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The Left Arm Wars  作者: 過酸化水素水
【5章 偽りの想念】
112/121

107: 長(上)

 

 アーラは校舎の方への視線を保ったまま、運動場に向かっている集団へ急いだ。

 大分数を減らした魔物達だが、再び集まり始めている。

 飛び掛ってくる固体も居たが、アーラは手に持った箒、もとい竹で追い払う。

 互いに近づいている形だった事もあり、程なくして集団の元に辿り着いた。


 前から近づいてくるアーラには気付いていたのだろう。

 先導していた教師達の視線がアーラに集まる。

 息を整えるのも惜しいとばかりに、アーラは一息に叫んだ。

「ま、魔物の大群が近くまで来ている! もうあちらに向かっている時間はないっ!」

「なっ、何だね君はいきなり。それは分かっているから邪魔するんじゃない!」

 教師の一人が集団の前に立ち塞がっているアーラを鬱陶しげに押しのけようとするが、アーラも負けじと押し返した。

 教師が”魔物の大群”を取り違えている事が朧げに分かったからである。

「押し問答を行っている場合ではない!」

「こ、このっ……」

 先導の教師達がアーラを排除しようと、剣呑さを覗かせ始める。


「ア、アーラ!?」

 実際に彼らがそれを行動に移そうとした直前に、背後から高い声が上がった。

 自分の名を知っている相手は、この学校には限られている。

 アーラの想像通り、振り返った先にはオレリアとカリーヌ、ベルナルドの姿があった。

 彼女達は慌ててアーラに近寄ってくる。どの顔にもホッとした様な安堵の表情が張り付いている。

「良かったぁ。無事だったんだね!」

「よ、良かったです」

 アーラも見知った顔に表情が綻ぶ。

「お前達も無事そうで何よりだ」

「見てのとおり、先生達には伝えたよ」

「声も掛けられるだけ掛けてきた」

 オレリアとベルナルドが報告する。

「で、アーラは何をしてたの?」

 その問いで、アーラは緩みそうだった緊張を取り戻した。

 自然と険しい表情になり、教師に視線を戻す。


「もうあちらまで行っている時間はない! この場で避難所を建造してくれ!」

「何を急に……」

「時間が無いと言っている!」

「ちょ、ちょっとアーラ」

 オレリアは興奮したアーラを落ち着かせるため、肩を掴もうとするが、

「校舎の奥から、大群が寄ってきているのだ!」

 というアーラの怒声によって、その手は行き場を失った。


 教師達はアーラの剣幕を見て真剣さを感じたのか、互いに顔を見合わせる。

「何を馬鹿な事を言っている。当然そちらも十分に警戒をして……」

 校舎の方を見ながらアーラの言葉を否定しようとした教師が、途中で固まった。

 アーラは教師の様子の不自然さに気付き、直ぐに同じ方へ視線を向ける。

 その光景を瞳に移すと同時に、アーラの眉間に皺が寄った。

「くっ、遅かったかっ!」

 焦燥が口を吐いて出る。


 校舎の上・横と言わず全てから。まるで染み出してくるように『ウォーバット』が次々に姿を現しようとしていた。段階を飛ばして増え続けている。

 それらは明確な意思を持つ一個の個体のように、脇目も振らずこちらに近づいてくる。

 その光景は生徒達の心に致命的な一撃を加えるには十分すぎた。

「な、何だあれ!?」

「凄い数よ!?」

「だ、駄目だよぉ! 無理だよ。逃げなきゃ!」

 口々に上がる声には、恐怖以外の感情が感じられない。

 教師達も呆然とせざるを得なかった。

 しかし、流石に生徒よりは冷静だった。直ぐに対応を協議し始める。

 といっても、集まって密談するような余裕は無い。生徒を護るように前に出ながら、口々に考えを叫び合うのみである。


 アーラもそこに参加する。

「あちらほどの大きさは無理だろうが、直ぐにこの場で避難所の建造を! それで何人かは助けられる」

 誰に対してではなく、そう呼びかけるが、

「いや、それは無理だ!」

 あっさりと却下される。


「ここでは、『硬化(ハーデン)』が使えない!」



 『硬化』とは、土や鉱物で出来たものを硬質化させる(ソルム)の魔法である。

 土系のメイジにとって、地面を隆起させる魔法『隆起(ライズ)』。

 地面を陥没させる魔法『陥没(シンク)』。

 それらと並び、初歩の魔法とされている。

 通常は建物の建造などの際に、一時的に足場を固める必要があった場合に用いられる。

 例えば、あちらの”洞窟”の外壁が固かったのも、『硬化』によるものであった。

 

