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The Left Arm Wars  作者: 過酸化水素水
【3章 生命の代償】
42/121

39: 出発

 

 文字通り一点の曇りなく、空には一面の青空が広がっている。

 まだ昼より一刻以上前という事もあって、日差しはそれほど強くなく、過ごしやすい気温だと言える。

 そんな中、ヴェラの操る荷馬車が屋敷前の坂下に到着した。

 この場には既にフォレスタに向かう要員全員の姿があり、いつでも出発できる状態だった。


 小さな家程もある帆が張られたその荷馬車は、ドーモンの騒動の際に囮として間道を走っていたものである。

 あの時、幸いにも破壊を免れたらしい。破損箇所は見られなかった。

 ただし、馬は二頭になっている。

 そこまで飛ばす必要はないので、それで十分という判断なのだろう。


 馬車を止め、御者台から降りたヴェラと入れ替わるように、ドレイクがそこに座る。

 ドレイクは筋肉隆々の大男と言うわけではないが、身体つきは逞しい。

 普通にしていれば、誰の目にも歴戦の騎士然として映るだろう。

 そんなドレイクは、袖の無い衣の上に軽鎧を身に着けている。

 左手だけに篭手を付けており、防具としてはそれだけが目立っていた。

 防具は特に上質の物ではなく、どこにでも売られているような代物で、ドレイクは余り装備に拘らない性質である事が分かる。


 だが、武器は明らかに異彩を放っていた。

 まず抜き身であるということ。鞘は存在しなかった。

 理由は剣を一目見れば明らかである。

 刃の長さは通常の長剣より少し短いくらいだったが、刃の厚さは通常のものの三倍はあろうかという程の太さで、剣身が厚い。

 まず折れないだろうという事が推測できる。

 斬るというよりも、叩き折る。

 それが目的の剣であることは間違いない。

 剣格は剣身の幅より少し出ている位だが、柄の長さも通常の物と比較して三倍以上あり、長剣と言うより、特殊な大剣と言うのが相応しいだろう。


 そんな大剣を背中に背負い、ドレイクは眠たそうに欠伸をしていた。

 一昨日から寝る間も惜しんで飲み続けていた為だった。

 それでも遅れずに合流してきた事は、流石に酒豪であると言える。

 ただもちろん、その行いはあまり褒められた事ではない。


「マリッタさん。どうかお嬢様を宜しくお願いします」

「あーー。はい。分かりました」

 続いて荷馬車に乗り込もうとしたマリッタに、ヴェラが丁寧に頭を下げる。

 マリッタはそれに頷いて応えると、さっさと帆の中に消えた。

 マリッタの格好は、袖が長く丈も長い黒い法衣で、腰の辺りを帯で締めている。

 つまり、いつも通りのギルド職員服であった。

 手荷物もドレイク同様何も持っておらず、必要なら途中の村や街で買えば良いと思っているのかもしれない。


 その後に、アーラの手荷物と食料が入った荷袋を抱えて、グラストスが乗り込む。

 ヴェラは特に声は掛けず、ただ静かに一礼しただけだった。

 グラストスも特に何も言わず、それに手を上げて応えた。

 グラストスは、つい先日まで行われていた市で冒険者風の布服を安く購入しており、今はそれを着ていた。

 薄い緑色で袖の長い上衣に、薄い茶色の下衣という出で立ちであり、安いだけあって当然ただの布服だった。


 左腕には例によって白い包帯が巻かれている。未だ骨折している為だ。

 その腰には『ジェニファー』が揺れている。

 他の二本も念の為に持っていくようで、アーラの荷を入れた後、それらの剣も運び込んでいた。


「では、ヴェラよ。後のことは任せたぞ」

 最後に、アーラがヴェラに声を掛ける。

 アーラの格好はいつもの格好とは少し異なっていたが、それでも男性用の服を着ているのは変わらなかった。

 蒼い装束に白い下衣を穿いているのは、色合い的にいつもと同じ様な服装である。

 今はその上から白色の薄い外套を羽織っていた。

