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The Left Arm Wars  作者: 過酸化水素水
【3章 生命の代償】
55/121

52: 旧友  ※地図

2010/10/07 イラスト更新しました。(それに合わせて食堂の場所の記述を修正)

 

 領主の館とは比較にならない程薄汚れた狭い部屋の中で、中年の男達が二人、顔を突き合わせていた。

 両者に間に流れるのは、和気藹々といった空気ではなく、どこか鬱屈とした不健康な雰囲気だった。

 二人は今日、十年来振りに再会したことになるのだが、とてもそうは見えない。


 とは言え、その陰鬱そうな空気を醸し出しているのは、両者の内一方の男だけである。

 少し動く度にギィ、と音が鳴る、外観だけは趣のある木の椅子に深く腰掛けながら、男は俯いて何事かを考え込んでいる風に見える。


 もう一方の男は、考えの読めない笑みを浮べて、自分の目の前の机に座している男を見つめていた。

 その机の前に置かれている、薄汚れた室内に相応しい、薄汚れた長椅子に腰掛けながら。

 これが来客者用の座椅子であるとは、客商売をしている人間には信じられないことだろう。

 もちろん、この支部を管理する立場にある目の前の男が自ら望んでそうしている訳ではなく、この地の事情がこれ以上の贅沢を許さないだけなのに違いない。

 そういった事が、目の前の男の発する気配の暗さに影響を与えているのかどうかは男には分からなかったが、それでも思うところはあった。


「……ずいぶん変わっちまったな」

 長椅子に座る男は、そう呟く。

 男が知っていた頃の、目の前の旧友の様子とはまるっきり異なっている為、思わずそう口にしてしまうのも無理はない。

 昔は、明るい――――とまではいかなくても、決してこんな暗い気配を発するような人間ではなかった。

 将来の希望に溢れた瞳を爛々と輝かせ、常に己の向上を願っているような男だった。筈だ。


 ただ、男の”変わっちまった”と言う言葉は、そういった雰囲気だけを指しているものではなかった。 目の前の旧友の外観に関しても、男は言及しているのである。

 暗い表情でなければ、さぞかし異性には魅力的に映っただろう整った顔立ちで、灰色の髪は全く整えられておらず伸ばし放題といった様相だった。その長い髪を後ろで乱暴に一括りにしている。

