17: 武器屋
グラストスとサルバは、死に物狂いで森への入り口まで辿り着くと、両手両足を投げ出して倒れこんだ。
荒い息を繰り返し、とても言葉は発せそうにない。
羽音は暫く前から聞こえなくなっていたのだが、かといって足を止めることは出来なかった。
ともかく少しでも遠くへ。その一心で、ここまで走り続けたのだった。
もう当分両足は歩く事以外に使いたくないと、グラストスは心底思っていた。
ふと違和感があり視線を腋に移すと、小指ほどの大きさの鋭利な棘が上着を刺しぬいていた。
グラストスは何かと思い摘み上げ、ようやくそれが何か悟る。
先程の蜂の針だった。
いつの間にか取り付かれて、刺されていたらしい。
ただ、運良く脇下を貫くに止まっていた為、事なきを得ていたようだ。
その針を見ながら、改めてゾッとするグラストスだった。
「……仕方ない。破片の回収は諦めよう」
呼吸が定まってきたグラストスは、呻くように言った。
今現場に戻るのは自殺行為ということもあったが、グラストスの方で再び向かう気力が湧かなかったのだ。
「おおぉ。そうだなぁ」
サルバは申し訳無さそうに…………はしておらず、笑顔でその言葉に頷いた。
その様子にグラストスはピクリと眉間が反応した。
しかし、サルバは自分には関係無い事に手伝ってくれたんだ、と思い直し平静を保った。
そうして二人は、つい一刻前に通ったばかりの道を再び戻り始めた。
***
「とりあえず、武器屋に行ってみたらどうだぁ?」
という道中のサルバの提案に従い、グラストスは街に戻ると早速武器屋に向かった。
以前ヴェラに説明にあったように、魔法剣用の剣という希少なものがこんな辺境にあると期待してはいなかったので、あくまで念の為に過ぎなかったが。
武器屋は大通りの中心にある十字路から、北側に伸びた通りに面するように建っていた。
言い換えると、サルバの家のある鍛冶屋へ伸びる山道への入り口付近にあった。
この立地は、武器屋は鍛冶屋のお得意様であり、武器を卸すのに都合の良いその場所に建てられたらしいと、サルバは説明する。
「では、サルバは武器屋の主人と親しい仲なのか?」
「ああぁ。おっさんは親父と古い馴染みでなぁ。おっさんは一人身だから、俺は餓鬼ん頃から可愛がられてたもんだぁ」
サルバは照れくさそうに、短髪をボリボリと掻く。
「なるほど。ならば、その誼を頼らせてもらうとするか」
情けない限りだが、グラストスは金を持っていない。
これから稼ぐにしろ、剣の値は安ければ安いほど助かる。
本格的にギルドの依頼をこなす為には、剣だけではなく防具も必要なのだ。
なので恥も外聞も無く、使える物は何でも使うつもりだった。
ようするに、サルバを頼って値引きして貰おうとしていた。
その思惑が分かったのか、ドンと胸を叩きながらサルバは豪語する。
「がはははぁ。俺に任せておけぇ!」
+++
「駄目に決まってるだろうが!!」
武器屋の主人はそう叫んだ後、拳骨でサルバの頭を殴ろうとした。
が、届かない事を悟り、近くにあった長剣の鞘でサルバを殴りつけた。
「いでぇ!」
外れかけた看板に出迎えられ中に入ると、薄暗い店内は、十人も入れば身動きが取れなくなる程度の広さだった。
周囲の壁に立掛けるように所狭しと剣や槍、盾や鎧などが置かれている。
手入れはキチンとされているのか、汚い店内と比べて、品物は綺麗な光沢を放っていた。
中々良質なものが取り揃えられているようだ。が、店内の雰囲気からするとあまり繁盛していないのではないか、とグラストスは思った。
事実、繁盛していなかった。
結論から言うと、グラストスの求めていた剣は置いていた。
見かけは、普通の鉄剣と何も変わらない。
違いが有るとすれば、その鞘に僅かに特徴的な紋様が刻まれているくらいだった。
何か意味があり気な紋様だったが、その実、それには何の効力もないという。
ただ、魔法剣用の剣だということを判別させる為の仕組みらしい。
自分の持っていた剣はどうだったか、とグラストスは思い返したが……無理だった。
そこまで意識して見ていなかった。
何故こんな希少なものが置いていたかと言うと、何のことは無い。自由騎士が売りに来たということだった。
