113: 檻
「また盛り返してきたな」
アーラの呟きをヴェラが拾う。
「見切られたのでしょう」
一時は収まっていたウォーバット達の攻勢が、再び増し始めていた。教師達の強力な魔法に屈することなく、集団への襲撃を繰り返している。
アーラ達から少し離れた場所で、グラストスとリシャールは剣を振るっていた。
ただ素早い相手に対し、効率の良い戦い方はできていない。集団の中で剣を振るう訳にはいかず、少し孤立気味のためだった。
とはいえ、リシャールは魔法が使えるので、これまで通り集団の中で戦っていても良かった。敢えてそうしてないのは、気心の知れた相手の傍が良いということなのだろう。
しかし、本人はあまり敵の注意を引く事を恐れているのか、散発的な攻撃しかしていなかったが。
「くっ。こう対象が小さく素早いと、剣だけではどうにもならないな」
ようやく何とか数匹目を仕留めた所で、グラストスの口から弱音が漏れた。
この魔物相手では、左手が使えないことはさして問題にはなっていない。そこは良かったが、労力に対しての成果が少なすぎると感じたのだ。
自分で魔法が使えたら、その思いが募る一方だった。知らずの内に唇を噛み締める。
「ふんっ、役立たずが!」
横合いから唐突に罵倒が飛んでくる。
グラストスは咄嗟に隣を見る。
「い、今言ったのは、僕じゃないですよ!?」
隣に居たリシャールが弁解するように両手を振る。が、グラストスの視線はリシャールの背後に立つ人物を捉えていた。
「お前……追いかけてきたのか」
そこ居たのは赤毛の少年騎士。ジョルジュだった。
身体が所々返り血に汚れているところからすると、既にウォーバットとの戦いに参加していたのだろう。
「当たり前だ。ケーレス騎士団員であるこの俺が、こんな雑魚共から逃げてたまるか!」
ジョルジュは胸を張って応える。
丁度その時、接近してきたウォーバットの群れを、ジョルジュはすれ違い様に斬り捨てた。流れるような動作で、もう片方の手に持った触媒と剣の刃を擦り付けると、素早く火を起こす。離れていくウォーバット達に向けて、追い討ちをかける。炎に包まれ、数匹が地上に落下する。
ジョルジュはリシャール同様、火の魔法使いのようだ。よく修練されている。グラストスはジョルジュの腕をそう見てとった。
「なるほど、流石だな」
「ふふん。当たり前だ」
グラストスの賛辞に、ジョルジュは満更でもない表情で、ほくそ笑んだ。
一方、今のやり取りが面白くなかったのか、リシャールがつまらなそうに口を挟む。
「でも、君一人来たところで、状況は何も変わらないけどね」
「何だと? 貴様、俺を侮辱する気か!」
沸点の低いジョルジュは、忽ち顔を真っ赤にして怒鳴った。そこで改めてリシャールの顔を凝視し――――今気付いたように声を荒げた。
「お前は昨日の!? 丁度良い、今度こそ決着をつけるぞ!」
叫ぶなり、抜き身の剣の切先をリシャールに向けた。
「うわわぁ!」
リシャールは思わず後ずさり、足を縺れさせて尻餅を付く。完全に怯えているリシャールに剣を向けたまま、ジョルジュはしきりに「立て!」と繰り返す。リシャールは反動で顔中の水分が弾き出されるのではと思う程速く、首を左右に振っている。
これ以上はグラストスも黙っておらず、止めに入る。
「こらこら。今はそんな状況じゃないだろう」
「そ、そうだ! 時と場合を考えろっ!」
我が意を得たりとの如く、リシャールが威勢を取り戻す。
グラストスは頷く。
「リシャールとの決着は、状況が落ち着いてからにしろ」
「そ、そうだ! 後にしろ! …………………え?」
「ふんっ、言っただけだ。そんな事ぐらい言われなくとも分かっている。この蝙蝠どもを片付けてからじっくり相手をしてやる」
血気盛んな少年ではあるが、一応冷静さも持ち合わせているらしい。ジョルジュはリシャールからウォーバットへと視線を戻しながら淡々と告げる。ただ彼の中では、リシャールと決着をつけることは決定事項のようだった。
