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The Left Arm Wars  作者: 過酸化水素水
【2章 森林の巨獣】
35/121

32: 戦場

 

「後退しろ!! 一旦下がれ!!」

「いや、下がってどうする!? 攻撃を続けるんだ!!」


 誰が言葉を発したのか分からないくらい、入り乱れた自由騎士達の間で、怒号(どごう)が飛び交っている。

 一体自分が何を斬っているのか分からなくなるほど近づいて、巨大な魔物の足元を斬りつけていた勇敢な騎士も、そんな(まと)まりのない声に苛立ちを隠さず、何事か怒鳴り返していた。


 彼らが戦っている様子は、獲物に群がる(あり)の群れを見ているような光景だった。

 必死になって、魔物の足元に取り付いている。

 だが、この(騎士達)の攻撃は、この獲物には通じない。

 騎士達の攻撃に、魔物は何の痛痒(つうよう)も見せず、見向きもしないでひたすら家を破壊していた。

 時折、足に纏わり付く存在を払うように、地面を勢いよく踏み抜いていたが、幸いにも未だ巻き込まれた者はいなかった。

 ただ、その際の衝撃で吹き飛ばされたりして、軽傷を負っていない者は皆無という有様だった。

 


 魔物は、森から街まで続く間道の、中間辺りまで達しようとしていた。

 街に近づくにつれ農家の数は多くなっている為、魔物の移動速度は低下していたが、その分破壊される家々の被害は確実に増えていた。

 既に農民の避難は完了しており犠牲者は出ないものの、後の保障を考える必要があるアーラとしては頭の痛い光景でもある。

 ただそのお陰で、街への到達時間が稼げているのは、不幸中の幸いではあった。


 アーラは当初最前線に立つつもりだったが、それは周囲の騎士達に猛烈に反対された。

 心配している、という理由も確かにあるだろう。

 ただ、自由騎士達の本音からすれば、このような状況下では、足手纏いは一人でも減らしたいというのが一番の理由であるに違いない。

 そういう事情の為、今アーラは少し離れた間道上で、魔物の全体を捉えていた。


 この位置から出来る事は左程多くない。

 もし、魔法を使えるのであれば、遠距離からの攻撃には理想的な位置ではある。

 ただ残念な事に、アーラはメイジであるものの生憎(あいにく)な腕前の為、今は仕方なく同じく魔法の使えない騎士達と共に、自警団から借りた弓に矢を(つが)え、魔物に向けて放っていた。


 しかし、アーラは弓は使えるものの、あくまで一応扱えるという程度の腕だった。

 なので、狙った部分に矢を射る、などは及びも付かない事だが、今回は(まと)が鈍く巨大なので、アーラでも何とか援護射撃を行う事が出来ていた。

 とは言え、その身に届いた矢も、魔物の表面を覆う硬い皮膚に弾かれてしまっているのだが――――


 ただそれは、アーラの矢だけに限らず、魔物の足を斬りつけている騎士達も同様の話だった。

 硬すぎて刃が通らないのだ。

 それでも、慣れない弓の使用に指を擦り切らさせながら、少しでも足しになればと、アーラは先程から援護の手を止める事はなかった。



()らえ!!」

 アーラの少し前方でそんな掛け声と共に、魔法を放っている者達がいる。

 それぞれ、赤や緑や白の薄光を身に纏い、魔法で魔物を攻撃している。

 アーラが視線を引いて眺めると、そんな発光は魔物を取り囲むようにあちらこちらに点在していた。

 皆必死に魔法を使用していたが、それによる成果は全く得られていないようだった。

 魔物の動きは、まるで鈍っていない。


(このままでは(まず)いな……)

 アーラは手は動かしながらも、自分達の攻撃が全くドーモンに対して影響を与えていない事に焦り始めていた。

 このままでは、やがて街に達してしまう。

 それだけは、何としても防がなくてはならない。

 だが、その思いはアーラの胸に(くすぶ)るだけで、状況は硬直状態に(おちい)っていった。

 

