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The Left Arm Wars  作者: 過酸化水素水
【3章 生命の代償】
57/121

54: 歯車

2010/10/08 5000文字ほど追記しました。(『夫人の病名を伝えられて……』と言う部分からが新規追加箇所です)

2014/08/20 安死病に関する期間を延ばしました。

 

 どうやら危険は無さそうなことを悟り剣を収めたグラストスの目の前で、子供達が魔物と戯れている。

 魔物は完全に安心しきっており、まるで警戒している気配はない。

 子供達も怖がる様子などまるでなく、首筋に抱きついたり体を撫でたりと忙しい。

 両者の間に、よほどの関係が築かれているのが分かる。


 魔物は一見馬に酷似しているが、額から生えている角以外にも異なっている点がある。

 まず、その毛並みの色である。

 葦毛でもなく栗毛でもなく黒鹿毛でもなく……綺麗な藍色だった。

 そして、雄雄しい(たてがみ)を額から尻の近くまで生やしており、その色は鮮やかな空色である。

 凡そ、馬にはあり得ない色だ。

 

 年齢は一歳程度だろうか。

 軍馬としてはまだ不足のある体格である。

 この魔物の生態が馬に似ているとするならば、人間換算ではまだ幼子の筈だ。

 だからこそ、こんなにも子供達と触れ合えるのだろう。


「しかし、どうやってここまで……?」

 グラストスは首を捻る。

 フォレスタの街の周囲は、高い外壁で覆われている。

 まさか、飛んで越えたという訳ではないだろう。

 普通に考えるならば門を抜けたとしか考えられないが、子供と言えど明らかに魔物と分かる様相としている。

 門衛がすんなり通すとは思えない。と言うより、その場で狩られてもおかしくない。


 そうしたグラストスの疑問には、神父が相好を崩して、

「直ぐに分かりますよ……」

 と、含みを持たせて答える。

「この馬はとても賢いのです」

 神父はこの魔物のことを、『馬』と表現する。

 もちろん魔物だということが分かっていないのではなく、あくまで視覚によってのことなのだろう。


「……しんぷさま! おうまさんじゃないよ。ルーだもん!」

 神父の法衣を引っ張りながら、イーナが頬を膨らませながら指摘する。

 それには神父も苦笑いし、「そうだったね」と謝った。

 どうやら『ルー』とはこの魔物の事らしい。

 それだけは分かったグラストスだったが、二点疑問が残る。


 一つは、彼女は『オーベール』という領主の関係者に、一体この魔物の何をお願いするつもりだったのかと言うこと。

 だが、グラストスがそれを尋ねてみても、子供達は警戒しているのか教えてくれない。

 神父は事情を知っているようだったが、話すべきか迷っている風に見受けられる。


 もう一つは、何故子供達は魔物とこんなにも信頼関係を築けているのか、と言うことである。

 子供達と魔物の関係を見られてしまった以上、それを教えるのは仕方がないことだと考えたのか、神父がグラストスに事情を説明する。 

 神父曰く、彼らの付き合いは一年程前から始まったらしい。


+++


 その日は偶々、神父と子供達はフォレスタの北の森で散策を行っていた。

 北の森は地元の人間であれば迷うほど深くなく、中を住処にしているのは小動物だけなので、散策にはうってつけの安全な場所なのだった。

 中には薬草なども群生しており、北の森に足を運ぶ人も少なくない。


 安全が保障されている事もあって、神父も時折、そこで子供達を遊ばせていた。

 子供達も奥まで行ってはいけない、という神父の言いつけをいつも守っていたのだが、その日に限って中々戻ってこない。

 心配になった神父が森の中に探しに入ると、少し入った所に子供達は輪をつくって座っていた。

 良かった、と安心した神父だったが、直ぐに子供達の様子がおかしい事に気付いた。

 どの顔にも不安そうな表情が張り付いていたからだ。


 「どうしたんだい?」と声をかけた神父に、子供達は縋るように抱きついてきた。

 子供達の話は要領を得なかったが、事情は一目で分かった。

 子供達が囲んでいた輪の中に、生まれたばかりと思われる子馬の姿があったからだ。

 そして、それはとても弱っていた。

 母親の姿は見えず、放っておけばこのまま死んでしまうだろう事は、容易に想像できた。


 ただ、その馬はとても珍しい毛並みで、額には小さな角が生えていた。

