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The Left Arm Wars  作者: 過酸化水素水
【5章 偽りの想念】
114/121

109: 風魔法

  

 魔物の大波がアーラ達を包み込む。

 その一方的な暴力の前では、百名足らずの集団など、風前の灯のようなものだ。抗う事も出来ず、ただ無慈悲に飲み込まれるだけ。

 残されるのは傷つき、再び立ち上がる事も叶わない躯の山。

 順当に進めば、そんな光景が展開される筈だった。


 

 ――だが、アーラ達が飲み込まれる直前。


 一筋の緑色の光が、魔物の先鋒をごっそりと削り取っていった。

 接触目前であったが為、魔物達は密集していた。魔物達の側からすれば、それが仇となった形である。


 急に目の前の圧力が減った事に驚くアーラ達が立ち竦む中、更にもう一筋の光が魔物の大壁に風穴を開けた。

 立て続けに仲間が瞬時に消された事を警戒したのか、後に続いていた魔物達の侵攻速度が目に見えて低下する。

 アーラは光の出所を目で追っていき、その下に緑色の光を纏った人物の姿を捉え、思わず頬が緩んだ。

「遅いぞ」

 離れているので声は届かないだろうが、アーラは呟かずにはいられなかった。


 アーラの”力”とも言うべきその人物は、紫帯びた腰までの長い黒髪を風に靡かせながら移動を始める。

 道中、襲ってきた魔物をいとも容易そうに一蹴すると、間もなくアーラの元に辿り着いた。


「遅いぞ、マリッタ!」

 声が上擦るのを抑えながら、アーラは先程と同じ台詞を吐く。

 マリッタは「すみません」と、あっさりとした謝罪を返すだけ。その表情からは申し訳なさは感じられない。

 ただ、アーラが無事である事を確認し、ホッとしているようではあった。

「そうです! マリッタさん遅いですよぉ! 僕達がどんなに大変だったか……」

 リシャールはマリッタの姿を見つけた途端、これで安心だとばかりに表情を明るくしていた。感極まって縋りつこうとするリシャールを、

「じゃれるな! 鬱陶しい」

 ただしマリッタは足蹴にする。


「マリッタ!」

「マリッタさん!」

 オレリア達が近づいてくる。

 旧友達の無事な様子を見て、マリッタの表情が少し綻んだ。


「無事でよかったよ。姿が見えなくてしてたんだ」

 ベルナルドが本当に安心した表情で言った。

「そうだよマリッタ。心配したんだからね?」

「本当に……良かったです」

 こんな状況下にあって、三人は優しい笑顔を向けてくる。

「そう……悪かったわ」

 マリッタは道を大きく違えた友人と、目の前の友人達の対比に、少し胸が熱くなった。

 ただし、直ぐにいつもの冷静さを取り繕う。

 今は談笑しているような時間はない事は十二分に分かっていた。


 簡単に経緯を説明してくるアーラの話を耳に入れながら、全方向をグルリと眺める。

 周囲の様子を確認し、最後に集団の様子を視界に入れると、マリッタは小さく眉を顰めた。

「今はこれしか居らぬ」

 マリッタの表情から思考を読み取り、アーラが説明する。

「数が足りませんね……他の教師連中は?」

「あの大群の向こうに分断されちゃったの。それ以外の先生達は……どこだろ?」

 説明しようとしたオレリアも、戦闘していた教師達以外の動向を知らない事に気付き、隣のカリーヌに視線を送った。カリーヌも知らないのか、小さく首を振る。

 オレリアは続いてベルナルドにも確認しようとして、何かを思い出したようにマリッタを見つめた。


「そういえばマリッタ。コニー先生は一緒じゃないの?」

 最後に別れた時、マリッタとコニーは連れ立っていた。オレリアの疑問も当然である。

「先生は……比較的安全な場所に置いて来たから……多分大丈夫よ」

「え? 置いてきた?」

「あ、ああ……その……まあ、ともかく大丈夫だから安心して」

 マリッタは返答に困り、言葉を濁した。

 コニーの事を正確に説明するのであれば、ディアナの事も説明しなくてはいけなくなる。ディアナとの関係が深いオレリア達に、この状況の中で真実を告白するのは憚られたのである。

