43: ホモン領主
アーラの父親侯爵についての記述
誤 ロメル侯爵
正 ベッケラート侯爵
ここまでの箇所も全て修正させていただきます。
大変申し訳ありませんが、よろしくお願いいたします。
翌朝。
グラストスの目覚めは決して良いとは言えなかった。
だが、それ以外の者はそれなりに休めたようで、それなりに爽やかに顔を合わせたのだった。
朝早すぎてまた追い返されては敵わないと、食堂に行って朝食を摂ってから、少し余裕をもって領主の館に向かった。
ただ、ドレイクだけは昨日同様理由を付けて同行を拒み、一人街に消えた。
酒場はまだ開いていないので、恐らくこの街のギルドにでも顔を出したんでしょう、とマリッタは推測を述べる。
領主の館に辿り着くと、流石に夜とは違い門は開かれていた。
その前に二人の守衛が立っており、その内の一人は昨日の対応の悪い門番だった。
マリッタはあからさまに睨み、グラストスとリシャールは微妙な視線を向けたが、アーラと村長はまるで昨日の事を忘れたように振舞っている。
村長は大人の対応をしているのだろうと想像はついた。
しかし、アーラはまた暴走するのではないかと半ば警戒していたグラストスは、少し肩透かしを食らった気分だった。
少し甘く見すぎていたのかもしれない。
そうアーラを見直していたが、グラストスは一つ忘れていた。
アーラは一晩眠れば、昨日の嫌な事は全部忘れると言う事を――――
という訳で、何とか問題を起こさず領主への取次ぎを願い出る事は出来た。
門前で暫し待たされた後、武器類は全て一時没収された上、面会人数は三人までと指定されて、ようやく領主への面会が許された。
話し合った結果、グラストスとリシャールがこの場に残る事になった。
武器を取られた以上、有事の際にはマリッタが最も頼りになるからである。
そうして、二人に見送られてアーラ達は領主の館に足を踏み入れたのだった。
***
領主の館の中は外観とは違いとても質素で――――などという事は無く、予想通り豪華絢爛な内装で覆われていた。
キラキラと壁や床の至る所で光る金粉。
著名な画家が描いたと思われる高そうな絵画。
やたらとでかい金銀をちりばめた壷。
巨匠の手によるものと思われる細工の行き届いた調度品。
一つ一つ取り上げれば、それはとても立派なものだった。
だが、そこに何ら繋がりは見受けられず、ただやたらと豪華な物を揃えただけという、主人の成金趣味がありありと分かるようだった。
そんな応接室で、更に半刻は待たされただろうか。
折角昨夜の怒りを忘れていたアーラだったが、既に怒り心頭の様子だった。
先程から、「一体何をしているのだ」「遅すぎる」「民の事を考えてない」等と、うろうろ部屋を内を歩き回りながら怒りを漏らしている。
「お嬢さん、落ち着いてください。あと、アタシとの約束を忘れないで下さいよ?」
「む。それぐらい、元より分かっていると言うに」
マリッタが口にしたアーラとの約束とは、今回の事であまりアーラが出しゃばらない、という事についてだった。
末娘とは言え、アーラは侯爵家令嬢。
他領地の領主といらぬ諍いを起こしては、それは全てアーラの父親――――つまり、ベッケラート侯爵が責を被ってしまうのだ。
それだけは避けたいアーラは、その条件は直ぐに飲み込んだ。
ただ、激昂しやすいアーラが、確実に守れる保証はないと分かっているマリッタは、何としてでも暴発だけは阻止しようと心に決めているのであった。
そして、それこそが今回アーラの旅の同行に自分が組み込まれた理由である事も、マリッタは理解している。
旅立ち前にヴェラからしきりにお願いされた事でもあり、父親に念入りに指摘されたと言う事もあった。
だが、それ以上にマリッタは自分で自分の役割を認識していた。
肩書き上は護衛という事だが、ドレイクが同行するのであれば、本来それ以外の護衛は不要なのだ。