 他の属性とは異なり、(ソルム)には特殊な制限がある。

 (ウェントゥス)が大気を魔力で操るように、土は大地に魔力を通して操る。

 両者は似ているが、決定的に異なる部分が存在する。

 風魔法は目に見えない”大気”という抽象的なものを操っているのに対し、土魔法は誰の目に見える”土”を操っている。

 つまり土は物質に対し魔力を流す為、操る物質を選択する必要があるのだ。

 土系のメイジはそれを無意識的に行っている。どの土質を操ろうかなどと、意識して魔法を使っている訳ではない。

 だが、だからこそ制御する土壌は混じり気が無い場所が望ましかった。


 もちろん熟練したメイジであれば話は別である。”学校”の教師ともなれば、どこであっても操る事は可能だ。

 ただ、生徒達はそうはいかない。

 このような先の見えない状況では、生徒の力も必要となる。特に避難所を作って、そこで危機を凌ごうとしているのであれば尚更である。

 『硬化』によって補強しないと、あの物量は防げないからだ。

 土系に限らず、魔法の効果は永続的に続くものではない。あくまで魔力が込められている間だけである。

 となればそれ程長くは続けられない。魔力は無尽蔵に湧き出るものではないのだ。

 全力で走り続ければ、いつかどこかで息継ぎが必要になるのと同じ。魔力も休息を挟む必要がある。


 であればこそ、交代要員は多いに越した事はない。

 それにただでさえ、土系のメイジは絶対数が少ない傾向がある。この学校を見てみても属性の割合では四属性中最も人数が少ない。一人でも無駄には出来なかった。


 そして、アーラは知らなかったが『硬化』は、というより土魔法には、制限だけではなく他の属性にはない強みもある。

 それは”重ね掛け”が可能なことだ。

 同じ魔法を重ね合わせるメイジの質、数によって、より強力な効力を発揮する事が出来るのである。

 『硬化』でいうと、基本的には数が多い方が、一人で行うよりも圧倒的に堅くなる。

 教師達の目算では、『硬化』で最大限に固めた地面ならば、人間の赤子ほどもない小さな魔物が何万匹襲ってこようとも防げる筈であった。


 話は戻り、そのような魔法がこの場では使えないのは、今集団がいる地面は大小様々な石が地面から顔を覗かせているからだった。

 教師達がこの場で”洞窟”を作り上げれば、それらが含まれてしまうことは避けられない。

 生徒達にとって、岩や石が混ざった土壌は決して操りやすいとは言えず。上手く『硬化』できない箇所から崩壊に繋がる可能性は大いに考えられた。

 対して、運動場はほぼ同じ成分の土質で構成されており、余計な不純物も少ない。教師達がそこに避難所を作ろうとしたのは、そうした理由からであった。

 残念ながら、ここに建造して大群の猛攻を耐えうるか、一か八かで試してみるような余裕はない。なので、今この場では”洞窟”が建造できないと教師達は判断していたのである。


 つまり先程の教師の言葉を補完すると、

「ここで(建造して)は(生徒達は)『硬化』が使えない(から、ここで建造するわけにはいかない)」

 という事になるだった。

 

 アーラはそれらの事情を知らない。

 教師達にしてみても、説明をしている時間は無く。

 なので明快な理由を得られず、アーラの苛立ちは募った。

 再び提案しようとした時、不意に肩を叩かれる。

「ア、アーラ様。土系の魔法は特殊なんですよ」

「リシャールか!」

 聞き慣れた声にアーラが振り返ると、恐れと喜びを滲ませた複雑な表情のリシャールが立っていた。

 薄汚れているが、傷らしい傷はないようだ。

 アーラはそれに安心しながらも、今のリシャールの言葉の意を確かめようとする。

 

