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The Left Arm Wars  作者: 過酸化水素水
【5章 偽りの想念】
105/121

100: 黒雲

 

 マリッタはある一室に連れて来られていた。

 先程の場所からは大分離れている。ここに来るまでにも人の居ない教室は幾つもあった。それなのにも関わらずここまで来たという事は、最初から目的地がここであったという事に他ならない。

 空き教室が続いている中にある一室である為か周囲に人の声はせず、確かにここならば集中して話が出来るだろう。

 ただし、マリッタは別に望んではいなかったが。


 コニーは教室の窓を覆っていた黒布を僅かにずらして、外光を室内に入れていく。それまでは薄暗かった教室も、徐々に明瞭さを帯びていく。

 互いの顔を十分に認識できる明るさになったのを確認して、コニーは満足気に頷くとマリッタに向き直った。

「ちょっと遠かったかしら」

「いえ……」

「ご免なさいね。でも、ここでないと駄目だったから」

「…………」

 マリッタは無言で教室内を見回す。

 所々に物が散乱している。整理整頓されておらず、この教室の使用者のずぼらさが推測される。散らばっている物についても、鋏、小枝、薄汚れた布切れ、空の檻、などと、統一感があるようで感じにくい。埃具合からすると、恒常的に使用されてはいるようだが、一体何の為の教室かまるで分からなかった。少なくともマリッタの記憶では、この教室は空教室の筈だった。

