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The Left Arm Wars  作者: 過酸化水素水
【2章 森林の巨獣】
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13: 獣

【2章 森林の巨獣】 

 

 父上様へ。


 父上様が旅立たれてから、既に二十日余りが経過しておりますが、如何(いかが)お過ごしでしょうか。

 父上様に置かれましては、新たな地にあっても、さぞかしご活躍ことと思われます。

 

 さて、この度お手紙を差し上げさせて頂いたのは、近況報告の為です。

 今現在、父上様は恐らく、お忙しい毎日をお過ごしになられていると推測されますが、どうしてもお伝えしておきたい事柄があり、筆を取らせていただきました。


 どうやら私は、間もなく天上(ヴァルハラ)へ召される事になりそうです。

 父上様へのご恩返しも出来ない、親不孝な愚息(ぐそく)で大変申し訳ありません。

 その折は、幼少時分父上様に教えて頂いた、南の空の星の一つとなって、父上様の御身(おんみ)を見守らせて頂くことにします。


 では、最後になりましたが、父上様はどうかご自愛(じあい)なさいますよう、お願い申し上げ……ブク。



***



「ここはもう駄目だ! とっとと逃げるぞ!!」

「だ、だから嫌だったんですよ~~~~」

 鬱蒼(うっそう)()(しげ)る草木を()き分けるように、なりふり構わず一目散に逃げる。そんな二人の姿が森の中にあった。

 一人は青年、一人はまだ少年だ。


「急げリシャール!!」

「うわあああああああああん」

 男の叱咤に泣きながら答えたのは、少年自由騎士のリシャールだった。

 そして、その少し前方を必死に走る、左腕に白い包帯を巻いている男は、他でもない。記憶をなくし、今はビリザドの侯爵家で世話になっているグラストスである。


 グラストスの精悍(せいかん)な顔も、リシャールの美少女と見紛う程の整った顔立ちも、今は見る影もなく歪んでおり、体中が泥にまみれている。

 そんな二人は荒い呼吸を繰り返しながら、ただただ生き延びようと懸命に足を進めていた。



 彼らは、果たして何から逃げているのか。

 その答えは、その直ぐ後からやってきた。


「き、来た、来たぞ!!」

「うわああああああああああああああ!!」

 二人が叫んだその直後、二人が掻き分けて進む茂みを踏み潰し(・・・・・・・・)ながら、一頭の獣が飛び出してくる。

 それは、小さな家程の大きさはある巨大な獣だった。

 その獣こそが、二人の生命を脅かそうとしている相手であり、二人の今回の『依頼』の対象でもあった。


「はぁはぁ、くそっ! あの野郎、でたらめを教えやがって!!」

 普段は温厚(おんこう)なグラストスも、今ばかりはそんな顔はかなぐり捨てていた。

「そ、そうですよ!! ぜ、全部、アイツの所為(せい)ですよ!」

 ここぞとばかりに、リシャールはここには居ない人間に責任を押し付ける。

 だが――――


「…………確かに、誤情報を俺達に伝えたのは、アイツの所為だが、そもそもコイツに追われているのは、誰の所為だ!?」

 当然、グラストスに突っ込まれる。

 その言葉通り、今二人を追っている獣に見つかったのは、リシャールが敵を目の前にして悲鳴を上げたからだった。

 それが、脇目(わきめ)も振らずに、二人を押しつぶさんと言わんばかりに、獣が物凄い勢いで追ってきていることに繋がっていた。


「……そ、そんなことより、ど、どうします!? このままじゃ、直ぐに、追いつかれますよ」

 明らかに話を()らそうとしている。

 ただ、グラストスはその事については何も言わなかった。そんな場合ではないからだ。

 もちろん、後で必ずこの事は追求すると、心に決めていたが。


「そう、だな…………ん? あれは!?」

 グラストスが何かに気づいたように、前方に視線を送った。

 釣られてリシャールもその方向を見つめる。


 視線の先には、手を大きく振りながら何かをしきりに訴えている一人の大柄な男が居た。

 その右手は、奥を指し示している。どうやら奥に逃げ込めと言っているようだ。

 二人はこれまでの経験から一抹(いちまつ)の不安が脳裏(のうり)を過ぎったが、今はそれに頼る他はない。

 