 そこまでなら年月の経過を思わせるだけだったが、旧友には決定的に違う部分があった。


 ――――十数年振りにあった友人は、利き腕の右腕を、二の腕の辺りから、バッサリ失っていたのだ。


 流石に、友人の変貌には驚いたが、男は同時に納得もしていた。

 恐らく、そうなってしまった所為で、目の前の友人はこんな場所・・・・・・・・・・・で、こんなしけた顔をしているのに違いないと分かったからだ。


 男の呟きに、旧友は皮肉気な笑みを浮かべ――――

「はっ! それはお互い様だろう。聞いてるぞ。今はビリザドで自由騎士をしているんだって? 昔の仲間が聞いたら、さぞ驚く事だろうよ」

 口から発せられたのも、やはり皮肉気な言葉だった。


「…………」

 それに対して、男は何も答えない。

 ただ、変わらずに笑みを浮べているだけだった。

 皮肉に反応しない男に向かって、旧友は急に冷めたような表情になる。

 男が自分の無くなった腕を見つめているのを悟ったのか、

「…………これはお前が居なくなってから、丁度一年後位に、少しドジを踏んじまってな……」

 昔はあった腕を、まるで擦るように虚空を撫でながら答える。


「……そうか」

 笑みを浮べてこそいるが、男から出てきた相槌は辛気臭いものだった。

 そんな男の様子が可笑しかったのか、旧友は口角を歪める。

「お前は衰えて無さそうだな……。だが、何だその大剣は? そんな剣じゃあ、お前の技は満足に発揮できまい? 一体何のつもりだ?」

 旧友は笑うように言う。

「今は自由騎士だ。人間を相手にしている訳じゃない。魔物相手ならこの方が便利なのさ」

「はっ。偽善者め……。今更悔いた所で、己の手が綺麗になる訳じゃあるまいに」

「…………」

 男の言葉への返答としては、まるで意味の通らない台詞だったが、男には通じていた。

 だが、辛辣とも言える旧友の言葉に対して、男は鈍い笑いを浮べ続けるだけだった。

 そんな男を鬱陶しげに見つめて――――旧友はふっと笑う。


「まあいい。ともかく、よく来てくれたドレイク。突然の来訪者が美女でなかったのは残念だが、偶には髭面のおっさんの顔も悪くは無い」

 その口調に昔の旧友の色を感じたのか、男――――ドレイクは表情に浮べた笑みを、少し明るいものに変えた。

「よく言う。こんな薄汚れた場所に、美女なんて来る訳もないだろう。大抵は髭面のおっさんだろうが」

「そうでもないさ。髭の一本も生えてやしねえ、青臭い若造はよく来るさ」

 髭云々言っているが、目の前の男はドレイクとは違い、顎などは綺麗なものだった。

「なお悪い」

 それには突っ込まずに、ドレイクはそう断言した。


 ただ、その後に「しかし――――」と続ける。

「お前が支部長とはな……。数年前、初めて聞いた時は驚いたぞ。アドルファス」

「そうか」

「もっと早く訪ねたかったんだがな……。しかし、フォレスタのギルドうらぶれ具合は聞いていたが、これ程とは思ってなかった。これじゃあ、本部からの援助も満足に受けれないんじゃねえのか?」


 目の前のドレイクと同年代の友人は、フォレスタ支部のギルド支部長という肩書きを持っていた。

 この若さで支部長職に就いているなど、余程の事である。


 しかし、ドレイクがこの執務室に来るまでに見かけた職員は、たったの二名だった。

 その中の一名に、目の前の支部長が含まれているので、実質平職員は一名だけという事になる。

 ただ、それでもその平職員は、受付で暇そうにしていた。

 このギルド支部の閑散さを、如実に表す光景だった。

 支部長を除いて、常時八~十名の職員が常駐しているビリザド支部とは、雲泥の差である。

 歳の割に重役に就いている、と言えば聞えはいいが、このような内部の有様では有名無実といった状況だと言えた。


 ドレイクの指摘に、アドルファスは苦々しく笑う。

「仕方ねえだろう? ここは、ビリザドとは違う。魔物なんて殆ど出没しないんだ。たまに他所から流れてくるか、北の銀山に時々湧くか、っていう程度だ。区分もDが精々で、お陰で本部からの援助金も雀の涙程だ。……どうしようもねえんだよ」


