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The Left Arm Wars  作者: 過酸化水素水
【1章 辺境の自由騎士】
12/121

9: 命

 

 突然の背後からの大声に、三人はその声の指示に従うことなく何事かと振り返った。

 そして、固まる。


 視線の先にその獰猛な牙を剥いて、こちらをまるで品定めするように眺めている魔物の姿があった。

 二足立ちで、全身が長い体毛で覆われており、赤く細い目がその隙間から覗いている。

 自分の方が強い事を表しているのか、大きく両腕を広げており、その四肢はアーラの腰回りより一回り以上太い。

 大きな肢の先には強靭そうな爪が伸びている。

 まともに受けたら人間など紙の様に切り裂かれる事だろう。


 皆、この魔物が先程まで相手にしていた敵とは比較にならない存在である事を瞬時に悟った。

 好戦的なアーラですら、応戦するという選択肢は思い浮かばないようだ。

 リシャールは既に涙目で、ガチガチと歯を噛み合わせる音が絶えることなく鳴っていた。

 マリッタも、呆然と立ち尽くしてしまっている。

 木々の隙間から僅かに漏れる光が、まだ日は高い位置にあることを告げていた。

 それなのに何故こんな凶暴な魔物がこの辺りにいるのか。どうして接近に気づかなかったのか。と考え込んでしまったのだ。


 グラストスは剣を抜いて目の前の敵へ威嚇を続けながら、動こうとしない三人に向かって再度怒鳴りつける。

「何をしている! 早く逃げろ!!」

 そんなグラストスの叱咤に最初に立ち直ったのは、やはりマリッタだった。

 

 アーラを逃がす事。

 今は何よりそれを優先すべきだと思い至ったのだ。

 やるべき事が決まると、動きは早かった。

 即座に身を翻して、アーラの腕を掴む。


「お嬢さん、逃げるんです!! 早く!!」

 至近距離からの大声でようやく我を取り戻したアーラは、マリッタを穴が開くほど見つめる。

「だ、だが……」

 何事か言いながらアーラが見つめる先には、一人必死に魔物を威嚇しているグラストスの姿があった。自分だけ先に逃げるのは、恥ずべき事だとアーラは思った。


「急いで!! お嬢さんが先に逃げないと、皆逃げられません!! 早くしないと全員アイツに殺られちゃいますよ!!

