11: 魔法剣
2010/07/04 木の棒を拾って戦っていた所を『鞘』で戦うように修正しました。
虚空を、一直線に風が奔る。
緑がかった光を体に纏っているマリッタが伸ばした手の先から、周囲の外気を巻き込むように渦を描きながらのびるソレは、グレーターベアに避ける暇を与えず――――僅かに掠めて通り過ぎていった。
「は、外した?」
グラストスが呻いたその直後。
まるで魔物の巨体がその風に引き込まれるように持ち上がったかと思うと、回転しながら勢いよく後方に吹き飛んでいった。
その勢いは凄まじく、まだ樹齢の若い木などは物ともせずになぎ倒していく。
どこまでも続くように見えたそれは、大木の幹に叩きつけられてようやく止まった。
風の渦は、そのまま木々を貫きながらどこまでも伸びて、やがて薄っすらと消えていった。
そして、ベチャリと、何かがグラストスの頭上の地面に落ちる。
グラストスは疲労した体を押し上げるように起き上がり、それを確認する。
肩辺りだろうか、魔法により抉られた魔物の肉片だった。
グラストスは遠くに倒れている、ピクリとも動かない魔物の姿を見て、ようやくホッと安堵の息を吐いた。
柄だけの剣を持ったまま、マリッタの元に向かう。
歩くたびに体は痛んだが、命があるからこそ感じられる事でもある。
今だけは、その痛みにも感謝したいくらいだった。
マリッタの周囲を覆っていた光は既に消えており、地面に崩れ落ちるようにしゃがみ込み、荒い呼吸を繰り返していた。
「大丈夫か?」
グラストスは、マリッタの手を取り助け起こすと、称賛の声を投げ掛けた。
「今の魔法、凄い威力だったな……風魔法か? まあ何にせよお陰で助かった」
だが、それにマリッタが返した言葉は、謙遜でも自慢でもなく、
「……逃げ、なさい」
という、言葉だった。
一瞬、グラストスは何を言われたのか分からず固まった。
その意味を理解すると、慌てて倒れている筈の魔物の方向を見やった。
魔物は既に起き上がっており、怒り狂ったように爪を振り回し、辺りの樹に当り散らしていた。
そして、あの赤い目をこちらに向けたかと思うと、猛然と走り寄って来た。
進路上の樹に何度も体をぶつけている。
だが、まるで気にすることなく向かってくるその様からは、魔物の怒り具合が伺い知れる。
「くっ、拙い!! マリッタ早くここから離れろ!」
グラストスは柄だけの剣を投げ捨て、代わりに鞘を手に取りながらマリッタに叫ぶ。
「いや、アンタが逃げなさい……アタシはまだ当分、走れそうにない」
諦めたような言葉の中に、恐怖の色を忍ばせてマリッタは呟いた。
「……くそっ」
グラストスは舌打ちする。
徐々に迫ってくる魔物の形をした『死』に対しての恐怖からか、ズキズキと頭が痛んだ。
それでも、グラストスは『生』を諦めず、鞘を正眼に構える。
こんなものでは、あの魔物の攻撃は一撃ともたない。
それは分かっていながらも、グラストスは生きる意志を捨てることは出来なかった。
それはグラストスの弱さであり、強さでもあった。
「どれだけもつか分からないが……時間を稼ぐ。その間に何とかして逃げろ」
マリッタにそう言い捨てるように告げると、返答を待たずに魔物に向かって駆け出した。
「うおおおおおおおおおおおおおおお」
自分を鼓舞する雄たけびを上げながら、グラストスは奔る。
ここで先程のような樹の後ろに隠れる戦法を取れば、間違いなくこの魔物はそのままマリッタを襲う。真っ向からぶつかる以外ないのだ。
グラストスと魔物。
互いに全力で突き進み、激突の直前、魔物が片手を振り上げグラストスに振り下ろす。
それはグラストスの皮一枚剥いだだけで、そのまま地面を抉った。
半身となってその凶爪を躱したグラストスは、勢いそのままに魔物の喉元目掛けて、思い切り突きを放った。
魔物は重い一撃を受けて、僅かに仰け反る。
