105: 応戦
廊下に飛び出したアーラ達は、見張りの教師が居ないことに気付いた。
外の様子に気付いて出て行ったのか、オレリア達に同行したかのどちらかだろう。ともかく止められる面倒を考えなくてよいのは有難かった。
そのまま正面玄関に向かって廊下を走る。
正面玄関付近には、多くの生徒の姿があった。空の異変を見つめながら、ああだこうだと騒いでいる。
この位置からは校舎が壁となり死角になっているからか、外で一部の生徒達が戦闘していることにまだ気付いていないようだ。でなくば、助けにもいかずここでボンヤリとはしていないだろう。
「お前達! 外で生徒達が魔物に襲われている! 救出を手伝ってくれ!」
アーラは駆け抜けざまに呼びかける。
だが反応は鈍い。
皆、見知らぬ少女が突然訳の分からない事を叫びだした、というような視線を送ってくるのみである。
アーラは口惜しげに舌打ちする。
「ほ、ほら、アーラ様。僕達だけで行っても何の役にも立ちませんよ。だから早く逃げましょ? これ以上は本当に危険です。ヴェラさんがここに居たら、絶対に同じ事を言いますよ?」
ここぞとばかりに背後にいるリシャールが、情けない声で進言してくる。
だが、それをアーラは無視した。
ヴェラの名には少なからず動揺したが、このような状況下でアーラが人を救う為に動く事を止めはしても否定はしない。ヴェラはそういう女だと、思い直したからである。
「我等について来てくれ! そうすれば話が真実だと分かる!」
アーラは話が真実であることを証明する時間を惜しみ、一方的に言い残すと、生徒達の反応を見ることなくこの場を離れた。
リシャールは離れていくアーラの背中を見つめ、ガックリと肩を落とした。視線を向けてくる生徒達に泣きそうな表情で笑いかけると、後に続いた。
+++
外に出たアーラは、校舎をぐるりと廻わりこんだ。
視線の先に『ウォーバット』と戦闘中の生徒達の姿を捉える。
既に戦闘しているのは、生徒一人だけだった。他の生徒達は地面に蹲るようにして倒れている。
それらの生徒達に複数の魔物が群がっていた。やはり多勢に無勢だったようだ。
アーラは惨状に目を見開くと、一層足を速めた。
しかし、丁度中間辺りに達した所で足を止める。
無造作に放られていた竹製の箒と、木製の塵取が視界に入ったからだ。戦闘していた生徒達が持っていたものだと思われる。
アーラは躊躇う事無く、箒を拾い上げた。
柄を持って、力強く握り締め感触を確かめる。箒の先の部分を折ろうとして、止めた。
このままの方が敵を払うのに都合がよいと考えたのだ。
「アーラ様だけ!? ぼ、僕の武器は!?」
隣で悲痛な声が上がる。
アーラは煩わしそうに眉を顰めると、塵取を拾い上げてそれを手渡した。
リシャールはそれを震える手で受け取る。取っ手の部分を持ち、引き攣った顔の前に掲げた。
「こ、こ、これで、身を護れ、って?」
「仕方なかろう、それしかないのだ」
「ぼ、僕もそっちが良いです! アーラ様、交換して下さい!」
「お前には魔法があるだろう? それで応戦しろ」
「剣を置いて来ちゃったから、触媒が無いんです! だから交換してください!」
「断わる!」
「そ、そんなあぁぁぁぁ」
清々しいまでにキッパリと言い放つと、アーラは再び走り出した。
この間に、最後の一人もやられてしまっていた。既に立っている生徒はいない。
彼らの安否が気にかかりながらも、アーラは先に魔物を払う事だけを考えることにした。
「でやあああああああああああっ!」
掛け声と共に、アーラは魔物の群れの中に突っ込んで行った。
同時に振り回すように箒を振るう。
『ウォーバット』達は、突然現れた新たな敵を警戒するように離れていく。倒れた生徒に群がっていた『ウォーバット』も、一斉に飛び立った。
アーラはその隙に、生徒達から少し距離を取る。
魔物の注意を引きつつ、彼らから引き離そうと考えたのだ。
その企みは当たり、魔物達はアーラの前に集い始める。やがて一つの群れとなり、アーラに向かって威嚇の声を上げた。
