20: 登録
昼少し前のギルドは、それほど混んではいなかった。
自由騎士は朝が弱い者が多いのだろうか。
酒場や大衆食堂での騒ぎを思い出しながら、グラストスはそんな事を考えていた。
周囲を見回していたアーラが、何かに気づいたように一点を見定め歩いていく。
その視線の先を追うと、少しツリ目気味の目を眠たそうにしている受付の女性の姿があった。
ズンズン近づいてくる少女の姿に気づいたのか、マリッタは笑顔を向ける。
そして、奥に居た職員に何事かを告げると、受付を出てアーラに話しかけた。
「いらっしゃい。教会には、もう行って来たんですか?」
「ああ、行って来たぞ」
「そうですか。じゃあ、奥でギルド登録の手続きをしましょうか」
マリッタは二人を先導し、受付の横にある小部屋に連れて行った。
***
小部屋の中にある受付の中にまわりこんで、二人に椅子に腰掛けるよう指示した後、自分も椅子に腰を下ろと、ふと思い出したようにマリッタは尋ねた。
「あ、そういえば、リシャールに会いませんでした?」
「ん? いや今日は見てないぞ」
アーラはそう答え、グラストスにも目で問いかける。
「ああ。見てないが、リシャールがどうかしたのか?」
「いや……ならいいや。別に大した事じゃないし。じゃあ、登録手続きを始めようか」
マリッタはリシャールの事等どうでもいいとばかりに言葉を濁すと、奥の戸棚の中から二枚の皮紙を取り出し、グラストスの前と自分の前に一枚ずつ置いた。
「その下の空欄部分に、登録名……自分の名前を書いて」
そう言って、羽ペンと墨の入った容器ををグラストスに差し出した。
言われたままにグラストスは名前を書こうとして、固まった。
「俺の本名は分からないんだが、今の名前でもいいのか?」
「あー……そうだったわね。んーーまあ良いんじゃない?」
相変わらず適当なマリッタに、不安げな気持ちが湧き上がった。
とりあえず言われた通りにする。
グラストスは自分の名前の綴りをアーラに確認しながら、紙に名前を記入した。
「じゃ、次に幾つか質問するから、それに答えて」
「分かった」
マリッタは手元の紙に視線を落としながら、事務的に質問を始める。
「年齢は?」
「不明だ」
「出身地は?」
「不明だ」
「兄弟は?」
「不明だ」
「両親の名前」
「不明だ」
「ギルド前の職業」
「不明だ」
「……他の領地のギルドに登録した事は?」
「不明だ」
「………魔物の討伐経験は?」
「不明だが、この前の魔物を数に入れるのなら、少なくとも四匹以上だ」
「…………魔法の指導を受けた経験の有無と、有る場合は師の名前」
「不明だ」
ここで――――限界に達したマリッタが、ドンと机に拳を叩きつけてグラストスに怒鳴りつけた。
「いい加減にしな!! 不明ばっかじゃないっ!! 嘗めてんの!?」
「仕方ないだろ!! 記憶がないんだから!」
不毛なやり取りだった。
「ちっ、じゃあアタシが適当に埋めるよ? それでもいいのね?」
「……ああ、そうしておいてくれ」
グラストスが諦めたように頷くと、手元の紙の空欄をマリッタが適当に埋め始めた。
『適当に』と言うだけあって本当に適当だったのだが、残念な事にグラストスは見ていなかった。
ちなみに、兄弟は十人居る事になっていた。
そうして、今までの箇所を埋め終わると、マリッタは再び質問を開始した。
「じゃあ、アンタの魔法の属性は?」
「土だった」
マリッタは、へぇ、と少し驚きながら手元の紙にその情報を記載する。
「土か…………このギルドでも土の人間はそんなに多くないのよ」
「やはり、そうなのか」
「熟練者なら、色々重宝がられるわよ?」
「…………」
急に黙りこんだグラストスに訝しげな目を向け、ちらりとアーラを見たマリッタだったが、こちらも何か気まずそうにしているのを見て首を傾げた。
「……最後の質問よ。特記事項を書くんだけど……魔法剣って書いとく? その方が何かと便利よ? 『限定依頼』が受けれるかもだし」