 オレリアはマリッタの態度に不思議そうにしながらも、一応納得の表情を浮かべる。

 ただ次に続いた質問に、マリッタの心臓は大きく跳ねた。


「そう……あ、そういえばマリッタ、ここに来る途中でディアナは見なかった? さっきから探してるんだけど、どこにも居ないの。アーラ達は知ってる?」

「いや、見てないな」

「僕も見てませんねぇ」

 アーラとリシャールが首を振る。

「ディアナの事だから直ぐに危険を察知して、とっくに避難したんじゃないのか?」

 ベルナルドが、ディアナの動向を推察する。

 オレリアはその答えに納得してしまうのは危険だと思っているのか、ベルナルドと軽い口論になる。二人の会話に結論は出そうに無いが、共通して言える事は、二人ともディアナを心配しているという事であった。

「ねぇ、マリッタは知らない?」

「…………アタシも見てないな」

 マリッタに言えるのはそれだけだった。

 一人会話に参加せずに居たカリーヌだけは、マリッタの様子が少しおかしい事に気付いていたが、特に何も言う事はなかった。


 話が長引きそうなのを察して、「彼女の事は一先ず置いておこう」と、アーラが強引に話を切る。

 マリッタは内心ホッとする。そして、アーラの言葉通り、ディアナの事は一旦忘れることにした。

「話を戻すが、他の教師達はあの”洞窟”の中に居る筈だ」

 唯一、事情を知るアーラが先程のマリッタの問いへの回答を行う。

「あそこに……?」

「うむ。ただし、『ウォーバット』の鳴き声で攻められて、無事で居るかは正直分からん」

 魔物の事を知らない人間には全く意味が分からない説明だったに違いないが、マリッタに限っては補足も必要なかった。

 ただし、マリッタはアーラの話を聞きながら唖然とした表情で覆われていく。

「『ウォーバット』相手にあんな密閉空間に逃げ込むなんて…………リシャール!!」


「はいぃぃっ!」

 突然マリッタに名前を叫ばれ、条件反射的にリシャールは直立不動の体勢になる。

 マリッタはそのリシャールにズカズカ近づいていき――――重たい拳骨を脳天に喰らわせた。

「あいたっ!」

 元来の釣り目を更にきつく吊り上げて、リシャールを睨みつける。

「お前は『ウォーバット』の特性を知ってただろっ!? 何であんな避難方法を認めた!?」

「ぼ、僕も何とかなるんじゃって思っちゃったんですよぉ……」

 泣きそうな声で弁解するリシャールに、

「この……馬鹿餓鬼!」

 呆れた顔で、マリッタは再度拳骨を落とした。


「マリッタ、お前もこの魔物の事は知っているようだな。ならば何か良い策はないか?」

 マリッタがリシャールへの仕置きを完了するのを待って、アーラが尋ねる。

 それに対して、マリッタは首を左右に振った。

「残念ですが。この魔物は一度怒らせたら最後、どちらかが全滅するまで戦いは終わりません」

「だ、だが……奴等の中に親玉は居るのだろう? そいつを倒せば何とかなるのではないか?」

 希望を絶たれながらも、アーラは残る一筋の光に縋る。

 マリッタは何と答えたものか、微妙な表情を作った。

「確かに、可能性は無いとは言えませんが……」


 マリッタの知りうる限り、『ウォーバット』の怒りをかった人間が無事に切り抜けたという話は聞いたことがなかった。

 知識のない人間からすると、『ウォーバット』は蝙蝠と見分けが付かない。仮に居たとしても、『ウォーバット』の怒りを切り抜けた事を自覚している人間は、ほぼ皆無に違いない。加えて、そもそもこの魔物は自由騎士でもなくば、接触するような機会は殆どなかった。