 ただ二年もすれば空教室の利用状況も変わるだろうと考え、マリッタは教室中を巡らせていた視線を切った。コニーに視線を戻す。

「で、こんな所まで連れてきたのは?」


 コニーは薄く微笑む。

「そんなに結論を急がないで。少しお話しましょう」

「話?」

 マリッタは怪訝そうに眉を寄せる。

 そんなマリッタの様子を意に介さず、コニーは話を続けた。

「マリッタはオレリア達と仲が良かったのよね?」


 過去形で尋ねているところからすると、恐らくここに居た時の事を言っているのだと理解したマリッタは「まぁ」とだけ返した。

「でも、それは表面上のこと、だったのよね?」

「……何が言いたいんです?」

 コニーの因縁をつけているとも取れる言葉に、マリッタの声が低くなる。

「あ、ご免なさい。言葉が悪かったわ」

 コニーは素直に謝罪する。

 頬に人差し指を当てながら、慎重に言葉を吟味するように言った。


「そうね……マリッタは彼女達と一緒に居てもどこか心此処に有らず、という風だったわよね?」

「決め付けないで下さい」

「なら、彼女達と居て、心の底から楽しんでいた?」

「話がそれだけなら戻ります」

 マリッタは不快気に顔を歪めると、コニーに背を向けようとする。

「待ってマリッタ。ご免なさい。気を悪くしたのなら謝るわ。だからもう少しだけ話を聞いて?」

「だったら、早く本題に入ってください」

 気分を害してはいたが、マリッタは留まることにした。

 まさかそんな話をする為に、ここまで来た訳ではないだろう。ここまで来ておきながら、理由を聞かないまま去るのもアホらしいと思ったのだ。

 ただ、これ以上不快な話が続くのであれば、その限りではないとも思っていた。


 コニーは一呼吸置いてから、話題を変える。

「エレーナ先生とは再会した?」

 しかし、やはり本題とは思えなかった。

 マリッタは仕方なしに相槌を打つ。

「……ええ」

「やっぱり。彼女とは随分と親しかったから」

「それが、何だって言うんです?」

 真意の読めないコニーの発言に、マリッタの声に苛立ちが混じり出す。

「私、どうしても訊きたかったの」

 コニーはマリッタの前を横切るように歩いて、教室の中に置かれていた机の前に立つと、そっとその上に手を乗せた。

「他の誰にも気を許さなかった貴女が、エレーナ先生とは仲が良かったのは如何して?」

 そう静かに言うと、コニーはマリッタを見つめた。

 下らない、と一蹴しようとしたマリッタだったが、コニーの真剣な瞳を見て、少し言葉を緩めた。

「……気のせいです」

「いいえ、それは嘘」

 だが、コニーは断言する。


「…………」

「貴女の研究の担当は、エレーナ先生だったじゃない。それも貴女たっての望みで」

「…………」

「特別な思いがなければ、指名したりはしないでしょう?」

「……昔の事です。どういうつもりだったかなんて、もう忘れました」

 マリッタの返答はにべもない。

「…………」

 対してコニーは何も答えず、そのまま静かにマリッタを見つめ続けた。

 暫くの間そうしていたが、やがて表情を緩める。

「そう……そうよね。もう、昔の事」

 どこか寂しげにコニーは笑う。そのまま俯いたコニーの表情は、泣いているようにも見える。

 何となく決まり悪げに視線を外したマリッタは、コニーには聞こえない位の小さな溜息を吐いた。

「……もしそう見えてたのなら、きっと気楽だったからでしょう」

 複雑な表情を浮かべながら、マリッタは呟く。


 ハッとした顔を上げたコニーは、マリッタを穴が開くほどジッと注視する。

 そして、穏やかな笑みを浮かべた。

「そうね……それはよく分かるわ」


 コニーはエレーナとは歳が近いこともあって、比較的仲が良い。

 突拍子もなく、何を考えているか分からない子供のような彼女が、国家唯一の教育機関であるこの学校の教師を担っている事を不満に思っている教師も少なからず居る。

 もちろん、彼女の名誉のために言っておくと、彼女は教師を務めるに値する特別な技能を持っている。だが、その振る舞いは一般に求められる教師像からはかけ離れているのもまた事実だった。

 だからこそか。彼女は国の優秀な人材の育成、という重圧を担った教師達の心を解すことが出来た。彼女の奇妙な言動が微笑ましく、ささくれ立った心が自然と落ち着いていくのだ。そういう感想を持っている教師の数は、彼女を嫌う教師以上に多く、コニーも同じだった。

 なので、コニーにはマリッタの言わんとしていることがよく分かった。


「そう……そうよね」

 ここの生徒は自身へのより良い評価を求めて、日々研鑽を積んでいる。

 自然と彼らの担当教員への希望は優秀な教師に向けられる事が多く、敢えてエレーナのような教え下手な教師に師事を請うような生徒は居ない。普通は。

 であるのにも関わらず、それを願う生徒達も極稀に居た。

 それについて、コニーはどうしてだろうと、以前から不思議に思っていた。が、恐らく成績が振るわず、卒業を諦めた生徒達であろうと結論付けていた。


 それこそが先入観であった。

 生徒の中にもコニーのような教師達と同じ風に考える人間も居る、と考えるべきだった。

 競い、自己を高めるだけの日々を鬱陶しく思う生徒が、心の拠り所を求めるのも必然である。

 マリッタもそうした中の一人だったのだろう。

 ただ、それだけだ。


 コニーの表情は少し晴れていた。

 ずっと気になっていた。どうしてマリッタの担当教員に自分が選ばれず、エレーナが選ばれたのかを。しかし、そういう理由ならば納得せざるを得ない。

 他のどの教師も与えてあげられないものを、エレーナは与える事が出来たのだ。

 いや。『与える』と考える時点で、もう違うのかもしれない。『与える』のではなく、ただ共に在る。それだけがマリッタの望んでいた事だったのだろう。

 コニーはそう思った。


「……?」

 『気楽だった』という一言で、そこまで深く思考を巡らせているとは思わないマリッタは、黙り込んでしまったコニーを訝しげに眺めていた。

 ようやく面を上げたコニーの表情は妙に明るい。

「ご免なさい。時間を取らせたわ」

「……はぁ」

 コニーは不思議そうにしているマリッタを再度見つめた。

 そして、真剣な表情で問いかける。

「ねぇ。マリッタ。もう一度だけ訊かせて?」

「は?」


「昔の事が問題になったら、必ず私が何とかするから、また学校に復学しない?」

「お断りします」

 予想はしていたが、間髪入れずの即答に、コニーは思わず頬を緩める。

 マリッタの中に、”学校に復学する”という選択肢は存在しないのだろう。それは学校のしがらみが面倒だという事はもちろんあるが、それが全てではないに違いない。

 それは恐らく――――


現在(いま)の方が楽しい?」

 コニーは尋ねる。

 マリッタは少し目を見開くと、コニーに対して初めて微笑を浮かべた。

「それ、エレーナ先生にも訊かれたよ」

 質問の回答ははぐらかされたが、それでもその言葉にコニーは満足だった。

 


