26: 授業
7/23:中継基地までの距離を2日としていた所を4日に修正
ゆっくりと目を開くと、もう見慣れた天井が視界に映った。
(朝か……)
身体を起こして寝台から足を下ろし、寝台に腰掛ける形で暫し休む。
どうも身体がぎこちない。
昨日の疲れが取れていないようだった。
(まあ、無理もない……か)
昨日の出来事を思い返しながら、一度大きく伸びをする。
そして意を決して立ち上がると、寝台脇に置かれた革靴を履いて部屋を出た。
***
「おはようございます。グラストス様」
階下に下りると、淡々と家事業を行っているヴェラと遭遇する。
そのヴェラに促され、朝食を摂ることにした。
パンと卵を調理した簡素なものだったが、朝食として不満があろう筈もなかった。
(そろそろ、食事代くらいは支払わんとな……)
パクつきながらグラストスはそんな事を考えていた。
だが、実はまだ先立つ物……つまり資金はなかった。
先日の区分Cの依頼は、まだギルドに達成報告は行っていない。
それは、依頼を達成する際には、当然採取対物はギルドに提出する必要がある為だ。
だが、それではリシャールの因縁の相手への証拠が失われてしまう。
緊急性の低い依頼なので二十日は期間が設けられており、依頼失敗扱いにされる事は無かったが、その所為で資金が入ってこないと言う事にグラストスが気づいたのは、昨日寝る直前の事だった。
リシャールの問題の相手は、二十日後に戻ってくるという事なので、まだ十八日の余裕がある。
後一つ区分Cの依頼を受けるのは、もう少し後でもいいだろう。
(それまでは、小さな依頼をこなして小銭を稼ぐか……)
流石にそろそろ、一文無しな状態は辛かった。
と、そこで主人の姿が見えない事に気づく。
グラストスは、そんなことしなくて良いと言うのに「そんな無作法な事は出来ません」と、自分の食事中も脇に控えていたヴェラに尋ねた。
「そういえば、アーラ嬢はどうしたんだ? 姿が見えないが」
「お嬢様は、只今裏庭で授業中です」
「授業?」
グラストスは聞きなれない単語に首を傾げる。
「はい。お嬢様はマリッタさんから、定期的に魔法をお習いになられています」
「マリッタ……ああ」
そう言えばそんな事を言っていた。
疑問は氷解する。
(行ってみるか……)
食べ終わってヴェラに食事のお礼を言うと、グラストスは屋敷を出て裏庭に向かった。
***
空には白一つ無い、一面の青が広がっていた。
日の位置は高く、もう直ぐ真上に差し掛かろうかという所だった。
(朝だと思っていたが、どうやら思っていた以上に体は疲れていたらしい)
グラストスは自嘲しながら、ヴェラに対しての申し訳なさで溢れる。
先程の料理はまだ温かかった。
時間通り起きてこない自分のために態々作り直してくれたのだろうと、思い至った為だった。
裏庭からは、いつもの剣の鍛錬の時とは違い、何の声も聞えてこない。
それを不思議に思いながらも、グラストスは歩を進めた。
屋敷を回りこみ裏庭に着くと、前方に二人の姿が見受けられた。
授業ということだったが、マリッタはいつもと同じ服装だった。つまり、ギルド職員服だ。
案外気に入ってるのか? と思いながら隣のアーラに目をやると、こちらは以前森に行った時の服装だった。
だが、今日は『ポール』は携帯していないらしい。
徒手空拳で、合掌した姿勢で身動き一つしない。
どうやら、精神集中しているようだ。
よく見ると、アーラの前の地面に水桶が置かれている。
そこに張った水を、触媒にしているのだろう。
グラストスはそんなアーラの邪魔をしないように、気配を殺しながら二人に近づいていった。
が、ある程度近づいた所で、マリッタはグラストスの存在に気づいたようで、視線を向けてきた。
グラストスである事を確認すると、今は邪魔しないように、と目で制してくる。
それに頷き返して、グラストスは静かにマリッタの隣に並んだ。
ずっと固まっていたアーラが、唐突に声を上げる。
『水よ!!』
すると、水桶から掌に包み込める位の水が浮かび上がった。
宙に浮かび、白色の光に覆われたアーラの目の高さの位置まで上がったそれは、ゆっくりと回転しながら球体を形作ろうとする。
だが――――順調だったのもそこまでで、水の固まりはグニグニと形を変え、とても球体とは言えない形状を表したかと思うと、突然四散した。
ビチャビチャとアーラに水が降り注ぐ。
髪から水を滴らせながら、アーラはゆっくりと目を開いた。
「くそっ、また失敗だ……」
少し息を吐きながら、声を沈ませた調子で悪態を吐く。
と、そこで初めてグラストスが居るのに気づいたのか、途端に恥じているような苦笑いを浮かべた。
「いつから居たのだ……今の、見ていたか?」
「ああ、今きたばかりだ。その……惜しかったな」
言葉を濁すような口調で慰めるグラストスだったが、アーラは首を横に振った。
「いや、全然駄目だ。朝からやってて、未だ一度も水球にすら出来ていない」