 が、その前に教師が生徒達に向かって声を張り上げた為、関心はそちらに奪われた。

「ともかく、全員急いで運動場へ向かいなさい!」

 だが目の前で急速に膨れ上がっていく群れの前で、走りだせる者は居なかった。

 もう魔物の群れは目と鼻の先だ。どの道、直ぐ追いつかれる。ならば孤立するよりは、この場で集団で応戦した方が良い。皆、そう考えたのだ。


 そうして再び、誰もが望まない戦いの火蓋が切って落とされる。

 続々に湧き出る数からすれば、恐らく数千は下らないだろう。その魔物の先鋒が遂に襲い掛かってきたのだ。

「く、来るぞ! 全員下がれ!」

 誰かの警告が校庭に響くが、誰の耳にも届かない。いや、耳には入っていたが、行動に移せなかった。


 衝突の直前、前方に巨大な壁がせり上がった。

 校舎の高さの中ほどまであろうかという土壁が、土煙と共に集団の視界を塞ぐ。

 教師の土系のメイジ達が『隆起』を使ったのだ。

 魔物が勢い余って壁に衝突するのを期待したのか。

 その思惑は成功し、まるで地響きのような衝突音が壁から聞えてくる。

 だが、それも僅かな間だけで、直ぐに壁の左右上の三方に回り込んだ群れが姿を現す。


 これこそが教師達の真の狙いだったのだろう。

 待ち構えていた教師達の魔法が一斉に解き放れた。

 右の群れには(アクア)のメイジが、左から現れた群れには(イグニス)のメイジが。上を乗り越えてきた群れには(ウェントゥス)のメイジ達が当たる。

 三方での強力な魔法の先制攻撃は、群れの先鋒をごっそり削る事に成功した。

 土壁の陰から漏れ出していた溢れんばかりの群れの先鋒が、一瞬途絶えた程であった。

 直ぐに後から湧き出してくるが、そこに再び教師達の魔法が放たれる。


「す、凄い! 今のはどれも中級魔法ですよ!」

 リシャールの口から自然と称賛の声が漏れる。

 教師達は流石に学校の教師だった。

 彼らが放っているのは、リシャールの言葉通り、それぞれの属性の中級魔法だった。

 どれもそう簡単に見る事が出来ない高等な魔法である。中級魔法を使えるメイジは決して多くはないからだ。

 子供の頃から自由騎士をしているリシャールであってもそうなのだから、アーラに至っては、殆どが初めて目にする魔法ばかりであった。

 アーラは興奮で、手にしている竹の棒(・・・・)を知らずの内に握り締めていた。


 そして、それは生徒達も同じだった。

 生徒達にしても教師の本気の魔法など、そうそう見る機会はない。

 また魔法への想いも、学校の生徒だけあってアーラのような外の人間より余程強い。

 目の前で繰り出される数々の魔法に魅了されたように見入っていた。

 ――――そこへ、この場には明らかに相応しくない。緊張感の無い声が差し込まれた。


「皆さぁん、こっちですぅ~~~」


 左程大きな声ではなかったが、聞き覚えのある声であることと、異質な調子であったことが妙に気を引き、アーラはそちらに視線をやった。


「エレーナちゃん!」

 アーラと同じく気を取られたのだろう、声の主に気付いたオレリアが叫ぶ。

 そこに居たのはエレーナだった。

 あちらの教師達の中に姿が見えなかったのでアーラは少し気になっていたが、どうやら彼女も無事だったようだ。


 間の抜けた声に気を取られたのは二人だけではなかった。

 生徒の多くが、集団の後方でぶんぶんと手を振っているエレーナに目を向けていた。

「皆さぁん、今の内にあっちに行きましょ~~」

 エレーナはそう言って、その場でピョンピョン跳躍しながら、運動場の方を指し示す。

 突然の事に戸惑っていた生徒達だったが、エレーナ以外の数名の教師が同じように集団の後方に立ち、避難を誘導し始めたのを見て次々に移動を開始した。

 教師達に混じって交戦し始めていた生徒も居たが、大部分の生徒達が移動していくのを見ると、攻撃の手を止め、後に続いた。

 オレリア達も迷わず後を追って行った。


「アーラ様、僕達も行きましょう!」

 リシャールの促しに、アーラは頷く。

 魔法を満足に使えないアーラに出来る事は、この場には何もない。

 アーラは走り出したリシャールの後に続いた。