 ”魔物では”と直感的に思い立った神父だったが、子供達の必死の懇願に子馬を連れ帰る事に決めた。


 フォレスタの周囲は外壁で覆われており、通常は東西南北の門を通らないと出入りが出来ない。

 だが、フォレスタの住人だけは、その門脇にある”住人用通路”という通路を利用して、街の内外を出入り出来るようになっている。

 その通路であれば、用途的に門衛によって念入りに調べられる事はない。

 それが幸いした。

 何とか門衛にばれることなく、子馬を街内に運びこめたのである。


 ただ、生まれたばかりの子馬と言えど、人間の子供などよりは余程大きい。

 年老いた神父では運ぶのにとても苦労した。

 そうして、何とか教会に運んだ子馬を、神父達は隠れて看病することにしたのだった。


 子馬は魔物だったがとても穏やかで、まるで人の言葉が分かっているかの様に賢かった。

 もしかしたら声帯が機能していないのか、鳴き声を発する事もなかった。

 加えて、ある特殊な能力も持っていた。

 それらのお陰で、何とか子供の内は近隣の住人にも見つからずに済んでいたのだが、基本的な生態は馬と似通っているのか、子馬は一年近く立つ頃にはかなり大きくなってしまった。

 その為、隠れて育てる事に限界を感じた神父は、子馬を北の森に離す事に決めた。


 一年を得て、子供達と『ルー』と名づけられた子馬はとても親しくなっており、それを告げた時には子供達に激しく泣かれた。

 だが、神父が優しく丁寧に事情を説明すると子供達も納得し、そして、ルー自身もその事を理解してくれたようだった。

 そうして、ルーを北の森に返し、今に至っている。


+++


「ただ、まだ子供だからでしょうな。人恋しくなった時は、こうして子供達を訪ねてくるのです。それは危険なのでなるべく間隔が開かない様に、こちらから北の森に出向く事にしているのですが……。最近はその、色々ありまして……」

 神父が子供達と戯れるルーを見ながら、事情を説明し終える。

 少し話し辛そうにしているが気になったが、グラストスはとりあえず納得した。

「……なるほど。事情は分かりました」


「申し訳ありませんが、この事はご内密にして頂く訳にはいかないでしょうか? あの子はとても賢い。それに、あの子達以外の人間には決して近づく事はありません。人を襲うようなことは絶対にありませんので、なにとぞ……」

 そう言って、神父がグラストスに深々と頭を下げる。

 グラストスは慌てて頭を上げるように促すと、安心させるように笑顔で頷いた。

「大丈夫です。そういう事ならば、絶対に誰にも言いません」

「そうですか……。有難うございます」

 どこかホッとしたように、神父は再び頭を下げた。


 はしゃいでいる子供達を温かい眼差しで見つめながら、グラストスは気になった事を尋ねる。

「しかし、北の森にいては、自由騎士達に狙われるのでは?」

 グラストスはルーの一本角を見ながら、以前ビリザドの森で一角を見た時の、サルバとリシャールの反応を脳裏に浮かべていた。

 あの二人がああなるのであれば、恐らく他の自由騎士達はもっと貪欲なのではないか、と思っていた。


 それに対して、神父はニッコリと笑う。

「そのことが、ルーがここまで無事に来れた理由なのですよ……」


 神父がそう告げた時、子供達の方から声が上がった。

 グラストスがそちらに視線をやると、ルーがほのかな光を発していた。

 そして、身体を包み込んだ光の膜の中で、ルーの姿が変化していく。

 身体の色が、藍から黒に。

 鬣の色が、空色から白色に。

 最後に、角が鬣の中に隠れるほど小さくなっていった。やがて完全に隠れてしまう。


「なっ!?」

 グラストスの口から驚きが漏れる。

「これが、ルーが襲われない秘密なのです……」

 唖然とするグラストスに、神父がそっと説明する。

「なるほど……」

「生来の能力なのでしょう。普段は先程の姿なのですが、危険が迫るとああして擬態をして危険から逃れるのです」

 神父の説明を聞いて、グラストスは暫く無言のままルーを見つめる。

 神父はそのグラストスを見て、驚きから黙ってしまったのだろうと考えていたが、違う。

 グラストスの胸中では、虚しさが渦巻いていたのだった。


 グラストスはルーの能力は、一体何を警戒して生み出されたものかを考えていたのだ。

 擬態の能力は確かに凄いが、より強い肉食の魔物に対して意味があるのだろうか。

(恐らく、意味はない)