+++


 事態が進展したのは、それから四半刻程経過した後だった。

 しかし、残念ながら好転ではなかった。


 仲間の後を追ってきたのか、目の前のドーモンよりも一回り小さい、片割れ(つがい)と思われる二頭目のドーモンが姿を現したのだ。

 まだ森から出たばかりで、この場所までは距離があるが、新たに現れたドーモンは真っ直ぐこちらに向かって来ていた。

 ドーモンは動きこそ鈍いが、巨体である為一歩は大きい。

 確実にその影を大きくしていった。


「ど、どうするんだ!?」

「二体同時なんて無理だぞ!!」

 騎士達は徐々に近づいてくるもう一頭に、絶望の声を上げ始めている。

 当然である。

 一頭だけでも足止めすら出来ないのだ。二頭目を対処するような余裕はない。

 自由騎士達の緊張が高まっていく。

 自然、ドーモンを攻撃する手も早まっていたが、そんなお座なりな攻撃で如何(どう)にか出来る相手ではない。

 そのまま騎士達の動揺だけを稼ぎながら時は過ぎ――――遂に二頭目が戦場に到達してしまった。


「うあああああああああ」

「駄目だ!! 下がれ!!」

 更に悪い事にその雌ドーモンは、人家にではなく雄に纏わり付く存在に対しての敵意を明らかにしていった。

 そう、雌ドーモンは騎士達を攻撃し始めたのだ。


 雄の足元の騎士達に向けて、二本の前足を高く(かか)げ思い切り踏みつける。

 ズゥン、という破砕音が戦場に響く。

 幸いにも直接巻き込まれた人間はいなかったが、その巨体から繰り出されたソレは、踏みしめた地面を陥没(かんぼつ)させ土石を巻き上げていた。

 そして、パラパラと騎士達の頭に土の雨を降らせている。


「くっ、(まず)い。皆下がるのだ!!」

 対象を雄から雌へと変えて矢を放ちながら、アーラは騎士達に向かって声を張り上げる。

 騎士達はその声に従った――――訳ではなく、己の生命の危機を感じ、(みずか)ら下がり始める。

 自分達を追いまわし始めた雌に向かって魔法を放ちながら後退している者も居たが、大半はただ逃げ惑っているだけだった。


 戦線は完全に瓦解(がかい)した。

 皆ワラワラと、間道を挟んで農家の反対側にある畑の中に逃げ込んでいた。

 休閑地であったことが幸いして、騎士達の逃亡を阻害(そがい)するものはなかったが、踏み荒らされた畑は無残な様を見せている。

 だが、命には代えられない。

 アーラ自身も畑の中に逃げ込みながら、必死に戦場を整え直そうと、声を上げ続けた。

 

 最初八十人余りいた騎士の数も、微妙に減っている。

 報酬は魅力だが命あってのもの種だと、この場を離脱(りだつ)した者がいるのだろう。

 まだ他の者達は逃げる事に必死で、その事には気づいていないようだったが、それも時間の問題だ。

 そして、それは戦場の壊滅を意味する。

 釣られて逃げ出す者が現れるに、違いないからである。

 これ以上人数が減るのは、物量的に厳しい。

 アーラは厳しい表情で、現状をそのように分析していた。


「姫さん! どうしやす!? 一旦、街付近まで後退しやすか!?」

 同じく状況を察知したのか、古参の騎士がアーラの下に駆け寄ってくる。

 最前線で戦っていたのだろう。全身が土に塗れている。

 ただ彼は息こそ荒かったが、未だその瞳の奥の闘志は消えていない。


 アーラはそんな勇敢な騎士に尊敬の念を抱きながらも、その言葉を検討する。

 皆の戦意も低下している。下がるのも悪い判断ではない。

 だが――――


「駄目だ。何とかここで食い止めるのだ」

「しかし、姫さん。実際問題、一度立て直さないと厳しいですぜ?」

 男の主張は、通常の場合は正しい。

 アーラもそうしたいのは山々なのだが、

「分かっている。だが、駄目だ。あの雌が付いてこないとも限らん。今のまま我々を襲い続けてくれればいいが、もし仮に街の中の者に狙いを変えられた場合、取り返しがつかん」

「そ、そうですか……ちっ、あの雌さえいなけりゃあ」

 男は雌を見ながら悔しそうに毒づいたが、アーラの言葉にそれ以上反論はしなかった。

 

「だが、確かにこのままではいけない……」

 逃げ惑う騎士達を見ながら、アーラは決断を余儀(よぎ)なくされていた。

 アーラの脳裏にグラストス達やマリッタの事が浮かぶ。

(早く戻ってきてくれ……) 