 ギルド本部からの援助金は、前年度にその地の依頼を達成した数によって決まる。

 もっと厳密に言えば、年間の稼ぎ、によってである。

 ただ、基本的に数と稼ぎの関係は比例するので、数で決まると考えて大凡問題はない。


 その為、フォレスタのような零細ギルドでは、援助金が少なくなるのは当然の摂理だった。

 なお、ビリザド支部は常にギルド内の上位三位以内の評価を受けており、パウルースのギルド支部では安定した援助金を受けられている方である。


 ドレイクは、アドルファスの鬱屈した気持ちの込められた言葉には、何も返答できない。

 魔物の少ない土地、と言うのは、そこに住まう民には歓迎されるものだが、魔物を倒す事で生計を立てるギルドの人間にとっては頭の痛い問題だからだ。

 ビリザドに至るまでに、いくつものギルド支部を転々としていたドレイクにとって、それは実感を伴って理解できる事だった。


 ならば、そんな土地のギルド支部を失くしたらどうか? という意見も確かにはあるが、そうなった場合色々と問題がある。

 それは”魔物が少ない土地”と言うのは幾つも存在するが、”魔物がいない土地”というのは存在しないからである。

 仮に”魔物が少ない土地”のギルドを失くしたとして、もしその土地に魔物が発生した場合、一体誰がその魔物を狩りに行くだろうか? と言う事だ。

 近場の依頼が存在するにもかかわらず、態々遠出して依頼を受けようとするようなもの好きは、自由騎士には存在しないだろう。

 だからといって、小さな依頼の為にわざわざ騎士団員の派遣を要請するのも具合が悪い。

 なので、どんなに閑古鳥が鳴いているギルドであろうと、簡単に失くしてしまう訳にはいかないのであった。


 ただ、そうした地域のギルドの管轄を任される人間には、堪ったものではない。

 ギルドの隆盛はある意味魔物の出現にかかっており、そしてそれは人間にはどうしようもできない問題だからである。

 どんなに設備を充実しても、魔物が少ない土地。

 つまり、依頼の少ない土地に、自由騎士が集まる訳も無く。

 当然、自由騎士が居なければ、ギルドも儲からない。

 よって、フォレスタのような零細ギルドの職員が、意欲を維持できる筈も無かった。


「まあ、そんな事をお前に言っても仕方ない」

 アドルファスは自嘲する。

「……何で支部長になった?」

 ドレイクは尋ねる。どうしてもそうせずにいられなかった。

 目の前の男とギルド支部長という役職は、昔の男を知るだけにどう考えても繋がらないからだ。


「ああ。お前には教えてなかったか……」

 アドルファスは自嘲の笑いを一段と強くする。

「ここの前支部長は、俺の親父だったんだ…………もう、とっくに死んじまったがな」

「なるほど……それでか」

「俺が継がないと、こんな場所の支部長なんざ誰もやりたがる訳はねえしな……まあ、この腕の事もあって丁度良かったとも言える」

 そう言って、アドルファスはブラブラと揺れる中身の無い長い袖を、存在している方の手で軽く摘んだ。


「……そうだわな」

 ドレイクは頷く。

 ただ、それ以上掛ける言葉が思い浮かばなかったのか、そのまま口を閉ざした。


 それきり、二人の間に沈黙が訪れる。

 十年と言う月日は、二人に昔のような気の置けない関係を取り戻させるには、あまりに長すぎた。



 やがて、ドレイクは座椅子からのっそり立ち上がった。

「……もう帰るのか?」

 ドレイクは極力明るい声で、旧友に笑いかける。

「ああ。フォレスタには、恐らく数日滞在する事になる……。まぁ、近いうちに飲みにいこうや」

 ドレイクからすれば、そういう切欠から昔のような関係を取り戻せれば、という思いから軽い気持ちで声を掛けたのだったが……。

 ただ、その言葉を聞いたアドルファスは、意味あり気な視線をドレイクに向ける。

「何だ?」

 それが引っかかり、ドレイクは眉を顰めた。


「……お前は数日、フォレスタに滞在するのか?」

 目を伏せるようにしてアドルファスは尋ねる。

「ああ、そうだが……一体何だ?」

「それならば、お前に少し頼みがある」

 再び面を上げたアドルファスの目は、商売人としての光があった。


「……それは友人としての頼みか? それとも支部長としての頼みかい?」

「ふっ。両方だが……強いて言うならば後者だ」

 そう言い切った後、アドルファスはその内容を話し始めた。



 アドルファスの頼みと言うのは、単純な話だった。