 肉食の魔物にとって、馬だろうが、角の生えた馬だろうが、餌として見る分には何ら関係がないからだ。

 ならば、この擬態という能力は、より脅威の魔物に対しての能力ではない事になる。

 素直に考えると、擬態によって惑わされる相手こそが、このルー……というよりルーの種族が天敵とする相手なのだろう。

 そして、その相手とは…………。

 それを考えると、ルーが子供達と仲睦まじい様子は、何かとても大切な事を示しているように思えるのだった。


「あ! ルー! もう家にかえるのか!?」

「アタシがおくってく!」

 思考に浸りきっていたグラストスの耳に、子供達の声が届く。


 我に返ったグラストスがルーを見ると、教会の入り口から外に出ようとしている所だった。

「あんまり遠くに行くんじゃないよ? もうじき日も暮れるから、直ぐに戻って来るんだよ?」

 ルーと一緒に外に出て行こうとする子供たちに、神父が心配そうに言葉をかける。

 「はーい」と元気よく頷く二人と、コクンと頷いた少女は、キャッキャと騒ぎながらルーの後を追って、教会の外に消えていった。

「困った子供達です」

 それを見届けて、神父が苦笑する。

 言葉とは裏腹に、視線はとても優しい。


 グラストスは子供達が消えたのを見計らって、疑問に思っていたことを尋ねた。

「神父。あの子達は……あなたが育てているんですか?」

「…………」

 神父は浮かんでいた笑みを、スッと消すと、代わりに悲しげな表情を貼り付けた。

 そのまま黙り込んでしまい、グラストスは自分の失態を察した。


「……すいません。今のは忘れてください」

「…………」

 神父は何も言わなかったが、ただ静かに一礼する。 

 気まずい雰囲気が漂ったが、丁度良い機会だと思い、グラストスはそろそろ辞去する事を伝えた。

 先程、子供達が開けた扉から覗いた外からは、夜の気配が感じられた。


「またいつでもいらして下さい。……貴方にアルプトのご加護がありますように」

 神父の祈りを受けたグラストスは、一礼して教会の外に出たのだった。



***



 平民区はとても入り組んでおり、少し迷ってしまったグラストスだったが、何とか抜け出して大通りに出ることに成功した。

 丁度通りを挟んだ反対側を見ると、そこら一帯に宿屋らしき建物が立ち並んでいるのが分かった。

 ここで――――グラストスは迷った。


 ドレイク達が何処にいるか分からなかったし、かといって今から領主の館に向うのも遠慮したかった。 間違いなくアーラは怒っているからだ。

 懐を探り財布代わりの布袋を取り出し、中を確認して――――グラストスの顔が情けない表情に変わった。

 このままでは、どこかで野宿する事になりそうだった。


(……さて、どうしようか)

 と、その時グラストスの視界に、見慣れた男の姿が入ってきた。

(あれは!)

 荷馬車が行きかう通りを横断して、グラストスはその人物に声をかける。

「ドレイク」


「ん? おお、兄ちゃんか」

 ドレイクは例の大剣を背負っておらず、手ぶらだった。

 何処かに置いてきたと言う事だろう。

 つまり、既に宿を取っているに違いない。

 それを察したグラストスは事情を説明して、部屋に便乗させてもらえるように頼んだ。

 のだが、何故かドレイクは自分が尋ねてくるだろう、という事を既に知っていた。


(助かった)