 今、どちらか一方でも役割を果たして戻ってきてくれるだけで、状況は間違いなく好転する。

 ただ、マリッタの方はどうしても、距離的制約がある。

 本来四日掛かる行程なのである。

 期待するのは難しいだろう。

 なので、アーラの期待は、どうしてもグラストス達に寄ってしまうのだった。



***



 戦線が崩壊しつつある中で、リシャールは奮戦するわけでもなく――――ただ、逃げ惑っていた。

(だ、駄目だよ。あんなのが二頭もいるんじゃ……)

 よほどこの場から逃げ出そうかとも思ったが、自分の少し後方の位置で、しきりに声を出している金髪の少女の姿を見ると、どうしてもそれが出来なかった。


 せめて、サルバでもこの場にいれば……と、少年は思う。

 普段あれほど一緒行動するのだけは嫌がっていたのにも拘らず、虫の良い話である。

 だが、それでも一人よりはずっと良かった。

 特に、こんな状況下では。


 ビリザドは狭い。

 周囲で必死に逃げ回っている自由騎士達のことも皆知らない仲ではなかったが、マリッタやサルバ程に親しい訳ではない。

 リシャールは、一人きりで逃げ回っているこの状況が耐えられなかった。

 知らず知らずの内に、涙が浮かぶ。

(うぅ……誰でも良いから何とかしてください~~~~)


 そんな事を考えていた所為(せい)か、

「リシャール!! そこから離れろ!!」

 リシャールは誰かが自分に向かって叫んだ事に、気づくのが遅れてしまった。


「はい?」

 リシャールは我に返り――――そして、青ざめる。

 雌のドーモンが、こちらに向かって突進してきていたのだ。

 慌てて逃げようとするが、動揺で上手く足が回らない。

「あ、ああ、ああああああああ」

 必死に逃げようとはしているのだが、その想いは足には伝達されず、そのまま無残に踏み潰されてしまう。



 ――――所だったが、先程の声の主に横抱えにされ、何とか魔物の進路上から逃れる事が出来た。



「あふ、あふっ、あ、あ、ありがとう……」

「馬鹿野郎! さっさと逃げろ! この愚図(ぐず)が!」

 そうリシャールに怒鳴りつけたのは、以前揉めた三人組の一人だった。


 名はウェイドと言い、キツイ目をした茶色の長髪が特徴である。

 ウェイドは、グラストスに同行したルードと同じく、傷ついた仲間の代わりにこの事態の責任を取ろうと躍起(やっき)になっていた。

 この戦場では常に最前線で戦っており、体中が土に(まみ)れ、怪我も身体のいたる所に見受けられた。


 ウェイドはリシャールをポイと乱暴に投げ捨てると、再び雌ドーモンを憎々しげに睨みつける。

「くそっ、調子に乗りやがって」

 そう呟くと、剣を構え雌ドーモンに向かって走っていった。

 その後姿を、呆然(ぼうぜん)と見つめるリシャールを、その場に残して。



***



 騎士達は完全に雌ドーモンに振り回され、多くは逃げ惑っていたが、中にはそれでも戦い続けている者達もいた。

 追ってくる雌に攻撃を加えている者、雌には構わずひたすら雄に張り付いて斬りつけている者。

 前者は、アーラを始めとする弓を使っている者達。

 後者は、古参の騎士達だった。


 両者ともに勇敢ではあったが、周りは全く見えていなかった。

 仕方ない事ではある。

 自由騎士とは本来、単独または数名の仲間だけで、魔物を狩るのを生業(なりわい)にしている。

 このような大勢での行動の経験など、滅多にあるものではなかったのだ。


 自由騎士達の中にも、以前騎士団に所属していた者はいた。

 その時は集団戦闘の訓練もしていたに違いないが、残念ながら端的(たんてき)に言って、皆下っ端に過ぎなかった。

 戦場を俯瞰(ふかん)して眺めることなど、出来る筈もない。

 アーラにしても戦場での陣頭(じんとう)指揮など()ったこともなく、怯えず戦い続けられている事だけでも、賞賛(しょうさん)に値するだろう。


 しかし、だからこそ、雄のドーモンがこの付近の農家を破壊しつくそうとしているのに、誰も気づかなかった。

 後数軒を破壊すれば、この付近に農家は無くなる。

 そうなれば、目標を失ったドーモンが何を標的にするのか。

 アルプト(運命を司る神)の恵みがあれば、かなり先から再び続いている農家へ向かうだろう。

 だが、反対にアマニ(生と死を司る神)見初められた場合、矛先が何に向かうのかは明らかだった。

 そうなれば、この場の騎士達の結末は決まっている。

 アマニは死を司る神でもあるのだ。

 

