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The Left Arm Wars  作者: 過酸化水素水
【1章 辺境の自由騎士】
5/121

2: 剣

 

 男はその事実に気づくと、暫く呆然としてしまっていた。

 そんな男の様子を見ながら、少女が端的に男の状態を説明する。

「つまり、貴公は記憶を失っていると言うことか」


 突飛な話だったが、アーラは男の言葉を疑うような気配はない。

 世間知らずと言えばそれまでだが、根が真面目な性質なのだった。

 彼女に付き従う小間使いの女の方は、若干訝しげな表情を浮かべた。

 しかし、それも一瞬だけだ。戸惑う男の様子に嘘はないと判断したのだろう。今はもう元の冷静な表情に戻っている。


「記憶を失う……俺が? 俺? 俺は……誰なんだ?」

 男は再び忘我の海に飛び込もうとする。

 それを察したのかアーラは男を制した。

「落ち着け。とりあえず、これから幾つかの私の問いに答えて貰おう」

 男は考え込むのを中断して、縋る様な目をアーラに向ける。

 

 男が自分の話を聞こうとしている姿勢が分かり、アーラは一つ頷いた。

「まず、自分の名前は思い出せるか?」

「……いや……分からない」

 男は首を横に振る。

「では歳は? 見たところ私よりは上か? さほど違わぬ様には思えるが」

「そうなのか? いや、それも分からない」

 男は確かめるように、両手を顔に当てながら答える。

 もちろん、それで何が分かる訳でもない。


 アーラは先月十六になったばかりだった。

 幾分も違わないと言う事は、男の年齢は十七・八そこら、ということになる。


「出身地は?」

「覚えていない……そもそも、ここはどこなんだ?」

「この地は『ビリザド』と言う。『パウルース』の南東部にある土地だ」

「パウルース? ここはパウルースなのか?」

「そうだ。どこだと思っていたのだ?」

「それは…………。いや……どこだろう?」

 男はその国名を聞いて、咄嗟に意外だと感じた。

 しかし、冷静になると何故そう感じたのは分からなかった。


「友人や家族の顔は思い出せるか?」

「……いや」

 一瞬何者かの姿が、男の脳裏に浮かんだ気がした。

 ただ、それは直ぐに消えてしまった。今は何も思い浮かばない。


 アーラはそんな男を僅かに気の毒そうに見つめた後、表情を切り替えて再び男に質問する。

「ならば、これは何だか分かるか?」

 先程まで自らが振っていた、今は鞘に収められた剣を持ち上げる。

「何って……剣だろう? 長剣だ」

 何当たり前の事を聞くんだ? と男は疑問に思ったが、とりあえず何も言わずに答えた。

 するとアーラはその場で何かを探すようにグルリと周囲を見回して、やがて裏庭の外れにある井戸を指差し尋ねた。


「あれは何だ?」

 男は少女の綺麗な指先の示す方向を目で追っていき、「井戸だ」と答える。

「私は誰だ?」

「誰って……アーラ嬢だろう? アーラ・フォン・ロメル嬢だ」

 先程聞いたばかりの名を答える。

 男は侯爵家の娘に対して何と呼べばいいのか分からなかった為、呼び方を少し気にしていたが、当のアーラは全く気にしていない風だった。


「なるほど。どうやら、一般的な知識は失っていないようだな。記憶障害もないらしい」

 アーラは一度頷くと、少しホッとした様な表情を浮かべた。

 男はアーラの意図が分からず、ただ戸惑っているだけだった。


「では、『魔法』とはどんなものだ?」

 アーラは何気なく尋ねた。

 言葉通りならば、単に『魔法』の事を知っているか、という問いである。

 しかし、その真意は深かった。

 この問いに答えられるか否かで、男の重要な事柄が分かるのだ。


 この世界は大きく分けて、二通りの人間に分けられる。

 『魔法を使える人間』と『魔法を使えない人間』とに。

 その素養は先天的に与えられるものである。

 自己の修練により、持っている魔法の力の更なる成長を求めることも可能である。

 しかし、どんなに頑張ろうとも、後天的に魔法を身につけることだけは出来なかった。