「こっちだぁ! この奥に隠れろぉ!!」

 大男は野太い声で叫ぶと、ドタドタとそのまま奥に消えた。

 二人は顔を見合わせ一つ頷き合うと、背後の獣を()くように直角に方向転換し、大男の後を追った。

 暗い自然の草木で作られた隧道(ずいどう)を抜けると、その先に広がっていたのは小さな泉だった。

 その泉に、大男は躊躇(ためら)いもなく飛び込んだ。

 小さな泉だが、それなりの深さはあるらしい。大男の姿がすっぽりと隠れている。


 この中で獣をやり過ごそうということか、グラストスは男の真意を悟る。

 一瞬迷いはあったものの、他に策は無い。仕方無しにその後に続いた。

 ドボン、と泉が音を立てる。

 リシャールのものか。(わず)かに遅れてもう一つ音がする。

 

 泉の中はかなり透明度が高く、互いの顔がよく見通せた。どの顔も無様な表情である。

 ただそれぞれが持っている得物が重しになっているのか、無様に浮かび上がる事は免れていた。

 三人はそのまま水中から、地上の様子を(うかが)う。


 唐突(とうとつ)に巨大な影が泉にかかった。

 深い森の中だったが、この泉の真上だけは木々が無く、空が(おが)めていた。

 そこから零れ落ちる陽の光を、獣の巨体が(さえぎ)っているのだ。

 獣はクンクンと鼻をひくつかせながら、泉の周囲を警戒するようにうろついている。

 今まで追っていた相手の臭いが突然消失した事に、戸惑っているようだった。


 三人はそんな獣の様子を、水中でジッと耐えながら伺っていた。

 ただし、一つだけ大きな誤算(ごさん)があった。

 当然な話だが、人間は水中で呼吸が出来るようには出来ていない。


 加えて、残り香でも嗅いでいるのか、獣は中々泉の(そば)を離れようとしない。

 真っ先に苦しみ始めたのは、リシャールだった。ブクブクと、口から空気を漏らしながらもがき始める。

 やがて耐えきれなくなったのか、リシャールは体をバタつかせて水面に顔を出そうとする。

 だが、それはグラストスと大男に体を押さえ込まれた。

 リシャールは水中で、もう無理だ、と首を振って二人に懇願(こんがん)する。

 他の二人も、まだ駄目だもう少し耐えてくれ、と首を振る。

 男三人が森の中の小さな泉の中で首を振り合っているという、訳の分からない状況だった。


 実際にはそれからほんの僅かな時間だけだったが、グラストス達にはとてつもなく長く感じられた時が経過する。

 その後にようやく泉にかかっていた影が消え、外の光が水中に差し込み始めた。


 流石に我慢の限界に達していたので、我先(われさき)にと水面に顔を出す。

 水辺(みずべ)に上がり、獣がいない事を確認すると、そのままぐったりと倒れこんだ。

「はぁはぁはぁ……」

「はぁはぁ、ごはっ、み、水飲んじまったぁ……」

 グラストスは、息も絶え絶えに呼吸を繰り返す。

 大男は涙を流しながら嗚咽(おえつ)していた。


「はぁはぁ……はぁ。どうやら、撒いた、ようだな……」

 グラストスには、大男に言いたい事が山ほどあった。

 ただ今はそんな気力は湧かず、荒呼吸を繰り返すだけだった。

「あ、ああ、そうみだいだなぁ」

 大男は何度も深呼吸をして、ようやく落ちつきを取り戻していた。

 ゆっくりと起き上がると、グラストスに向き直る。

「どうして、失敗したんだぁ!? 俺が言った通りやらんかったんかぁ!?」

 その声には(とが)めの響きがあった。


 流石(さすが)のグラストスも、これにはカチンとくる。

 息を整えると、大声で怒鳴りつけた。

「何言ってるんだ!! お前の情報が間違ってたからだろうが!! 何が『猪は真っ直ぐしか走れねえから、跳躍(ちょうやく)は出来ねぇ』だ! 穴を軽々と超えてったぞ!?」