 一度校舎の方を振り返ると、その場に残った教師達は強力な一撃と、手数を重視した攻撃を交互に繰り出しながら、土壁からの侵入を防いでいた。

「アーラ様! 急いで下さいよぉ!」

 リシャールの焦りが込められた声に、

「分かっている! 行くぞ」

 怒鳴るように返すと、アーラは今度こそ前方を向いて走り出した。


+++


 生徒達は土壁の方角を北だとすると、真っ直ぐ南に列を成していた。

 どうやら先導しているエレーナ達の指示のようだ。

 そちらにあるのは正門で、運動場は南西に当たる。まさか学校から逃げ出そうというのではないだろう。

 なら何故明後日の方角に進んでいるのか、一瞬分からなかったアーラだったが、直ぐに悟った。

 そのまま運動場の方に向かった場合、校庭を斜めに横断することになり、土壁で隠れている範囲を直ぐに超えてしまう。そうなっては魔物の要らぬ注意を引きかねない。それを防ぐ為に違いない。

 元々数が違う。一箇所に敵を集めなければ、如何に教師たちと言えど、水際で防ぐ事は叶わないだろう。


 行動の理が分かり、アーラは躊躇う事無く列の後方に混じった。

 列の先頭は目的の場所の真横辺りまで進むと、そこから直角に折れ曲がる。後は真っ直ぐ運動場を目指すだけだった。


 エレーナは丁度折り曲がり地点に残り、後から来る生徒達の誘導を続けていた。

 そこにアーラ達が至る。

 アーラ達の姿を見い出したのか、エレーナは二人の無事を喜ぶかのように爛漫な笑顔を向けてきた。


 二人はすれ違い様に声をかける。

「ごくろう様です!」

「エレーナ師も急ぐのだ」

「そうですねぇ。分かりましたぁ」

 エレーナは大きく頷き返した。その明るい笑顔からは不安は何も感じ取れない。

 この教師は本当に状況が分かっているのだろうか。

 そんな思いを抱きながら、アーラは運動場へと辿り着いた。


 それに気付いたのか、とうに着いていたオレリア達が少し離れた場所で小さく手を振ってくる。

 アーラはそれに手を挙げて応えた。ただ互いに目で確認し合うだけで、近寄ったりはしなかった。生徒達は密集しており、容易に近づけそうになかったからだ。

 無事で居るならそれでよい。アーラはそう考えると、ただ注意深く動向を見守り続けた。


 魔物の大部分は教師達が防いでいるようだ。

 見ずとも分かる。校庭には轟音が鳴り響いている。

 だが教師達も永遠に魔法を使い続けられる訳ではない。いずれ攻撃の手が続かなくなり、魔物の侵攻を許してしまうだろう。

 その時はもうそこまで来ている、そうアーラは思った。


 そうこうしている内に、生徒の大部分がこの場に辿り着いていた。

 エレーナの姿も少し離れた場所に見つかる。

 どうやら傷ついている生徒を介抱しているようだ。薬だろうか。手に持っている小瓶を生徒に振りかけている。

 ともかく問題なさそうである事が分かり、アーラはそちらへの視線を切った。


 目の前の建造物に目を向ける。

 先に作られていた二つの”洞窟”は、先程までは開いていた出入り口が土の壁でしっかりと閉ざされている。

 空気穴は開いているため、外の声や魔法の轟音は中にも届いている筈だ。

 ただ中からは何も聞えてこない。

 皆息を潜めているようだ。音だけ聞える、というのが逆に不安を掻き立てるのかもしれない。


 集団はそれの隣に集まった。

 ただ一向に建造は始まらない。土の教師達は向こうで戦闘中である為だ。

 なので自分達にはどうすることも出来ない。それは先導役の教師達も同じだった。生徒達に落ち着くように訴えているが、効果は見られない。

 気ばかりが焦り、生徒達は目に見えて殺気だっていた。


 我慢し切れなかったのか、集団のあちこちで黄色の光が立ち上る。

 土の生徒達が、先に建造を始めようとしているのだろう。生徒達の期待も彼等に注がれる。

 しかし、彼らでは地面を『隆起』させることしか出来なかった。

 空へ向けて地面を直立に伸ばし、四方を囲んだ”壁”を作ることは出来ても、そこから洞窟の形に持っていく事が出来ないようだ。一人一人のメイジの担当箇所の結合部分が、思うように結びつかず、衝突しては崩れていく、を繰り返していた。