 このフォレスタから少し北に行った場所に存在する小さな森に、最近他所から流れて来たと思われる魔物が住み着いたらしい。

 その魔物を狩ってくれないか、という頼みだった。


 魔物の存在は、既にアドルファスから領主に伝えてあるらしく、討伐依頼は領主から出された形になっている。

 その為、フォレスタのギルドとしては、何よりも優先しなければならない依頼なのだと、アドルファスは説明した。


「それなら依頼として、自由騎士達に出せば良いじゃねえか。皆喜ぶだろう」

 その話を聞いて、ドレイクは真っ先にそう答える。

 ましてや、アドルファスはギルド支部長である。そうするのが普通だ。

 だが、アドルファスはドレイクの言葉に首を振る。


「そうしたいのは山々だが……生憎、この地の自由騎士にアレを狩れるような人間はいない」

 はっきりと言い切る。

 この地を預かるギルドの長としては情けない話の筈だが、アドルファスはまるで他人事のように話す。

 ドレイクはそれが少し気になったが、とりあえず今は先に聞くべきことがある。

「えらく断定するが、その魔物が何か分かってるのか?」

「ああ。『リザードドラゴン』だ」


 『リザードドラゴン』とは、硬質な鱗に覆われた、巨大な肉食トカゲの魔物に付けられた名前である。

 ”ドラゴン”と付けられているものの竜種ではなく、この魔物を初めて発見した人間が、魔物の表面を覆う硬い鱗を見て、そう誤認したことが名前の由来となっている。

 性格は獰猛で、人間のみならず他の魔物を襲う事もある。


「珍しいな。こんな大きな街の近くに現れるとは……」

 さしものドレイクも少し驚く。

 大抵の魔物は、基本的に自分の縄張りを持っており、自分からそこを出る事は滅多にない。

 それは、リザードドラゴンも同じ筈である。

 長年の自由騎士としての経験を持つドレイクですら、あまり聞いたことが無い話だった。


「まあな。だが何にせよ、危険な事に変わりは無い。北の森は、動物以外の生物は住んでいない。その僅かな食料を食い尽くした奴が、次にどこに向かうかは自明の理だ」

「じゃあ、一刻も早く討伐した方が良いんじゃねえか? 領主ものんびりしてるな。フォレスタには常備軍がいる筈だろう? その兵を差し向けりゃあいいのに」

 ドレイクの聞いている話だと、フォレスタの領主は民の事を第一に考える人物の筈だった。

 その評判と、事態への対処の差異に開きがあるようにドレイクは思った。


「さてな……領主の思惑など俺には分からん。この地の人間は魔物の事には疎いからな。あまり緊急性を認識していないのかもしれん」

「…………」

「だが、これは確かに好機でもある。『リザードドラゴン』討伐は、区分Bとして指定される魔物だ。今回は一体だけだが、群れの場合は区分Aもありうる奴だ。そんな魔物を討伐できれば、ギルドへの補助金の額は間違いなく上がる筈だ」

「討伐できる奴は、居ないんじゃなかったのか?」

「ああ。それで断念せざるを得ないと思っていたが……今、こうしてお前がここに居る。これもアルプト(運命を司る神)の導きだろう」

 にやりと口角を上げてアドルファスは笑う。

 ただ、直ぐにその笑みを消すと、再びドレイクに頼んだ。


「で、頼まれてくれるか?」

「……まあ、やるぶんにゃあ問題ないが。俺はビリザドの『専属』だぞ? 俺が狩ったとしても、この地のギルド員が討伐したことにはならねぇんじゃねえか?」


 『専属』とは、土地のギルドが自由騎士と契約を交わし、その地でのみ依頼を行う事を約束させる代わりに、依頼の斡旋などで色々と優遇を働くという専従契約の事である。

 もちろん。通常の自由騎士が交わして貰えるようなものではなく、ドレイクなどの優秀な自由騎士にのみ請われる契約だった。

 当然、アドルファスも『専属』の意味は知っている筈だが、ドレイクの話を聞いて尚その笑みは消えなかった。


「おいおい。随分甘い事を言うじゃないか? 架空申請すりゃあいい話だろう?」

 それはあまり褒められた事ではないが、フォレスタのような零細ギルドではしばしば行われている事でもあった。

 存在しない人間をギルド員として登録しておき、他所から連れてきた優秀な自由騎士。

 ないしはメイジに魔物を狩らせて、さも登録ギルド員が討伐したように手続きし、討伐数を水増しするという行いの事である。

 実はドレイクも、腕を買われて幾度かそれを行った事はある。

 その為、それほどその事に対しての嫌悪感は無かったのだが――――

(……人間とは、こうも変わるものかね)