 なので、マリッタにしても『ウォーバット』の”長”を倒した時に群れがどうなるかは、実際に試してみないと分からないというのが正直な所だった。


「ともかく、いずれにせよ人手が足りません。今居るのは大体……百人位ですか? ……駄目ですね。もっと人数が必要です」

 マリッタの指摘はもっともである。

 が、無い者はどうしようもないのもまた事実だった。

「先ずは、あそこ(洞窟)の中にいる人間を救――――」

 アーラが返答に困っているのを見て、マリッタが何かを提案しようとするが、

「あ、つ、次が来ました! マリッタさん! 魔物が来ましたよっ!」

 リシャールの悲鳴によって遮られた。


 マリッタは渋い顔で『ウォーバット』の大群を見据える。

「…………仕方ありません。少し削ってきます」

 発言は雄雄しいが、「面倒くさい」と、はっきりとそう顔に書いている。

 ただ如何にも”ちょっとお使いに行ってきます”とでもいうような気安さに、アーラ達は度肝を抜かれた。一瞬、今の現状が取るに足らない状況のように思えた程だ。


「削ってきますって…………そ、そんなこと無茶だよ!?」

 オレリアの必死の取り成しが、皆の思いを代弁していた。

「マリッタよ。流石にそれは……」

 マリッタの力には全幅の信頼を置いているアーラですらも不安を見せる。


 皆の心配を受けて、マリッタは困ったように頭を掻いた。

 そして、

「アタシは大丈夫ですから……お嬢さん達の方こそ気をつけて下さい」

 と、何も気負いの無い目でアーラ達を宥める。

 その様子からはマリッタが本気で問題ないと思っているのが伝わり、アーラ達はそれ以上何も言えなくなる。

 そんな中、リシャールだけは「頑張ってきて下さぁい」と無責任に応援して、マリッタに尻を蹴飛ばされていた。



「じゃあ、行って来ます」

 マリッタはアーラに向かってそう告げてから、その隣で尻を擦っていたリシャールを睨み据えた。

「リシャール! 前も言った気がするけど、お嬢さんはアンタが護んのよ! お嬢さんに何かあったら……生きてビリザドに帰れると思うなよ」

「そ、そんなっ、僕だけに……」

 マリッタの恫喝とも言える叱咤を受けて、リシャールはクリクリとした両目を目一杯大きく見開いた。大きく開いた口から後ろ向きな応答が出かかるが、

「ああ!?」

 マリッタに一睨みされ、慌てて両手で口を押さえた。

 リシャールは弱気な言動を飲み込むように喉を鳴らすと、代わりに「わ、分かりました!」と、了解を返す。

 その返事を聞き、マリッタはもう一度念を推すようにリシャールを睨んでから、迫り来る魔物の群れに向かって走っていった。



 黒い髪を靡かせて去っていくマリッタの背中を見つめながら、オレリア達は不安そうな表情で呟き合う。

「本当に行っちゃった……。で、でも、マリッタだけ行かせていいのかな?」

「ぼ、僕達も行こうか」

「わ、私も……マリッタさんをお手伝いしたい、です」

 森の一件でマリッタの魔法の実力が自分達よりずっと上であることは分かっていたが、さりとて友人を一人で死地に向かわせる事は三人には無理だった。


 アーラは、震える声で友人の事を想う三人を温かい目で見つめていた。

 ただアーラの口から出たのは、彼女達の決意に対しての否だった。

「心配するな。確かに私も心配だが、マリッタが大丈夫だと言ったのなら、それは大丈夫なのだ。それにマリッタも、こんなところで死ぬつもりはないに違いない。命を掛けて一人犠牲になる、なんてことは考えてすらいないだろう」

「はははっ。マリッタさんには一番似合わないですね。それ」

 アーラの言葉にリシャールが声を上げて笑う。

 更にリシャールは、にこやかな笑顔でアーラの話に補足をした。

「それに皆さん程度が行った所で、かえってマリッタさんの邪魔になるだけですよ。僕達はここで援護するだけに努めましょう」


 本人は悪気があったわけではないが、見も蓋もない言い方に、オレリアとベルナルドは不満そうにリシャールを見やった。

「え? え?」

 何故二人がそんな目で見てくるのか分からない様子のリシャールに、アーラが溜息を吐く。

 ただ結局オレリア達は邪魔になるのを恐れ、マリッタの元に向かうのは諦めたようだ。アーラは一先ずその事に安心する。


 そしてアーラは、マリッタへと目を向けた。

 マリッタは数え切れぬ程の魔物に取り囲まれ、傍から見ると今にも押しつぶされそうでさえある。

 ただし、そんなマリッタの身体を包む緑色の魔法光は、徐々に強さを増していた。

 更にそれは高まり続け、光り輝く、と見紛う程の光まで高まると、ようやく落ち着いた。

 僅かの呼吸を置いた後、遂にマリッタから魔法が解き放たれた。



 それは異様な光景だった。

 学校の広い敷地を包み隠す程の大群の魔物を、たった一人の人間が蹂躙している。

 緑色の光が地面に深い傷跡を残しながら、真っ直ぐに突き抜けたかと思えば、渦巻く風が大量の魔物を包み込み、捕らえた魔物達を不可視の刃で切り刻んでいく。

 後に残るのは無残に削られた地面と、大量の魔物の躯だった。

 見ている者を唖然とさせながらも、暴虐の嵐は続く。

 