「…………」
そうした少年の意志を感じ取ったのか、リシャールは泣きそうな表情を浮かべた。
「そ、そもそも、何で君がこんな所に居るんだよぉ?」
投げやりに言ったリシャールの問いは、ジョルジュの急所を抉った。
「うっ、そ、それは……」
ジョルジュは言葉に詰まり、情けない表情を浮かべる。
そもそもジョルジュが近隣の村に居たのは、昨日の偵察任務が関係していた。
リシャールとの決闘の後、砦に戻ったジョルジュだったが、先輩騎士であるバイロンに託されていた、ケーレス騎士団副長宛の書状を紛失してしまっていた事が発覚したのである。
それを知った時、ジョルジュは赤毛の髪が、真っ青になってしまうほど愕然とした。
ケーレス騎士団には大小様々な訓戒が存在するが、団の機密に関しての情報の取り扱いは、かなり重大な部類に入る。
騎士団の機密を外部に漏らした者は、それが発覚した場合、即刻除名。場合によっては『国賊』とされ、『監獄』送りになることもある。当然のことだが、仮に罪が許されたとして、そのような者は二度と騎士として登用されることはない。ケーレス騎士団だけでなく、パウルースの何れの騎士団でもだ。機密を漏らすような輩を抱えていては、いざ戦となった場合、いつ情報を漏らされるか分からないからだ。意図的に機密を流したのではなかったとしても、問題になるという点については同じである。
騎士団への入団は誰もが認められるものではない。加えて『騎士』と認められるのは、団員の中でも、厳しい訓練に耐え続け、騎士団長に資質を認められた、優秀な者達だけなのである。今回のような失態は、騎士として認めてくれた団長の顔に泥を塗る行為だった。
ジョルジュは壮絶な艱難辛苦を乗り越え、ようやく長年の夢であった『騎士』と認められて、まださほど時が経っていない。そのようやく掴んだ地位を、手放すことになるかもしれないのだ。心痛は計り知れなかった。
ジョルジュはその時ほど『運命を司る神』に願った事は無い。「どうか誰にも悟られませんように」と。
ジョルジュの願い虚しく、紛失したことはバイロンが戻ってきて直ぐに露見した。
バイロンを始めとする先輩騎士達に、烈火の如く叱られ、鉄建制裁も幾度となく振るわれた。
『騎士』の位の剥奪を提案する者も居たが、書状の内容は仮に露見したとしても問題のない内容だったこと。バイロンがジョルジュを庇ったことで、何とか免れる事が出来た。
沙汰を告げられると、内心ホッとしていたジョルジュだったが、それも長くは続かなかった。それまでずっと黙っていた副長から、どこかに落とした書状を探し出すように申し付けられたのだ。
どこに落としたのかも分からない。もしかしたら誰かに拾われている事も考えられる。大凡不可能だと思ったが、副団長に申し付けられて、否とは言えない。
かくしてジョルジュは昨夜から夜通しで、書状探しをしていたのだった。
ただどうしても見つける事が出来ず、途方に暮れていた時にグラストス達に出くわし。募った不安、苛立ち、そういった感情を吐き出すように喧嘩を吹っかけたのだった。
そうして、今に至っていた。ここに居るのは状況に流された結果に過ぎなかった。
自分の立身の為に最も良いのは、手紙の探索に戻ることだろう。ただこの有様を知って、見て見ぬ振りをするのはジョルジュの『騎士道』に反していた。焦燥はあったが後悔は無い。
また、そういった説明をするのも面倒だという事に加え、罰を与えられている事を同年代の少年。しかも『自由騎士』の少年に明かすのも、ジョルジュの誇りが許さなかった。
狼狽を振り払うかのように大声を出す。
「貴様には関係ない!」
ジョルジュの態度に思うところあったのか、
「何か失敗したんじゃないの?」
リシャールは妙に鋭い指摘をする。
「な、何だと!?」
流石に動揺を見せるジョルジュだったが、図星だったことが尚更怒りに火をつけた。リシャールに向かって剣を振り上げる。