 以前のアドルファスであれば、絶対にそのような不正はしなかった。

 ただ――――


「……分かった。やろう」

 ドレイクとしてはそう応えるしかなかった。

 『リザードドラゴン』は危険な魔物である。

 狩れるものを狩らないで、この地の人間に死者を出しては目覚めが悪いからだ。


「そうか! やってくれるか。それは助かる」

「じゃあ、早速明日辺り行って来る……証拠は何か必要か?」

「お前は信用しているが……そうだな。奴の牙を持ってきてくれ。それで対外的な証拠にも十分だろう」

「分かった」

 アドルファスの言葉に頷き返すと、ドレイクは執務室の扉向かう。

 そして、取っ手を手にかけた所で、一度振り返った。


「……この地に『リザードドラゴン』を狩れる騎士はいねえと言っていたが……。お前が自分でやろうとは思わなかったのか?」

 振り返ったドレイクは、笑っていなかった。

 ただ冷静な瞳を、アドルファスに向けていた。


 そのドレイクの視線を平然と受け止めると、

「はははっ。無茶言うな……。このなりで、剣なんて振れる訳はないだろ?」

 アドルファスは腕を開くようにして自分の体を示しながら、どこか卑屈な笑みを浮べて応えた。


「……そうだな」

 それだけを返すと、ドレイクは今度は振り返らずに執務室を後にした。

 一人残されたアドルファスは、ただ静かに陰のある視線を、ゆっくりと閉じていく扉に向けるのだった。



***


 挿絵(By みてみん)


 フォレスタには十日程滞在する事になったと男三人に伝える為に、マリッタは宿屋街へと向かっていた。

 宿屋街は、街の南西にある『自由区』と呼ばれる区画に存在する。

 その区画には大きな広場が存在しており、街の外からやって来た商人達は、そこで露店を開いて商売をしていた。

 外から来る商人達は、この街に居ては手に入らない珍しい物を売っている事が多い。

 その為、その広場は連日盛況で賑わっており、今も掘り出し物を求めて、大人から子供までが明るい笑顔を浮べて、露天商を冷やかしていた。

 とても人が多く、移動すら困難な程だった。


 マリッタの着ているギルド服は、多少着こなしは変えているものの、パウルースのどのギルドでも職員服として採用されているものではある。

 ただ、そんな真っ黒な法衣を着ているのは、ギルド員か、さもなくば教会の人間位で、市井の民が着る様な服とは一線を画している。

 つまり、この人込みの中にあってマリッタは非常に目立っていた。

 加えて、きつそうな印象を与えるマリッタではあるが、美人であることに違いはない。

 その事が更に輪をかけて周囲の興味を引く事になり、特に若い男にとっては声をかけずにはいられない存在だった。


「ああっ!! 鬱陶しい!!」

 領主の館から宿屋街までは、マリッタの足では四半刻に満たない距離だったが、その間でさえ既に十名近くの男に声を掛けれられていた。

 もちろん、その男達は一人残らず、マリッタの凍るような冷たい視線をその身に受ける事になったのだが……。


 声を掛けてきた人間の数が十二を超えた辺りで、マリッタはようやく目的の宿屋街に辿り着いた。

 この一画は、宿屋が立ち並んでいる。

 通りに面した大きい宿屋から、奥まった場所にある小さい宿屋まで。多種様々であった。

 そんな数十にもなる宿屋のどこかに、ドレイク達は部屋を取っている筈である。

 領主の館から出たい一心で伝令を引き受けた事を、マリッタは既に後悔していた。


(宿が多すぎんのよ!!)

 ただ、アーラの頼みを無視する訳にもいかない。

 マリッタは盛大に溜息を吐く。

 そうして、気を取り直すと、意を決して一つ一つ尋ね廻る事にしたのだった。


+++


 既に夕日が街を覆い隠し、藍色の世界の到来も直ぐそこまで来ている、という頃。

 マリッタはようやく、ある小さな宿の台帳に”リシャール”の名前を発見する事が出来た。


 その宿は、自由区の西の端にある薄汚れた宿だった。

 間違いなく、宿代をケチってここに決めたに違いない。

 マリッタは宿の人間に彼らの部屋を聞いて、ドカドカと宿内を突き進む。

 そして、扉の前に立つと徐にその扉を開け放った。

 もし、宿を取ったのが同名の他人だった場合、失礼にも程がある行為で、その場合マリッタがどうするつもりなのかは分からなかったが、幸いな事に中にいたのはリシャール本人だった。