 頼りない仲間に、一部の生徒達の罵声が飛ぶ。

 皆を守る為の行動であったにも関わらず、そんな態度はないと、土の生徒達も不貞腐れ、状況はまるで進まなかった。

 正直、アーラも期待した分、彼らを不甲斐なく思っていたが、

「『隆起』させた地面を望みの形に変形させるのは実は難しくて、土の中級魔法と言えますからね……あの人達では無理でしょう」

 リシャールの言葉により、己の間違いを悟った。

 やがて土のメイジ達は建造を断念したようだ。

 黄色の魔法光が収まっていく。


「で、でも、どうするんですか? これから」

 リシャールから不安そうな呟きが盛れる。

 視線は二つの”洞窟”に注がれている。既に避難できている者を羨ましく思っているようだ。

「……あちらの教師達を待つしかあるまい」

 恐らく戦闘中の教師達も、どこかでこちらに向かおうと考えている筈だ。

 それを期待する以外、アーラにも良い考えはなかった。


 そうして、大凡二百名程度からなる生徒達の集団は、焦燥だけが募る無駄な時を刻んでいた。

 大部分はあちらの教師達が相手どっているが、散発的に現る『ウォーバット』の一部は、待機中の生徒達へ襲い掛かってきている。

 不安や苛立ちをぶつけるように、交戦的な生徒達がそれらを駆逐する。

 何となくアーラはその様子を眺めていた。


 不意にアーラは、何か違和感を感じた。

 劈くような遠吠えを耳が認識した途端、脳内に締め付けられるような痛みが駆け巡った。

 気付くとアーラは地面に片膝をついていた。

「ぐっ、なんだ……これはっ」

 思わず呻きが漏れる。

 頭は痛むが立ち上がれない程ではない。

 アーラはふらつく頭で何とか立ち上がり、状況の確認に努めようとする。


 先ず隣に居たリシャールの姿が目に入る。

 リシャールは地面にへたり込んでいた。顔を歪めて両手で頭を挟み込んでいる。

「い、痛いですぅ」

 口が訊けるのであれば、どうやらリシャールも無事なようだ。


 周囲を見回すと、自分の近くにいる生徒達十数人が、同じように突然の頭痛に苦しんでいた。

 続いてそれ以外の生徒達へと視線を巡らせる。

 アーラ達からは少し離れていた為か、被害にはあっていないらしい彼らは、皆同じように空の一点を呆然とした面持ちで見上げていた。

 その中の誰かが呟きを漏らす。

「な、何だ、あいつ?」

 アーラはこめかみに走る痛みに耐えながら、自分のいる位置のほぼ真上を見上げた。


 そこには一匹の魔物がいた。

 恐らく『ウォーバット』だと思われる。外見の作りはまるっきり同じに見える。

 ただ一点。他の『ウォーバット』とは違う点があった。

 それは――――


「で、でかいぞ! あ、アイツが魔物達の親玉なんじゃないか!?」

 驚きから覚めた後、生徒達は同時に活性化し始めた。

 アーラの頭上の空に浮かぶ『ウォーバット』は、他のモノと比べて五倍以上は体躯が大きい。サルバと同じ位はあるだろうか。左右の翼を広げれば、人三人分はあるかもしれない。

 

 この場の全員が、その『ウォーバット』に対して警戒を露にする。

 アーラも魔物を捉えると、立ち上がったものの足をふらつかせているリシャールの腕を掴んで、少し後方へと移動した。

「しっかりしろ、リシャール!」

「ふぁ、ふぁあい……」

 リシャールに声をかけてから視線を上げる。

 その巨大な『ウォーバット』は同じ位置で羽ばたき続けていた。空中に静止したまま、まるで見定めを行っているかのように、漆黒の双眸を投げ下ろしている。

 