「う、うわぁ、助けてぇ! グラストスさん!」
リシャールは四つんばいの格好で、異常に素早くグラストスの背に隠れるが、ジョルジュも剣を振り上げたままリシャール背を追う。リシャールはグラストスの正面に逃げ、ジョルジュがそれを追う。
いつまでも続きそうだった少年達の状況を忘れた見苦しい争いは、少し緊張した表情のグラストスに制された。
「……じゃれ合いもそこまでだ、来るぞ!」
グラストスの眼前には、先程の一波を越える数のウォーバット達が迫ってくる光景が広がっていた。
+++
「流石に『学校』の教師の方々ですね。中級魔法が飛び交うなど、中々見ることの出来る光景ではありません」
戦況を冷静に観察していたヴェラが表情を変えずに告げる。
他の人にはいつものヴェラにしか見えないに違いないが、隣にいるアーラだけは気付いていた。ヴェラが、実はかなり興奮しているという事に。体験したことの無い光景というのが、ヴェラの知識欲を刺激しているのだろう。
「だが物量が違いすぎる。数が足りない」
ヴェラの様子には触れず、アーラは剣を振るいながらも、現状を冷静に分析する。
教師達も合流し、『回復魔法』の使い手が居ても尚、離脱者の数は減らない。直接的な傷を負った者達ではなく、”鳴き声”によってやられた者達が、中々戦線に復帰できない為だ。
『回復魔法』は外傷は癒せても、頭痛などといった症状を治す効果はない。厳密に言えばそれは正しくないが、今この場の魔法使い達の実力ではそれが真理だった。
なので数の問題は時を経るにつれ、深刻な状況へと近づいている。
このままではまずい事は分かっていても、どうにもできない。状況を打破しようにも、人の数が足りなかった。
アーラが対策を思案している最中。急にウォーバットの大群の群れが、脈打つように蠢いた。
そして、群れから飛び出すようにウォーバット達の塊が幾つも吐き出され、アーラ達を素通りして飛び去っていった。
ウォーバットの新たな策かと疑ったアーラだったが、ヴェラの説明で杞憂であったことが分かった。
「あちらに集団が……どうやら先程街道に居らした生徒の方々のようですね」
「なに!? 戻ってきたのか!」
大門の方を見ると、うまく逃げ出せた多くの生徒達が、続々と校内に戻って来ているところだった。彼らはこちらの集団に気付くと、迷わず合流しようと向かってくる。
異常な行動を取っていたウォーバットは、彼らを襲撃に向かったのだろう。
ただし、だからといってそれを迎撃すれば、折角運良く狙われなかった幸運を溝に捨てる事になる。なるが――――彼らは躊躇うことなくウォーバットと戦い始めた。
これによって『学校』の人間の過半数が、否応無しにウォーバットとの生存競争に巻き込まれる形となった。
唯一救いだったのは、これで人数が補強されたということであった。
+++
避難者達の復帰に驚いていたのは、アーラだけではない。と言うより、直接的に避難指示をしたリシャールの動揺はそれ以上だった。
「皆……折角逃げられてたのに、どうして?」
少しずつこちらに近づいてくる集団を見て、リシャールは呆然と呟く。
「友人を放っておけなかったんだろう」
新勢力の登場によってか、ウォーバット達は再び攻勢を弱めている。
だが振るう剣の動きは止めずに、グラストスは平静のままに答えた。表情は冷静だが、声の中に少し安心したような感じがある。増員が嬉しかったのだろう。
「……ふんっ!」
一人、ジョルジュだけはどこか不愉快そうに鼻を鳴らすだけだった。
少しの時間の後、集団は一つの大きな塊となった。
人数にして、四百程度か。
『学校』ではおよそ七百人程が生活している。つまり半数以上の人間が一つの塊となって集った事になる。ただ逆を言えば、まだ三百人はどこか違う場所に居るということだ。
集団も四百を超えると、統制を取るのは難しい。
