33: 抵抗
グラストスがようやく辿り着いた場所は、街道から外れた所にある林の前の拓けた土地だった。
そこに、膝を折っているサルバと、うつ伏せで倒れこんでいるルードがいた。
二人の前方には、掌をサルバの方にかざしたままの黒ずくめの男と、布袋を足元に置いている長身の男が酷薄そうな表情を浮かべて立っている。
サルバの身体からはプスプスと微かな煙が昇っており、火の魔法を喰らったのだと推測できた。
膝を屈しているものの、まだサルバは戦いの意欲は失っていないようで、グラストスが近づいてきたのを見て、一瞬穏やかな笑み浮かべた。
「サルバ、無事か?」
「ああ。大丈夫だぞぉ」
「ルードは?」
「気を失ってるだけだぁ」
「そうか、それは良かった」
そんな簡単なやり取りをして、グラストスは男達を一瞥した。
そして、長身の男の足元にある布袋に視線を移す。
「……その子供を渡してくれないか?」
布袋をよく見ると、もぞもぞと蠢いている。
魔物の子供で、間違いないだろう。
そんな事はないとは分かってはいたつもりだったが、グラストスは最悪の事態を免れたのを目の当たりにして、安堵の吐息を漏らした。
これなら、あの巨大な魔物を何とか出来るかもしれない。
「ああぁ? 誰だてめえは? 寝言は寝て言え。苦労して持ってきたのを、何で手放さなきゃいけねえ?」
黒ずくめの男が、吐き捨てるように言った。
「……その子供の親が街を襲ってきているのを知っているか? このままじゃ被害がとんでもない事になる。頼むから子供を返してくれないか?」
グラストスの真摯な頼みには、男達は嘲るような笑みを返答とした。
「そうか……」
グラストスはゆっくりと腰の剣『ジェニファー』を抜く。
それを右手で構え、左手は邪魔にならないよう腰の位置に据えた。
「片手で俺達を相手にするつもりか?」
「ああ、お前達相手にはこれで十分だ」
グラストスの左腕には、白い包帯が巻かれている。
明らかに挑発と分かるが、それでもその返答に黒ずくめの男は苛立ちを見せた。
どうやら嘲るのは得意でも、侮られるのは不得意らしい。
それを悟り、グラストスはあえて、男に向けて薄笑いを浮かべた。
「……てめぇ、死にたいらしいな」
気炎を吐く黒ずくめの男より、多少冷静な長身の男は「落ち着け」と声をかける。
「こんな所で、時間を費やしている時間は無い。とっとと始末して向かうぞ」
「っせえな。分かってるよ」
男達は剣を構えた。
両者とも右手に剣を持ち、左手には触媒用の道具と思われる何かを握っている。
剣よりも魔法に重きを置くたちらしい。
でなければ、グラストスのような事情でもない限り、剣を片手だけで持つ訳が無い。
メイジには多い型で、そうでない者に多大な威力を発揮する型だったが、グラストスにはありがたかった。
片手持ちの剣で、両手持ちの剣の一撃を防ぐのは、大凡不可能だからだ。
とは言え、その代わりに魔法を使われると助かる、という訳でもない。
サルバの様子や、以前襲われた時の事を考えても、男達の属性が火であることは明白だった。
左手に持ったそれは、火を起す為の道具に違いない。
問題は、どのようにしてそれを防ぐかだった。
「……サルバ、いけるか?」
「ああ、いけるぞぉ」
グラストスの問いかけに、サルバがゆっくりと身を起こす。
そして、両刃の大斧を自分の盾にするように、ゆっくりと前に構えた。
当然、完全に大丈夫という訳ではないだろうが、今はそれでもサルバに働いてもらわなくてはいけない。
相手はメイジである。
二体一で、勝つことは難しい。
立ち位置から、自然と相対する敵が決まる。
グラストスは黒ずくめの方で、サルバは長身の男だった。
両者互いに、自分の敵を凝視していた。
そのまま場が硬直する。
だが、そんな状態を嫌ったのか、黒ずくめの男が一度舌打ちをした後、左手に持った道具に向けて剣の柄の先を叩きつけた。
ガキン、という音と共に、火花が発生する。
直後、両手で輪を作った程の大きさの球体を形作った炎が、グラストスに襲い掛かった。
「おらああっ!!」
その男の怒声を合図に、戦いの幕が切って下ろされた。
火球が真っ直ぐに、グラストスを襲う。