更に畳み掛けようとしたグラストスの攻撃は、魔物が仰け反りながらも振るったもう片方のなぎ払いによって、中断させられる事となった。
抉れた肩の方だった為か、まともに受けた割りに怪我はない。
ただ足を払われる形になり、グラストスは大きく体勢を崩してしまう。
再び持ち直した頃には、魔物の鋭爪が間近に差し迫っていた。
奇跡的な反応で何とかそれを鞘で防いだが、そのままへし折られて、グラストス自身もその勢いに飛ばされ、背後の樹に背中から叩きつけられた。
「がはっ」
体中の空気が呻きと共に吐き出される。
ゆっくりと地面に崩れ落ちた。
魔物はそんなグラストスに咆哮を上げながら近づくと、再び大きく爪を振り上げる。
(これまでか……)
グラストスは覚悟を決めて、己に迫る凶爪を静かに見上げた。
マリッタは必死に魔法を放とうとしているが、先程の魔法の疲労が尾を引いて、それも叶わない。
その懸命さを嘲笑うかのように魔物が雄叫びを上げ、爪を振り下ろそうとした、その時。
横手から駆け込んできた影が、そのがら空きの胴を薙いだ。
魔物が斬り裂かれた腹の痛みで、苦悶の声を上げる。
が、それでも倒すまでにはいかず、魔物は自分の腹を斬り裂いた目の前の相手を噛み砕こうと牙を剥く。
思わず固まった乱入者だったが、再び現れた小さな影が何事か叫びながら、魔物を袈裟斬りにした。
これには堪らず、魔物はドウと地に付し、のた打ち回った。
その隙にグラストスは身を起こし、魔物との間をあけた。
そして、闖入者達を見て、目を大きく見開く。
そこには肩で息をしながら魔物を警戒する、アーラとリシャールの姿があった。
「お前達!? 何故ここに!?」
「お、お嬢さん!? 何で戻ってきたんですっ!?」
マリッタとグラストスの声が重なる。
両者の声には驚きと、それ以上の怒りの響きがあった。
折角逃げられたのに、何故命を捨てるような真似をするのか、と。
「はぁはぁ……」
リシャールは二人の言葉に声を返す余裕がなく、ただ荒い息を繰り返す。
心肺の疲労もあったが、それ以上に魔物と敵対した恐怖からの消耗だった。
アーラは二人の怒りを察したのか、「すまない」と一言だけ詫びてから、
「あの魔物を倒そう」
と、告げた。
開いた口が塞がらないとは、正にこの事だった。
二人とも二の句が告げないのか、口から漏れる声は言葉にならなかった。
そんな二人を尻目に、アーラは魔物に向かって剣を構える。
「あの魔物も、大分傷ついているではないか。これならば逃げる為に戦うより、倒そうと思い決めて戦う方が良い」
「ば、馬鹿な事言わないで! まだ間に合うから、早く逃げて下さい!! リシャール、アンタもよ!! お嬢さんを連れて逃げなさい!!」
マリッタがやっとの思いで紡いだ言葉は、アーラの決意を翻すものにはならなかった。
「私はもう逃げん!」
既に魔物は起き上がり、激しい怒りの目をこちらに向けている。
あまりの怒りからか、口元は唾液でまみれ、泡を吹いていた。
魔物の肩口や腹からは止めどなく血が溢れ、真下の地面を濡らしている。
その視線を体全体で受け止め、まるでグラストスとマリッタを護るように立ち塞がりアーラは叫んだ。
「民を助けるのは、領地を治める主の娘としての務めだ!」
自分の言葉で己を奮い立たせているのか、グラストスはその小さな背中に不退転の意志を感じた。
二人はそんなアーラに圧倒され、呆けたようにその後姿を見つめる。
ただ、それでもマリッタは我に返り、お嬢様の暴走を止めようと声を掛けようとした。
気合を入れたところで、剣の腕が著しく上達するわけではない。
どう考えても、アーラにあの魔物の相手は不可能だからだ。
しかし、マリッタの思い虚しく、その前に魔物が襲い掛かってきた。
アーラが応戦しようと剣を上段に構えるが、僅かに遅い。
振り下ろした剣は魔物の体に届く事はなく、魔物の爪に弾かれるだけに終わった。
そして、煩わしそうに振り払われる。