「な、なにあれ? ……す、凄過ぎだよ。い、今使ってたのって『旋風(ウィールウィンド)』だよね? なんでそんな初級な魔法であんな事になるの!?」

 オレリアが驚愕の声を漏らす。

 通常『旋風』とは小さな渦巻状の風を起こして中心に捕らえた者をカマイタチで切り刻むといった、対単体用(・・・・・・)の魔法の筈だった。

 そんな常識を打ち壊し、マリッタは多数相手に使用している。効果範囲も威力もオレリアの知る『旋風』とは似ても似つかない。

「ああ、凄まじい。も、もしかして、ウチの教師よりも凄いんじゃ……」

 ベルナルドは援護の手も忘れ、ただ呆然と遥か先のマリッタの背中を見詰めていた。


「マリッタさん……」

 カリーヌは切なげな目でマリッタを見つめていた。

 だが、何かを振り切るように頭を振った。決意を宿した目で、二人に声をかける。

「オレリアちゃん! ベルナルド君! 私達も出来ることをしよう!」

「そ、そうだね。マリッタだけに押し付けちゃいけないよね」

「ああ、そうだ! 僕達なりに頑張るんだ!」

 マリッタを見ていると、自分達にもやれるという気迫が湧いてきたのか、オレリア達は一層力を込めて魔法を放ち続けた。


 そんな中、アーラは己の不甲斐なさを嘆いていた。

 マリッタに背中を押されるように士気を上げているのは、オレリア達だけではなかった。この場に居る全員が、その姿に力を貰っていた。

 魔物の大群をものともしないマリッタの姿は、それと分かる希望を感じさせたのだろう。


「『破裂(バースト)』! まだまだいきますよ!」

 リシャールですら、気合を入れなおしたように手を休めることなく攻撃を続けている。

 誰もが自分に出来る事をしている。

 アーラだけが一人手持ち無沙汰だった。


 親玉を探そうにも、手掛かりなくこの魔物の中から見つけ出す事は不可能だ。

 魔法を使おうにも、アーラに出来るのは『水球』だけ。仮に自由自在に使いこなせたとしても、それでは何の役にも立たない。

 出来る事が何もない。アーラは己の不甲斐なさが情けなかった。

 しかし、だからこそ自分が出来ることは何か、を考え続けていた。


+++


 傍から見れば一方的に押しているようにしか見えないマリッタの戦い振りだったが、当のマリッタからすると、そう楽ではなかった。

 そもそも空を飛ぶ魔物に対して、(ウェントゥス)魔法は絶大な効力を発揮する。宙に浮く者は風に影響されやすい為だ。

 なので他の属性のメイジよりも、ずっと楽に戦えていた。

 だが『ウォーバット』には、そういった有利な点を覆されかねない能力がある。

 それが”鳴き声”だった。

 

 単体での効果範囲は狭いが、密閉空間なら一匹でも頭痛に苛まされることになる。

 それが今は数万も居る。幾ら拓けた空間であっても、その数から放たれる音の衝撃は耐え得るものではない。

 しかも魔物に手加減という概念はない。今も惜しげもなく、鳴き声を上げ続けていた。

 

 しかし、マリッタは動き続けている。

 本来ならば身動きが取れないどころか、発狂してもおかしくない声の渦の中で。

 もちろん我慢強いマリッタが、意地で耐えているのではない。

 そこには魔法の力があった。


 『受信(レシーブ)』という魔法がある。

 遠方で発声した音を拾い上げて聞き取る為の魔法である。

 主に伝令などの用途に使われている。

 反対に音を遠くまで届ける『送信(センド)』という魔法と対になって使われる事が多い。

 ただ使用難易度には差があり、『送信』が初級魔法に分類されているのに対して、『受信』は中級魔法とされている。


 マリッタは今、その『受信』を応用して使用していた。

 この魔法の真髄は”音を操作する”という点にある。

 本来の音を大きくさせつつ受け取る、という特性を反転させることで、音を遮断する事を可能にしていたのだった。

 それゆえ、そのまま受けたら発狂しかねない大音声の鳴き声を受けても、マリッタは平然と出来ているのである。加えて魔力消費も他の中級魔法と比べるとずっと少ない。


 そうするといいこと尽くめな魔法に見えるが、中級魔法に分類されているように繊細な調整が要求され、単純な攻撃魔法と比較すると余程神経を尖らせねばならない。

 加えてマリッタは、周囲に強い風の障壁を張って、一定以上魔物を近づけさせないようにしていた。幾ら音を遮断しているといっても、取り付かれてしまえば、如何にマリッタであってもどうしようもないからだ。