しかし、その攻撃を読んでいたグラストスは、横に転がる事で躱す事に成功する。
一転した勢いを利用して立ち上がり、黒ずくめとの間合いを詰めようとした。
二歩ほど進んだ所で、再び火球がグラストスに迫る。
何とかそれも、先程と同じように横に転がって躱す。
だが、グラストスが起き上がった時、黒ずくめの男の周囲には、火球が衛星の様に漂っていた。
触媒の用意が整ってしまったらしい。
いつの間にか男の左手は空いており、グラストスに向けて翳されている。
そして、一個の火球が放たれたのを皮切りに、炎が間断なくグラストスを襲い始めた。
この量では、攻撃することはおろか、近づく事もままならない。
グラストスは必死に逃げ回る。
「ぎゃはっはっはっは! 逃げ回れ逃げ回れ! 逃げ回って、死ねよっ!」
黒ずくめの男は、本当に楽しそうに哂いながら、グラストスに火球を放ち続ける。
その哂いを何とか黙らせたいと思っていたが、残念ながらグラストスにそんな余裕はなかった。
「ぐっ……」
地面を転げまわりながら直撃こそ避けているが、身を掠めたものは、既に数知れなかった。
今のグラストスの格好は、アーラに借りている布服の上下で、上着の袖は長い。
平素はその服に何の不満は無かったが、今は引火の恐れがある為、その長い袖が気になっていた。
なので、上着だけでも脱ぎ捨てたいとグラストスは考えていたが、残念ながら男はそんな隙を与えてくれなかった。
グラストスが劣勢の時に、サルバも遊んでいた訳ではない。
サルバもグラストスと同様に、火球の波状攻撃を受けていた。
斧を盾にしてそれを防ぎながら、何とか前に進もうとするが、常に距離を開けられて、一方的に攻撃され続けていた。
長身の男はサルバの体格見て、接近戦を嫌っているのだろう。
黒ずくめ以上に、炎の間断は狭い。
「また、ごれかぁ……」
サルバは悔しそうに呻く。
この攻撃をされると、魔法の使えないサルバには何も出来ないからだ。
ただ、救いもあった。
それは、グラストスが居るお陰で、火球が二つ同時に襲ってこない事である。
男達もそこそこの使い手だったが、それでも二つ同時に操るのは難しいのだろう。
しかし、だからといって、サルバにはこの状況をどうする事もできなかったが。
サルバはいっそのこと、炎を気にせず突っ込もうかとも考えたが――――
「……痛そおだなぁ」
倒れ伏すルードが視界に入り、それは最後の手段にしようと思い直した。
「どうした!? 逃げ回るだけかぁ!?」
黒ずくめは嘲笑しながらも、魔法の攻撃を止めようとしない。
グラストスにはサルバのような盾代わりになるものも無く、周囲に身を隠せるような遮蔽物も存在しない。
転げ廻るしか避ける手段が無く、その為体力の低下は著しかった。
額から流れる汗が飛び散り、地面を濡らしている。
そんな中、一滴の汗がグラストスの右目に侵入した。
反射で目を瞑ってしまう。
直ぐに開き直すが、その一瞬の隙を炎が襲った。
「はぁはぁはぁ……ぐっ」
間一髪躱した火球が、グラストスの髪の先を焼く。
熱さに顔を顰めながらも、必要以上に大きく避けたりはしなかった――――が、それが拙かったらしい。
躱した火球が、グラストスの真後ろで突然破裂した。
直撃でこそ無かったものの、至近距離での衝撃によって、グラストスは前に倒れこんでしまった。
背中に痛みを感じながらも、すぐさまグラストスが起き上がったところに、火球が迫る。
何とか躱そうとしゃがみ込むが、僅かに間に合わず左肩に直撃した。
「うあっ!!」
グラストスは、後ろに仰け反る。
そこに連続して追撃の火球がグラストスを襲った。
ボン、ボンッ、と胸、腹と立て続けに魔法を受ける。
「ぐあぁっ!!」
グラストスは衝撃で後ろに吹き飛ばされ、地面を数回転した後ようやく止まった。
転がったお陰で服に燃え移った火は消化できたが、さりとて痛みは大きい。
「グラストス!?」
その様子を見たサルバが思わず叫ぶ。
だが、その事が隙となり、すかさず長身の男が放った火球を防げず、剥き出しの足に魔法が命中する。
「ぐ、おぉ!」