「限定依頼? 何だそれは?」
聞きなれない単語に、アーラが反応した。
「『限定依頼』っていうのは、例えば『魔法剣』を持った人でないと受けられない、って言う特殊な依頼の事です。まあ、魔法剣の限定依頼は他のに比べたら少ないですけど、それでも全くない訳じゃないんで」
「普通の依頼のものとは何か違うのか?」
「まず、難易度が異なります。一応、限定依頼もそれぞれの区分で分けられるんですが、その際は『区分AA』『区分CC』といった表記で明確に区別されます。通常のものより一区分は上の依頼だと思ってた方が良いでしょう」
「報酬額は?」
これはグラストス。
自由騎士になる目的上、グラストスに最も重要なのは報酬金だった。
「当然、同じ区分の依頼よりは、段違いに高いわ」
マリッタは例として、以前行われた『区分BB』での魔法剣の限定依頼の報酬額を二人に教えた。
その額には、二人は声も出なかった。
一個人が得る報酬としては、破格の額だったからだ。
自分に区分Bが達成出来るとは思っていないが、これなら区分Dのモノでも十分な報酬額が見込めるだろう。
そう考えたグラストスは、マリッタに記載をお願いした。
魔法剣用の剣を手にいれた後で、受けるようにすれば良いという判断だった。
しかし、この時マリッタはある重要な決まりを端折っていた。
当然、そんな事は知らないグラストスが、それを怒りと共に知る事になるのは、まだ少し先の話だった。
「じゃあ、これで登録は終わりよ。これでアンタは晴れて、ビリザドの自由騎士に成ったわ」
「もうか? こんな手続きだけで成れるのか……ならば私も……」
「駄目です」
羨ましさが多分に含まれたアーラの呟きには、きっぱりとマリッタが否を突きつけた。
シュンと沈むアーラに苦笑いしながら、グラストスもマリッタに質問する。
「本当にこれだけで成れるものなのか?」
その言葉の裏には、知り合いだからマリッタが特別に計らってくれたのではないか、という思いがある。
「ああ確かに、本来なら実力を測るために、調査員を同行しての自由騎士の登録試験が行われるんだけど……」
「それは、俺は受けなくて良いのか?」
「その試験って、わりと簡単なのよ。グレーターベアを相手取れるなら、まず問題なく達成できる程度の」
「だが、調査員を同行していなくてはいけないんじゃ……ああ、なるほど」
グラストスは目の前の人物を見て、納得する。
「アタシが調査員の資格を持ってて良かったわね。感謝なさい」
マリッタは胸を反らす様にして、妖艶に微笑む。
普段の粗雑な振る舞いからは想像つかないが、マリッタはこれでもビリザドのギルド員としてはかなり優秀な職員だった。
受付等の事務作業が主要な仕事であるものの、請われれば調査員として自由騎士達に同行し、魔法も水準以上に使用できるという。その容姿とも相まって自由騎士の間でも人気のギルド員だった。
ただ、本人が面倒臭がりな為、請われても中々首を縦に振らなかったが。
マリッタはグラストスの情報が書かれた皮紙を戸棚にしまうと、再び席に腰を下ろして言った。
「じゃ、最後に注意事項を簡単に説明するわ」
「……そういうのは、最初にするものじゃないのか?」
その通りで、本来は念入りな諸注意を行ってから、登録作業に入るのが普通である。
ただ、マリッタは相手が知り合いだと言う事もあり、完全に怠けていた。
残念ながら、憮然としたグラストスの言葉は、耳に入らなかったようだ。
そのまま、淀みなくマリッタの話は続く。
「細々としたのは色々あるけど……大雑把に二つだけ」
「大雑把にはするなよ……」
「まず一点」
無視だった。
「この前も言ったかもだけど、『火』を安易に使うなという事。あ、もちろん森での依頼の話ね。水場の近くや命の危機なんかの場合には仕方ないと認められるけど、それでもあまり良い顔はされないわ」