 なので攻撃魔法も含めると計三種の魔法を常時使用しておらねばならず、マリッタであっても決して楽な戦いではなかったのである。


 更に魔力は消費しすぎぬように、常に気を配っておく必要があった。ずっと魔法を使い続けるなんてことは、マリッタには無理(・・・・・・・・)なので、どこかで休息を取る必要がある。その隙を見逃す訳にもいかなかった。

 

「といっても、流石に多いな……これじゃあ間が取れない」

 呟いた一言は、マリッタには珍しく泣き言だった。

 とはいえ、悲壮な雰囲気は見当たらない。

 まだマリッタの限界には程遠かった。

 

 そうして、一人奮闘していたマリッタだったが、ふと知らずの内に、集団から離れすぎてしまっている事に気付いた。

 辛うじて判別可能だが、アーラの姿が大分遠い。

 魔物を自分に引き付ける必要が有るとは言え、余り離れすぎるとアーラに何かあった時に対処がとれない。

 マリッタは攻撃の手を緩めず大きく旋回すると、ゆっくりアーラの元に引いていった。

 

+++


「あ、マリッタさんこっちに戻ってきてますね」 

 最初にマリッタの動きに気付いたのはリシャールだった。

 自分達も攻撃は続けているが、今の状態はマリッタ無くしては語れない。なのでマリッタの動きに気をかけるのはある意味必然だった。

 言われてアーラもマリッタへと視線を向けた。

「……そのようだな。マリッタとて休息は必要だろう。無理もない」

「そうですけど、代われる人なんて居ませんよ?」

「ふむ……」

 確かにリシャールの言うとおりだった。

 マリッタに休息を与えたくても、今マリッタに戦線を退かれると、たちまち敵の波に飲み込まれてしまうだろう。

 何か代案なくば、現実的に無理だった。


 その時、少し離れた場所で魔法を打ち続けていたオレリアが、アーラに近づいてくる。

 普段は花のような明るさのある少女の表情が、今は暗い。

「ねぇ、マリッタこっちに戻ってきてるよ? も、もしかして何かあったのかな?」

 どうやらオレリアはマリッタが怪我を負った心配をしていたようだ。

 アーラが答える前に、リシャールが「心配ないですよ」と笑い掛ける。

「マリッタさんは強い一体に敵わない事はあっても、数が頼りの弱い敵にやられたりしませんよ」

「そうなの?」

「はい。相性の問題です。それにマリッタさんはビリザドでも二・三を争う魔法使い(メイジ)なんですから、心配ありませんよ。多分マリッタさんは、僕達から離れすぎたと思って戻ってきてるだけです、きっと」

 不安の欠片も無い笑顔で言い切られると、反論も思い浮かばなかったのか、オレリアは安心したように元の場所に戻っていった。

 それを笑顔で見届けると、リシャールはアーラに向き直る。

「……でも、どうしましょう?」

 二人して顔を見合わせていたが、答えは出なかった。

 その内に、マリッタは目と鼻の先の所まで後退してきた。

 

