を失ったら、という事だとは直ぐに分かった。

 ドレイクは少し目を伏せて考えて、結局「分からない」と答える。


 その答えをどう思ったのか、アドルファスは何も言わずに椅子に深々と座り込んだ。

 感情の篭っていない目で、机の上に置かれた牙を見つめる。

 ただ、答えるなりそのまま部屋を出て行ったドレイクが、そんなアドルファスを見る事はなかった。

 


***



 アーラは森から戻ったその足で、夫人の部屋を訪れていた。

 生憎夫人は寝入っていたが、アーラにはその方が都合が良かったのも事実だった。

 今、夫人の優しい声を聞いてしまったら、どんな想いがもたげて来るか、容易に想像できたからだった。

 アーラはそんな自分を、堪らなく弱いと、蔑むように思っていた。


 夫人の寝顔は穏やかだった。

 とても、死に至る病に侵された身であるようには見えない。

 それが何とも言えない悲しさを、アーラの胸に湧き上がらせていた。

「…………」

 やがて、アーラは夫人を起こさぬように、そっと部屋を出て行った。


+++


 居間に移動したアーラを出迎えたのは、執事だった。

 執事は、高級そうなふっくらとした長椅子の真ん中に腰を下ろしたアーラの前の机に、静かに紅茶を置く。

 だが、アーラがそれに手を伸ばす事は無く、そこから湯気が立ち昇るのをただ呆然と見つめていた。


 角を必ず持ち帰ると豪語していたアーラが、何も持たずに帰ってきた事には、執事は何も言わなかった。

 恐らく、アーラの表情から事情を悟ったのだろう。

 何を問う訳でもなく、「お疲れ様でした」と笑顔でアーラを出迎えた。


「…………私は、弱いな」

 アーラは、ぽつりと呟く。

 呟いてから、一体何が弱かったのかと、アーラは考えた。

 初志を貫徹出来なかった意志か。

 人道を忘れ、私欲に走ろうとした心か。

 結局、どう行動していれば最善だったのか、アーラには分からなかった。

 そして、再び欝に入る。

 一度決着したことを、くどくどと思い返している自分の弱さに改めて気付いたからだ。


「アーラ様」

 隣に控えていた執事が、アーラに声をかける。

 アーラは何も答えず、視線だけを向けた。

「何があったのかは存じませんが……この館の者は皆、アーラ様の事を信じております。アーラ様が思い、悩み、決めた事であれば誰も何も言いません。旦那様や奥様、坊ちゃまであってもそうであると、私は確信しております」

 それは、一点の曇りの無い信頼だった。

 その温かい眼差しに嘘偽りは無く、アーラの事を温かく捉えている。

 

 だが、アーラには分からなかった。

 と言うより、そんな事は今まで考えたことも無かった。

 何故、弱い自分などをそんなにも信じてくれるのか、などと。

 それは、彼らだけの事ではない。

 ビリザドの家族、民達、全体を指している。

 彼らはどうして、こんな自分に信頼を寄せてくれるのか。

 アーラには全く分からなかった。


 何せ、自分には何も無い。

 突出して頭が切れる訳でもなければ、剣の腕も無い。

 魔法などは、目も当てられない有様である。

 グラストス達は称賛してくれていたが、器量もそれほど良いとは思えない。

 少なくとも、姉とは比べ物にはならない。

 

 アーラはそういった想いに囚われ、どんどん沈んでいった。

 か細い声で呻くように呟く。

「…………私が決めた事は……誤っているかもしれないぞ?」

 その発言に対して、執事は柔らかく笑う。

「それに付き合うのも、我々の務めでございます」

「ははっ。それは……責任重大だな」

 執事の言いようが琴線に触れたのか、アーラは少し相好を崩した。



 そうして、少しだけ場の雰囲気が柔らかくなった時、ドタドタと物音が聞えてくる。

 誰かが館の中を走り回っているようだ。

 執事は不快そうに顔を歪めて、

「何事ですか! 騒々しい!」

 と、怒鳴りながら居間を飛び出そうとした。

 だが、その前に騒音の主。守衛のベンが居間の戸口の前に姿を現した。


「ベン! 何ですか。あなたとあろう者が!」

 叱責する執事に、ベンは申し訳なさそうな顔で謝罪した後、直ぐにそんな場合ではないと気付いたのか、慌てて事情を説明した。

「ぼ、坊ちゃまが、お戻りになられました!!」


 その言葉に、細い目を見開いたのは執事である。

「何ですと!!」

 と、叫ぶや否や、ドタドタと音を立てながら、館の入り口に向かって走っていった。

 執事の豹変した態度に、アーラはいつもの事ながら呆れて、その場に残ったベンに尋ねる。

「オーベール殿が戻られたのか」

「は、はい。今しがた」

「そうか……。ならば、私も顔を出そう」

 ご案内します、というベンに連れられて、アーラはオーベールの下に向かった。


 居間を出て広間に出ると、騒々しい声がどこから聞えてくる。

 声の主は執事である。

 先程までアーラに向けていた穏やかさは微塵もなく、何やらオーベールに怒鳴っているようだ。

 この館の執事は、バレーヌ侯爵や、夫人の事は敬愛しており、アーラの事もまるで主人に対するように接してくれる。

 だが、侯爵の一人息子のオーベールに対しては、どうにも同じように振舞えないようだった。

 ただ、それは悪感情からではない。

 あまりに可愛くて仕方ない事の反動なのだろう、とアーラは分析していた。

 ビリザドのアーラの爺やと、その点だけは全く同じだった。

 なので、アーラはオーベールの苦労はよく分かった。

 ――――もし、執事達が話を聞けば、それはこちらの台詞です、と言うに違いないが……。


 アーラが広間を抜けて館の入り口近くに至ると、

「――母さんは!?」

 緊迫した声が聞えてくる。

 その直後、扉が開いた。

 先ず外から中に入ってきたのは、怒り心頭といった様子の執事だった。

 オーベールの問いに答えながらも、小言を加えるのを忘れていない。

 

 そして、次に綺麗な銀髪を靡かせながら館内に入ってきたのが、夫人の無事を聞いてホッと安心した表情を浮かべた一人の青年だった。

 オーベール・ドゥ・ビュフォン。

 今年で十九になる、バレーヌ侯爵と、夫人の一人息子である。

 

 オーベールは羽織っていた外套を、執事によって脱がされながらも、目の前に立ったアーラに気付かないまま、興奮した面持ちで語る。

 丁度、声をかけようとしていたアーラはその発言を聞き、驚愕の表情で固まった。

 ――――何故なら、オーベールはこう言ったからだ。


「母さんを、助けられるかもしれない!!」

 

 と。



-3章 完-


長かった……。

いつの前にか40万字近くいってます。

戦乱にまだ入ってないのに……orz


自分の癖なのでしょうけど、無駄に長い感は否めません。

もちっと簡潔にできたらなぁ、と思う今日この頃です。


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