大抵の魔物や狼藉者は、ドレイクの敵ではない。
なのに自分が同行要員に組み込まれたのは、ヴェラが居ない面々の中で、侯爵家の事を考えて行動できる人間を欲してだ、という事は自明の理だった。
それだけは、ドレイクはおろかグラストスにも無理だからだ。リシャールなどは論外である。
別にマリッタは侯爵家の使用人ではない。
にも拘らず、そのように振舞うのを期待される事に対して、異を唱えようとしないのは、ビリザドに越して来てからの長年の付き合いにより、根っ子からそれが染み付いてしまったからに他ならない。
ただこれが、侯爵やアーラの姉に対してならば、マリッタとてその様な感情は起こらない。
自分が立ち回る必要性が感じられないからだ。
だが、アーラに関しては別だった。
気高い精神である反面、直情的で、どこか不安定な少女が、どうにもマリッタを心配にさせるのだ。
危なっかしく見えると言い換えても良い。
その為、本当に面倒だと思っていても、何故か少女を手伝ってしまう。
彼女の助けとなるように動いてしまう。
生来の面倒臭がりのマリッタは、それが自分で分かっているからこそ、この旅の同行を嫌がっていたのだが…………始まってみれば、やはり助けになるように動いてしまっている。
もはやその気持ちに対しては、諦観の境地に達していた。
という内面の葛藤があり、マリッタは決意の篭った瞳で控えているのだった。
やがて、客間の扉がガチャリと開く。
まず執事と思われる男が入室し、その後からゆっくりとふくよかな……と表現するには少し太りすぎな、端的に言えば肥満体の中年の男が現れた。
ホモンの領主、アトキン侯爵その人であった。
***
領主は先ず、挨拶も交わさず向かい合う様に置かれている、長椅子の一方にドカッと腰を下ろした。
領主の入室と同時に、椅子から立ち上がっていた村長は、そのまま所在無げに立ち尽くしている。
座して良い、の合図が無い為である。
「……アトキン侯爵が先に座られたのだ、村長殿も腰を下ろしてはどうか?」
村長にと言うより、領主に対して言葉を発したのは、長椅子に座る村長の背後に立つアーラだった。
早くも苦々しい表情が、マリッタの顔に過ぎる。
領主も自分への婉曲な非難だと受け取ったのか、不快そうな表情を浮かべる。
だが、その声を発した人物の顔を見るなり、その表情は嫌らしい笑みへと変わった。
「おや。これはこれは、身分知らずの発言をする娘がいるかと思えば、ベッケラート侯のご息女殿ではありませんか」
見た目どおりの、ねちっこく粘つくようなそんな声で、領主はアーラに猛禽類の様な視線を送った。
「どうも、お久しぶりでございます」
丁寧な言葉遣いになっているが、アーラの声は普段の生き生きとした声とは違い、平坦で抑揚の無い声である。
それを聞いた瞬間に、他の二人はアーラがこの領主に良い感情を持っていない事を悟った。
「そうですな。以前お会いしてから、二年は経過しておりますかな? 相変わらずとてもお美しい」
そう言いながら、まるでアーラの全身を嘗め回すように眺める。
「相変わらず、男物の衣類を着用なされているのですな……そろそろ貴女もドレスなど着てみてはどうです? 宜しければ私が仕立てさせましょうか? 無論その場合は、先ず最初に私にご披露頂きたいですが……」
領主の言葉に思わず鳥肌が立ったアーラだったが、表面上は平静を装っていた。
「私などの様な者に、もったいないお言葉ですが、現在公用により任務に就いている最中でして、本当に残念ではありますが、またの機会とさせて下さい」
などと言っているが、もちろんアーラは、この領主から贈り物をされたいとは微塵も思っていない。
「それは、残念ですな。貴女のお美しく成長なされた姿を、じっくりと拝見させて頂きたかったのですが……」