良質で丈夫な大森林の樹木は、他の領地でも重宝がられている。
その為、木材の輸出はビリザドの主要産業だった。
もし万が一、森が火事で焼け払われた場合、ビリザドは領地として存続できなくなる程の打撃を受ける事になる。
なのでこの地の領民、そしてここに根付く自由騎士は、何よりもそれを警戒しているのだ。
「……ああ、それはもちろん了解している」
「当然だ」
グラストスの肯定の声に、アーラが強く頷く。
この地の領主の娘であるアーラにとっても、それは無関係の決まりごとではないのだ。
「もう一点は、報酬金についてよ」
ギルドの依頼は、大きく分けて二つに分類される。
それは、『採取』と『討伐』である。
『採取』とは、ギルドにて指定されたモノを実際にギルドまで持ち帰る事で達成したと見なされる依頼で、植物から魔物の牙など、指定されるものは様々だった。
『討伐』は、その名の通り魔物を討伐する依頼である。
だが、自己申告では信憑性がないため、その折にはギルドから調査員が同行する事になっていた。
そして、この二つ目の注意は、その調査員の事が大きく絡んでいた。
調査員はあくまで、ギルドから派遣されて、依頼を受けた自由騎士達が討伐するのを確認するのが仕事である。
しかし、実際問題として、ただ確認するだけではいられない事の方が多い。
魔物に囲まれた場合などは、自由騎士達と肩を並べて戦わないと、己の命も危険だからである。
その為、討伐の依頼にはギルドからの仲介料だけでなく、調査員派遣料というのが差し引かれることになっていた。
同行するだけで済んだ場合、奮戦する事になった場合、変わらず一定割合である。
が、この事が往々として金銭騒動の元になっているのだった。
またその事を盾にして、調査員に戦闘を強いる自由騎士も少なくなかった。
この二つ目の注意事項は、そのような事を行わないように、予め規定に納得しなさい、という話だった。
――――のだが、マリッタの話は徐々に脱線していき、最近の自由騎士の質の悪さに話は飛んでいった。
かなり鬱憤が溜まっているのか、その弁は熱い。
「わ、分かった。分かった。そ、そうだ。ちなみに、割合はどれくらいなんだ?」
この前のマリッタの働きを見知っていたので、グラストスは注意事項に異論は無かったが、念のために確認する。
話を逸らしているとも言える。
「……調査員料は一割よ。滅多に無いけど、ギルドからの依頼の場合は仲介料は無し。ただ民間からの依頼の場合、仲介料として二割貰う。で、それらによる端数はそっち側にいくわ」
「多くて三割か……了解した」
「そ。じゃ、あと細かい話は、この紙に目を通しておいて」
マリッタはそう言って、グラストスに数枚の紙を手渡した。
その紙には、細々とした注意事項が記載されているようだった。
グラストスはそれを軽く眺めている内に、ある事に気づいていた。
それは、自分が字の読み書きを普通に出来るらしい、という事だった。
まあ、だから何という訳ではなかったが。
「で、どうすんの? 早速何か依頼を受けていくの? 依頼を受けたいのなら、この建物の横にある『掲示板』に依頼案件の紙が貼られているから、そこで探しなさい。受けたいのが見つかったら、それを受付で申告すれば手続きできるわ」
「ああ……そうだな……」
グラストスはどうしようか迷った。
自分の折れた左腕と相談した結果、区分Eのものならば一人でも大丈夫だろうと結論付け、「受けようと思う」と口を開こうとしたが――――
その言葉は小部屋の扉を破壊するかのように、蹴り開いた人物が立てた音によって遮られてしまった。
グラストスは振り向かずとも、もう何となくその人物が誰なのか分かっていた。
数瞬後、やはりその考えが正しかった事を知る。
「グラストスさ~~~~~~~~~ん、助けてくださ~~~~~~~~~~~~い!!」
(今度は自分か……)
グラストスは湧き上がるほどの嫌な予感を、抑える事が出来なかった…………。