「……これか、リシャールが言っていたのは」
魔物達の鳴き声を受けて、アーラは顔を苦痛に歪める。
『ウォーバット』の鳴き声の効果なのだろう。こめかみの辺りがチクチクと痛んだ。
確かに、屋内でなく屋外で相対するのは正しかったかもしれない。これ以上、痛みが倍増するのでは戦闘に大きな支障を受けるに違いないからだ。
そこに遅れていたリシャールが、ようやく追いついてくる。
「や、やっぱり、もう警戒色ですよぉ……」
リシャールは魔物達を見るなり、泣きそうな声で呟いた。
「さっきも言っていたが、なんだそれは」
「あいつ等の瞳の色ですよぉ……赤いでしょ? ああなった魔物は怒ってる証拠なんです。僕等が敵と認識されちゃったんですよ! 仲間も呼んじゃった筈です……」
「そうか。ならば我々も、もう他人事ではないと言うこと、だ!」
言い終えるか否かのところで、一斉に『ウォーバット』が襲い掛かってきた。
アーラは正眼に構え、固体というより、群れ目掛けて箒を振り下ろした。
何匹か打ち据えた感触が手に伝わってくる。
が、それでも一閃を逃れたものの方が多く、すり抜けた『ウォーバット』は体ごとアーラにぶつかってきた。渾身の力で箒を振り下ろした体勢だったので、避けることも出来ず体中に衝撃を受けた。
一匹当たりの衝撃はそれほどでもない。
だが数がいる所為か、立て続けの衝撃の威力は侮れないものがあった。
踏鞴を踏んだが、何とか倒れるのは持ち堪える。アーラは体勢を立て直すなり群れを見据えた。
魔物の群れはアーラを通過すると、再び空に上がっていく。
その間リシャールは、アーラが打ち据えて地面に叩きつけた数匹に対し、手に持っていた木製の塵取の角で追い討ちをかけていた。
武器にしては頼りないことこの上ないが、『ウォーバット』の体躯が小さい事が幸いし、何とか塵取でも仕留める事は出来た。
といっても、頭部目掛けて何度か殴打する必要があり、一匹を仕留めている間に他のものは逃げてしまっていたが。
魔物はパッと見、三十匹近く居る。
相手をしている間にも増える事が予想され、このままではいずれ数に飲み込まれるだろうという事がはっきりと分かった。
「ア、アーラ様ぁ! や、やっぱり、逃げましょう!」
「馬鹿を言え! それに敵として認識されたと言ったのはお前だろう! もう遅い……また来るぞ!」
「ひぃっ!!」
再び魔物達が押し寄せてきた。
自分達の鳴き声が他の生物に与える効果を理解しているのだろう。唸るような鳴き声をアーラ達にぶつけてくる。
「しゃらくさいっ!」
アーラはこめかみの痛みを振り払うように雄叫びを上げながら、再び箒で魔物を迎え撃った。
結果は先程の焼き回し。
打ち落とした数匹のうち一匹をリシャールが仕留め、他は逃げ去っていく。
アーラは体中に痛みを感じたが、行動に支障がある程ではない。
今のように集団が一体となって攻撃してくる分には、迫力こそあるが、十分耐えられる。
アーラとしては先程生徒達がされていたように、個別に纏わり付かれる方が嫌だった。
目の前の敵を相手をしている間に背中に取り付かれでもしたら、一人ではどうしようもないからだ。正直、何故そうしてこないのかが疑問なぐらいである。
理由は単純だった。
『ウォーバット』達の戦い方は基本的には決まっている。
鳴き声で怯んだ相手を取り付いて襲う、という唯一の戦法である。対して知能も高くないので、それ以外の戦法をとれないのだ。
つまり相手が怯まない内は、その戦い方にもっていく事が出来なかった。
今はアーラが逃げる素振りどころか、気迫も全く衰えないので、『ウォーバット』達も探りを入れることしかなかったのであった。
「どうした! それで終わりかっ!?」
そうとは知らず、アーラは徐々に昂ぶっていく。
「あ、アーラ様! あんまり挑発しないで下さいよぉ!」
塵取を盾の様に構えながらも、リシャールは平静を求め続けた。
と、不意に人の声が聞えてくる。