 ここでマリッタも想像していなかっただろう事が起きた。

 距離が近づきすぎたのが原因か、魔物の端の一部が、マリッタからアーラ達に狙いを移してしまったのである。

 アーラ達から見て左側の一団が、マリッタを旋回するようにアーラ達に迫る。

「ア、アーラ様、まずいですよ!」

「くっ、皆、狙いをあちらに集中するのだ!」


 一斉に魔法の先が切り替わる。

 魔物の先鋒が魔法で削られていく。

 だがそれでも勢いは殺せず、残った魔物達が一団に達する。

 更に迎撃しようとするが、魔物達が一斉に鳴いた影響で、一団の魔法の手が止まる。

「うくっ、頭が……」

 苦痛の声が漏れると同時に、リシャールの触媒の炎が掻き消えた。

 リシャール以外の生徒達も、魔法光すら維持できなくなっている者が殆どだった。

 そこへ一本の巨大な槍のようになった魔物達が、アーラ達へ迫り――――




「『竜巻(トルネード)』!!」




 凛々しい声と共に放たれた風の矛が、大部分を綺麗に抉り取った。

 距離が近かったからか、直撃こそなかったものの、余風を受けて生徒達の半数が地面に倒れ込んだ。

「い、今のはマリッタか?」

 アーラが視線を向けると、マリッタは残った魔物達に向けて、もう一度『竜巻』を行おうとしていた。


「『竜巻』だって!? は、初めて見たよ……」

 生徒達の中から、そんな声がチラホラ聞えてくる。

 アーラからすると、マリッタが使っていたのを何度も見た事があり半ば見慣れた魔法だったが、どうやら通常は滅多に見ることの出来ない魔法だったようだ。

 ただアーラの知る『竜巻』より、随分規模が大きい気がした。

 急に魔法の実力が上がった、という訳ではないだろうが……。

 不思議がるアーラの目の前を、再び『竜巻』が貫いていった。

 これで残っていた魔物達の大部分が削られ、アーラ達一団を狙っていた魔物達は本隊へと引いていった。

 安堵の息があちこちで上がる。



 ところが、急にリシャールが騒ぎ出す。

「ア、アーラ様、あっちを見て下さい!」 

 指し示す方をアーラが目で追うと、そこには”洞窟”があった。

 ただ二つとも、その入り口付近が何かで大きく穿たれている。


「多分、今のマリッタさんの魔法で……」

 『竜巻』が魔物だけでなく”洞窟”も貫いていったのだろう。

「な、中の人は無事ですかね……?」

「う、うむ……」 

 土壁すら易々と貫いた魔法だ。巻き添えになれば人間などひとたまりもないだろう。

 一瞬気まずさに包まれるアーラ達だったが、直ぐに心配は杞憂に変わった。


「あ、誰か出てきますよ」

 リシャールの言葉通り、壊れた入り口から避難していた生徒が外に出てきた。

 その人物にアーラは見覚えがあった。

 ブルゴス家の少女。エルネスタである。


 エルネスタは自慢の金髪が土で汚れていないかを気にしているようで、手で何度も頭を払っている。

 やがて諦めたのか、エルネスタは現在の状況を確認するように辺りを見回し始めた。

 その背後の”洞窟”からは、その他の生徒達が、一人、また一人と現れ始めていた。

 どうやら皆無事だったようだ。

 ホッと安心していたアーラと、エルネスタの目が交差する。


 するとエルネスタはキッとアーラを睨み付けるようにして、ゆっくりと近づいてきた。

 近くまできたエルネスタは、他の生徒達には目もくれず、アーラに一言問いかける。

「状況は?」

 アーラは余計な会話に時間を費やすこと無く、端的に返す。

「良くない。いかせん人が足りぬ。魔物の数は……見ての通りだ」

「……見るところ他の先生方の姿が見えぬようですが、何をしていらっしゃるの?」

「全員やられちゃいましたぁ」

 リシャールがあっけらかんと口を挟む。


 エルネスタはまるで汚い物を見るような目でリシャールを見たが、特に発言はなかった。

 ただ苛立ったように、柳眉を歪める。

「役に立たない方々ですわね……指示に従ったお陰で、危うく私達も全滅するところでした」

「今それ言っても仕方あるまい。ともかく、あの『ウォーバット』を何とかせねばならん」

「何か方法は? とても追い返す事の出来る数では――――」


 魔物達への視線を巡らせていたエルネスタが、ある一点でピタリと動きが止まった。

 視線の先には一人奮闘しているマリッタの姿がある。

「あの方は……っ!」

 そう苛立ったように呟くと、エルネスタはマリッタの方へ走っていった。

「ああ、駄目ですよ!」

 リシャールの制止の声にも反応する事無く、そのまま突き進んでいく。


「行っちゃった……あの人、大丈夫ですかね?」

「……まぁ、行ってしまったものは仕方があるまい。言っても聞かぬだろう」

 リシャールは本人の無事というより、マリッタの邪魔をしないかどうかが心配だった。その意図を読み取った上で、アーラはそう突き放す。

 今は他にやらねばならない事があった。

「私は出てきた教師の方々に状況を説明してくる。お前はここで攻撃を続けていろ」

 アーラはそう一方的に言い残して、”洞窟”から出てきていた教師達に近づいていった。



***



 マリッタは自分の魔法が”洞窟”を貫いてしまった事を気にしていたが、中から人が出てきたのを見て、肩をなで下ろしていた。

 『竜巻』を未集中で放つなど久しくしていなかったので、距離感がいまいち分からなかったのだ。


 魔法は魔力を込めた分だけ、集中した分だけ効力が増す。

 どこまでそれを込められるかは個人の技量次第だが、マリッタはそれを非常識な段階まで行なう事が可能だった。

 いつからか意識せずともそれを行い、要する時間をより少なく、より強い威力を求める事がマリッタの課題となっており、未集中で放つ方が寧ろ慣れていないのである。

 