 先程の獣の正体は巨大な猪だった。

 最近ここらの木こりの活動を邪魔するという事で、魔物ではないのにも関わらず、ギルドに討伐依頼が出されていたのだ。

 中には襲われて大怪我をしたものも居るという。

 緊急性は高いものだと判断された為、ギルドの区分はC、が付けられていた。


 目撃談によればかなり大きいと言う事だったが、所詮(しょせん)は獣。魔物ではないと(あなど)った大男によってもたらされた依頼だった。

 獣に依頼が出されるという異例の事態の上、報酬はかなり良いのにもかかわらず他の自由騎士達が誰も受諾(じゅだく)していなかった。

 グラストスとリシャールはその事を気にしていたが、大男が「俺に策があるんぁ」と自信満々だった為、それを信じたのがそもそもの間違いだった。


 それにようやく気づいたのは、大男の『穴を掘ってそこに落とせば、猪は抜け出せねぇ』捕獲作戦が瓦解(がかい)した時だった。

 紆余曲折(うよきょくせつ)を経て、猪を何とか穴に落とすことには成功したものの、グラストス達が一晩かけて掘った穴を、軽々と飛び抜けたのだ。

 その時は、色々な意味で崩れ落ちそうになったグラストスであった。



「大体、あの大きさは何だ!? お前の話と全然違うじゃないか!!」

「うぐっ。そ、それはだなぁ……」

 大男はいい加減な猪の情報をグラストス達に告げていた。

 実際は、グラストスが聞いていた大きさとは、二倍以上の開きがあった。もちろん実物の方が大きかったのだ。

 掘った穴から抜け出されたのも当然と言える。

 

「お前、ちゃんと下調べしていないだろ!?」

「む、むぅ……」

 今回の依頼の事前調査は、この大男に一任されていた。というより、寧ろ彼ガ自ら率先してやったのだ。

 であるのにもかかわらず、情報は間違いだらけだった。

 グラストスの怒りも無理からぬ事だろう。


「しかも、大事な時に持ち場を離れて!」

「そ、それは急に便意が……」

 大男は猪を穴に落とすのに失敗した場合。その時の保険として仕掛けていた罠の場所に待機することになっていた。

 だが、作戦が失敗し、いざグラストスとリシャールがその場所に猪を連れていくと、大男の姿はそこには無く…………。

 死にそうになったその理由が、便意によるものだったとは全く笑えない。


「……はぁ。リシャール、黙ってないでお前も何か言ってやれ」

 グラストスは怒り疲れた表情で(うつむ)きながら、リシャールに話を振った。


 しかし、一向に返事がない。

 グラストスは奇妙に思って顔を上げる。

 そして、気付く。リシャールの姿がどこにも見当たらない。

「あれ? リシャールはどこだ?」

「ん? あぁ? 本当だ。偵察にでも行ったかなぁ?」

 大男も指摘されて始めて気付いたのか、のんびりと周囲を見回し始めた。

 そのまま二人で池の周囲を探していると、ふと、グラストスの視界の隅にちらりと映り込むものがあった。気になってそちらに目を向ける。


 そこには何故か(おだ)やかな顔をしたリシャールが泉に沈んでいた。

 右手はまるで筆でも掴んでいる様に軽く握られている。



「……うわっ!! リシャール!! リシャールが沈んでる!!」

「な、何で、上がってこねえんだぁ?」

「違う! 溺れてるんだ!! 急げ、(まず)いぞ!!」

 腰にかけた剣が重みになって、水上に浮かばないのだろう。

 グラストスは、再び泉の中に身を投げることになったのだった。


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