 マリッタの怒声とも言える進言を聞いて、苦渋の表情の中に理解の色を瞳に浮かべて、アーラは頷く。

「リシャール! 行くぞ!!」

 震えて動かないリシャールの腕を掴むと、アーラは森の外に向かって全力で走り始めた。リシャールも足を縺れさせるようにしながら、必死に付いて行く。


 背中を見せて逃げていく二人の存在に気づいたのか、魔物がその後を追おうとするような素振りを見せる。

 だが、グラストスは剣を一振り振って注意を引き、その行動を止めた。

 魔物は邪魔された事に腹を立てたかのように、低い唸り声を上げる。


 遠ざかっていく二人の気配を背中で感じながら、じりじりと後退しつつも、残った二人は威嚇を続けた。

「……ここら辺りは、こいつの縄張りなのか?」

 視線はそのままで、グラストスが期待を込めて隣に立つマリッタに尋ねる。

 縄張りに入ったことを怒っているのであれば、自分達がこれ以上刺激しないで立ち去れば、見逃して貰えるのではないか、という期待があった。


 だが、マリッタは首を横に振る。

「残念だけど、こんな凶暴な魔物がこんな森の入り口近くに巣を持っていたら、とっくにギルドで依頼が出されて討伐されている筈よ」

「そうか……」

 という事は、この魔物は獲物を求めてここにいる可能性が高い。

「……絶体絶命だな」

 思わず、心の声が漏れる。

 救って貰ったばかりの命だが、どうやら再び失う事になりそうだった。

 グラストスは自嘲の笑みを浮かべる。


「仕方ない……ここは俺に任せて、君も早く逃げろ」

 二人で逃げると、目の前の魔物はどちらかを背後から襲ってくるだろう。相対していれば防げるかもしれない攻撃も、後ろからの奇襲では難しい。

 どちらか一人は威嚇し続ける必要があった。

 そして、一人になった時、間違いなくこの魔物は残った方に襲い掛かる。それは確信だった。

 グラストスは決死の覚悟を決めて、剣を強く握り締める。


「早まらないで、まだ手はある」

 グラストスの浅慮を攻めるように、マリッタが言い切る。

 思わずグラストスは、視線を一瞬だけマリッタに向けた。

「アタシはアイツを仕留められる……可能性がある魔法を習得してるわ」

「そいつは……魅力的な話だな」

「ただ、少し集中しないと使えないから、それまでアイツの注意を引き付けて貰う必要があるんだけど…………出来る?」


 残念だが、五体満足であったとしても、グラストスにこの魔物の相手は荷が重い。

 マリッタは先程のスライムハウンドとの戦いぶりを見て、グラストスの腕前をそう把握していた。


 その為、グラストスを試す様な言い方になってしまったが、それはグラストスを侮ってのことではない。

 個人の力を過不足なく把握する事は、何より重要な事なのだ。

 ただ手に余ることが分かっていながらそう告げるということは、ある意味”死んでこい”と言っているのと同じだった。

 グラストスもそれは分かっており、それが可能かどうかを真剣に考えた。


「厳しいかもしれないが……やってみよう。どの道、二人生き残る道はそれしかない。だがもし俺が殺られてしまったら、構わず逃げてくれ。俺が喰われている間は、逃げる為の時間稼ぎになるだろう」

「……そうさせて貰うわ」

 グラストスの凄絶な提案に、マリッタは間髪入れずに固い顔で頷く。

 その小気味良い返答に、グラストスは笑みがこぼれた。


「じゃあ、生存競争を始めようか……」

 グラストスは改めて魔物に全神経を注ぐ。

 そして、今にも飛び掛ってきそうだった、餌を前に興奮して待ちきれないという様子の魔物との間合いを、一歩だけ詰めた。

 たった一歩だけ。

 だがそれは、両者の間に張られていた緊張を破る行為だった。

 魔物は森中に響くほどの雄叫びをあげると、無謀な獲物(グラストス)に向かって襲い掛かってきた――――



***



「はぁはぁ……急ぎましょう!」

 リシャールの切迫した声が森に響く。

 ここまで全力疾走してきたため、肺が悲鳴を上げていたがそれでも足を止めようとはしなかった。

 急いで街に戻り、助けを呼ばないといけない。

 街まではどんなに急いでも四半刻は掛かるが、もしかしたら道中で自由騎士とすれ違うかもしれない。この森に来る為には、朝自分達が通ってきた間道を通るのが一般的だ。

 依頼の為に自由騎士が通る可能性も決して低くない。諦めるにはまだ早い。

 そんな感情からの行動だった。

 

