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The Left Arm Wars  作者: 過酸化水素水
【3章 生命の代償】
52/121

49: 酒

 

 盗賊達は、突然の乱入者に気づいた時には、既に空中を舞っていた。

 有無を言わずに襲ってきた、物凄い風によって巻き上げられたのだ。

 樹の高さ程までに突き上げられ、そんな高さから落ちた後には、苦痛の声を上げて地面を這いずる者が残るだけであった。 


 その凄惨な光景を作り上げた乱入者は――――言うまでもなくマリッタだった。

 身体は強い緑の光で覆われており、この暗闇の中にあって、そこだけが一際光輝いていた。

 誰の目にも、怒り狂っている事が分かる。

 それまではのんびり見物していたドレイクとリシャールも、思わず姿勢を正してしまった。

 それほど強い怒りが、マリッタから発せられていた。

 

突風(ブラスト)!』


 マリッタの押し殺したような声が、漆黒の闇に響く。

 言葉と共に、マリッタの突き出した手の先に、緑の光が凝縮したような球体の塊が出来る。

 そこから強い風が噴出しており、マリッタの長い髪がバサバサと靡いていた。


 『突風』

 風の中級魔法である。

 本来、この魔法は戦場で築かれた土塁や、砦を攻撃する為に開発された魔法だった。

 発動までに溜めが必要な事もあって、対人に用いる魔法ではない。

 ただ、その用途に相応しい威力は持っており、直撃すれば人体などは軽く四散する。


 属性問わず、中級以上の魔法を使える者は、大陸におけるメイジの総人口中、三分の一にも満たない。

 パウルースだけで当てはめると、二百人いるかどうかと言う所だった。

 そんな希少な魔法は、本来こんな領地の片隅で見られるものでは決して無い。

 ――――無いのだが、今は惜しげもなく披露されていた。


 マリッタは怒りで我を忘れている感じではあったが、一応理性は残っているらしい。

 人体への直撃は避けているようだ。

 だが、その余波を受けるだけで、男一人が空高く舞うのだ。

 十分過ぎる程だった。

 

 そのまま破砕音が何度轟いたか。

 流石に体力を消耗したマリッタは、はぁはぁと肩で息をする。

 既に、この場で立っているのは、マリッタだけだった。

 盗賊は、一人残らず地面で呻いている。

 余波に次ぐ余波を受け、最低一人三回は宙を舞っては地面に叩きつけられていたので、それも当然だった。


 そして、余波を受けたのは敵だけではなかった。

 ドレイクやリシャールも巻き込まれ、惜しげもなく空を何度も舞う羽目になっていた。

 ただ、ドレイクがリシャールを抱え上げるようにして護っており、綺麗に着地を決めていたので、二人とも特に怪我を負ってはいなかった。

 とはいえ、心痛は並ではない。

 今も二人は腰が抜けたように、その場にへたり込んでいる。

 ドレイクはリシャールを抱きかかえたまま。

 リシャールはドレイクに抱きかかえられたままの格好で。


 二人は地面でのた打つ盗賊達を見て、冷や汗をかく。

 だが、二人ともマリッタに苦情を言うような勇気はなかった。

 刺激しないように、二人は静かに立ち上がると――――

 取り成すような笑みを浮べながら、恐る恐るマリッタに近づいていった。



***



 アーラは素早く建物内に駆け込むと、望みの物を掴み上げた。

 卑怯な方法だが、今はこれに頼るしかない。

 そう思い、強くそれを握り締めると、再び外に駆け出していった。

 幸い、頭領は今の行動に気づいていなかったようだ。


 次にパチパチと燃える、建物の傍で灯っている松明の木を一つ抜き出し、その手に掴む。

 目的の物は揃った。一先ずアーラは安心する。

 だが、直ぐに気を引き締め直すと、キッと頭領を睨みつけるように、その動きを追った。

 万が一にでもグラストスに『コレ』をぶつける訳にはいかない。

 だからこそ、平静に慎重に、アーラは隙を伺っていた。

 緊張から、カラカラになった喉に無理やり流し込むように、唾液を嚥下する。


 その前方では、グラストスと頭領が斬り結んでいる。

 頑張っているが、傍目からでも片手では厳しいのが分かった。

 直後、それを証明するかのように、頭領の剣撃がグラストスを鋭く迫る。

「ぐあっ!!」

 辛うじて剣で受けたものの、グラストスは体勢を崩した。

 それを喜悦の浮かんだ目で見つめ、頭領は止めの追撃を加えようと間合いを狭める。


(今だ!!)