堪らず地面に膝を付いたサルバに向かって、追い討ちをかけるように三度魔法が直撃した。
流石にサルバの巨体も後ろに吹き飛ばされ、そのまま地面に沈む。
手放してしまった斧が、サルバから離れた位置にクルクルと落下した。
そしてそれを、長身の男に抑えられてしまった。
そこで、唐突に炎の追撃が止む。
何故、攻撃の手を緩める必要が有るのか。
突然の事に戸惑ってはいたが、グラストスは痛む体をゆっくりと持ち上げ、片膝をついて剣を杖代わりに姿勢を起こした。
再び立ち上がったところで、サルバをチラリと伺う。
すると、サルバは四つん這いになって、何とか起き上がろうとしている所だった。
とりあえず無事な事が分かり、グラストスはそっと安堵した。
しかし、状況は最悪である。
サルバは武器を無くし、グラストスも立つのがやっとという有様だった。
そんなグラストスに、黒ずくめは何かに気づいたように声をかけてきた。
「……お前ら森に居た無能者か?」
森での事を、今思い出したらしい。
グラストスには忘れがたい記憶だったが、男達にとっては容易に忘れてしまう程度の、取るに足らない出来事だったようだ。
この男達の日頃の行動が推察できる。
無能者、という言葉に「そうだ」と返すのも卑屈だと思い、グラストスは黙ったまま男を見返した。
その視線を受けて、男は自分の考えが間違ってない事を悟ったようで、途端に気が削がれた視線をグラストスに送った。
「ちっ、どおりで塵臭え訳だ…………おいっ」
「……何だ」
「塵をこれ以上相手するのも大人気ねぇ。今なら見逃してやるから、とっとと消えろ」
思いもよらない言葉だった。
まさか、逃がしてくれるのだと言う。
グラストスは普段なら大人しく従っただろう。
今は自分達が為す術無くやられている。
勝てる見込みも低い。
更に、グラストスは争い――――特に人同士の争いは好むところではなかった。
――――だが、今は事情が違う。
「…………お前たちが、子供を渡してくれるなら、喜んでそれに従おう」
「諦めろ。俺は親切で言ってやってるんだぜ? 命を捨てるような真似をするのは、あまり褒められたもんじゃねえなぁ」
黒ずくめの男は、明らかにグラストスを見下しながら言った。
これまでの戦闘から、自分達の相手ではないと認識したのだろう。
それが少しばかり、男の心に余裕を与えているようだ。
グラストスがメイジではない、と思い至ったことも一因かもしれない。
それは決して正しくは無かったが、魔法の使い方を忘れている今のグラストスの場合、外れだとも言いがたい。
「……そこまで親切なら、子供を譲ってくれないか? その子がいないと困った事になるんだ」
痛みが全身を襲っていたが、それでも精一杯笑みを作りながら、グラストスは返事を返した。
「しつこいな。無理って言ってんだろ。コレを運べば俺達に大金が入る事になってるんだ。手放すわけねえだろうが!」
「おいっ!」
長身の男が、突然警告するような声を上げる。
それに黒ずくめの男はハッとしたような反応を見せたが、バツの悪そうな顔で唾を吐き捨てると、途端に苛立ったような視線をグラストスに向けた。
(運ぶ……? 魔物の子供を欲しがっている人間がいるって事か? しかも、大金という事はそれなりに裕福な者……)
グラストスは男達の言葉を反芻しながら考え込もうとするが、
「……最後通告だ。とっととここから消えろ。そうすれば見逃してやる」
男の言葉に思考を中断させられた。
確かに、今はそんな状況ではない。
それよりも、この場を乗り切る方法を考えなくてはいけなかった。
グラストスは魔法剣を使う事を決めていた。
それしか、局面を打開する方法は無い。
今使っている剣はアーラのものだったが、もう四の五の言っていらなかった。
それに、この状況下でならば、剣が壊れたとしても、アーラは理解してくれるだろう。
ただ、使い所はよく考えないといけない。
魔法剣用の剣ではない為、直ぐに駄目になってしまうのだ。
そうなれば、男達の相手は難しい。
持って二度。
グラストスはそう計算していた。
それまでに、男達を仕留めなくてはいけない。
それを考えると、この剣だけでは弱い。
(何か、他に…………!!)