 腰には『エリザベス』が、当然のように存在感を主張している。


 『後のこと』と、言葉にすれば一言だが、その内容はそれでは収まらない。

 屋敷の留守番。領主代行業。復興作業の指揮。

 そして――――二人組の後始末の事もある。


 ヴェラも当然その事は理解しており、「はい」とだけ答えた後、

「お嬢様。くれぐれも……くれぐれもお気をつけ下さいませ……」

 粛々と頭を下げた。

 ヴェラとしてはこちらの方が遥かに重要で、『後のこと』に関しては「そんな事よりも」と言いたげな様子である。

 どこか心配そうな、出来る事ならば付いていきたいと思っている……そんな目だった。


 グラストスの事をまだ警戒しているのだろうか、ともアーラは思ったがどうやらそんな感じではない。

 フォレスタまではそれほど遠い道のりではなく、今までも何度も訪れた事がある。

 ヴェラの態度は大袈裟だとアーラは思った。

 ――――しかし唐突に、そう言えばヴェラと離れて遠出するのは初めてだという事に気づいた。

 穏やかでも厳しい、常に冷静ないつものヴェラらしからぬ態度ではある。

 だが、アーラは不思議と温かい感情が胸に溢れた。


「心配するな。直ぐに戻る」

 優しく笑うアーラに、ヴェラは微かに目元を綻ばせた。

 アーラにしか分からない位の変化だったが。

 そして、ヴェラはいつもの表情に戻る。

「いってらっしゃいませ。お嬢様」

 再び一礼するヴェラの言葉を背に受けて、アーラは馬車に乗り込んだ。


「じゃ、出発しますぜ」

 全員馬車に乗り込んだのを見届けて、ドレイクが馬車の中に声を掛ける。

 ゆっくりと馬車が動き始める。

 馬車は歩くよりは少し速い、という程度の速度で街の大通りへ向かう。

 荷馬車の中から、徐々に遠ざかっていくヴェラの姿をアーラは暫く見つめていた。

 大通りを進んでその姿が見えなくなるまで、ヴェラはずっと元の位置で見送っていたのだった。



***



 馬車は街の外に伸びる街道の上を走っている。

 何となく感傷的になっているのか、アーラは静かだった。

 ドレイクは御者であるし、マリッタもグラストスは何も無い時に口を動かすほど多弁ではなかったので、必然的に荷馬車の中は静かなものだった。


 馬車の中はまだ多少広さに余裕があり、あと数名は乗せる事が出来るだろう。

 とはいえ、サルバのような大男がいた場合はその限りではないが……。

 ともかく、三人が手足を伸ばせるだけの広さは十分にあったので、三者三様に手足を投げ出して、遠ざかっていく街を静かに見つめていた。

 ――――だから、三人はほぼ同時に気づいた。

 何かが物凄い勢いで、街からこちらに向かって来ている事に。


 土煙を上げながら徐々に間を詰めてくるそれの正体を、最初に認識したのはマリッタだった。

 ハッと何かに気づいたように叫んだ。

「ドレイク! 急いで! 追っ手が来たわ!!」

「はぁ?」


 背後が見えていないドレイクは、「この馬車はいつの間に追われていたんだろう?」という様な疑問の声を上げる。

「いいから早く!」

 だが、マリッタの怒声に圧されたのか、「はいはい」と手綱を引いた。

 徐々に、馬車の速度が上がっていく。

「……おい、マリッタ。あれは……」

 グラストスがどこか呆れたように呟く。

 それを、マリッタは完全に無視した。


 追って来ていた何か――――人間は、馬車が速度を上げたのに気づいたらしい。

 悲痛な声で何かをしきりに叫び始めた。

「~~~~!?」

 いくら馬車と言えど、人が馬に敵うわけも無い。

 次第にその人物の姿は小さくなっていった――――のだが、このままでは追いつけない事を悟ったのか、突然猛烈な勢いで再び馬車に迫ってきた。

 みるみる馬車に近づいてくる。

 全力なのだろう。

 その人物は、見るに耐えない必死な表情をしていた。


「ちっ」

 マリッタが舌打ちすると同時に、その体が緑色の光を帯びる。

 魔法を使う気だ。

 マリッタの思惑が分かったグラストスは、その人物が死なない事を祈った。