 と、思った時には既に身体が動いていた。

 アーラは手に持ったその容器を、頭領に向かって投げつけた。

 それは勢い良く宙を進み、頭領の身体にぶつかって割れて、中のものを頭領の身体にぶちまける――――筈だった。

 

 実際には、投擲した容器は頭領の身体どころではなく、明後日の方向に飛んでいっている。

 頭領もグラストスも、まるで気づきもしないという有様だった。

「しまった!!」

 アーラの嘆きが、無意味に虚空に響く。


 容器はそのまま地面に落下すれば、確実に割れてしまうだろう。

 そうなれば、アーラが援護をする事は適わず、グラストスの命運は……。


 それを思った途端。

 アーラは今までに無いほど集中した。

 世界には、自分とその容器しかない。そう思い込む程の集中だった。


 マリッタの声が脳裏に響く。

『お嬢さんは、もう少し雑念を消せたら、きっと上手くいきます』

 アーラの師匠はそう言っていた。

 あの時はそれを認めることを渋ったが、今なら分かった。


(確かにあの時、私は雑念があったようだっ……!!)

 アーラの身体から薄い白光が湧き上がる。

 光は虚空を挟んで、容器へと伝わった。容器から微かな光が漏れ始める。

 その薄光と共に、外に出てきたものがある。

 それは宙に浮かび、徐々に体積を大きくしながら、揺るやかに球体を形作っていった。

 水球である。

 ただし、触媒となったのは水ではなく――――酒だ。

 そう。アーラが手に取っていたのは、頭領が飲んでいた酒の入った陶器だった。


 アーラは確信した。

 今初めて、自分が水球を作り上げるのに成功した事を。

 ただ、それに喜んでいるような余裕は無い。

 都合の良い事に、その水球もアーラの事も、二人は認識していないようだ。

 斬り合っているのだから当然だろう。


(ならば、今しかない!!)

 アーラは水球を操り、それを頭領目掛けて解き放った。


「水よ!!」

 身体の底からアーラは叫ぶ。

 しかし、奇襲ならばその叫びは余計だった。

 突然の奇声に、グラストスより余裕のある頭領がアーラに視線を移したのだ。

 頭領はアーラの身体が光っているのを魔法の光と認識して、僅かに動揺する。

 だが遅い。

 アーラの操る水球が、横手から盗賊の顔目掛けて突き進み――――直撃した。

 その衝撃で球体から崩れた酒が、頭領の顔にバシャと降り注ぐ。


 アーラは続いて疾走する。

 間を詰めて、手に掴んでいる松明(火種)を、頭領に向かって投げ放った。

 剣が届きそうな、この距離なら流石に外れない。

 そして、叫んだ。

火達磨(ひだるま)になるが良い!!」



 それは以前、ビリザドを襲った魔物、ドーモンと対峙していた時のこと。

 どんな酒でも、それを相手に降りかけ、火種を与える事で相手を炎に包み込む事が出来る。

 そう認識したアーラに、ヴェラは何も否定しなかった。

 事、知識に関しては、ヴェラを自分の師の如く思っているアーラである。

 ヴェラが言う事は全て正しい。

 つまり、否定しない事は間違っていない。そう思っている。


 だからこその、この行動だった。

 この誤認による罪が誰にあるのか、と言えば、それは間違いなくヴェラだろう。

 非常に稀な事だったが……。


 ともかく、アーラはこれで相手が炎に包まれると思っていたのだ。

 ただそのまま焼き殺すつもりはなく、地面を転がせば消化できるだろう。

 そんな算段もしていた。

 もちろん、全てが全くの無駄だった。


 頭領の飲んでいた酒はそれなりに度の強いものだったが、それでも以前ヴェラが集めたパウルース一の酒には遠く及ばない。

 当然、火が付いたところで燃える筈も無く。逆に消化する側だった。

 この一連のアーラの行動によって得たものとは、

「あち」

 という、思わず出た頭領の呟きだけである。

 それすら、意識していれば抑えられる程度のものだった。

 

 それに対して、アーラはポカンと間抜けな表情を浮べる。

 頭領は酒を被り、間違いなくその箇所に火種はぶつかった。

 何故燃えないのか? 魔法の火ではないからか?