領主は嫌らしい瞳で、ただ真実名残惜しそうに、アーラを見つめながら言った。
ただ、アーラはそれには何の反応も返さず、早く本題に入る事にした。
「本日、お目通り願いました用件に、入らせて頂いて宜しいでしょうか?」
「おや? 何でしょう。貴女のお願いでしたら、何なりと聞いて差し上げたいですが……」
その代りこっちの願いも聞け、とでも言いたげな様子である。
その裏には、明らかに邪な感情が見え隠れしていた。
「いえ、私からではありません。本日の用件は、こちらの……この街の南東にある村の村長殿からのたっての願いです」
「村長……ですか?」
そこで、領主は今ようやく気づいたように、アーラと領主の視界を邪魔しないよう座椅子の隅にそっと移動していた村長に、視線をやった。
アーラに対してのものとは明らかに異なる、興味のない視線を。
「……で、その村長が、私に何用か?」
不機嫌そうに、領主は村長に尋ねる。
それはアーラとの会話を打ち切られたという、腹いせのようにも見えた。
門番に本日の面会の内容は伝えてあるので、領主は話の内容は知っている筈である。
だが、まるで初めて聞いたように、領主はしらばっくれていた。
自分優位に話を進めるために、威圧感を与えているのに違いなかった。
村長は緊張に包まれていたが、ここで引いては村の皆が助からないと言うこともあって、怯みながらも、一昨日の村での出来事についての話と、それに対する援助を訴えた。
「ふぅむ……」
生えてもいない顎鬚を擦るように、領主は考え込んだ素振りを見せる。
何を考える事があろうか、と余程アーラは怒鳴りたかった。
ただ、それは隣でしっかりとマリッタがアーラの裾を掴んでいた為、辛うじて自制していた。
そして――――
「なるほど。分かった。その件については、こちらで手配しておこう」
意外にも素直に領主は援助を認めた。
それを少し不安に思い、アーラは一度だけ確認する。
「村人はこのままでは餓えてしまいます。私からも迅速な対応をお願いします」
「ええ。分かっております。明日にでも遣いをやりましょう」
表面上はにこやかに、領主は認めた。
まだ不安はあったが、これ以上は他領地への内政干渉になるとマリッタに袖を引っ張られ、アーラはそこまでにした。
「ご温情、まことに有難うございます。これで村が救われます……」
村長は地に付けんとする勢いで、頭を下げて礼を言った。
領主はそんな村長を一瞥すると、もう興味は無くなったとばかりに、視線を背後のアーラに移した。
「今日はこの街で一泊するのですか? でしたら是非、当館でおくつろぎ下さい。空き部屋も多くありますので」
好色そうな笑みを浮かべながら、領主は鼻息を荒くしてアーラに提案するが、
「いえ、先を急ぎますので、これで失礼させて頂きます」
「そんな事を仰らずに。是非」
「そのお言葉は大変あり難いのですが……申し訳ありません。急ぎの旅ですので、これで……」
アーラの意志が固いと見たのか、本当に残念そうに領主は溜息を吐いた。
それが、真の温情から来るものであれば良かったが、マリッタには下心が手に取るように見えていた。
拳を後ろ手に固く握り締めているアーラを必死に抑えながらも、自分の悪感情を面に出さないように必死だった。
「残念です……では、旅からのお帰りの時にでも、またお立ち寄り下さい」
「ええ。機会があれば、是非」
笑顔で言いながらも、そんな機会は二度とない、と、アーラは内心毒づいていた。
そうして、村への援助を取り付けた三人は、アーラとの別れを惜しむ領主に辞去を告げて、暇を持て余していたグラストス達と合流し、宿に戻ったのだった。
+++
アーラ達が去った後。
私室に戻ったアトキン侯爵は、呼び鈴を鳴らして、再び執事を呼び出した。
「……かの村の、税の払いについてはどうなっておる?」