 恐らくアーラか、マリッタから聞いたのだろう。

 一人納得するグラストスに、ドレイクが宿の場所を説明する。

 ドレイクの場所を脳裏に反芻するように考え込んだ後、グラストスは理解を瞳に宿して頷いた。

「じゃ、俺っちはちっと用事があるから」

 そう言って、ドレイクは何処かに立ち去ろうとする。

 だが、数歩歩いて立ち止まる。


「そうだ。兄ちゃん。明日の事だが……」

「何だ?」

「……っと、ここで説明するの面倒だから、部屋に戻ったら坊主に聞いてくれ」

 そう言うと、ドレイクは再び歩き始めた。

 「何処へ行くんだ?」と、何となく尋ねたグラストスに、

「情報収集」

 とだけ答えると、そのまま夜の街に消えていった。

 それを見送った後で、グラストスは教えられた宿に向う事にした。



***



「何? もう一度言ってくれ」


 教えられた宿の部屋に入ると、リシャールがのんびりと寛いでいた。

 そのリシャールから、グラストスはフォレスタの滞在が十日になった事。

 そして、ドレイクが言っていた話の内容を聞いた。

 グラストスが聞き咎めたのは、後者の説明を受けた時である。


 真剣なグラストスの顔を見て、リシャールは戸惑いながらもう一度同じ話をする。

「ですから、北の森に生息している魔物を狩りに行かないかって……」

「その魔物は何だ? どんな奴だ!?」

「え? いや、それは聞いてませんが……。命の危険はない奴だって言ってましたよ?」

 北の森の魔物と聞いて、グラストスの頭に浮かんだのが、先程のルーであったのは当然の流れだったと言える。


「まさか、一角か!?」

「え!? いえ、違うようですけど……」

 グラストスは懸念が杞憂に終わって、ほぅと胸を撫で下ろす。

 もし対象がルーであったなら、何とかして止めないといけないところだった。


 そんなグラストスに、リシャールが何かを言おうとして――――止めた。

 リシャールは北の森の一角の話をしようと思ったのだが、グラストスが無闇に魔物を襲うのを嫌っている事を思い出して、伝える事をはばかられたのだった。

 リシャールにしては空気を読んだ行動だったが、もし仮に今グラストスにその事を告げていたとしたら、この後の展開は違ったものになっていた事だろう。

 しかし、それは言っても詮無き事である。


「それで、グラストスさんはどうします? 一緒に行きますか? 行きますよね?」

「何だそれは……」

 リシャールの身を乗り出しての確認に、グラストスは苦笑する。

 ただ、グラストスも何か用事がある訳ではないし、ルーの事も心配だったので、

「ああ。分かった」

 そう頷いて、リシャールを喜ばせたのだった。

  