 と、アーラは疑問に襲われていたのだ。

 


 ――――結果として、その行動はアーラの思惑とは異なった影響を与える。


 一瞬棒立ちになった頭領に、グラストスが鋭く迫った。

 僅かに気を逸らしてしまった頭領は、慌てて迎撃する。

 剣の振りは――――不意を突いて尚、頭領の方が速かった。

 横薙ぎに振られた一閃。

 それはグラストスの胴を斬り裂くには、十分な勢いと鋭さを持っていた。


 だが、グラストスはそれを躱す。

 懐に素早く入り込むと見せて、急に速度を落としたのだ。

 その緩急に騙された頭領の剣は、虚しく宙を切った。


 グラストスは必死に考えて、考えた末、一つの結論に達していた。

 片手では、そのままやったのでは両手の相手には勝てない、という事に。

 特に、実力が大して違いのない相手の場合は、それは絶対の真理のように感じていた。

 そんな相手に勝とうとするならば、通常の戦い方をしていても無理だ。

 不意を突く事。それこそが常道である。


 そして、攻撃は薙いでも斬り下ろしでも、相手に致命傷は与える事は出来ない。

 ならば手段は一つしかない。


 突きだ。

 突きならば、身体ごと押し込めば、片手でもさほど威力は変わらない筈だ。

 と言うより寧ろ、片手の方が速く遠くに攻撃を与えることが出来るだろう。


 続いて、守り。

 剣を馬鹿正直に受けても、両手の圧力には到底対抗する事は出来ない。

 躱し続けるのも不可能。体力が衰えた時に殺られてしまう。

 であるならば、どうすれば良いか。

 その答えは――――



「このっ!!」

 初撃を外されても素早く剣を振り被り、一息の間もなく振り下ろした頭領の剣が、グラストスに迫る。

 グラストスはそれに対して、中腰の姿勢で剣を頭上に(かざ)した。

 ガキン、と。

 頭領の剣とグラストスの剣が重なり合い、火花を散らす。


 この一撃で体勢を崩させた後、もう一撃加えれば仕留められる。

 頭領は一瞬の間にそう計算していた。


 だが、グラストスは真っ向から受けようとしたのではなかった。

 受けるのは同じだが――――受けて、流す。

 それがグラストスが導き出した答えだった。


 狙った一度で上手くいったのは、奇跡と言える。

 同じ事をもう一度やれと言われても、容易に出来る技ではないだろう。

 なればこそ、この状況でそれを成功させたのは、グラストスの勝機を呼ぶ運としか考えられない。

 頭領の剣はグラストスの翳した剣を滑るように、脇へ逸れていった。

 そのまま隣の地面を叩く。


 その隙を、グラストスは見逃さない。

 ここが唯一の好機。

 そして、自分に与えられた最後の機と、渾身の力を振り絞って剣を突き放った。


 鋭く伸びた剣先は、頭領の太い足をすり抜けるように突き抜けた。

 僅かの間の後、その根元から血飛沫が上がる。

 頭領の口から、絶叫が上がった。

 ――――それでも倒れなかったのは、頭領としての意地だったのか。


 グラストスに向けて、苦痛を怒りで覆い隠したような表情で剣を振り払う。

 だが、片足が使えない、重心の定まらない剣に重さは無く――――

 その剣を今度は流さずに、頭領の足から素早く引き抜いた剣で受け止めると、グラストスは返す剣で頭領の伸びた両腕を横一線に斬リ払った。

 再び頭領は出血する。

 傷はさほど深くはないが、剣は暫く握れないだろう。

 頭領は、カランと剣を落とし……。

 戦いは終わった。



***



 集合した一同は、苦痛の表情で地面に座りグラストスを睨み上げている頭領を取り囲んでいた。


「で、どうしやす?」

 何故か困ったような表情のドレイクが、アーラに声をかける。


 なお、アーラの腰には『エリザベス』が戻っている。

 屋敷の奥にあった物置に放られていた『エリザベス』を、リシャールが発見したのだ。

 剣を受け取り、再会を喜ぶように剣身を撫でると、アーラはどこかホッとした表情を浮べたのだった。


 そのアーラが問い返す。

「どういう意味だ?」

「いや、この後コイツらを、どういう風に処理しますか? って事ですわ」

 ドレイクの問いの真意を理解したのは、グラストスとマリッタだけだった。

 両者とも、真剣な表情になっている。


「処理もなにも。この地の自警団に引き渡せばよいだろう」

「お嬢さん。ここはビリザドじゃありやせんよ。どうやって、ここまで連れて来るんですかい?」

 アーラの答えに、ドレイクがそっと疑問を呈す。

「むぅ。であれば、どうしろと言うのだ?」

「まぁ、簡単で、単純なのは……このまま殺っちまうことですな」

 ドレイクが困惑した表情できっぱりと告げる。


「「なっ!?」」

 驚きの声を上げたのは、アーラとリシャールだった。