その騎士はこの剣をあまり活用する機会は無かったらしく、惜しみなく手離したそうだ。
剣の状態は非常に良く、新品の剣と殆ど遜色ない。
だが中古品だった。
それならば、旧知の仲でただで譲ってくれ、とサルバが頼んだ事に対する回答が、先程の店主の行動であった。
「確かに中古品だが、魔法剣用の剣なんて滅多に手に入るもんじゃねえ。状態も良いし、パウルース銀貨五十枚で出すと言っても、決して暴論じゃねぇぞ」
「ぎ、銀貨五十枚!!? おっさん、それはボリ過ぎじゃねえかぁ?」
サルバは頭を擦っていた手を止め、驚愕の声を上げた。
サルバの驚きも当然だった。
この大陸における銀貨の等級はソルベニアのものが最も高く、その次にパウルース銀貨が続いている。
銀含有量も高く、商人の間でもかなりの信用がおかれている銀貨である。
そのパウルース銀貨の価値がどれほどのものかというと、自分の家を持っていて且つ一人身であれば、それ一枚で六日、切り詰めれば十日は生活できるというものなのだ。
つまり銀貨五十枚というのは、独身ならば一年近くの年月を生活できるほどの金額だ。
そんな金をポンと出せるのは、貴族……それも力のある貴族か、商売の繁盛している商人、一部の腕の立つ自由騎士くらいだった。
一本の剣に銀貨五十枚とは、尋常な額ではなかった。
なおパウルース銅貨の等級は銀貨のものと同じだったが、パウルース金貨の等級は低かった。
それはパウルース国内の金山では、ほんの僅かしか金が採掘できない為だった。
しかも、純度もそれほど高くない。
その為、この国では主に銀貨での取引が行われている。
「まあ、今のは少し言い過ぎたが、それ位でもおかしくねえっつう代物だってことよ」
「……では、一体幾らなんだ?」
恐る恐るグラストスは尋ねた。
「パウルース銀貨三十枚だな」
太い指を三本立てながら、店主が渋い顔で言った。
「お、おっさん~~~~」
サルバの声には、どうにかならないか、という響きがある。
だが店主は首を横に振るだけだった。
「これでも、大分勉強してるんだぜ? おめえの連れなんだしな。これ以上まけたら俺が破産しちまわぁ」
「三十か……」
困ったような顔の店主の言葉に嘘は無さそうだと判断したグラストスは、ハァと溜息を吐いた。
昨日のリシャールの依頼は、区分Dで報酬はパウルース銅貨八枚だったらしい。
まあ、区分Dの中でも最安値の報酬額だったそうだが。
銀貨三十枚を稼ぐには、一体何回依頼をこなせばいいのか、グラストスには想像もつかなかった。
ともかく、一度ギルドに行ってみる必要があることだけは分かった。
「しかし、この剣を欲しがるっつうことは、アンタは魔法剣の使い手なのかい?」
店主の問いに、グラストスは自嘲気味な笑いを浮かべる。
「どうやら、そうらしい」
自覚は無いので、どうしてもそういう言い方になる。
またグラストスには、『魔法剣』という存在に対する知識はあったが、実質的な知識は無かった。
もしかしたら元々は精通していたのかもしれない。
ただそれは、自分の事柄に密接に関する事だったのか、他の記憶と共にすっかり失われていた。
実は魔法剣を使うには特別な調整を行った剣が必要という話も、ヴェラに聞くまでは知らなかったくらいだ。
ただ魔法剣を使用する際の感覚は、昨日のことで何となく掴めていた。
どうこうすればどうなる、と言う理論的な説明は出来ない。が、もう一度試したら出来そうな気がしていた。
頭ではなく、身体に染み付いているのだろう。
恐らく、記憶を失う前の自分は、よほど魔法剣に頼っていたのだと思われた。
「……では店主、今日はこれで帰るよ。金を貯めないとどうしようもないしな」
これ以上ここに居ても仕方ないと判断したグラストスは、店主に別れを告げて店を後にした。
「じゃあ、おっさんまたなぁ」
「おう。てめぇの親父に、偶には顔出せっつっといてくれ」
「わかっだぁ」
サルバも店主に別れを告げ、グラストスの後に続いた。
二人の姿を見送った後、店主はポツリと呟いた。
「しっかし、魔法剣なんて非効率的なもんに、何で態々手を出すのかねぇ? まあ、買い手が居ないと困るから、俺としてはその方が良いんだがな……」