***



 その頃ドレイクは、言葉通り真面目に情報収集に取り組んでいた。

 色々な情報(・・・・・)を、我が身を使って収集し、最も重要な情報を取捨選択する。

 ドレイクの顔は真剣そのものだった。

 盗賊団に襲われた時にさえ、浮かべていなかった表情である。


 今、ドレイクの前には二つの選択肢が置かれていた。

 究極の選択である。右か、はたまた左か。

 それによって、ドレイクの運命が決まるといっても過言ではない。

 なればこその、悩みだった。


「むむぅ…………」

 苦渋の表情を浮かべて、ドレイクの右手がふらふらと宙を彷徨う。

 そんなドレイクに、厳かな声が投げかけられた。


「……お客さん。早く決めてください」


 声の主は二十代中盤頃と思われる、豊満な肉体をした女性だった。

 着ている丈の短い衣装が、とても似合っている。

 本来なら目の保養にと、眺めていたに違いない女性には見向きもしないで、ドレイクが眺めているのは――――ただのお品書きだった。


 先程からずっと、ドレイクはどの酒にしようか迷っているのである。

 酒場は、今からがかき入れ時なのか、次々と客が店に入ってくる。

 そんな状態で、ドレイクは店員を拘束し続けているのだ、女性の苛立ちも仕方ない事だろう。


 やがて、ドレイクは覚悟を決めた。

 店員の迫力に圧されたのかもしれない。

「はい。ご注文承りました」

 ようやく注文を決めたドレイクにホッとしたように、女性は奥に消えていった。


「財布の中を、ちゃんと確認しておくんだった……」

 ドレイクが悩んでいたのは、ドレイクがずっと飲んでみたかった酒と、ドレイクの大好きな酒のどちらにするかだった。

 後者にしておけば、今日の満足は間違いない。

 だが、前者もここで試さないと、もう二度と飲めないかもしれない。珍しい酒なのである。

 いつもなら迷わずに両方選ぶドレイクだったが、明日の準備に使った金は仕方ないとして、ホモンの酒場で少々飲みすぎていたようだ。

 酒場に入った直後に何気なく確認した財布の中には、どちらか一つしか選べない金しか入っていなかったのだ。

 予め知っていたら、誰かに借りると言う手があったのに…………。


 ドレイクがそれを思って嘆いていると、後ろの席から気になる単語が耳に入ってきた。

 何気なく耳を澄ます。



「……間違いない。間違いなく一角は北の森にいる」

「そうか……」

「イザベラ達は明日狩りにいくそうだ。だから、俺達も明日狩りに行こう」

「……そう、だな」

「先を越されないように、早朝から向うぞ」

「分かった」



 こそこそと話をしている男達は、昼間リシャールが見かけた若い自由騎士達だった。

 その事はドレイクが知る由もなかったが……。


(……坊主が言ってた話か)

 話の内容は聞いていた。

 内密の話をしているようだが、そんな如何にも内緒話をしていますという様子では、その事を周囲に喧伝しているようなものだ。

 ドレイクはそう思って苦笑する。

(まあ、密会に酒場っつーのも捻りがないが……それより)


 ドレイクには気になった事があった。

 ただし、それは一角の事ではない。

 ドレイクはチラリと背後の二人の男を盗み見た。

 まだ若い。密会の対応を見ても分かるように、自由騎士として駆け出しの新米なのだろう。

(それが北の森に行く?)

 ドレイクは、今はリザードドラゴンが北の森に住み着いていると聞いている。

 そして、間違っても、リザードドラゴンは新米に倒せる魔物ではない。命を捨てに行くようなものだ。

 だとするならば――――


(その事を知らないのか。金に目が眩んだか。または……アドルファスが間違っているのか)

 その何れかだろう。

 ただ、ドレイクは考えなかったが、もう一つ可能性はある。

 それは……ドレイクにアドルファスが嘘を吐いた、と言う可能性だ。

(……まあ、明日森に行けば分かるか)

 ドレイクは、深刻になりかけた思考を切り替え、そう楽観する。


 その時、先程の女性店員が酒を持って現れた。

 熟考の後に注文した”一樽”を。

 迷うほど呑みたい酒が他にあるのならば、量を抑えて二つ注文すれば良いようなものだが、ドレイクの最小単位は”樽”なのだった。一樽から呑まないと飲んだ気がしないのだ。飲兵衛の本領である。


「おお。待ってました」

 大好物の登場に、考えていたことを綺麗さっぱり忘れ去ると、ドレイクは一人、酒を堪能し始めたのだった。



***

 