 そんな二人の驚きが収まるのを待って、ドレイクは続ける。

「恐らく、こいつ等は今まで何人も殺めてきているでしょうし、その上盗賊に身を落としてます。この国の法では、間違いなく死罪が告げられるでしょう」

 つまりドレイクは、今殺っても結果は同じ()であると言っているのだ。


 だが、それにアーラは難色を示す。

「それでは私刑ではないか。死罪が与えられるにしろ、それは然るべき場所での裁定をもって行われるべきだ」

「そりゃ、まあそうですが……」

 アーラの発言の正当性は認めながらも、ドレイクの困った表情は変わらない。

「実際に、こいつ等をどうします? 皆纏めて街に連れて行く事は出来やせんし……」


「……マリッタ頼めるか?」

 アーラはマリッタに向き直る。

 ドーモンの時のように、マリッタに街まで行って、領主に報告してきてくれ、と願っているのだ。

 マリッタは、そう言ってくるだろうと気づいていたのか、

「はぁ……。まあ良いですけど……」

 あまり気乗りのしない顔で頷いた。

 その様子が気になり、アーラ眉を顰める。

 そのアーラの表情を見て、マリッタは弁解するように考えを述べる。

「いや、ね。あの領主がこいつらを捕らえるのに、すんなり兵を送ってくれますかね?」


「……あんな奴でも、一応領主だ。己の役割は分かっているだろう」

 多少不安気だったが、アーラは答える。

 アーラにとって領主とは、領地の事を誰よりも考えて振舞う者であり、そうでなければならないという信念があった。

 だからこそ、あんな相手であってもその義務を怠ったりはしないと、信じていた。

 だが、それはビリザド以外の土地で過ごした事の無い、アーラの想いであって、必ずしも現実に即した事実ではなかった。

 グラストス以外の三人は、そうでない例をいくつも知っているのである。

 領主自身の利益にならない事には何もしない。

 そんな領主が決して少なくない事を。


 ドレイクとて、人を殺めるのを推奨している訳ではない。

 寧ろ、忌避している方だった。

 だからこそ、自由騎士であったし、だからこそ、アーラの主張の正しさも認めていた。

 ただ、ドレイクは世の中はもっと醜悪で汚い一面がある事を、実体験としてよく知っている。

 その上、ホモンの酒場で聞いたこの地の領主の人となりは、残念ながらその醜悪な側の人間であると告げていた。

 何しろ、酒場で聞く人聞く人、全て領主の事を悪し様に言うのである。

 唯一領主を褒めるのは、明らかに外れ者と思われる輩だけという有様だった。


 そんな領地の人間にすら悪く思われている人間が、きちんとこの男達を処理するだろうか。

 私刑にかけるのであれば、まだ良い。

 一応(・・・・)、領主にはそうした権利も与えられている。

 だが、もしそれを怠ったら。

 それにより、こいつらが逃げ出してしまったら。

 もたらされる結果は、見ずとも明らかである。

 


 それぞれの想いが交錯する中、これまでのやり取りを黙って聞いていた頭領は、一人ほくそ笑んでいた。

 どうやら、ここで自分達を殺すつもりはない、という事が分かったからだ。

 ホモン領主に自分達を引き渡すつもりのようだが……それならそれで良かった。

 あの肥満体領主は、自分の利益を何よりも大切にしているのは、この地の者なら誰もが知っている。

 盗賊行為で得た代物を献上し、今後のみかじめを払えば、間違いなく見逃してもらえるだろう。

 当然痛手だが、命には代えらない。

 その分は、また別の村を襲って稼げばいい。

 そんな事を考えていた。

 だからこそ、今は何も発言しないのが最善と、頭領は静かに事態を静観していた。


 思わず、皆が静かになる。

 他の方法を色々考えてみたが、ここは何と言ってもビリザドではない。

 不安だが、あの領主に伝える他ないのだ。


 アーラはマリッタに行って貰うため再び口を開こうとしたが、その前にこれまで黙っていたグラストスが先に尋ねた。

「……ホモンの領主は、こいつ等を処分しない可能性があるのか?」

 グラストスとリシャールは、直接領主と会っていない。

 その人となりを知らない為の問いだった。

「う~~ん。どうかしらね。アタシは特に明確な根拠があって言ったわけじゃなくて……そんな風にも見えた、ってとこよ」

 アーラを多少気にしているのか、マリッタは言葉を選ぶようにグラストスに説明する。

 その話を受けて何かを考え込んだグラストスは、やがて視線をアーラに向けると静かに考えを述べた。


「アーラ嬢……この盗賊団。せめて、この頭領だけでもここで始末した方が良いと思う。そうすれば、もし仮にこいつらが捕らえられなかったとしても、求心力を失った盗賊団は自滅するだろう」