「まあ、朝からぶっ通しでやってますし、一旦休憩しましょうか」
マリッタが提案する。
アーラもそれに同意して、三人は裏庭にある樹の木陰に移動した。
流石に疲れていたのか、アーラは木陰に入るなり幹にもたれ掛かる様に倒れこんだ。
無造作に両足を投げ出している格好からは、とても良家の子女であるとは思えない。
「やはり魔法は難しい……」
「コツさえ掴めれば、後ちょっとの所まで来ているんですけどね」
アーラの嘆きに、マリッタが慰めの声をかける。
だが実際、その言葉に嘘は無かった。
後一歩が足らないだけで、そこさえ埋まれば『水球』を思いのままに操作できるようになるのも直ぐだろう。
マリッタは自分の生徒の実力をそう見ていた。
ただ、その『水球』の先からはまた格段に大変なのだが……それは言わずが花だ。
「やはり、私は剣に生きるしかないらしい」
事実、アーラは魔法の才能には乏しかった。
本人もそれが分かっているのか、力なく笑う。
アーラは自分の剣の腕が上がる事を何より期待していが、それでも魔法の実力が上がる事を望んでいない訳ではない。
出来る事なら、魔法もせめてもう少しは使いこなせるようになりたいと思っていた。
アーラが気落ちしているのを感じ、グラストスは少し話題を換える事にした。
「そういえば、マリッタ。一つ聞きたい事があるんだが」
「何よ?」
「触媒用の道具抜きで、魔法を連続で放つ事は可能なのか?」
グラストスの頭には、昨日の男達の事があった。
あの男達は、一度だけ道具らしき物を使った後は、特にそれを使うことなく魔法を連続して放っていた。
それが気になっていたのだ。
「はぁ? 唐突に変な事聞いてくるわね……アンタ魔法に詳しいんじゃなかったの?」
「いやどうも俺は、基礎的な知識ならあるが、応用というか踏み込んだ知識には疎いらしい。或いは覚えていないだけなのかもしれないが……」
「使えないわねえ……まあいいわ」
呆れたように言った後マリッタは少し考え、
「条件付でなら、可能よ」
「条件?」
聞き返したのはアーラだ。
この話題に興味を持ったらしい。どうやら上手く気を逸らせた様だ。
「はい。まず一度普通に道具を用いて魔法を使った後、今度はその発動した魔法自体を触媒にすれば可能ってことです」
「なるほど……」
「そうしていく事で、体力の続く限り、連続で魔法を使い続ける事が出来ます。まあ、風魔法を使う場合はかえって不便なんだけど。火や水を使う場合には有効な技術です……というか、ある程度の実力者になると必須の技能でしょうね」
そこまで言うと、マリッタは立ち上がり水桶の前まで移動した。
二人に実演してみせるつもりらしい。
それが分かり、二人も崩していた体勢を起こしマリッタの挙動に見入った。
マリッタが目を閉じると、それと共に体が薄い白色の光を帯び始める。
その直後、水桶に入っている水が全て空中に浮かび上がった。
そこでマリッタは瞳を開き、一度パチンと指を鳴らす。
すると、浮かび上がった水が瞬時に綺麗な球体に形を変えた。
「「おお~~~」」
観客二人は、思わず声を上げる。
あまりの手際の良さに感心していたのだ。
そんな二人の様子に軽く笑うと、マリッタは二人の居る直ぐ傍にある樹に向かって水球を放った。
緩やかな速度で進んだソレは、幹に当たると四散した。
「うわっ」
驚いたのはアーラだ。
そんな所で弾けられては、樹の真下にいるアーラがずぶ濡れになるのは必死だからだ。
だが、それらの水滴はアーラに降り注ぐ前に宙に停止すると、再び一箇所に収束しやがて元の固まりに戻った。
そのままフヨフヨと水桶の上まで移動する。
再びマリッタが指を鳴らし、それは水桶に還った。
「とまあ、こんな感じなんだけど」
「大したものだな……」
グラストスは感心したように頷く。
「うむ。マリッタは私の師だからな!」
隣で何故かアーラが胸を張っていた。
もう先程の沈んだ様子は見られない。やはり根は単純な性格だった。
「そうだ、グラストスもマリッタに習ってはどうだ? 思い出せるかも知れんぞ?」
アーラが思い出したように提案する。
「え? ああ……そうだな……」
「ん? どういう事?」
事情が分からないマリッタに、グラストスは自分が魔法の使い方を忘れていることを説明した。
「あ~~~、そうね。記憶が無いってことは、確かにそうよね……」
「マリッタ、だからグラストスに少し指導してやってくれ」
納得したマリッタに、アーラが頼み込む。
だが――――
「あーーーすいません。それは無理です」
マリッタはすげなく断った。
ただ、それだけでは誤解を与えると考えたのか、マリッタは言葉を続ける。
「アタシが教えるのがシンドイとかそういう話ではなくて、アタシには無理なんです。アタシは『土』は使えませんから」
「そうなのか?」
グラストスは意外そうな声を上げる。
これまでマリッタの魔法の達者さを見ていたので、大抵の魔法はこなせるのだろうと勝手に思い込んでいたのだ。