 その為、魔法を使える人間(メイジ)には、使えない人間よりあらゆる事柄に対して優遇されるのが常だった。

 それもその筈で、『メイジ』とそうでない人間の力には、明確な開きがある。

 一般的にメイジ一人で、そうでない人間三人分程の武力があると言われている。

 優秀なメイジならば、更に割合は上がっていく。

 メイジを多く有するという事は、それだけその領地、しいては国に武力があるという事に繋がっていた。

 よって、メイジの育成は国家の重要課題の一つだった。


 そしてこの国には、メイジには特別な教育を施す為の環境が存在する。その教育施設及び機関は、通称『魔法学校』と呼ばれていた。

 十五~十八歳の年代のメイジを集めて特別な教育を施し、優秀なメイジを育て上げるのだ。

 自然、『魔法学校』に通うメイジには、通っていない人間以上の魔法に関する知識が備わっている傾向にあった。


 つまりアーラはこの問いで、男がメイジか否か。相応の教育を受けた事があるかどうか、を確認しようと考えたのだ。

 きちんと答えられなければメイジでない、または教育を受けていないという事になる。

 答えられたのならば男は教育を受けていた事になり、そうなれば男の素性を明らかにするのは比較的容易な筈だった。


 果たして男は――――さも当たり前の事柄であるという体で、アーラの問いに答えた。

 魔法の概念、戦闘における優位性と続き、話は『属性』についての説明に差し掛かっていた。


「――――どんな魔法であろうと、それは大きく分けて四つの属性に分類される。『火』(イグニス)『水』(アクア)『風』(ウェントゥス)『土』(ソルム)の四属性だ。その単語が割り当てられている通りの効果をもたらすことが出来る。例えば、火の系統の魔法を使用すれば炎が出現すると言う様に。具体的には、『火』は火計や爆破等の攻撃に用いられる。『水』は万能で攻撃にも傷口を癒す治療等の使い方がある。『風』は攻撃や遠距離における情報伝達等に、『土』は主に地形への変動目的で使用されるのが一般的だ」

 アーラも小間使いも、男の説明に真剣に耳を傾けている。

 そんな二人を見て照れくさく思いながらも、男は話を続ける。


「そしてどんなメイジにおいても、それぞれ自分に適した属性が存在する。適していない属性の魔法を習得することは可能だが、基本的に自分に合った属性の魔法と、そうでない属性の魔法とでは技術習得や魔法の運用効率に多大な差が出る、というのが通説だ。だが、何故そうなるのかは未だに解明されていない」

 そこまで話して、男は言葉を止めた。

「大体こんな感じだ」


 アーラは満足気に頷いた。

「大したものだ、魔法に関して随分詳しいようだな。またいつか話を聞きたいと思うが、今は次の問いに移ろう。『ギルド』とは何だ?」

 男は間髪いれずに答える。

「ギルドとは各職業における組合の事で、『商人ギルド』を始めとする様々なギルドが存在するが、単純に『ギルド』とだけ呼ぶ場合には、それは大抵は『魔法ギルド』の事を指す。その主な活動は『魔物』の討伐だ」


 この大陸には、大小様々な『魔物』と総称される生物が住み着いている。

 鼠のような小ささのモノから、家程の大きさを誇るモノまで。

 その半数は人を襲い、残りの半数も人こそ襲いはしないが家畜を襲い食い荒らす為、土地によっては深刻な被害をもたらされてしまう。


 以前までは、国が騎士団を派遣して、それらに対処していた。

 ただ騎士団には土地や国を防衛する任もある為、十二分に対応出来ていたとは言えなかった。

 それを憂いた領主達が、同様に被害を被っていた商人達と結託して興したのが魔法ギルドだった。


 それぞれの問題に報酬金をつけて、依頼と言う形で騎士団に属さないメイジを中心に討伐募集をしたのだ。

 当初は騎士団が出るまでも無いような小さな依頼が主だった。

 しかし、市場が徐々に拡大していったこともあり、今では依頼の殆どが騎士団に属さない騎士『自由騎士』達によって遂行されている。

 ただ、魔法ギルドの成長は良い点ばかりではない。

 それは腕の立つ優秀な人材ほど、好んで自由騎士になりたがる傾向にあるという事であった。

 その為、昨今では騎士団の人材不足が懸念され始めていた。

 