 ただし、マリッタを止めようとはしない。


「諦めなっ!!」

 マリッタはそう叫ぶと、馬車の後ろから身を乗り出すようにして、対象の進路上に強い風を発生させた。

 ある地点を中心に、常人では歩く事が出来ないほどの強い風が上へ向かって放射状に巻き起こる。

 しかし、その人物はマリッタがそうするであろう事を読んでいた――――


「させるかああああああ!!」

 マリッタが魔法を放った直前に残り全ての力を振り絞り、グンと速度を上げた。

 つまり、強烈な向かい風になる筈の風を、自分の追い風にしようとしたのだ。

 果たして――――その策は成った。


 風に後押しされ急激に速度を上げたその人物は、その勢いを保持したまま跳躍すると、錐もみ状に馬車の中に飛び込んできた。

「ちょっ!?」

「ぐほああああっ!!」

 マリッタは驚きの声を挙げながら、それを間一髪躱す。

 が、その背後でのほほんとして推移を見守っていたグラストスは、その人物の体当たりを見事に喰らってしまった。

 挙句、その際に左腕を何処かにぶつけてしまい、声なき声を上げて激しくのた打ち回ることになった。


「リシャール。あまり無謀な事をするな。馬車が壊れたらどうするのだ」

 馬車の隅に居たため、被害を免れたアーラが少年をのんびりと嗜める。

 それに反応するように、リシャールはガバッと起き上がった。

「酷いですアーラ様!! どうして僕に声を掛けてくれないんですかっ!? ヴェラさんに偶然会わなかったら、置いていかれる所でしたよ!!」

 少年は泣きながら主張する。

 それにアーラは何か困った顔で答えようとしたが、その前にマリッタが怒鳴った。

「うるさい!! 遊びに行くんじゃないのよ! 何でお前を連れて行く必要がある!!」

「ぼ、僕だって、旅のお供くらい出来るよ!!」

 言い返す少年に、冷たい視線を送りながらマリッタは通告する。

「アンタ邪魔なのよ!」


「じゃ、じゃ…………ひ、酷いっ!? あんまりだ~~~~」

 マリッタの罵りに、一瞬呆然とした後、リシャールが号泣し出した。

 その泣き声に心底ウザそうな顔をして、マリッタはリシャールの首ねっこを掴んで、馬車の外に叩き出そうとする。

 だが、リシャールは痛みに苦しんでいるグラストスの体にしがみ付き、必死に抵抗していた。


 そこへ――――

「まあまあ、落ち着けマリッタ。そんな坊主でも居たら居たで、何かの役には立つさぁ」 

「ドレイク!?」

「ドレイクさん!!」

 御者台で事態を面白がって見ていたドレイクは、マリッタを宥めながら、リシャールを連れて行く事に賛同を示す。

 リシャールを不憫に思っているのではなく、その方が面白そうだと思っているに違いなかった。


「まあ、そうだな。人は多い方が楽しいだろう」

 続いて、アーラも賛同の意を示した。

 アーラが賛成するのであれば、マリッタが否を言える訳も無い。

 だからこそマリッタは、その言葉を聞く前に叩き出そうとしていたのだが……。


 マリッタは「はぁ」と溜息を吐くと、

「もし、護衛の邪魔したら、お嬢さんが何を言おうと叩き出すからな!」

 と、後ろ向きに、リシャールの同行を認めた。

「はい! 絶対に邪魔なんかしませんよ!!」

 その言葉を聞いて、泣き顔から一転。リシャールは笑顔で溌剌と答えた。

「うむ。頼りにしてるぞ」

 アーラがそう言って、ようやくこの場は収まった。



 いつの間にか、馬車は通常の速度に戻っている。

 パッカパッカと、蹄の音が聞える。

 空は快晴。

 旅の仲間が増えた為か、いつもの様子を取り戻したアーラにつられるように、馬車内は再び穏やかさを取り戻していた。


 どこからか、「ううぅ」という呻き声のような呟きが聞えてきていたが…………。

 それは、取るに足らないことであった。


 ともあれこうして、一行の短く、それでいて長い旅は始まったのだった。


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