「はっ。徴収には応じており、毎度の払いも滞った事はございません」
「税収はいかほどだ?」
「微々たる物でございます。なにぶん小さな村でございますので」
その答えに、侯爵は不満げな表情を貼り付ける。
「ふん……此度に援助を行うとして、それの返金についてはどれ程掛かる?」
「援助の規模にもよりますが。ギリギリまで絞り上げたとして、凡そ一、二年程かと」
自分の想像より長かったのか、アトキン侯爵は「ちっ」と舌打ちする。
そんな主人を見ながら、執事は淡々と言葉を足した。
「付け加えるなら、あの村は……『先のない村』でございます」
その言葉に、アトキン侯爵は口元に嘲笑を浮かべる。
「……ああ。そうであったか。ならば――――」
そして、執事に向けて村への最終通告を行った。
「……御意に」
対応を決めると、アトキン侯爵はもう話は終わったとばかりに、独りの世界に埋没し始めた。
退席する執事に目もくれることなく、ただ何かを夢想している。
その表情は下卑た笑いで覆われており、何か昏い情念を抱いているに違いなかった……。
***
「あ~~~~、やっと解放された!! あと半刻も居たら間違いなく私は発狂していたぞ!」
終止、領主の視線に晒され続けたアーラの精神的疲労は、限界に達していたようだ。
館を出て大通りに出るなり、歓喜の声を上げた。
領主と顔を合わせていないグラストスとリシャールには、その意味は分からなかった。
ただ、マリッタは「よく耐えました」と、珍しくアーラを褒めている。
何やら深刻なやり取りが行われていたらしい、と誤解したグラストス達は、的のずれた労いの言葉をアーラにかけていた。
「本当に有難うございます。援助を頂ける事になったのは、間違いなくアーラ様のお力のお陰でございます」
これで村人が救われると、責務を果たした達成感からか、村長は涙ながらにアーラに頭を下げる。
「いや。私は何もしていない。この結果は村長の訴えにより為ったものだ」
「そんな事はございませぬ!! 私は……」
あくまでアーラのお陰であると、村長は熱烈に語る。
感情が喜びを経て、興奮に変わったようだ。
そんな村長を暖かく見つめながら、一行は宿に戻った。
宿ではドレイクが既に宿屋の脇に馬車を止めており、必要な荷は馬車に積み終えた状態で、アーラ達を待っていた。
「その顔からすると、どうやら今度は上手くいったようですな」
アーラや村長の綻んだ顔を見て、ドレイクがニヤリと笑う。
それに頷き返しながら、
「では、この朗報を一刻も早く、村の皆に告げてやるが良い」
と、アーラは村長を村まで送っていく事を告げた。
村長はそこまでして頂く訳には……と、渋る素振りを見せたが、ここまでの付き合いでアーラが発言を曲げるような事はしないと学んでいたのか、やがて申し訳なさそうに頷いた。
他の面々も特に異論は無く、こうして一行はホモンの街を出ることになった。
***
行きと同じだけの時間を掛けて、一行の馬車は再び村まで戻った。
村の手前に馬車を止めて、村長を降ろす。
「我らは旅の続きがある故、ここで失礼する」
「はい。どうか旅の続きのご無事をお祈りしております。フォレスタからのお戻りの際は、どうかお立ち寄り下さい。残念ながらもてなしは満足には出来ないでしょうが……宿の提供くらいは出来ます。また、皆もそれを望む筈です」
自分の村に戻ったからか、元気を取り戻した村長は、くしゃくしゃの顔で頭を深く下げた。
「ああ、どの道フォレスタに行って戻るだけの旅路だ。必然的に帰りはこの村を通る事になろう」
それに、アーラは笑顔で返した。
「話では明日には援助の手が差し伸べられる筈だ。それまで頑張るが良い」
そう励ましの言葉をかけると、ドレイクが街で仕入れていた日持ちする食物の袋を村長に渡して、一行は旅を再開したのだった。