 生徒達が魔法を放つが、その魔物はまるでそれらの射程を見抜いているかのように、必要最小限の距離だけ高度を上げた。

 やがて誰の魔法もギリギリ届かない位置まで達すると、再びその場で制止した。

 無駄を悟り、生徒達の魔法も自然と止む。


「何だ? 何を見ている?」

 アーラの焦燥も募る。

 こうしている間にも危機は駆け足で近づいている。

 だが目の前の相手の異質性は、意識から除外させる事を許さない。焦りながらもアーラは理解していた。この魔物から注意を割いてはいけないと。


 突然、魔物が急降下し始めた。

 全員が思わず身構える。

 魔物は降下しながら、まるで息を大きく吸い込むように口を大きく開けると、校庭中に轟くような雄叫びを上げた。

 そして、地上の生徒達に向かって咆哮する。

「ぐあぁっ!」

「な、何コレ!?」

 位置的に魔物の下にいた生徒達が、先程のアーラ達と同じように、頭を抑えてのたうち始める。


 少し離れた位置に居た為、今度は被害を免れたアーラは、再び離れていく魔物を視界に収めながら驚嘆の声を上げる。

「先ほどはこれか! 何という……これが奴の”鳴き声”か!? これでは密室でなくとも危険だ。今までの奴等とは段違いではないか!」

「み、みたいですね」

「何故奴だけ身体が大きい? 本当に奴が敵の親玉なのか?」

「わ、分かりませんけど……多分それは」

「それは何――――っ、いかん!」

 歯切れの悪いリシャールの言葉が引っかかり、アーラは聞き直そうとするが、

「こっちに来るぞ、離れろリシャール!」

 その前に魔物が再度近づいてきた。

 ”鳴き声”の厳密な効果範囲は分からないが、この場に居ては確実に巻き込まれるだろう。それだけは、はっきりと分かった。

 アーラとリシャールは慌てて駆け出す。

「う、うわあああああっ!」

 同じく近くに居た生徒達も蜘蛛の巣を散らすように離れていく。

 そして、再び”鳴き声”――――いや”咆哮”が轟いた。


 それから魔物は何度も近づいては”咆哮”を発し、集団が魔法で応戦しようとすると離れていく。

といった、行動を取り続けた。

 その度に生徒達は否応なしに退避させられ、今は運動場のほぼ半域に渡って散らばってしまっていた。これでは”洞窟”に避難するどころではない。

 こちらにいる数名の教師達も何とかしようとしているが、効果的な攻撃を加えることは出来ずにいる。

 校舎前で戦闘中の教師達も”咆哮”は聞えているだろうが、未だ足止めに精一杯のようだ。加勢は望めそうに無い。


 更に数度”咆哮”をした後、魔物は人の居なくなった運動場の一角に降り立った。

 一つ目の”洞窟”の真上だ。

 中から『硬化』しているのだろう。巨大な魔物が乱暴に降り立った衝撃にもビクともしない。

 『硬化』の事は聞いていても、見た目はそれ程頑丈そうには見えない。

 そういったアーラの心配はまるで杞憂だったようだ。その事を理解し、アーラは小さく安堵の吐息を吐く。


 警戒は続けながらも、アーラは隣で縮こまっているリシャールに話しかける。

「ところで、さっきお前は何を言いかけた? 何か考えがあるようだったが」

「え? あ、はい……アイツが親玉かって話でしたよね」

「うむ。一見して分かるだろう。他のモノとはまるで何もかもが違う。奴が親玉だというのは間違いないだろうが、問題は親玉を倒せば他の奴等が逃げてくれるか、だ。そうであってくれるのであれば、話は大分単純になる」

 アーラは期待を込めるように、巨大な『ウォーバット』の方へ視線を送る。


「い、いえ、た、多分違います」

 対して、リシャールは小さく首を振りながら否定した。

「む? お前は奴を倒しても、他の奴等は逃げないと言うのか?」

「いえ、それは僕にもよく分かりません」

「む? どういうことだ?」

「あ、その、僕が言ったのは、親玉を倒せば逃げるかについてじゃなくて、アイツが『ウォーバット』の親玉……”長”かどうかについてです」

 リシャールは苦虫を噛み潰したような顔で説明を続ける。


「たぶん……ですけど、あの大きいのは”長”じゃないと思います」

 たぶんと言いつつも、その口調からはリシャールがそれを確信しているのが伝わってきた。


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