「うひゃああああああああ!?」

 ただし、丁度着替え中だったらしい。

 リシャールは脱いだばかりの上着で、自分の肌を覆い隠している。

 ビリザドからは衣類は持ってきていなかった筈なので、露天商で着替えを購入したのだろうか。

 リシャールの目の前の寝台の上には、それと思われる上着が放られている。


 別段リシャールの裸を見た所で、マリッタは何とも思う事も無く、気にせず部屋内に押し入った。

「な、な、何ですか!? ぼ、僕は着替えているんですよ!? ちょっと外に出てて下さいよ!!」

 リシャールは顔を赤くして叫んでいたが、マリッタは何処吹く風で部屋内を見回す。

 部屋は三人部屋で、寝台が無造作に三つ置かれてるだけの手狭な部屋だった。


 マリッタは真ん中の寝台に腰掛ける。

 ちゃんと日干ししているのかも定かではない、ジメっとした寝台だった。

 それを見て、マリッタは少し落ち着いた。

 どことなく満足そうな顔でさえある。


「もう! 何ですか急に! 何かあったんですか!?」

 上着を着替え終わったらしい。

 裸を見られた恥ずかしさを隠しているのか、リシャールはどことなく強気だった。

 ――――が、マリッタの冷たい視線を受けて、直ぐに固まった。


「……よくも逃げたわね?」

 とは、”侯爵の館に行くのを、よくも自分だけに押し付けたわね?”という意である。

「あ、あう……」

 まるで、蛇に睨まれた蛙だった。

 もっと身近な例で例えると、ヴェラに睨まれたアーラとも置き換える事が出来る。

 ともかく、リシャールは恐怖で震えていた。

 一体どんな目に遭わされるのか、と思いやって。


 だが、意外にもマリッタは、それから直ぐに視線を和らげた。

 リシャールには理由は分からなかったが、マリッタはこんな薄汚い所で寝る事にならずに済んで良かったと思っていた。

 余り立派過ぎるのも肩が凝るが、それでもこの許容外の汚さよりは幾分もマシだった。

「……まあいいわ。それより伝える事がある。他の二人にも伝えといて」


 マリッタは事情があって、フォレスタには十日程滞在することになった、とだけ伝える。

 リシャールはポカンと聞いていたが、「はぁ、分かりました」と頷く。

 リシャールとしては、その位の期間の滞在であれば何の問題もなかった。


「でも、なんで二人なんです? こっちには僕とドレイクさんだけですよ?」

 マリッタは驚く。

「へ? グラストスは一緒じゃないの?」

「いえ、違いますけど……そっちじゃないんですか?」

「いや……アイツも逃げ出したのよ」

「へぇ……」

 リシャールは少し驚く。

 てっきりグラストスは、アーラの傍に付いているものだとばかり思っていたのだ。


 マリッタもグラストスはリシャール達と合流していると思っていたので、一緒でないという事を聞いて首を傾げた。

「何してんのかしら? ……まあ何にせよ、アイツもアンタ達と合流しようとするでしょ」

 そう一人で納得すると、マリッタは再び立ち上がった。

「じゃ、いいわね? アンタちゃんと伝えんのよ?」

 そうリシャールに言い残し、悠然と部屋を去ったのだった。


 リシャールはマリッタを見送ると、小さく呟く。

「グラストスさんを探しに行った方が良いのかな……?」

 三人部屋しか取れなかったことは、結果的に良い方向に働いたらしい。


 リシャールは探しに行こうか迷っていると、不意に眠気に襲われ小さな欠伸をする。

 そして、昨日はあまり寝ていない事を思い出した。

「……別に探さないでも大丈夫だよね……ふぁぁ」

 今度は大きな欠伸をすると、そのまま右端の寝台に寝そべって、それから直ぐに穏やかな寝息を立て始めた。



***



「こいつ~~!! イーナをイジめたな!? このヤロー!!」

「イーナ! アンタはかくれてなっ! このっ!!」


 暗闇の中からグラストスに飛び掛ってきたのは、二つの小さな影だった。

 それぞれグラストスに張り付くように纏わり付くと、片やグラストスの髪を引っ張り、片や腕に噛み付いて、攻撃を加えてきた。

「いててててててっ!! や、止めろ!! い、苛めてない。苛めてない!!」

 グラストスは突然の事に驚いたものの、自分に執拗に攻撃を仕掛けているのが幼い子供達ということに気づき、乱暴に引き剥がす事も出来ず、ただそう叫んで許しを請う事しか出来なかった。