それぞれが己の好き勝手に動く。そんな戦いを続けていると、周りの人が逆に邪魔になることも多くなる。更に魔法も問題だった。
例えば軍同士の戦いの場合、ここまでの敵味方入り乱れた乱戦になると、飛び道具は同士討ちの危険性があるため使用される事は無い。魔法も同様である。
だが今居るのは経験豊富な軍隊ではなく、一般人たる少年少女達である。教師の中には軍に入っていた経歴を持つ者も居たが、指揮系統も整っていない素人の集団を操るのは不可能だった。
殆どの生徒達は眼前の魔物達に怯え、または倒そうと興奮し、周囲を気遣わず魔法を放ち続けていた。
その結果、味方の魔法を誤って受けてしまう生徒達も、少なからず居てしまっていた。
グラストス達は、集団の端。見方を変えれば集団の先頭に居る。従って誤爆の可能性が高いのはどうしようも無かった。
時折、目の前を魔法が通過していく。グラストスはそういうこともあるだろうと、腹に決めて戦っていたので動揺は少なく、気にせず剣を振るっていたが、
「うおっ!」
当然ながら直撃の場合は話は違う。
視界の端から迫ってきた水魔法を、グラストスは咄嗟に剣で受け止めた。瞬時に魔法はかき消え、剣からは薄い白色の光が立ち昇り始める。
グラストスは顔を歪め、舌打ちした。
「くそっ、こんな所で剣を無駄に……」
今手に持っている剣は『魔法剣』用の剣ではない為、魔法を吸収すると直ぐに使い物にならなくなってしまう。グラストスからすると、これほどの物量の敵相手では、拾い物であったとしても、一本たりとも無駄にしたくはなかった。
が、そんな悔しさに襲われていたグラストスに、再び魔法が迫る。今度は火魔法だった。
「くっ! またか!?」
急であった為、『魔法剣』に宿した魔法をぶつける間もなく、グラストスは再び剣を盾にした。
『魔法剣』を発動し、何とか直撃は免れることに成功する。
しかし――――
「な、相殺されたのか? 折角の効果が!」
水魔法を吸収している所に火魔法を吸収した事が原因か、グラストスの持つ剣からは魔法光の淡い輝きが完全に消えていた。
「乱戦だから仕方ないが……」
苦しそうな顔で呟くと、グラストスは手に持っていた刃がボロボロになった、元鉄剣を腰に提げていた鞘に収めた。『魔法剣』の代償だった。この剣の状態では、まだ鞘に入れたままの方が戦えると判断したのだ。とはいえ、戦力の低下は否めない。
グラストスは少しずつ後退する。すると少し離れた場所で戦うジョルジュの姿が目に入ってきた。少年は剣に魔法に、猛威を振るっている。流石に教師達の戦果ほどではないが、一個人では十分な力である。ケーレス騎士団員の肩書は伊達ではなかったようだ。
「ん? あれは」
ジョルジュから少し視線を外したグラストスの目に、ある物が飛び込んできた。一も二もなく、走り出す。
頭上を魔法が飛び交う中を走り、目的の物を所まで辿り着くと、それを掴み上げた。
「良かった。こんな所にあったか」
転がっていたのは、先程紛失していた『ジェニファー』だった。直ぐに鞘を腰に戻し、それを左手に握る。
少しホッとした表情を見せたグラストスだったが、直ぐに我に返ると再び戦列に戻っていった。
+++
「数は増えたが……このままでは消耗戦になるだけだ!」
状況を分析しながら、アーラは必死に剣を振るっていた。戦果は左程あるわけではなかったが、先程までの何もできない状態からすると、周囲への心苦しさはずっと軽減されていた。
「はい」
その隣で同意するヴェラの手には、短刀が握られている。パウルースではあまり見かけない感じの武器であるが、ヴェラの扱い様は手馴れたものであった。
ただヴェラに魔物を倒そうとする意識は無く、あくまでアーラに取り付こうとするウォーバットを排除する為だけに使っているようだ。
「そういえば、先程、考えがあると言っていたなっ!?」
目の前を横切ったウォーバットを1斬りにしながら、アーラは思い出したように尋ねた。
ヴェラは無表情のまま答える。