「ええ。『土』以外なら少しは使えるんだけど……こればっかりは相性なんだろうね」
「だが、助言くらいは出来るのではないか?」
「いえ、お嬢さん。それも無理なんです。属性が違えば魔法発動させる為の手法というか、やり方は全く違うんです。変に他の属性のやり方を助言したりしたら、かえって混乱させる事にもなりかねません」
マリッタはめんどくさくてそう告げているのではない、という事は分かったのか、アーラは「そうか……残念だ」と言葉を漏らした。
アーラはただ土魔法を見たかっただけなのだが、マリッタはそんな事は分からない為、アーラを気にして仕方なく代案を挙げた。
「……あんまりお勧めはしないけど……アタシの魔法の師なら多分教られると思う」
「師? マリッタには師匠がいるのか?」
マリッタほどの使い手ならば、それはある意味当然だったが、まさかマリッタに、と想像が出来ずにグラストスは困惑の声を上げる。
師に付いて魔法を教わる性質だとは思えなかったのだ。
「まあ、ね……ともかくあの人なら教えられると思うから、街に戻ってきたら紹介してあげるわ」
「今は街に居ないのか?」
「ええ。あの人は基本的に『中継基地』に出ずっぱりだからね」
「中継基地?」
「ああ……中継基地ってのは、森の中にある小さな砦の事よ」
グラストスは驚いて尋ねる。
「あの森の中に、砦があるのか!?」
「ま、驚くわよね……そう。あの広大な森を探索するのに、いちいち街から挑むのは不便っていうことで、かなり昔にこの地の自由騎士達の手で築かれたって話よ」
ビリザドの自由騎士の逞しさに、グラストスは感嘆する。
「すごいな……一体どの辺りにあるんだ?」
「かなり奥よ。森を歩き慣れた人間で、四日かかる位の距離があるわ。初めて行く人なら倍かかってもおかしくないわ」
「しかし、そんな奥に行くとなると、かなり危険なんじゃないか?」
「その通り。せめて区分Bを達成できる人間でないと、生きて辿り着くのも厳しいでしょうね」
そんな依頼をこなせる人間が、何人もこの地にはいるというのか。
あのグレーターベア一体の討伐ですら、区分Cの割り当てだという話なのに。
そんなグラストスの呻きが伝わったのか、マリッタは悪戯っぽく微笑んだ。
「って言うのは、正規の道を通らなかった場合の話で、ちゃんと確立されてる道を通れば比較的安全なのよ。アンタでも十分行く事が出来るわ」
「そうだったのか……マリッタは行った事あるのか?」
「ええ。望む望まざるは関係なくね……」
グラストスの問いに、マリッタは疲れたように頷く。
マリッタは中継基地にいる師匠によって、今までに何度も何度も呼びつけられていたのだった。半ば無理やりに。
その所為か、そこまでの行程は、頭に叩き込まれてしまっている。
ちなみに、呼びつけれたその主だったる理由は、酒の運搬だった。
中継基地では、食物はその付近の獣や魔物を狩れば良い為問題なかったが、酒だけはどうしても無理なため、街に戻る必要があった。
マリッタはそれを面倒に思った師匠によって、何度も届けさせられていたのだ。
そんな過去を思い出し、マリッタは一度深い溜息を吐いた。
「ただ、あそこに行く事は出来ても、あそこで生活できる人間は限られているわ」
「どうして…………そうか、食事か」
その付近の獣や魔物を狩れば良いとはいえ、その付近に居るのは凶暴な奴ばかりだろう。
当然、生活していく上で、狩りの腕が要求されるとグラストスは考えた。
「そうね、それもある」
マリッタはグラストスの答えに、一つ頷く。
だが、その口ぶりからは、それだけではないということが伺えた。
「あの場所では、規則っていうのが何よりも大事なのよ。特に身分の上下があるわけじゃない。皆が対等な立場にいるわけだから、それを守る事を何より求められるわ。あそこはそういう世界なの」
「なるほど、確かにそれは重要だな」
「良い世界だ」
理解を見せるグラストスの隣で、ずっと黙っていたアーラが羨ましそうに頷いている。
身分で何かと区別されるアーラには、皆が対等という考え方が素晴らしい事だと思えたのだ。
「まあそういう訳で、あそこでは規則を乱す行動をとる人間が何より嫌われるの。傭兵被れの人間なんて、直ぐに追い出されるでしょうね」
マリッタはそう続けた後で、「だから街に質の悪い人間が集まるのだけど」と溜息交じりの台詞を最後に結んだ。
「じゃあ、そろそろ再開しましょうか」
マリッタの合図に、アーラが気炎を上げる。
「今度こそ成功させてやる。私は最終的には『竜』を使いこなす予定なのだからな! 絶対に出来る筈だ!」
「お嬢さん。熱くなっちゃいけませんって、心を静めるんですよ!」
「任せろ!!」
何も分かってない様子のアーラに、何度も助言を与えるマリッタ。
そんな二人の姿を遠巻きに眺めながら、グラストスが怪我から目覚めて以来、最も穏やかな一日が過ぎていった。