 夫人の病名を伝えられ、アーラは激しく動揺していた。

「あ、安死病だと……」

「…………」

 そのアーラを、やはり、といった沈痛面持ちでマリッタが見つめている。

 マリッタは先程の夫人の様子を見て、いち早くそれに気付いていたのだった。

 何しろ、その病はマリッタにとっても見慣れたものだったからだ。


 『安死病』


 昨年、パウルース全土を襲った流行病である。

 一度それに罹り、処置をしなければ確実に死ぬ、とされている程の難病であった。

 発生源は未だに特定できていない。

 どこかの村とも言われているし、公爵領下の街だとも言われている。

 ともかく、その病は突然パウルースに発生したのだ。

 ただ誰にでも発症するという訳ではなく身体の弱い人間、主に子供や、若い女性、年寄りが多くそれに罹った。

 そして、その多くが亡くなった。


 一つ救いがあったとすれば、その症状である。

 それは発症していきなり死ぬという類の病ではなく、個人差もあるが凡そ九十日ほどで徐々に生気を失っていき、やがて眠るように死んでいく……。

 そういう症状であるため、疾患者が病の症状に関して苦しむ事はない。


 しかし逆を言えば、発疹が出来る、咳が増える、高熱を発するなど、傍目にも病気と分かりやすい症状が何一つないという事でもある。

 その為、発病の発見が遅れるという問題も、事態の悪化に拍車をかけていた。

 とはいえ国もそれに対して手をこまねいていた訳ではない。

 必ず完治するというものではなかったが、症状を和らげ、運が良ければ助かる。そんな薬を研究の末開発したのだ。

 それでも十分だ、と多くの発病者の家族は藁に縋るようにそれを欲した。


 ただし、この薬には致命的な問題があった。

 それは一人分の薬を製作するのにも、莫大な費用がかかるという事だ。

 平民にはとても払えるべくもない金額で、それを手に入れられたのは一部の裕福な貴族や商人だけ、という有様だった。

 一部の領主は私財を投げうって領民の為にそれを手に入れたが、そんな高潔な人間は全体から見てほんの一握りで…………。


 そして、パウルース国民の約十分の一とも言われる数の犠牲者を出して、その病はようやく鎮まっていった。

 後に残ったのは、死んでいるとは思えない程綺麗な発病者の物言わぬ躯と、悲しみだけであった。

 感染者が苦しまずに死んだという事実だけが、残された遺族の心を慰めている。

 そんな病に、夫人が侵されていると言うのである。


 アーラも昨年は、その対応に追われていた。

 他の地域同様、ビリザドでも多くの発病者がいたからである。

 なのでその病のことはよく知っていた。

 と言うより、パウルースの人間で、その病のことを知らない者はいない。

 アーラの驚愕は、そういった事情から起こったものだった。


「く、薬は!? 薬は手に入れたのか!?」

 我に返るなり、アーラが執事に尋ねる。

「はい。それは病の事が分かるなり、直ぐに旦那様が手配されましたが……」

 執事の表情は暗い。

 それを見て、続きを聞く前にアーラは答えを悟った。

「で、では小母様はどうなる!?」

「…………」

 アーラの問いには、誰も答えない。答えられない。

 女性の使用人達から、鼻をすする音が聞えてくる。

「……馬鹿な」

 アーラが呆然と呟く。

 何とか我に返ると、声を荒げて再び尋ねた。

「何か方法はないのか!?」

「アーラ様……」


「オーベール殿はどこに行ったのだ!? 母親がこんな状況なのに!」

 アーラの不満は領主の一人息子に向く。

「坊ちゃまは……分かりません」

 執事は渋面を浮かべて首を振った。

 「恐らく奥様の為に行動していると思うのですが」という力ない執事の言葉が続いたが、アーラのしかめっ面は収まらなかった。

「くっ、何かないのか……」

 アーラが金髪をぐしゃぐしゃに掻き毟る。

 執事も、マリッタもそんな少女をただ見つめていた――――


 そんな時、ふと使用人の一人から声が上がった。

「そう言えば……」

「何だ?」

「あ、いえ、その……」

 その使用人は馬番をしており、二十代後半の若く純朴な男だった。

 比較的最近この館に勤めることになった為、アーラとは今まで面識はなかった。

 なので、そのアーラの視線を受けて、男は口ごもる。


「どうした、ドーン。話があるなら早く話しなさい」

 その様子を見咎め、執事がその使用人、ドーンに発言を促す。

「は、はい。すみません。その、これは知人から聞いた話なのですが……」

「ああ。何かあるなら話してくれ、どんな事でも良い」

 アーラの助言に心強さを得たのか、ドーンは心なしハッキリした口調で話し始める。


「最近の話なのですが、北の森に魔物が住み着いている、という噂がありまして……」

「……それが?」

「ああ、と。その。その魔物には一本の角があったそうなのです」

「角?」

「!?」

 ドーンが一体何が言いたいのか分からず、それが何なのだ、という表情のアーラや執事だったが、一人マリッタだけは目を見開いていた。

「その……聞く所によりますと、そういった角のある魔物は『角付き』と、自由騎士達からは呼ばれているそうで……」

「だから何だというのですか!」

 耐え切れず、執事が叱責する。

 無闇にアーラの期待を煽る様な真似をしたことが、許せなかったのだ。

 それを「まあ落ち着け」と諌めながらアーラが続きを促す。


「は、はい。その、本当かどうかは分かりませんが、自由騎士達の噂ですと、角付きの『角』は万病に効く薬になるそうなのです」

「何!? 本当か!!」

 アーラが身を乗り出すように問い詰める。

「え、ええ。知人の自由騎士はそう言っておりました……」

 恐る恐るという体でドーンは頷く。


 アーラは慌てて、ギルドの人間であるマリッタの顔を見つめる。

「その話は本当なのか、マリッタ!」

「確かに、そう言われてますね」

「本当か!!」

 マリッタの返答に、アーラの表情がパァと晴れる。

 その様子に少し困ったような表情を浮かべて、マリッタが詳細を説明する。

「本当かどうかはともかく、角を加工すれば万病の薬になると噂されてます。商人の間でも、大金で取引されているようです。ただ、安死病に効くかどうかまでは分かりませんが……」