 ともかく、これで憂いはない。

 先程のことで、どこまでアーラ達に近づいてよいかは分かった。

 暫くは休めそうにないが、攻撃魔法を初級に落とせばまだ当分は持つ。

 そんな事を考えていると、魔物の群れが巨大な顎となってマリッタに喰い付いてこようと向かってきた。本格的に狙いを自分に定めたのだろう。

 アーラ達の方へ敵が廻らない事は良かったが、これで更に休めなくなった。

 マリッタは溜息混じりに手を翳す。

 『風刃(ブレード)』を放とうと力を込めるが、その前に背後から放たれた別の『風刃』が魔物の顎を真っ二つに切り裂いていった。

 マリッタがそちらを見ると、そこには淡い金髪を靡かせた貴族のお嬢様(エルネスタ)が立っていた。


「相変らずですわね。お一人で戦うなんて、格好付けているおつもり?」

 開口一番、挑発的な言葉を吐くエルネスタを、マリッタは無視した。

 エルネスタは気色ばむ。

「無視するなんて失礼じゃなくって!?」

「頼むから、どっか行ってくんない?」

(わたくし)を邪魔者扱いですか。随分じゃありません? 今、助けて差し上げたでしょう?」

「……助けた?」

 マリッタは面白い事を聞いた、という風に口角を上げる。

「アンタ、アタシを助けようとしたの?」

 マリッタ茶化しに、エルネスタは頬を上気させる。

「まさか!」

 誤魔化すように叫びながら、同時に近づいてきた魔物に『旋風』を放つ。マリッタ程の範囲はないが、威力は十分だった。取り込まれた魔物達は切り刻まれて塵と化す。それを三度繰り返し、迫っていた魔物達の先鋒を削り取った。


 今の行動を何気なく見ていたマリッタは、エルネスタが魔物の大群の中にいても平然としている事に気付いた。

 それはつまり『受信』が使えているという事に他ならない。

 音の遮断まで到達するには中級魔法という壁を越えるに加え、魔法についての深い理解が必要となる。

 しかも、そもそもマリッタは『受信』を使っているのにもかかわらず、エルネスタの声は届いている。『送信』を使って強引に届かせているのだろうが、そこからもエルネスタの力は察する事が出来た。


 マリッタがここに居た時のエルネスタであれば、とても無理だっただろう。

 流石に風の障壁までは築けていないようだが、マリッタの傍に居る以上その事はあまり問題にはならない。戦力としては十分といえる。

 お嬢様の思わぬ成長ぶりに、マリッタは始めて関心したようにエルネスタを見つめた。


 視線が不快だったのか、エルネスタが眉間に皺を寄せる。

「……何です?」

「別に」 

「失礼じゃありませんこと? 人の顔をジッと眺めておいて、理由はないと仰るの!?」

 魔法の腕は成長していても、相変らず突っかかってこずにはいられない女なのは変わらない。

 マリッタは小さく溜息を吐いたが、ある事に気付いて再び口元を緩めた。

「んじゃ言うけど、アンタ土塗れよ? 貴族のお嬢様が土遊び?」


 その指摘に、エルネスタは白い肌を朱に染めた。

 手の甲で確かめるように頬を拭う。本当に土が付いているのを確認したのか、取り繕うように説明し始める。

「んなっ!? こ、これは違います! あ、あの土で出来た避難所に避難していた為で……」

「何でそんなところに? 危険なのが分からなかった?」

「し、仕方ないでしょう!? そういう指示だったのですから! 私だって知らない事はあります! もしこの薄汚い魔物にあんな特性があったのを知っていれば、率先して止めていましたわ!」

「もしかしてアンタ、あの中でやられそうになってたの?」

 口早に弁解するエルネスタに、至って真面目な顔でマリッタは質問を繰り返す。

 どうやらエルネスタは恥ずかしさが先に立って、からかわれている事に気付いていないようだ。


「私を他の生徒と一緒にしないで下さい! 私は何の影響も受けておりませんわっ! 今の様子をご覧になれば分かるでしょう!?」

「じゃあ、何で直ぐ出てこなかったんだ? 怖くて隠れてた?」

「侮辱ですか!? 違いますわ! 仕方ないでしょう? 運悪く土のメイジの方々が全員気絶してしまって、出るに出られなかったのです。あんな密閉された場所で、土壁を吹き飛ばすような強力な攻撃魔法を不用意に使うわけにはいきませんから。まぁ、後先考えない貴女でしたら違うのかもしれませんが」