箒を振るっていた手を止め、アーラが注意をそちらに向けると、十数人の生徒達がいつの間にか近くまで来ているのが分かった。恐らく校舎西側の通路から出てきたのだろう。
彼らは先程魔物にやられた生徒達に気付くと、驚きながらも急いで駆け寄り、介抱し始めた。
時を同じくして、正面玄関の前にもちらほら人が現れ始めていた。
こちらの状況に気付いたのか、幾人かが近づいてこようとしている。
「た、助かったぁ」
助けが現れた事に安堵するリシャールだったが、魔物の行動に未だ変化は無い。
「馬鹿者! 気を抜くな、来るぞ!」
先程と同じくアーラに向かって襲い掛かってきた。
それを何とか凌ぐ。
群れが通り抜けた後で、リシャールはホッとした顔で呟いた。
「こ、これでもう大丈夫ですよね?」
そして、救いを求めるように、自分達の位置に近い、西側通路付近の生徒達に視線を向ける。
だが状況はこんな僅かな間にも変化していた。
どこからか新たに出現した『ウォーバット』に、彼らも襲われ始めたのである。
見ると正面玄関付近の生徒達も同じだった。
まだ辛うじて数えられる程度の数しか居ない為か、生徒達の多くは戦闘という選択肢をとったようだ。 空の大群と、目の前の敵との関連性に気付いていないのだろう。でなくば、確実に逃げている筈である。
どうやら、オレリア達はまだ伝えきれていないらしい。
「くっ、このままでは」
この学校の全員が、あの大群に飲み込まれる。
アーラは焦燥する。
だが、その間にも魔物の手は休まったりしない。
「アーラ様! ど、どうしましょう!?」
「分からん! が、今は耐えろ!」
唯一好条件があるとすれば、新たに湧く魔物は他の生徒達を襲っているようで、アーラ達が相手をしている魔物の群れが増えていないことである。
もちろん、それも時間の問題に過ぎない事は分かっていたが。
再び群れが突撃してくる。
数度目の魔物の突撃を受けたアーラは、頬や腕など、肌が露出している部分に血が滲み出していた。
「大丈夫ですか!?」
「心配要らん。掠り傷だ!」
武器も無く、魔法も使えない二人組みにしては、よく持ち堪えていると言える。
ここ最近は滞りがちだが、ビリザドに居た頃は二人とも日々鍛錬を続けていた。そうやって鍛えられた体は嘘を吐かない、という事だろう。
「ア、アーラ様ぁ!」
突然リシャールが甲高い声を上げる。
「今度は何だ! しつこいぞ!」
「あの人達がやられちゃいそうですぅ!」
「何!?」
リシャールの進言によって、アーラは一瞬だけ校舎西側付近で応戦していた筈の生徒達に視線をやった。
騒ぎを聞きつけてきたのだろう。そこには先程までの倍以上の生徒の姿があった。
だがそれに比例して、集まる魔物の数も倍増してしまったようだ。
百匹近いのではないかという程の魔物が、彼等を取り囲んでいた。
「いつの間に!?」
「ど、ど、ど、どうしますアーラ様!? あの人達がやられちゃったら、多分こっちに来ますよ!?」
生徒達はバラバラに散開し、各個で応戦していた。
確かにその方が動きやすいだろう。だが守りの面では裸同然と言ってもいい。
このような明らかな消耗戦では、味方の数を減らさない事が第一だと言うのに。
躊躇う事無くアーラは走り出した。
「リシャール! 彼等に合流するぞっ!」
「え!? あ、ま、待って下さい! 置いてかないで!」
自分達を狙っている魔物の群れを引き連れていたが、気にせず西側の生徒達に駆け寄っていく。
「ど、どうするんです!? 付いてきますよ!?」
リシャールの泣きそうな声に、「構わず走れ!」とアーラは怒鳴り返す。
生徒達の所まで来ると、アーラは大声で呼びかけた。
「バラバラになるな! 一箇所に固まって応戦するのだっ!」
だが、生徒達は反応は鈍い。
目の前の敵を相手するのに手一杯だと言う事もあるが、見知らぬ相手の言葉に従っていいものか判断がつかなかったのである。
「うわあああああぁぁぁ!」
その間にも『ウォーバット』の猛攻に恐怖を抱き、逃げ出そうとした一人の生徒が集中的に襲われ、地面に倒れ伏した。