負傷して尚その力は凄まじく、線の細いアーラの体は軽々と弾き飛ばされた。
「うぐっ」
その手に持っていた剣がアーラの手を離れクルクルと宙を舞い、地面に突き刺さった。
「アーラ!!」
「お嬢さん!!」
更に、倒れたアーラに魔物が迫る。
だがそれは、奇声と共に斬撃を繰り出したリシャールによって何とか止められた。
「うわあああああああああああああ」
ただ、その剣の振りは稚拙としか言いようがない程、無様である。
剣を振り回しているだけで、型などあったものではない。
隙だらけで、そのままでは魔物にやられるのも時間の問題だった。
その窮地はグラストスが救う。
アーラの剣を拾い上げてリシャールの援護に回ったことで、両方の戦いは拮抗する。
グラストスの加勢によって、リシャールも落ち着きを取り戻す。
どちらかを狙った魔物の攻撃を、狙われていないもう片方が機先を制して邪魔をする。という具合に、致命傷こそ与えられないものの、攻撃を受ける事もないように立ち回った。
マリッタも、こうなれば自分の役割は悟っている。
すかさず、再び魔法の集中を行い始めた。
今は、守るべき対象がいる。
体力は失っていたが、その集中度合いは先程とは比較にならなかった。
遂に、
「ああああああっ!」
リシャールの剣が魔物の大腿部を捉え、体勢を崩させることに成功する。
すかさず、グラストスも後に続こうとしたが、
「二人とも退きなさいっ!」
という、マリッタの叫びに追撃を止めた。
そして、それぞれ別の方向に跳躍する。
『竜巻!!』
間髪続いて、荒れ狂う暴風がマリッタの手から放出された。
先程のものより、更に大きな渦を巻くそれは、間の木々に大きな風穴をあけながら、倒れ伏す魔物に迫った。
確実にこれは直撃する。これで終わりだ。
皆がそれを疑わなかった。
だが――――
魔物は魔法が放たれるや否や、満足に動く残りの足で地面を叩きつけるように蹴り上げると、大きく跳躍し頭上の樹にへばり付いた。
魔物のその位置では、魔法の直撃を受ける事はない。
魔物もアレだけは喰らってはいけない事を、身をもって学習していたのだ。
瞬間、絶望がマリッタの脳裏をよぎる。
魔法をこれ以上使用するのは無理だった。
リシャールも、驚愕の表情でその様子を捉える。
一瞬でも安堵して抜けた気は、再び戻すことは難しい。
アーラも顔を思い切り顰めた。
そして、グラストスはその後の結末を想起して――――無意識に体が動いていた。
「おおおおおおおおおおおっ」
グラストスは敵のいない虚空を貫くだけだった筈の、魔法の奔流の進路を邪魔するように、持っていた剣の刃を差し出した。
そんな事をしても何も変わりはしない。
風は剣を破壊して、そのまま突き進むだけだ。
やがて、魔法はそのまま剣に激突し――――
「なっ!?」
マリッタの口から驚愕の声が漏れた。
声こそ上げないものの、アーラとリシャールも同じ気持ちだった。
剣を貫く筈だった風は、剣に触れると同時に、まるで吸い込まれるように一瞬でその効果を消してしまった。
最初からそこには何も無かったかのように。
その直後、グラストスの剣が強烈な緑色の光を発し始める。
更にその剣からは、グラストスの髪を逆立てるほど風が吹き出していた。
グラストスはそれをそのまま下段に構え、今にも飛び掛ってこようとしているグレーターベアに向かって――――思い切り斬り上げた。
グラストスからは魔物の位置は遠く、直接剣が届く筈もない。
だが、その代わりに剣先からは、荒れ狂う渦を巻く風の奔流が放出された。
虚空を奔るその風は、反応できなかった魔物の頭から尻までを貫く。
問答無用で魔物の体を弾けさせると、光を遮っている森の天井に風穴をあけて、青い空へと消えていった。
「まさか…………」
呟きは、果たして誰のものだったのか。
グラストスの振り上げた剣の刃が、拓かれた天井から降り注ぐ陽の光を帯びて、鋭い煌めきを放っていた。