「この魔物について大して知識がある訳ではないので、確実な策とは言えませんが」
「構わぬ! そろそろ、何かを変える時だ。状況が変われば、よいっ」
魔法を受けたのか、ふらついて低空を飛んでいたウォーバットに止めを刺してから、アーラはようやくヴェラに向き直った。
「では……」
ヴェラはとりたて感情を昂ぶらせることもなく、至って静かに口を開くと、自分の考えを淡々とアーラに説明した。熟考の後、アーラはその案を受け入れた。
次の行動が決まり、迷いがなくなるとアーラは素早い。
生徒の集団を掻き分けるようにして、目に付いた教師達一人一人に策を伝えに向かった。
教師達の方でも現状維持の末路を予期していた為、何か策が必要だという考えには誰も異を述べなかった。ただ、アーラの伝えた策。つまりはヴェラの策は博打に似た危うさがあった為、誰もが渋い顔をした。
更に、策を考えたのはこの魔物の事をよく知る自分の仲間の『自由騎士』だと、アーラは若干事実を曲げて伝えたことで、彼らの混迷は増した。加えて、見知らぬ少女の言葉を鵜呑みにして良いのかも判断に困った。
だが、アーラ達が外来である事を知っている教師が居たことで、話の信憑性は高まっていく。
『自由騎士』の素性が真実なのであれば、魔物の事を研究している唯一の教師、コニーの姿も見当たらない今、魔物の事は常日頃から魔物と接する『自由騎士』がこの場で最も詳しいのは明らかだった。
暫しの自問の後、皆不承不承ではあるが策を認めた。
伝達には、風魔法の教師が『送信』を使って行った。やがて全員に策を基に動く事が伝えられた。
そうして、ヴェラの策は発案からそれ程間を空けることなく、実行される運びとなった。
まず最初に行なったのは、この場の全員を一箇所に集めることだった。
一応、今も同じ場所に集まってはいたが、戦いの影響で若干の乱れがあった。その乱れをヴェラは認めず、密着するほど全員を寄せたのだった。
ただ無論、これで終わりではない。
ヴェラの策は教師達の考えた『洞窟』の対策と似ていた。土の教師達に、集まった全員の周りを囲うように、正方形の壁を作らせたのだ。『硬化』での硬質化も忘れない。
先程の『洞窟』と違うのは一点。天井はすっぽりと空けた事だった。
次に土の生徒達に正方形の『檻』の内側に、十字の仕切りを作らせた。これで四つの部屋が出来る。またその際に、部屋一つ一つに大凡百人ずつが居るように分散させた。虎の子の教師達は、それぞれに均等な人数を割り振った。戦力としてというより、指揮を出来る人間が必要だったからだ。
更にヴェラは属性ごとに役割を与えていた。
火と水の魔法使いは攻撃を。風魔法が使えるものは、進入を防ぐ為の風を起こす事。また、死んだウォーバットや命中しなかった魔法などを、『檻』の外に吐き出す役。土の魔法使いは周囲の壁の『硬化』での補強だった。
『洞窟』とは異なり、天井は空いている。当然、ウォーバット達はそこから中に進入して来る。
そこを魔法で向かえ打たせた。
皆役割に従い、自分の頭上に向かって魔法を放ち続ける。
形が整うまでは多少の時間を要したが、ようやく全員が自分の役割を認識し、ヴェラの策『檻』は完成した。
***
完成した『檻』の中では人が密集しており、移動も満足にままならない。入り口が広くなり過ぎる事を嫌った結果だった。
アーラ達外来組は皆同じ部屋に集っていた。別の部屋に振り分けられたのか、オレリア達の姿はなかった。
そんな中、何とかアーラとヴェラの傍まで近づいたオーベールが、ずっと感じていた疑問を口にした。
「策を疑う訳ではありませんが、これではあの”鳴き声”が篭ることになりませんか?」
付き合いの長いオーベールは、今回の策がヴェラからもたらされた事には直ぐに気付いていた。
なのでアーラに、というよりヴェラに質問を向ける。
オーベールの問いを聞いて、アーラは目を見開く。