「……そうかもしれんが、言っただろう。それは私刑になると……」

 グラストスの言葉を認めているからこそか、アーラは鬱陶しげに反応する。

「それは分かっている。が、そんな奇麗事だけでは……。時には手を染める事も必要なんじゃないか?」

「グラストス。それは騎士の言う事では無い!!」

 騎士とは、気高くある者である。

 人を殺めることもあるだろうが、それは然るべき場にあって、然るべき状況でだ。

 相手が抵抗できない状況で一方的に力を振るうのは、騎士ではなく下種の行為だとアーラは感じた。


 ただ、グラストスは別に自分が騎士である、と言う感覚は無い。

 自由騎士に成ったとは言え、それはあくまで生活の為だった。


「人を私欲で裁く権利など、人には与えられていない。このような者達であれ、一個の命なのだ」

 信者、と言うわけではないが、アーラはエスビア教の教えを学んでいる。

 その教えの中に、"人は人を裁けない。人を裁けるのはアマニだけである。"という一文がある。

 流石にアマニだけと主張する気は無いものの、人は人を裁けないと言う部分はアーラもある程度納得している。

 それ故の発言だった。


 だが、グラストスは納得しない。

 この男をここで殺しておけば、今後起こりうる可能性のある悲劇から、多くの人を守る事が出来るのに違いないのだ。

「それは、騎士の……いや、人としての考え方じゃないぞ!」

 アーラも譲らない。

 これまで自分を護り、立ててきてくれたグラストスが、そんな主張を行う事自体にも納得がいかなかった。

 だからこそ、腹立たしく。裏切られたようで――――


 ちらりと、あの事(・・・・・)がアーラの脳裏に浮かぶ。

 その最悪の考えは直ぐに振り払ったが、アーラの声は徐々に怒気を帯び始めていた。

「この者達はホモンの領主に渡すと決めた!! それは何を言われても変えぬ!」


 アーラのいつもとは異なる本気の怒声に、グラストス以外の人間は肝を冷やしていた。

 リシャールは不安そうに二人の顔を見比べており、ドレイクもマリッタも困った顔で静観している。

 取り成そうにも、アーラは熱くなりすぎているのだ。

 下手に突くと、更に火をくべる結果になりかねない。


 リシャールはどちらかと言うと、アーラの考えに近い。

 人が人を殺すなんて、考えただけで怖かった。

 マリッタは考えとしてはグラストスに寄っていたが、人を殺めるというのは抵抗があった。

 あれほど怒り狂って攻撃を加えていた盗賊達でさえ、結局誰も殺してはいない。

 ドレイクは、アーラの考えの方が正しいと思っているが、グラストスの気持ちも理解していた。

 つまり、この場に二人を治められる存在はいなかった。

 

「ならば、俺が勝手にやったという事でもいい。この男は、ここで殺っておくべきだ」

 その言葉に、皆息を飲む。

 グラストスは要するに、自分がこの頭領を殺すと言っているのだ。

 それは気負った上での発言にも聞えたが、表情はいたって真剣である。

 恐らくは本心で言っているのだろう。四人にはそれが分かった。

 

 グラストスは、別に人を手にかけて平気だという人間ではない。

 人と戦うことすら、本来は嫌だった。

 魔物相手でも、襲ってこない魔物以外は相手にしようとしない性質である。

 なるべくなら、ビリザドの地で平穏に暮らしていたいのだ。


 だが、それでも剣を振るう必要のある局面が存在する事も理解していた。

 ドーモンの時や、今回のこともだが、必要にかられる局面は必ず存在する。

 それは確かにアーラの言う通り、私欲から発しているものなのかもしれない。


 要するにグラストスは、アーラや、それに付随する者達。それらを護りたいのだけなのだ。

 記憶の無い自分に親切にしてくれた、彼らを。

 記憶の無いグラストスにとっては家族であるとも言える、彼女らを。

 それらに深刻な危険が及ぶ可能性があるのであれば、例え自分が手を汚すことになろうとも、排除する覚悟があった。


 奇しくも、昨夜あの村の村長も言っていた。

『――あのお方(アーラ)の心はとても真っ直ぐで、尊い。ですが、そこを邪な者に利用されないとも限りませぬ』

 と。


 この盗賊達が、その『邪な者』で無いとも限らない。

 グラストスとしては、それを見逃すわけにはいかなかった。

 そういった想いからの発言だった。

 しかし――――


「いい加減にしろ!! お前の言っている事が、どれほど危ういのか気づかないのか!? 危険の芽があるから先に絶っておく? それは『盗賊の子供は同じく盗賊になる危険性があるから、赤子の内に殺そう』そう言っているのと同じ事だぞ!? お前はそれでもこの者を殺すと言うのかっ!?」