 刻一刻と近づくその時を、神だけが見つめている。

 そして――――最後の一軒が倒壊する音をもって、時は(むか)えられてしまった。



 ゴオオオオオオン。ゴオオオオオン。



 この場では場違いな音。銅鑼(どら)の音が、戦場に二度響き渡る。

 だが、もちろんこれは、アマニの審判の音ではなかった。


「何だ!? この音は!?」

「何の合図だ!?」

 突然の異音に、騎士達も皆戸惑いの表情を浮かべている。

 それはアーラも例外ではなかった。


「この鐘の音は、一体誰が…………」

 音の出所を探ろうと周囲を見渡して、探り当てた先には――――荷馬車があった。

 馬の数は三頭。

 その後ろに、帆を張った小さい家ほどはあろうかという貨物が(つな)がれている。


「あ、あれは!?」

 アーラはその馬車に見覚えがあった。

 それもその筈、あれは侯爵家が持つ最も大きな荷馬車だった。

 間道を何とかギリギリ通っている、そんな危なっかしい様子でなお、森に向かって爆走していた。

 皆の注目を集めたそれは、一度だけ速度を緩めて何かを下ろすと、再び全速で森に向かって走り出した。

 銅鑼を鳴らしながら、だが今度はゆっくりと。


 そして、荷馬車が下ろしたのは、一人の女だったようだ。

 その人物はアーラにはよく見慣れた、小間使い用の使用人服を着ていた。

 今、ビリザドでこの服を着ている人間は、一人しか居ない。

 ビリザド領主の末娘アーラの、世話役兼教育係であるヴェラだった。


「お嬢様。お待たせいたしました」

 ヴェラは雌ドーモンを警戒しながら、足早にアーラに近づいてくる。

「ヴェラ!? 何故ここに? それにあの荷馬車は、鐘は一体何の真似だ!?」

 矢次(やつぎ)に質問するアーラだったが、それに対する返答はヴェラの口からは発せられなかった。

 と言うより、聞かなくても良かった。


「おお! 雄が馬車に付いていっている!」

 騎士達が口々に驚きの声を上げている。

 その言葉通り、雄のドーモンが荷馬車に釣られてその後を追い始めたのだ。

 どうやら、荷馬車を家屋と誤認識しているようだ。

 興奮した様子で咆哮(ほうこう)を上げながら、再び森への道を戻っていく。

 

「あの魔物は、嗅覚と聴覚で対象を識別していると文献にありました。どうやら、確かだったようですね。これで一刻近く、時間が稼げます」

 その様子を見送って、ヴェラが淡々と告げる。

 確証もない行動だったことにアーラは唖然としたが、直ぐに気を取り直すと声早に尋ねた。

「し、しかしヴェラ。ドーモンはもう一体いるのだ。雌の方は釣られていないようだぞ?」

 雌ドーモンは銅鑼の音に反応は見せたものの、荷馬車が離れていくと再び騎士達を襲い始めていた。

 ヴェラの思惑が外れたのだと、アーラは思った。


 しかし、ヴェラはそんなアーラの考えの斜め上をいく。

「いえ、これで良いのです。雌に付いていかれる方が問題でした。どうやら我らには、アルプトの加護があるようです」

「どういう事だ?」

「はい。この間に、雌を仕留(しと)めましょうと、そういう事です。お嬢様」

 ヴェラはいつもの冷静な表情で、はっきりとそう告げた。


 そして、周囲の状況の一片も漏らさぬというような瞳で、周囲を見回す。

 (しばら)くそうした後、今度は雌のドーモンを観察するように見つめた。

 やがて、ヴェラは微かに一つ頷くと、呆然とするアーラに向けて(うやうや)しく言った。

「では、始めましょう」



 そうして、ヴェラの手による、自由騎士達の反攻が始まった。



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