近くに居た生徒達が、取り付いている魔物を必死に追い払う。
何とか助け出せたものの、生徒はぐったりとして立ち上がる事も出来ない。
首筋や腕から出血が見受けられる。取り付かれた際に咬まれたのだろう。直ぐに救出できたので傷の深さは大した事はないようなのは幸いだった。
生徒が無事そうなのを確認して、アーラはホッと胸を撫で下ろす。
だが、それを見ていた他の生徒達の間には恐怖が奔っていた。
普段、魔法の指導を受けているといっても、その際に相手をするのは同じ生徒。人間である。
しかも、今は命の安全が保証されている授業ではなく、自分の命を狙う相手に対しての実戦なのである。ましてや、それが魔物である。
誰もが恐怖に苛まれ、本来の力を出し切るどころではなかった。
アーラはそうした生徒達の間に漂う萎縮した空気を敏感に感じ取った。
今はとにかく一丸となって戦うべき時である。敵に怯えている暇は無い。
「余計な事を考えるな! 自分がやられない為にどうすれば良いかは、直感で分かるだろう!?」
アーラの叱咤に、生徒達は少し平静を取り戻した。
多くの敵を前にして、一人で相対するよりも仲間が居た方が心強い。確かに真理である。
その事だけを考えると、指示を出している人間が誰であろうと、この際関係なかった。
今は切り抜ける事の方が重要だ。
生徒達はそう思考を巡らせると、機を見計らいながらアーラの元に集った。
バラバラだった魔物達も、釣られるように一個の集団として行動し始める。群れとしての数は膨れ上がったが、こちらの方がよほど戦いやすい。
生徒達は一丸となって、『ウォーバット』の群れに立ち向かった。
風や炎や水の魔法が虚空を切り裂く。
アーラも必死に箒を振るった。
間隙を縫って、リシャールがアーラの傍まで走り寄ってくる。
「皆集まってくれましたけど、この後はどうするんです?」
リシャールは期待の篭った瞳をアーラに向ける。
アーラは箒を振るいながら、吐き捨てるように言った。
「それはお前が考えろっ! この魔物に一番詳しいのはお前だろう!? お前が考えるのが筋だ!」
「はっ!? って、ええええっ!? 何か策がある訳じゃなかったんですか!?」
「ないっ! だから考えろ!」
驚愕するリシャールに、アーラはキッパリと言い切る。
「そんなぁ!?」
動揺するリシャールを尻目に、一人の男子生徒がジリジリとアーラに近づいてくる。
「あっちの奴等がやられそうだ! 助けに行こう!」
彼は正面玄関の方で応戦している生徒達を示しながら、アーラに進言する。
見ると向こうの生徒達も個別で応戦している為か、各個に襲われていた。
何人かは既に倒れている。このままでは残りの生徒も危険だ。
男子生徒に同意しようとしたアーラに、反対側から非難の声が上がる。
「で、でも、あの子達はどうするのよ!? 見捨ててはいけない!」
風系の魔法を放ちながら、女子生徒が反対側から寄って来る。
彼女は最初に襲われて、この場に倒れている生徒達の事を言っていた。
生徒達は傷ついていたが、まだ死ぬほどの重傷ではない。
だがここに放置しておけば、再び襲われるかもしれない。
介抱している暇はないが、自分達がここで奮闘していれば敵の気を引ける。助けられる可能性も上がるに違いなかった。
「だが、このままじゃ戦える人間がいなくなる!」
「だからって見捨てていいの!? 同じ学校の仲間じゃない!」
どちらも自分の主張を譲らない。
当然である。どちらの主張も間違ってないからだ。
他の生徒達は周囲の生徒達と協力しながら、必死に襲い来る『ウォーバット』と応戦する。
だが意識の半分は、話の帰趨を見守る事に向けられていた。
アーラは少しだけ考え、結論を出した。
「分かった。お前達の言い分は正しい。では私があちら側に行ってこよう。同じように一丸となって戦うように指示してくる!」
「で、でもそれじゃ、アンタが狙われるぞ!?」
「気にするな、走っていく。一人になるのは、あちらの生徒達と合流するまでの少しの間だけだ」