 ようやく、森の出口の明かりが見えてきた。

 力を一層振り絞り駆け抜けようとしたが、ほんの少し前まで聞こえていた背後の息遣いが途絶えていることに、リシャールは気づいた。

 慌てて後ろを振り返る。

 すると少し後方で、アーラが俯いて立ち尽くしていた。

 自分と同じく荒い息を繰り返している。転倒したのかとも思ったが、どうも様子がおかしい。

「どうしたんです!?」

 リシャールは、少し語気が荒くなる。

 こんな所で止まっている暇はないのだから、自然とそうなってしまう。


 リシャールの声が契機となったのか、アーラは俯いていた顔をバッと上げ、

「戻ろう」

 とだけ言うと、身を翻し森の出口に背を向けた。

「ば、馬鹿な真似は止して下さい!!」

 リシャールは慌てて、今にも引き返そうとするアーラの前に回りこみ、決して行かせないように手を広げて立ち塞がった。

「いや、行かせてくれ。やはり二人だけでは、あの魔物相手は無理だ。逃げる事も叶わないかもしれない」

「そんな事は、二人とも分かってますよ!!」


 リシャールの絶叫に、アーラが僅かに驚いた表情を浮かべる。

「僕らがいってどうなるんです? 邪魔になるだけです! それにアーラ様が行ったりしたら、二人とも本当に逃げることが出来なくなってしまいますよ!」

 翻意を促そうと、必死にアーラを説得する。

 だが、アーラは逆に闘志が湧いたのか、

「逃げないで倒せばいいんだ! それが皆で生き残る唯一の道だ!」

 と、主張する。


「む、無理ですよ! アーラ様もそれが分かったから逃げてきたんでしょ!?」

 リシャールの指摘に一瞬アーラは表情を歪めたが、直ぐに意志の光を瞳に宿す。

「確かにそうだ。だが、もう先程とは考えは変わった」

「むちゃくちゃですよ!」

「それでもいい。皆で戦えば必ず何とかなる。何せマリッタもいるんだ」


 アーラはマリッタに魔法の指導を受けている。

 その為、その力の凄さも十分に把握しているつもりだった。

 逃げながらもずっと考えていたが、アーラにはマリッタがあの程度(・・・・・・・・・・)の魔物を倒せないとは、どうしても思えなかったのだ。

 それは、幼子が自分の両親の愛情を信じるような、根拠のない無垢な感情に近かった。


「い、いや、それは」

 言葉に詰まる。

 リシャールは付き合いの長さから、マリッタが扱える魔法の大抵は把握している。

 確かに、マリッタはあの魔物を仕留められるかもしれない魔法を習得していた。

 だが、それはあくまで魔法を当てることが出来たら、という話だ。


 リシャールは、幼い頃から父親と自由騎士をしているので、魔物についての知識は深い。なので、あの魔物の事も知っていた。

 あの魔物は『グレーターベア』と名付けられている。

 もしギルドであの魔物討伐の依頼がある場合は、区分C、もしかすると区分Bの難易度が指定されるかも知れない。それほど手強い魔物だった。

 リシャールは、グレーターベアに挑んで返り討ちにあった新米自由騎士を、今まで腐るほど見てきた。


 そして、グレーターベアを語る上で、強靭な肉体や凶悪な腕力についてを外すことは出来ないが、それ以上に厄介なのがその動きの速度だった。

 グレーターベアは、通常時には二足歩行で行動する。

 しかし、興奮したり獲物を襲う際には両手を地面に着いた四足歩行になる。

 そうなると、馬とほぼ同等程の、とても人間の足では適わない速度で走るため、逃げる事はもちろん攻撃を当てることも至難の業だった。


 なので、マリッタがあの魔法を使ったところで、そのままではまず当てることすら出来ない。

 もし、仕留める事を考えた場合、誰かが足止めをする必要がある。だが、あの魔物相手にそんな足止めが出来る人間は、この中にはいない。

 グラストスがどれ程の腕なのかは、リシャールには分からない。

 ただグラストスは左腕が使えないのだ。片腕で相手取るには相手が悪すぎる。

 余程の使い手でない限り、そんな離れ業は不可能だろう。

 例えるなら、自分の父親のような…………。


 リシャールはそれらの事をアーラに話して聞かせた。

 この話を聞けば、何を今するべきか分かってくれる。リシャールはそう思っていた。

 今は一刻も早く助けを呼ぶ事こそが最良なのだ。


 だが、その願い虚しく、アーラはその話を聞いて一層強く決意を固めたようだ。

「それならば尚更、人手が必要な筈だ!」

 と言い放つと、リシャールを押しのけ、再び森の奥に駆け出していった。


 リシャールは離れていく小さな背中を、呆然と見詰めた。

 どうするのがいいのか判断に迷う。

 リシャールの常識で考えれば、このまま街に戻るのが最善だった。

 それに何より、再びグレーターベアと対峙するのは怖かった。考えるだけで足が震える。

 戻った所で自分などでは、一合持てば良い方だ。程なく殺られてしまう事だろう。


「僕は、し、知りませんからね……」

 リシャールはギュッと目を瞑り、全てを忘れるように頭を振ると、止まっていた足を動かし再び走り出し始めた。


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