そう思いながら視線だけで周囲を見回し――――あるものが視界に入ってきた。
「……分かった。言う通りにしよう」
「グ、グラストス!?」
グラストスの思わぬ返答に、サルバが驚愕の声を上げる。
サルバにとって、アーラの頼みを受けた、この任務は絶対だった。
アーラの頼みなら、命に代えても果たさなくてはいけない。そう思っているのだ。
その為、驚きの中にも咎めるような調子が含まれていた。
「はっ! なら、とっとと消えろ」
「ああ、分かった。だが教えてくれないか? お前達は何故あの魔物を欲するんだ? 他の魔物だって居るだろう? 今はまだ小さいようだが数年もすれば、あんな巨大な魔物になるんだ。飼うにしたって大変だ」
「それに答える必要はねえ、いいからさっさと失せろ!」
黒ずくめの男は、グラストスの問いに答えることを、頑なに拒否する。
先程の失言が頭に残っているようだ。
これ以上、事情を探るのは無理だろう。
「分かった……事情はもう聞かない。だが、最後にこれだけは教えてくれ」
そう男達に話しかけながら、グラストスはゆっくりとルードの元に向かう。
倒れたルードに横に膝を付いて、傷を見ながら言葉を続けた。
「お前達は、あの魔物に襲われて被害にあっている人達の事を、またはこれから被害にあうかもしれない人たちのことを、どう考えている?」
グラストスは男達の様子を伺うように目を細めた。
「ああぁ? 何でそんな事を俺らが気にしなくちゃいけねえ? 襲われるのは弱えのが悪ぃんだろ」
「これは仕事だ。他の事は知らないな」
男達はごく自然にそう答えた。
悪ぶっているのではない。
本当に、心からそう思っているのだ。
「おめえらぁ!!」
その返答に、怒りの咆哮を上げるサルバ尻目に、グラストスはただ頷いただけだった。
「……なるほど」
あの魔物ドーモンは、自分の子を取り返す為に暴れている。
一方この男達は、ただ己の欲の為に特に危険も無い魔物を襲って、なおかつ何の関係も無い人々を危険に晒している。
果たして、どちらが『魔物』と言えるのだろうか。
そこまで考えて、グラストスは以前、金目当てに『一角』を追い回した事を思い出す。
グラストスが追った訳ではないが、金の話を聞いて止めようと思わなかった時点で同罪だ。
(同じ穴のムジナか……)
自分が情けなく思え、思わず自嘲の笑みを浮かべた。
「もういいだろうが、さっさとその塵を連れて消えろ!!」
ぐずぐすしているグラストスを威嚇するように、黒ずくめの男の前の火球がどんどん大きくなっていく。
「ああ……分かった」
そう答えながら、グラストスは地面をグッと踏みしめて、足の具合を確かめる。
体は痛むが、まだ走るだけの力は残っていることが分かった。
ならば、もうこれ以上時間を稼ぐ必要は無い。
男達の顔を見るのも、もう苦痛だった。
そこで、グラストスは持っていた『ジェニファー』を、腰の鞘に収めた。
――――準備は整った。