「む、確かに。オーベール殿の言うとおりだ。どうなのだ?」
”鳴き声”は既にこの戦場に常態していた為か、逆にその事を失念していたアーラは慌てて隣に立つヴェラを見る。
対してヴェラは、
「そうですね。上空が空いているので、倍増までとはいかないと思われますが、それはその通りでしょう」
あっさりと肯定した。
アーラは唖然とする。我に返ると、ヴェラに詰め寄った。
「な、何!? そ、それでは危険ではないか?」
「距離を近づけさせないことに尽きます」
「そ、そうか。その為の高さか」
四方の壁は地上から、かなりの高さまで伸びている。壁を作る上で、ヴェラが特に気にしたのが壁の高さだった。
「可能な限り高くして下さい」との指示の元、作り上げた土壁の高さは、学校の校舎と比較すると、三分の二程もあった。土の教師曰く、この高さが今居る人間での限界ということだった。
ウォーバットを『檻』の入り口から進入させないように出来れば、この高さ、つまり距離があれば、”鳴き声”の影響も少ない。
その為に、ヴェラは壁の高さに拘ったのだと、アーラは思った。
オーベールも同じ見解に至ったのか、なるほど、と頷いている。
アーラの推察に、ヴェラは小さく頷いた。
「はい。ですが、やはり結局は耐えて貰うしかないでしょう」
「な、何!?」
「が、我慢比べですか……」
まさかの精神論に、二人は動揺隠し切れぬまま、頭上を見上げた。
+++
この場の誰もが予想外だった。
『檻』の策は、対ウォーバットにとても巧く機能していた。
四方が壁で覆われている為、ウォーバットは空いている上から進入しようとしてくる。
また『檻』の天井の一辺の長さは短い。その為、一度に入りこめる数に限りがあり、いくら総数が多くともそれは何の意味も無かった。
またウォーバットは空を飛んでいる。魔法で浮かんでいる訳ではなく、羽ばたいているのだ。その為、仲間同士で密着することは出来ず、どうしてもある程度の距離は必要となる。その事も進入できる数の制限に繋がっていた。
そうして絞られた魔物の進入を防ぐのには、一部屋に百人も魔法使いが居れば十分だった。
実はこれらの点こそが、ヴェラが『檻』を発案した理由だった。
”遊兵”を生み出す事。
戦において、少数で多数を破る為の策の一つと言える。そんな人同士の戦に用いられる策を、対魔物であっても適用できるのでは、と推測したのだ。
そして、その考えの正しさは証明されていた。
ただし、ヴェラはあえて口にしていなかったが、不安要素もあった。
一つは、魔法使い達の体力。進入できる敵の数を制限したと言う事は、裏を返せば敵を殲滅できる時間も余計に掛かるということである。残念ながら、全ての『ウォーバット』を仕留めきるまでは、体力は持たないだろう。そうなる前にもう一つ何か対策が必要だった。一応ヴェラには打開策となりうるある期待はあった。が、あまりそのことに固執はしていなかった。
そして、もう一つの不安要素。
それが――――
「あ、あいつだっ!!」
生徒達から口々に叫び声が上がる。
いつの間にかアーラ達が潜む『檻』の入り口付近に、巨大なウォーバットが浮かんでいた。
この場の全員の心臓が早鐘のように鳴り響く。
「ぐっ! この状況下で奴は拙い!」
「可能な者は急いで”アレ”に魔法を放て! 奴に”鳴き声”を上げさせるな!」
教師達の緊迫した声が『檻』の中に響きわたる。
不安要素である巨大な魔物を見上げながら、ヴェラは静かに言った。
「この策を取る以上、あの魔物は先に倒す必要があります」
「分かっている! だが奴もそれが分かっているのだ。不用意に接近はしてこない。他の奴等とは知能の高さが違う」
アーラは悔しそうに怒鳴り返す。その後で、リシャールの名を叫ぶようにして呼んだ。
「な、何ですか?」
少しして、生徒達の集団の中から、怯えたような声が返って来る。ただ生徒達の身体に隠れ、姿は見えない。
「本当に奴は親玉ではないのだな?」