 男はその様な内容を説明し、アーラは「ふむ」と頷く。

「これで最後の質問だ。今の大陸情勢を聞かせてくれ」

 男は小さく頷くと、再び話し始めた。

「この小国パウルースは、北の軍事大国モンストリウ。南の商業大国ソルベニアという非常に力のある大国に挟まれている。この二大国は古くから度々戦を繰り返してきており、今現在は協定により落ち着いているが、それもいつまでももつのか分からないというのが現状だ。そう遠くない未来に、再び戦になるのではと言われている。そんな国々に挟まれている小国が、今なお支配されることを免れているのは、大国間の絶妙な軍事的釣り合いが取られているからだという事に他ならない。もし仮に大国の釣り合いが崩れ、一方に力が偏ることになれば、この国などたちまち潰されてしまうだろう」

「そうだな。我が国としてはその釣り合いが崩れない様に、立ち回ることが重要だ。(いささ)か情けない話ではあるがな」


「こんな所で良いか?」

「ああ、十分だ。どうやら貴公は、自分に関する事柄のみ記憶を失っているようだな」

 アーラは今までの問答から、気づいた事を告げた。

 自分でも途中で気づいていたのか、男もその結論を認める。

 そして、問答していた事が良かったのか。男はいつの間にか落ち着きを取り戻していた。

 もしかして、アーラはこの効果をも狙っていたのだろうか。

 

「貴公をここに運んでくれたギルドの者達の話では、ここから南に広がる森の奥で貴公は倒れていたそうだ。もう少し発見が遅れていたら、死んでいたかもしれない程の傷を負っていたらしい。発見した者達の中に、運良く回復魔法を使用できる者が居たから助かったと言う話だ。よほど貴公は運が強いようだな」