「それでも良い! 可能性はあるのだろう?」

「はい」

 マリッタが頷く。

 それを見て、アーラの身体に覇気が戻ってくる。

 どこかくすんでいた様に見えていた髪も、今は艶やかな光沢を放っているように見える。


「ドーンと言ったか。その知人という人物の話は確かなのか?」

 話の真偽を確かめる為に、アーラは再度確認する。

「そ、その。自分は話を聞いただけですので、そこまでは……。ただ、話をしてくれた知人はこの町で自由騎士をしていまして、近々その魔物を狩りに行くと言っておりました。ですので、まるっきり出鱈目ではないと思いますが……」

 確証がない事を叱責されないかを恐れているのか、不安そうにドーンは話す。

 が、アーラはその話を信じたようだった。

 そして、"近々狩りに行く"という部分に強く反応した。


「何!! それは拙い。ならば直ぐに出発しよう!!」

 そう言うなり外に飛び出そうとするが、それは話の展開からアーラの行動を読んでいたマリッタに抑えられる。

「落ち着いてくださいお嬢さん。場所が森って聞いたでしょう? もう外は夜です。今からは危険ですし、見つかりっこないですよ」

「しかし!!」

「それに人手が足りませんよ。その一角がどういう魔物か知りませんが、一般人には危険です。使用人の人達に付き合ってもらう事はできません。明日の朝、グラストス達と合流して向いましょう」


 アーラはまだ今日向かう事に未練があったが、魔物の事はマリッタの方が詳しい事は間違いない。

 マリッタが言うのであればそうなのだろう。

 そう思い直し、アーラは渋々頷いた。

「……分かった。では明日早朝に向うぞ」

 その言葉を聞いて「はい」とマリッタは頷いた。


 だが、執事は困惑しながらアーラに指摘する。

「し、しかし、アーラ様。アーラ様が、自らそんな魔物を捕まえに行くのは危険では……」

「大丈夫だ。私も魔物討伐は初めてという訳ではない」

 アーラの脳裏にはビリザドの森で討伐した、スライムハウンドとグレーターベアが浮かんでいた。

 自信満々な様子だが、後者においてはアーラはそれほどの役には立っていない。


 アーラの言葉を聞いて尚不安そうな執事は、隣に立つマリッタに視線を送った。

 マリッタはその心配そうな顔に、小さく頷き返す。

 ”アーラは自分が守る”と、マリッタは示していた。

 それを見て、執事はふぅと吐息を漏らすと「では、くれぐれもお気をつけ下さい」と、アーラに一礼した。


「今日はもう休もう。全ては明日だ。それとドーンは悪いが、その知人と連絡を密にとるようにしておいてくれ。万が一先を越されても、角を手に入れることが出来るように」

「は、はい。分かりました!」

 冷静に話しながらも、アーラは一筋の光明を得たことに興奮していた。

 その為に、以前抱いた自分の想いを忘れてしまっていたのだが、残念ながらその事には気付いていなかった……。

 


***



 朝靄がフォレスタの街を包み込んでいる。

 普段は人ごみでごった返す街の中央を縦横している大通りには、人の姿がぽつぽつとしか存在していない。

 食堂の料理人が仕込みを始め、餌を求めて街にやってきた鳥が、間もなく朝の到来を囀り始めようとしている。

 そんな時間帯に、小さな影が三つ。

 平民区の裏道を駆けていた。

 