「た、多分……そう思いますけど」
「何だ頼りない!」
「そんなこと言ったってぇ……」
アーラ自身焦燥感に襲われているのだろう。そのまま結論のでない言い合いを続けた。
唐突に別の方から怒鳴り声が上がる。
「ふんっ、ごちゃごちゃと! そんなこと倒せば分かる事だ。俺が外に出て奴を仕留めてきてやる!」
発言したのはジョルジュだった。
しかし、相変らず発声主の姿が見えなかったアーラは、ただ感心したように眼を見開く。
「ほう。誰だか分からんが、心意気や良し! ならば――――」
「お嬢様は駄目ですよ」
アーラが続けるつもりだった言葉を察していたかのように、ヴェラがそれを遮る。
その内に秘められた氷のような冷たい声に、アーラは口ごもる。
「……わ、分かっている。な、ならばリシャール! その者を手伝ってやれ」
「うええええ!? ぼ、僕がですかぁ!? 無理無理無理! 外に出たりしたら教われて死んじゃいますよっ! マリッタさんじゃないんですよ!?」
アーラの指示にも、リシャールは泣いて拒否する。
命に関わることなので、アーラもそれ以上強いることはなく、別の者に水を向けた。
「ならばグラストス」
「ああ、分かってる。どうせこの中では俺は役に立てない」
アーラから少し離れた、背後に居たグラストスは躊躇わず頷く。魔法が使えないグラストスはただ他の者達の戦い様を見守ることしか出来ていなかった。
その返答を聞いたオーベールは腰の剣に手をやりながら決意の篭った目で続く。
「それでしたら僕も同じです。お供します」
「危険です。お止め下さい」
ヴェラは即座に止める。アーラの時のような冷たさはないが、断固として認めないという意志は同じだった。
だがグラストス同様、何も出来ない歯がゆさが、ヴェラの制止を認めなかった。
「僕もお役に立ちたいんです」
「ふんっ、貴様が来ても足手纏いなだけだ」
生徒達を掻き分けて、二人の傍まで近づいてきたジョルジュはオーベールを見るなり告げた。
ジョルジュの目は鬱陶しさに覆われている。オーベールを案じての言葉、ではなく心底そう思っているようだ。
「それは……ですがお二人だけでは……」
アーラ達のやりとりは同じ『檻』に居る者達にも聞こえていたが、名乗りを挙げる者は居なかった。今、校内で一番安全だと言える場所。そこがこの場所である。その安全を放棄して、たった数人で、もう一度魔物の大群の前に身を晒すというのである。尻込みして当然だった。教師達ですらそうなのだ、生徒達ならば尚更だった。
なので空に放つ魔法の手を止めないことを、その事に対しての免罪符としていた。
ヴェラもグラストスも『学校』の人間に期待していなかった。というより、『檻』で持ちこたえる為には、『学校』で学んだ魔法使いは一人として無駄には出来ない。
ヴェラとグラストスは、無言でリシャールの声がした方を見る。
リシャールは生徒に隠れて姿は見えない。逆を言うとリシャールの方からもアーラ達は見えなかったが、二人の視線の圧力は感じたのだろう。
リシャールは耐え切れず、がくっと項垂れる。
絶望感がたっぷり篭った震えるか細い声で言った。
「…………ぼ、僕が行ってきます」
「リシャール君、でも君は……」
リシャールが乗り気でないのは本人以外にも明らかだった。それを心配してオーベールが気遣う。
リシャールは少し顔を綻ばせると、声を張って答える。
「し、心配しなくて大丈夫です。僕は『自由騎士』です。魔物相手なら僕がこの場の誰より一日の長があります……多分」
オーベールを危険な目に合わせる訳にはいかない。リシャールは日頃情けない事は言っていても、自分の立場は分かっていた。
リシャールの後を引継ぎ、グラストスがオーベールを諭す。
「あの”鳴き声”もそうだが、この中は空気が薄い。倒れる人間もでるかもしれない。そういった人の介抱も重要な役割だ。お前は中で他の人を助けろ。それが結局は俺達の助けにもなる。後方支援って奴だ」