 そう言って、アーラは晴れやかに笑う。

「森か……」

「やはり何も思いだせないか?」

「……残念ながら」

「そうか。ただあんな険しい森の奥に居たというのだ。貴公もギルドの人間だったのではないか? ただギルドの者達は、貴公の姿は見たことが無いと言っていたが……」

「どうだろう?」

 男は自信なさそうな顔で首を傾げる。


「まあ、安心しろ。きっと運命を司る神『アルプト』の導きがある。何れ時がくれば思い出すさ」

 アーラは目を瞑り、胸に手を当てながらそう言った。

 アルプトへの祈りの所作だ。


「とりあえず、記憶が戻るまではこの屋敷に居ると良い。貴公が寝ていた客室を自由に使ってくれて構わないぞ」

 その申し出は、男には何より有り難かった。見知らぬ土地で記憶を無くし、正直不安だったのだ。

 アーラに感謝の意を込めて、頭を下げる。

「何から何まですまない……本当に助かった。有難う」

「止めてくれ。これも貴公の運が強かったというだけだ。礼などいらん」

「……分かった。だが、この借りは何れ返す」

「いらんと言うのに……まあいい。では、当面貴公は私の客人という扱いにする」

 アーラは男にと言うより、これまでずっと黙って控えていた背後の女に向かってそう告げた。

 女は一瞬眉を(しか)めたが、何も言わずに頷いた。


「そうだ。ここに住むのであれば、ヴェラの事を紹介しておかなくてはな」

 そう男に告げて、アーラは女に目配せをする。

 すると、女は一歩前に出て深々と一礼して、

「小間使いをさせて頂いております、ヴェラ・ベレントと申します。ヴェラとお呼び下さい」

 そう言うと、一歩下がり再び黙り込んだ。


 ヴェラは使用人用と思われる質素な服に身を包み、茶色の髪を邪魔にならないように後ろで括りあげている。

 歳は二十を幾つか超えたという頃だろう。

 よくよく見ると端正な顔立ちをしているが、どうもその印象は感じにくい。存在感の希薄さが、そう見えさせているのかもしれない。

 ともかく物静かな人物なのは間違いなかった。


「何か入用があれば、ヴェラに言い付けるようにしてくれ」

「わ、分かった」

「この屋敷には、他に数名仕えてくれる者がいるが、彼らの事は後々紹介しよう」

「あ、ああ……」

「ん? どうした? 何か気になる事でもあるのか?」

 急に落ち着きを失い出した男の様子に違和感を感じたのか、アーラが見咎(みとが)める。


「いや……その……ヴェラを見ていて思い出したんだが、ここは侯爵の屋敷なのだろう? 有り難いのだが、俺のような素性に知れぬ無頼漢を住まわせても良いのか? 後でアーラ嬢がお叱りを受けたりはしないだろうか?」

 男の恐縮した様子に、アーラは何だそんな事かと一笑に付した。

 笑みを貼り付けたまま、男の問いに答える。

「お叱りを受けるも何も、そもそも貴公をここで休ませるように指示したのは父上だ」

「えっ!?」 

 男は思わず驚きの声を上げてしまう。


 記憶が無い為、自分にそんな経験があったのかどうかは分からない。

 だが貴族とは、特に侯爵の様な高い身分にいる人間は、低い身分の人間を塵以下にしか思っていない筈だと、男は直感的に思い込んでいた。

 男の頭の中の常識と照らし合わせてみても、その考えは間違っていないように思う。

 ともすれば、余程ここの侯爵は変わり者だという事なのだろうか。


「だから安心してここに留まるが良い。父上も現在所用で遠出をなさっているので、暫くはお戻りになられないしな」

 アーラは頷きながら、男を諭すように笑う。

 そんなアーラを、男は呆然と見つめていた。


「貴公は……と、そう言えば、名前を考えないといけないな。無いと色々不便だろう」

「あ、ああ……そうだな、確かにその通りだ」

「何か名乗りたい名はあるか? 無ければ私が付けても良いが」

 見ると、アーラの瞳が再び爛々と輝きだしている。

 どうやら自分が名前を付けたいらしい。

 今まで話し方が大人びていたので、彼女はそういう人物だと思い込んでいたが、どうやら年相応の幼さも持ち合わせていたようだ。

 と言うより、こちらが地なのかもしれない。


 男は急に親近感を覚え「お願いする」と頼んだ。

「ふむ! では仕方ない、私が付けて差し上げよう」

 アーラは満面の笑みで頷くと、暫し考え込むそぶりをする。

 やがて、吟味した末の結論のようなしかめっ面で、小さな口を開いて言った。


「そうだな……『グラストス』と言うのはどうだ!?」


 渋い表情とは裏腹に、勢いよく告げられたアーラの言葉を聞いて、背後のヴェラが微かに口角を上げた。

 その名には何かあるらしい。

「ああ。それで構わないが、何か由来でもあるのか?」

「うむ。この国の古の言葉で『剣』という意味だ。貴公が倒れていた時に剣を握り締めていたそうだからな。……決して私が好きな言葉だからという訳ではないぞ?」

 アーラの必死な弁明に、男は何だか微笑ましくなった。

 ただ、それは表情には表さないようにする。


「なるほど……良い名だ。有難う。それを頂く事にする」

「そうか! 気に入ってくれたのなら私も嬉しい」

 アーラは満足気に頷き――――


「では、記憶が戻るまで、改めて宜しくだ。グラストス」

 そう言って、朗らかに微笑んだのだった。

 

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