 アーラは烈火の如く声を張り上げる。

 極論だ。とグラストスは思ったが、それでも反論できる材料は見つからなかった。

 少なくとも、アーラを納得させる理由は思い浮かばない。

 グラストスは黙り込んでしまう。


 ただ、一方的に怒鳴られている格好だったが、グラストスにはアーラに対しての不満は欠片もない。

 寧ろ、グラストスはアーラが人を容易に殺してはいけない、と言う主張をしてくれるのを嬉しく思った。

 グラストスの提案に、

「そうだな。ならばここで殺しておこう」

 そう乗ってくる方が、信じられない想いを抱いただろう。

 そんなアーラだからこそ、グラストスは己が身を汚しても、護りたいと思うのだった。

 それはある意味とても屈折した感情で、ある意味凄く純粋だったが、今のグラストスにはそれを表現する事は出来なかった。

 

「ま、まあ、お嬢さん。もうその位で……直ぐにアタシが行って来ますから」

 流石にこれ以上の口論は、良くない影響があると思ったマリッタは、慌てて二人に割ってはいる。

 契機となったのが、自分の発言という事もあったのだろう。

 すかさずリシャールもそれに同調し、ドレイクも苦々しい顔で頷く。


 その取り成しにより、アーラは自分が熱くなりすぎていた事に気付いた。

 バツの悪そうな沈んだ表情で呟く。

「考えは変えん。……ただ、少しきつく言いすぎた……」

 それに対して、グラストスは同じく陰鬱な顔で「ああ」と頷き返すだけだった。



 頭領はどんな結論が導かれるのか、今の討論を平静を装い聞いていたが、どうやら望みの結末に至ったようでホッとしていた。

 そして、内心誓っていた。

 この屈辱は必ず命を持って償わせると。

 自分を追い詰めたこの男(グラストス)の目の前で、その小娘(アーラ)を陵辱してやる。

 その後で、ゆっくりと残酷に殺してやると。

 そんな昏い感情を胸に抱き、頭領は恨みの篭った眼でグラストスを凝視していた。



+++



「! あ、そういや森に忘れ物した。ちょっと取ってきますわ」

 ドレイクが突然、そんな事を言い出した。

 見る限りいつもの格好で、何かを忘れているようには見えない。


 あっけに取られた一同が止める間もなく、ドレイクは森の中に消えていった。

 僅かに遅れて、

「ちょ、ちょっと! アンタがこの場を離れたら、アタシが街に行けないじゃない!!」

 マリッタがその事に気づいて、怒鳴った。

 ドレイクが盗賊達を見張っておかないと、他の三人だけでは不安で仕方がない。

 今は盗賊達は頭領以外皆気絶しているが、いつ彼らが意識を取り戻し目覚めるかは分からない。

 そうなれば手痛い反撃に遭う可能性だってある。いや間違いなくそうなるだろう。

 だが、マリッタの怒号は森に響くだけで、返事は戻ってきそうになかった。


「一体、どういうつもり……」

 再び叫ぼうとしたマリッタの声はそこで萎んでしまう。

 不意に、こちらに近づいてくる物音が聞えてきたのだ。それも一つではなく、複数の。

 まさか、盗賊の仲間か?

 そう思った一同は、アーラを囲うようにして、森を注視する。


 グラストスは右手に剣を構え、リシャールも怯えながらグラストスに借りた剣をその手に取っている。

 アーラも『エリザベス』を抜いて、マリッタは『突風』の集中を始めた。

 四人の間に緊張が走る。


 そして、集団はその姿を現した。


「おや。これはまた、奇妙な所で再会しましたな」

 集団の中から、巨漢の騎士が歩み出る。

 ケーレス騎士団副団長、ヴィクトルがそう言って笑った。


+++


 彼らがこの場所を発見出来たのは、ドレイクのお陰だった。


 探索していたとはいえ、普通ならこんな森の中までは気が廻らない。

 素通りしていたに違いないことは、ヴィクトルも認めた。

 そんな彼らが気づけたのは、ドレイクが街道沿いに気絶させ縛り上げていた盗賊達を発見したからである。

 気絶していた彼らを起こして話を聞くにつれ、彼らが盗賊である事を見抜いたヴィクトルは、半ば強引に根城の場所を吐かせたのだった。

 