「うそつくな! イーナを追いかけていたくせに!! オレは見たんだぞ!」

「そうよ! 子供をおいかけるなんて、きっとヘンタイにちがいないわ!」

 ただ、グラストスが何を言っても火に油を注ぐ結果になるだけで、一向に攻撃の手は緩まなかった。

「あ! 見ろ、エイミー!! こいつ左手に包帯をまいてるぞ!?」

「コリン! きっとそこが弱点よ。そこをこうげきするのよ!」

 コリンと呼ばれた少年と、エイミーと呼ばれた少女が、グラストスの左腕の包帯を見つけるや否や、二人して左腕に取り付き執拗に殴り始めた。

「ば、馬鹿!? そこは駄目だ! や、やめ……ぐあああああああああああああ!!」

 それから暫くの間。

 民家が所狭しと並んでいる平民区に、グラストスの悲鳴が響き渡るのだった。


+++


「本当に申し訳ありませぬ……。何とお詫びしたら良いのか……」

 グラストスの最大の危機を救ったのは、グラストスの叫びを聞きつけて部屋の奥から現れた初老の男性だった。

 彼は自分をこの小さな教会の神父だと名乗り、子供達を宥めてグラストスから引き離すと、子供達の非礼を必死に詫び始めた。


「い、いえ。気になさらず……。俺も勘違いされても仕方ない真似をしていましたし……」

 そう言って、グラストスがチラリと神父の背後に視線をやると、

『べ~~~~』

 先程自分に攻撃を加えていた子供二人が、未だグラストスに敵意を露にしていた。

 グラストスの引きつった表情を見て、神父が背後を振り向くと二人はパッとそれを止める。

 どうやら、この二人は生意気盛りの子供のようだった。


 両方とも八歳位だろうか。

 コリンと呼ばれた少年の方は短髪の黒髪で、イタズラ小僧といった顔立ちである。

 グラストスをおちょくるのが楽しいらしい。

 神父の背に隠れたまま、執拗に挑発行動を繰り返している。


 エイミーと言うらしい少女の方は、肩ほどまでの髪を頭の後ろで一つに纏めており、ピンと束ねた髪が身じろぎする度にピョコピョコ左右に揺れている。

 こちらはまだグラストスが変態だと思っているのか、睨みつけるように――――というか、実際に睨みつけている。

 どうやら、気の強い少女のようだ。


「…………」

 その二人の背後から、ひっそりと無言でグラストスを不安気に見つめているのが、領主館の前に居た、二人の子供にイーナと呼ばれた少女だった。

 一番小柄なので、二人よりも年少なのかもしれない。

「その……驚かせて悪かったな?」

 グラストスが苦笑いをイーナに返すと、少女は一瞬驚いた表情を浮べ、スッと神父の背中に隠れてしまう。

 グラストスは嫌われてしまったらしい。



「……して、一体どのようなご用件で? 参拝者の方でいらっしゃいますかな?」

 神父がグラストスに尋ねる。

 そう言われて、グラストスは改めて室内を見回す。

 確かに小さい祭壇もあり、ここが教会である事は分かる。

 ただ室内は、自分達が乗ってきた荷馬車内程度のの広さしかない。

 この狭さでは満足に参拝も出来ないのではないか、とグラストスは思った。


 祭壇の奥には、彼らの寝室があるようだ。

 ちらりと覗くその奥には、生活観のある光景が広がっている。

 自分達の部屋をグラストスが見つめている事に気づいたのか、コリンとエイミーがまるで通せんぼをするように、両手を広げて視線を塞ごうとする。

 当然、グラストスとは身長差があり、視線を防ぐ事などできよう筈もない。


 その様子に苦笑いした後、グラストスは神父に返答する。

「いや、何と言うか……。その子が領主の館をジッと眺めていたようだったので、少し様子が気になって理由を尋ねようと彼女を追っていたら、ここに辿り付いたと言うわけです」