「グラストスさん…………分かりました。僕は僕の出来る事をします」
話が纏まると、ヴェラは小さく安堵する。
「話は聴こえていたが、大丈夫か? 奴は大体上空に居る。空でも飛べない限り、外に出たところで、少人数でどうにかできるとは思えないが……?」
「それに一斉に襲われでもしたら」
それまで話の帰趨をそれとなく耳に入れていた教師達が懸念を示す。気を逸らしても魔法は変わらず使い続けているのは流石に教師達だった。
真っ当な疑問に対して、アーラは自信有り気に胸を張って答える。
「心配ご無用だ。奴等は『自由騎士』だ。魔物相手なら何とかする。それにあやつらはこの”檻”に気を取られている。数人外に出たところで、大して襲っては来ぬ筈だ」
アーラの考えを聞いて、教師達は一様に押し黙った。
「それは楽観的意見じゃないか? 私にはそう思えるが……」
などと言う否定的意見も幾つか挙げられたが、
「ですが確かに、あの巨大な魔物をどうにか出来るのであれば、戦況は大分有利になります」
という一人の教師の指摘により、流れは変わった。やがて話が纏まる。
「……分かった。そこまで言うなら、君達に任せよう」
教師達としては、最悪失敗しても損失は外来の数名だけ。戦力的にも殆ど影響は無い。そんな算段もあった。非情ではあるが、彼らの立場からすると仕方の無いことでもある。
そんな思惑を知ってか知らずか、アーラは満足気に頷いた。
グラストスとジョルジュは気を引き締め直す。ジョルジュは失敗する事など微塵も考えていない。グラストスは教師達の考えの裏まで気付いていたが、ジョルジュ同様失敗する気などなかった。結論は永久に出なければ良いと思っていたリシャールだけは、泣きそうな表情で項垂れた。
三人は教師の指示により、生徒達の間を縫うようにして一箇所に集まった。
土の教師が三人に向かって話しかける。
「では、君達の隣の壁だけ『硬化』を緩める。蹴破れると思うからそこから外へ。ただ危険なので急いで直ぐに戻すよ? いいね?」
教師の最終確認に、
「さっさとやれ!」
「分かった」
「……はぃ」
三者三様の相槌を打った。
そして、土の教師の身体を覆う黄色の魔法光が僅かに輝きを増す。
「なら行くよ……今だ!」
教師の合図と主に、ジョルジュが目の前の壁を蹴りつけた。見かけには他の箇所と何も違わないが、教師の言葉通り土壁は容易く崩れた。腰を屈めれば容易く通れる程の穴が空く。
「うおおおおおおおおおおっ!」
ジョルジュは躊躇うことなく、雄叫びと共に飛び出していった。
続けて出ようとしたグラストスを、アーラが呼び止める。アーラは立ち止まり振り返ったグラストスに近づくと、その腕をギュッと握り締めた。
「任せたぞ! ただ十分気をつけるのだ!」
真剣な深蒼色の瞳からは、死地とも言える場所に向かう三人を、本当に心から案じている事が伝わってくる。
それを十分に感じていた為、グラストスはアーラの掴んだ場所が左腕だと言う事を指摘できなかった。アーラはグラストスから離れると、激励するようにリシャールの背中を叩き始める。
グラストスは痛みの残る左腕を気にしながら、少し引き攣ったように微笑む。
「行って来る」
とだけ言い残し、ジョルジュの後を追って飛び出した。
リシャールは空いた穴の前で逡巡していたが、早くしてくれ、と言いたげな土の教師の目を見て、
「うぅ、どうしてこんな事にぃぃぃ!!」
泣き叫びながら穴を潜った。
三人の姿が完全に消えたのを確認して、
「離れて! 閉じるよ!」
土の教師はそう周囲に告げる。と、同時に壁に空いた穴の大きさが狭まっていき、やがて完全に閉ざされた。
処置が早かったからか、運が良かったからか、空いた穴からウォーバットが入り込むことはなかった。
「頼むぞ……」
塞がった壁を見ながら、アーラは小さく呟いた。
ヴェラとオーベールはその傍で、ただ静かに運命を司る神に三人の無事を祈った。