アーラはそう言って、力強く頷く。
「だ、駄目ですよ、アーラ様! 危険です! アーラ様にそんな事させちゃ、僕が皆に殺されちゃいます!」
アーラの服の袖を引っ張りながら、リシャールは泡食ったように慌てて止める。
ヴェラ、サルバ、マリッタ、グラストス。
それらの顔が順に脳裏に浮かび、リシャールは顔を青ざめさせた。
後でアーラを危険な場所に行かせた事を知られたら、彼等に何をされるか分かったものではない。
そんな未来の想像に震えていると、リシャールはハタと何かに気付いたように声を上げる。
「そ、そうだ、マリッタさんだ! マリッタさんはどこです!? マリッタさんが居ればこんな奴ら、どうとでも料理してくれますよ!」
マリッタはまだ校舎の中なのだろうか。
もしかしたら、アーラを探している可能性もある。
リシャールは一縷の光を見出したように、校舎に視線を送る。
しかし、アーラはその希望に乗らなかった。
「確かにそうだが、今はここには居ない者を考えている暇は無い! 今すぐあちらに行かねばならん! 心配するな。私の足は遅くない。お前も知っているだろう」
「で、でも……もう少し待ってたら、もしかしたら……」
「うるさい! 行くといったら行くのだ!」
しつこく粘るリシャールに、アーラは憤慨する。
今は問答をしている時間も無い。
アーラの苛立ちの篭った目は、そう言っていた。
それを見たリシャールは、校舎とアーラの顔を何度か目で往復する。
「な、なら僕も一緒に行きます!」
「駄目だ。こちらにも指揮する人間が必要だ」
「そ、そんなの僕には無理ですよぉ!!」
「泣き言を言うな! 魔物に一番詳しいお前が、皆の助けにならないでどうする! ああ! もう話している時間はない!」
アーラが今にも走り出そうとしているのを見て、リシャールは泣きそうな表情で叫んだ。
「じゃ、じゃあ僕が代わりに行ってきますっ!」
思わず口を出た台詞だったのだろう。
叫んだ後で、リシャールは自分で自分の言葉に驚いていた。
アーラも目を丸くする。リシャールにしては珍しく、勇気のある決断だからである。
少し考えた後、アーラは力強く頷いた。
「よしっ、ならば行って来い!」
「は、はぁい……」
余計な事を言ってしまったという表情で、リシャールはガックリと頭を垂れた。
後悔の念に苛まれているのか、小さな声で「仕方がなかったんだ」と繰り返し自分に言い聞かせている。
「話が決まったのなら急いでくれ! あっちはもうやばそうだ!」
話の帰趨を見守っていた男子生徒は、焦りを隠さずにリシャールに呼びかけた。
「うむ! 急げリシャール!」
「わ、分かりましたよお」
リシャールは一度自分の得物に情けない顔で視線を落とすと、踏ん切りを付けるようにブルブルッと首を振った。
やがて覚悟を決めた眼で、アーラを見返す。
「じゃ、じゃあ、アーラ様、い、行って来ます!」
「うむ! 気をつけるのだ! 後、こやつらへの対策は考えておけ!」
アーラの叱咤を受けて、リシャールの顔に再び情けない表情が浮かぶ。
「今だ!」
『ウォーバット』の群れが、距離を取った隙を見計らって、男子生徒が合図を出す。
リシャールはその声に押し出されるように、思い切り地面を蹴った。
「うわあああああああっ!!」
雄叫びなのか悲鳴なのか、判断に困る叫びを上げながら、リシャールは爆走する。
ただ、その声が注意を引いたのか、群れの中にいた一部の『ウォーバット』がリシャールの後を追って行ってしまった。
「いけない! 何匹か付いて行ったわっ!」
女子生徒が魔物の後を目で追いながら、悲痛な叫びを上げる。
アーラはリシャールの方を一瞥もすることなく、正面を向いたまま応えた。
「あいつなら大丈夫だ! いざという時は、自分で何とかするだろう!」
根拠は無かった。
「ともかく、今は目の前に集中するのだ!」
だが、今は気にしている余裕はない。
アーラは視界の端の空に見える黒い塊が、徐々に形を大きくしていることに、焦燥を募らせていた。