 理由を隠すものでもないと思ったので、正直に説明する。


 その説明に驚いた表情を浮かべ、神父が少女。イーナを見つめて問う。

「イーナ? どうして領主様のお家へ行ったのかい?」 

 語りかけるような優しげな質問に、イーナはか細い声で答える。

「…………おーべーるさまに、おはなしがあったの……」

「オーベール様に?」

 尋ね返す神父に、少女はコクンと頷く。

 グラストスはオーベールが何者なのか分からなかったが、恐らく領主の関係者であろうと想像し、口を挟まずに静観していた。


「イーナ。一体オーベール様に何のご用事があったのかい?」

「……あのね。おねがいがあったの」

「お願い? オーベール様に?」

「……うん」

「何のお願いなんだい?」

 続けて問う神父には、それまで黙っていた少年が、目を輝かせながら答える。

「ルーのことだよ!! イーナはルーのことをおねがいしに行ったんだよ!! そうだろイーナ!?」

「……うんっ」

「なるほど……」


 『ルー』とは人の名前だろうか?

 グラストスには何の事がさっぱりだったが、神父には理解できたようだ。

「イーナ。おねがいできたの?」

 すかさず、エイミーがイーナに尋ねる。

 するとイーナは困った顔でグラストスを見上げて、フルフルと首を横に振った。


 親の仇を見るような目で、子供二人がグラストスを睨む。

「やっぱり、こいつがじゃましたんだ!!」

「イーナが、せっかくひとりでがんばったのに!!」

 相変らず理由はよく分からないが、少女に対して何かとても悪いことをしてしまったらしい、と気づいたグラストスは、「す、すまない」とイーナに謝った。

 ただ、少女はグラストスの視線から逃れるように、神父の背中に隠れてしまう。


「……申し訳ありませぬ。この子がご心配をお掛けしてしまった様で……」

 神父はイーナを後ろ手に抱えながら、グラストスに謝罪する。

「いえ……その、なんだ。領主に何か用事があるのであれば、代わりに伝えましょうか? ……俺の知人が領主と深い縁のある人間なんだ。彼女に頼めば、それも十分可能だと思うが……」

 グラストスの提案に、神父は一瞬驚いた表情を浮べた後、笑顔を浮べてやんわりと首を振る。

「いえ……お気になさらず。その……これは領主様のお手を煩わせるような事ではありませんので」

「そうですか……。そういうことなら、分かり――――」

 ました、と続く筈だった言葉は、突然教会の押し戸を開いて現れた存在によって中断する事になった。


 その存在を見て、グラストスは固まる。

 ”何故こんな所に!?”

 という疑問で、脳裏が埋め尽くされた為である。

 そんなグラストスが動けない間に、その存在は一歩、そしてもう一歩。

 ゆっくりと子供達に近づこうとしていた。


 そして、三歩近づいた所で、グラストスは我に返った。

 腰の剣を抜いて、子供達とその存在の間に身を割り込ませるように素早く移動して、ソレと対峙する。

 少しでも注意を自分に向けさせようと、威嚇した所で――――



「だめええええええええっ!!」



 大人しい筈の少女。イーナの叫びが小さな教会に響いた。

 そして、三人の子供達はグラストスと対峙し、まるでその存在を庇っているかのように、体全身を使って大きく両腕を広げグラストスを睨み上げた。


 ”危ない!! そこを離れるんだ!!”

 と、叫ぼうとしたグラストスは、何やら事情がおかしい事に気付く。


 どうやら子供たちは、その存在をグラストスから護ろうとしているらしい。

 それは何となく理解できたが、”何故?”と言う疑問は消えない。訳も分からない。

 グラストスは剣を構えたまま、ただ呆然と子供達の背後の存在に視線を送った。


 ソレは馬に酷似していた。

 ただ、決定的に違う点がある。

 額の辺りから一本の角が生えているのだ。

 『角付き』

 つまり、魔物だった。


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