 もちろん、盗賊団が活発に活動するのは大抵が夜である事を知っている彼らが、昼間はあえて休み、夜になって行動を始めていなければ、どうなっていたかは分からない。

 その英断も発見できた理由の一因だろう。


 

 まあ理由は何であれ、これで盗賊達の処分を任せられると、アーラは喜んだ。 

 これまでの事情を説明し彼らの対処を願うと、ヴィクトルは快く頷いた。

「分かりました。この者達は我らが責任を持って護送致します」

「お願いします」

 アーラは頼もし気な視線をヴィクトルに送りながら礼を述べた。

 もっとこの著名な副団長と話を続けたい所だが、流石にアーラも疲労を覚えていた。

 それに邪魔をしても悪いと思い、続きはまた別の機会にと諦め、ヴィクトルの前から去ろうとしたが、ふとアーラの脳裏に閃くものがあり、最後に言い添えた。

「そう言えば、盗賊の頭領がこんな事を言っておりました。『魔法の素養のある子供を攫った』というような事を。もしかしたらあの村を襲ったのは、こやつらではないのかもしれません」

 アーラは何かの足しになればと思い告げた話だったが、それは思わぬ反応をもたらした。


 ヴィクトルは双眸に光を宿して、アーラの言葉を確かめるように尋ね返す。

「……彼らが『魔法の素養がある子供を攫った』と、そう言ったのですね?」

「え、ええ。聞いたのは私だけではないので、聞き間違いはないと思いますが……」

 アーラはヴィクトルの突然の変貌に驚きながらも、背後に居たマリッタとリシャールに視線を振る。

 騎士団の人間は嫌いな二人だが、あえて嘘を言おうとは思わない。

 アーラの言葉にコクリと頷いた。


 そのまま少し考え込む様子を見せたヴィクトルだったが、アーラ達の視線を集めているのを悟り、ふっと表情を緩めた。

「そうですか……いや、子供を攫うとは許せん輩ですな。分かりました、情報感謝いたします」

 何かを取り繕うように、ヴィクトルは真剣な表情から一転して笑う。

 少し様子は気になったが今は早く休みたい気持ちの方が強く、アーラは再びヴィクトルに辞去を告げると、今度こそこの場を立ち去ったのだった。



***



 四人が街道に戻ると、丁度ドレイクが荷馬車を街道脇に移動し終えた所だった。


「ドレイク殿……貴殿はまた逃げたな?」

 アーラが呆れた目で、ドレイクに尋ねる。

 ドレイクが先程突然姿を消したのは、騎士団の気配を感じたからだろう、と気づいたからだ。

「いやぁ、すいやせんね。どうも奴らは苦手でしてね……」

 ドレイクは逃げたことを素直に認める。

 謝ってはいるが、顔は笑っている。反省はしていないに違いない。


「それよりお嬢さん、これからどうします? 当初の予定通り、ここで休んで行きますか?」

 マリッタがこの後の予定を尋ねる。

「うむ。そうだな……」

 アーラ自身は、正直どちらでも良かった。

 が、リシャールとドレイクは、この場所での休憩を反対してきた。

 前者は恐らく、怖い想いをした場所で寝泊りするのが嫌で、後者は森から戻ってきた騎士団と顔を合わせるのが嫌なのだろう。


「それは構わないが……地面は見えるのか? この暗さでは、道もよく分からないだろう?」

 盗賊に襲われてから数刻経過していたが、まだ当分は朝日が顔を出す時間ではない。

 至極もっともなアーラの疑問だったが、

「僕が炎で照らしますから!!」

 リシャールがそう強行に主張したので、アーラも特に反対はしなかった。

 なので、リシャールの体力が続く限り、移動しようという事で話は収まった。



 夜目の効くドレイクが御者になり、女装から元の衣装に着替え終わったリシャールがその隣に腰掛けて、旅は再開した。

 女装から着替える際に、アーラだけは残念そうにしたが、リシャールはもう懲り懲りだった。

 そもそも女装でなければ最初に盗賊に捕まる事もなく、あんな危険な目に合わずに済んだに違いない。

 そう思っていたリシャールは、二度と女装はしないと固く心に誓っていた。


 馬車内では、他の三人がゆったりと寛いでいた。

 まだ気が昂ぶっているのか皆眠気はなかったが、それも時間の問題だろう。

 アーラとグラストスは先程の討論が尾を引いており、まだ少し微妙な感じで会話をするのを躊躇っている様子が伺える。

 特にアーラの方がその傾向が強い。

 なので、必然的にアーラはマリッタに話しかける形になっていた。


「そう言えばマリッタよ! 私は遂に成功したぞ!!」