「なら、アンタが出てこれたのはアタシのお陰ってことね」

「マリッタさんのお陰? 何故そう…………まさか、先程の魔法は貴女のモノでしたの!?」

 エルネスタは思わず身を乗り出す。

「感謝しな」

「何を馬鹿な! 危うく巻き込まれる所でしたわ! 貴女、私達を殺す気ですか!?」


 エルネスタは魔物の鳴き声が止まったのを確認してから、最後の手段として強引に出ようと画策した。だが、いざ魔法を使おうとしていた所で、マリッタの魔法が目の前の空間を削り取っていったのである。

 あと少し前に立っていれば、身体ごと削られていた可能性だってあった。

 その時の恐怖を思い出し、エルネスタは真っ赤になってマリッタを咎めた。


 ただマリッタはどこ吹く風で、「でも結局アタシのお陰だろ?」と申し訳ない素振りすらない。そのマリッタの態度に更にエルネスタは怒る、という悪循環だった。

 しかし、そんな口喧嘩をしていて尚、マリッタ達の手は止まる所か、寧ろ勢いを増していた。

 魔物の達の屍が段を飛ばして積み上がっていく。



 その頃、アーラ達の方も集団としての力を増していた。

 洞窟の中に居た者達が合流したからである。

 ”鳴き声”によって昏倒してしまった生徒も多く居たが、その他の生徒達は何とか戦えるところまで力を取り戻していた。

 そして、”洞窟”の中には十数名の教師達の姿もあった。全員辛うじて無事であった為、それにより戦力の大幅な増幅が期待できることは大きい。

 四種の属性のメイジは元より、回復魔法使いも十名近く居る。

 魔法師団としての形が、朧げながら整ってい始めていた。


 ただ数万以上の魔物を前に、凡そ二百五十名程度ではまだ数が足りない。

 一人が百匹以上倒さなくてはいけない計算になる。マリッタという枠外の戦力が居たとしても、厳しい事に事に変わりない。それ以上の速度で魔物は増えていくからだ。

 それを示すように、南の空には続々と魔物達が現れ続けていた。雨の日の河川のように、学校の敷地内に溢れんばかりに集まっている。


 また一団の戦力が整ってきた事を警戒してか、そちらへの攻勢も始まった。

 ただマリッタへの圧力が減ったわけではない。それを維持するだけの物量が存在するのだ。


 更に不安材料があった。

 それまでどこかに消えていた巨大な『ウォーバット』が再び戦線に復帰したのである。

 ”咆哮”を惜しみなく使用し、一丸となりかけていた集団に多大な被害を与え始めていた。

 ”咆哮”によって怯んだ部分を狙い、穴を穿つように大群が襲い掛かる。その連携によって、一丸となっていた集団は早くも三つほどの集団に分断されてしまっている。

 このまま手を打てなければ更に分断され、やがて各個撃破されるのは明らかだった。


 離れている為か、巨大な『ウォーバット』はマリッタ達の方へはやってこない。

 集団が襲われる様を遠目に眺めながら、エルネスタが不快気に呟く。

「あの魔物……厄介ですわね」

「……止めときな」


 集団を、というより巨大な魔物の方へ歩き出そうとしていたエルネスタをマリッタが止める。

「何故止めますの!? あの魔物を誰かが仕留めなかれば、大変なことになります! それがお分かりにならなくって?」

「そんな事は見たら分かる」

 マリッタは一言に切り捨ててから、

「孤立するのは止めときな。碌な事にはならない」

 まるで自分は先程まで孤立していた事を忘れたような発言をする。

 寧ろ清々しいまでの棚上げっぷりに、エルネスタはポカンとあっけに取られた。我に返り、呆れを前面に押し出しながら面白がる。

「まさか貴女にその指摘をされるとは思いませんでしたわ」

 マリッタが何を言うのか、エルネスタは少し興味が湧いたが、続く返答を聞いて二の句が告げなくなる。


「アタシは別」


 何と言ってやろうか、言いたい事は山ほどあるが言葉にならない。そんな表情で固まったエルネスタに向かって、マリッタはもう一言だけ言い添えた。

「……ただ、確かにこのままじゃ拙いわね」

 その口調に軽々しさはなく、エルネスタが言おうとしていた辛辣な台詞は宙に消えた。


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