「はぁはぁ。……イーナだいじょうぶ?」

「……うん」

「もうちょっとだぞ。がんばれ」

 教会の子供達だった。

 一番年少のイーナの手を引くようにしてエイミーが隣を走り、コリンは二人の少し先を先頭きって走っている。

 彼らの向う先には貴族区があった。

 そう。領主の館に向っているのだ。

 いつもならまだぐっすりと寝ているこんな朝方に、三人が起き出しているとすればそれは、胸に秘める想いがあるからに他ならない。


「……おーべーるさま、もうおきてるかなぁ? おはなしきいてくれるかなぁ?」

 年少のイーナが問えば、

「もし、おきてなくても、むりやりおこせばいいんだよ!!」

 と、コリンが強気で答え、

「だいじょうぶよイーナ。おーべーる様はルーのこと知ってるもの! ちゃんとアタシたちの話を聞いてくれるわ!」

 エイミーが力強く頷く。


「……うん、わかった!」

 二人の言葉に、イーナはコクリと頷いて微笑んだ。

 どうやら三人は、ルーの事に関しての何かを、『オーベール』に頼むつもりのようだった。


 やがて、三人は館の前の通りまで辿り着く。

 馬車が走っていない事を確認して、三人は通りを横断し館の門の前まで走った。

 まだ明け方という事もあり、領主の館の正面門は固く閉ざされている。

 そこまで威圧感のある門ではなかったが、子供達の目にはとても堅牢そうに見えていた。

「……しまってる」

 イーナがしょんぼりする。

「まだ朝だからね」

「おい、ふたりともこっちだぞ!」


 どこへ行こうと言うのか、コリンが北側に回り込もうと、二人に合図を送っていた。

 コリンの後に続くようにして、二人は後を追う。

 三人は、北側の道に入って直ぐの所で、立ち止まった。

「ここだ」

 コリンが指を差した塀には、小さな穴がある。

 大人では、間違いなく通る事の出来ない小さな穴だ。

 子供でもある程度成長したら無理だろう。

 そのくらいの穴である為、修復されず放って置かれているのかもしれない。


「とおれる?」

 エイミーがコリンに確認する。

「だいじょうぶ。いつもここから入ってるし」

 コリンが胸を張って答える。

 その応答からも分かるように、三人は領主の館に入り込むつもりなのだった。

 コリンの自信は、これが初めてではないという事に起因しているのだろう。

 少年はこれまで度々、オーベールを訪ねて侵入した事があったのである。


「じゃあ、いくぞ」

 コリンの言葉に、二人は小さく頷き返す。

 それを見て、お手本を示すようにコリンが穴の中に身を押し込んで――――ふと、話声が聞えてきた。



「急げ! 早くしないと魔物を先に狩られちまう!」

「ああ、分かっている」

 若い男の声だった。

 声の主は大通りを走るように歩きながら、北門へと向っていた。

 まだ朝方で人も周囲にいない所為か、二人の声は大きい。

「いいか、青い魔物だぞ? 情報はそれしかねえが、絶対見つけるぞ」

「そんな特徴的な毛色なら直ぐ見つかるさ」

 男達はそんな話しをしながら、領主の館の前を通り抜けて北門の方に消えていった。



 思わず息を殺してしゃがんでいた子供達は、男達が消えたのを見届けると顔を見合わせる。

「あおい、まもの……?」

「……ルーだ! あの人たち、ルーをつかまえに行くつもりなのよ!!」

 エイミーが叫ぶ。

「ええっ!?」

 顔一杯に驚きを貼り付けて、イーナが驚く。

「ど、どうする!?」

 穴に半分潜り込ませた身体を再び路上に戻して、コリンが焦った表情でエイミーに尋ねる。

「……ルー、どうなっちゃうの?」

 イーナも泣きそうな顔でエイミーを見つめる。

 そんな二人にエイミーが真剣な表情で断言する。


「急いで、ルーを教会につれていくのよ! そうすれば、あの人たちに見つからないわ!」

「そ、そっか! そうだな。なら急いで森にむかおう!!」

「う、うん!」

 エイミーの提案に、二人は頷く。

 そして、陽の光が差し込み始めた中、三人は再び走り始めたのだった。


+++


 それぞれの思惑が錯綜し、複雑に絡み合い、誰も知らないところで静かに歯車は廻り出していた。

 それを事前に止める事が出来たのは、一体誰だったのか。

 その答えが出せる者は……残念ながらいなかった。


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