「何がです?」

「魔法だ! 水球だ。水球!」

 そう言って、自分が如何にして盗賊の頭領にぶつけたかを、マリッタに熱く話して聞かせた。

 マリッタは、ふーんと、それを冷静に聞いていたが、

「なら、ここでもう一度試して下さいよ。鉄は熱いうちに打てって言いますしね。忘れない内に感覚を身につけましょう」

 水筒を取り出して、アーラに手渡す。


 アーラは自信満々にそれを受け取ると、口を開いて自分の目の前に置いた。

 そして、中腰の姿勢を取り、静かに集中を始める。

 

 アーラの身体が白色に包まれていく。

 ふよふよと、水の塊が水筒の中から浮かび上がった。

 ただ、それはお世辞にも”球”と言える形状ではない。


 アーラは更に時間を費やす。

 徐々に体積は大きくしていたが、相変わらず無様に宙を漂っているだけである。

 マリッタは何となく結末を悟り、いつそれが起こっても良いように準備を始める。

 グラストスは出入り口付近に腰を下ろしていたが、スッと隅に移動した。


 それから間もなく。

 予想通り。謀ったように。期待通りに。

 アーラの水の塊は、四散した。


 水の固まりは言葉通り、四方向に飛び散った。

 一つは、マリッタに向けて。

 これはマリッタが魔法で防御した為、事なきをえた。

 一つは、荷馬車の出入り口方向へ飛んで、馬車外に消えた。

 グラストスは自分の行動が正しかった事を悟り、ホッと胸を撫で下ろしていた。

 一つは、アーラ自身に。

 普段ならマリッタが防御している所だが、今回は疲労により防がなかったので、アーラは頭から水を被る事になった。

 そして最後の一つ……これが問題だった。


 それは、御者台に向かって飛んでいった。

 ドレイクとリシャールは、アーラの魔法の練習を気に留めていなかったので、四散した水への反応は何も出来なかった。

 ただ、水は彼らに直撃したのではない。

 それならば良かったのだが、残りの一つはリシャールが制御していた、地面を照らしていた火にぶつかったのだ。


 火と水。

 互いがぶつかれば結果は決まっている。

 蒸気となり、消失するのみである。


 当然、そのリシャールの魔法の火も消えた。

 リシャールもドレイクも、突然灯りが消えたので驚いた。驚いたが――――それだけだった。

 火はまた起せば良いからだ。


 だが、彼ら(馬達)は違った。

 昼間なら良かっただろう。しかし、今は夜だった。

 それまで頼りにしていた灯りが、突然消えたのである。

 さぞかし驚いたのだろう。

 急に道を猛然と走り始めた。


 いきなりガクンと跳ね上がった速度に、馬車内に居た三人は、強かに腰を打ちつける事になった。

 端に居たマリッタとグラストスは、何とか帆を掴む事でそれ以上の被害を免れたが、中央に居たアーラは危うく外に放り出される所だった。

 が、それをグラストスが痛む左腕で抱き止め、何とか護ることに成功する。

「す、済まぬ……」

「い、いや……」


 先程までの気まずさも手伝って、どこか青臭いやり取りを二人が交わしている所に、ドレイクの声が割り込んだ。

「坊主が振り落とされちまった」

 

 ドレイクは御者として馬の手綱を掴んでいるので、さほど影響は受けなかったが、横にただ座っていただけのリシャールは違った。

 ポーン。と一人飛んでいった。

 そして、悲しい事にリシャールには、助けてくれる人間は居なかった。

 慌てて三人が荷馬車の後方を伺うと、地面に落ちた白っぽい何かが、みるみる遠ざかっているのが見えた。


「ド、ドレイク殿! 止めよ! リシャールが。リシャールが!」

「いや。それが馬が興奮してて、制御が効きやせん」

 さしものドレイクも、少しだけ焦っていた。

 ただ、本当に少しだけで、その口元は上がっている。


「リシャール~~!!」

 アーラが後方に向かって叫ぶが――――返答は無い。

 そのまま一行の馬車は、馬が落ちつくまで、街道をどこまでも走り続けることになった。



***



 リシャールが再び合流出来たのは、夜ももうすぐ明けようかという頃の事だった。

 泣きながら、這うようにして、ようやく街道脇に止められた馬車に合流したリシャールが見たものは――――


 自分を心配する仲間の顔ではなく、気持ち良さそうに眠る仲間の姿だった事は、言うまでも無い。

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