 話は終わった。

 本音を言えば、コニーはマリッタに復学して貰いたかった。

 それはマリッタがパウルースにとって貴重な人材であるという事に加え、何よりコニー自身がそれを望んでいた。昔は得られなかったマリッタの信頼を、今度こそは得られそうな気がしていたからである。

 だがなればこそ、決してマリッタは首を縦に振らない事も分かってしまった。

 本当に残念だが、これはどうしようもない事なのだろう。

 なのでせめて、これ以上マリッタの中に『学校』に対する嫌な記憶を残さないように、今回の問題から全力で彼女等を護る事が、自分の役目だと思い直した。


 意を決めたコニーは、皆の所に戻ることを促す。

 しかし、その前に教室の奥でガタンと物音がし、二人の動きは固まった。

 部屋の奥に誰かいるのか、と思ったマリッタは少し警戒する。

 そんなマリッタに、コニーは困ったように笑いかけた。

「ああ、あれは違うの。もうこうなっては見せる気は無かったんだけれど……折角だからマリッタにも見て貰おうかしら」

 そう言うなり、コニーは教室の隣にある小部屋に向かう。

「あら? 鍵が壊れてるわ……取り替えなきゃ」

 などと呟きながら、奥に消えていく。

 再び出てきた時には、黒い布で包まれた四角い箱が腕に抱えられていた。


「この子が起きてしまったみたい。昼に目が覚める事は無いんだけれど……少し煩かったかしら」

 コニーはそれを机の上にそっと乗せた。

「それは?」

「ちょっと待ってね」

 そう言うと、コニーは先程ずらした教室の窓の黒布を、今度はきっちりと閉じ直していく。

 光が遮断され、再び教室の中が薄暗くなった。

「ご免なさい。こうしないと、この子が弱ってしまうから」

 コニーはゆっくりと箱を覆う黒布を外していった。


 暗い教室の中に、一対の黄色い光が現れる。

 マリッタは強張めた表情のまま、少しずつ箱に近づいていき、やがて大きく両眼が見開かれた。

「それはっ!?」

 箱だと思っていたのは、木で出来た檻だった。

 その中には一匹の生物が蠢いていた。

 鋭利な足爪で、檻の中に一本置かれている樹に掴まっている。腕は無く、代わりに肉感的な翼を窮屈そうに縮めていた。頭部は小さく、特徴のある黄色の瞳に加え、小さな口からは鋭利な牙が覗く。ギョロギョロと虚ろな瞳を檻の外へと向けていた。

 まるで一匹の蝙蝠のようにも見える。が、その瞳の色はその生物が魔物である事を示している。


「魔物の生態研究が、ここに居た時のマリッタの研究だったのよね?」

 コニーがそう申し訳無さそうに話す。

 マリッタがここを去った後、コニーはエレーナを問い詰めてマリッタの研究を聞き出していた。

 力及ばず、マリッタを護ってあげられなかった事を悔いて、せめてその研究だけでも引き継ごうと考えたのだ。

 しかし、マリッタの研究資料は、マリッタが処分してしまったのか既に紛失していた。

 加えて、コニーはこの分野は全くの門外漢であった。

 教師の中でもその分野を専攻している人間は居らず、担当教員だったエレーナもマリッタの研究はまるで理解していないという有様だった。そんな中での出発だったので、全ては一からの開始となった。

 仕方なしに、コニーは手頃な所から研究を始める事にして、徐々に知識を広げていこうと決めた。

 王都の資料を取り寄せて、知識だけは深めていったが、如何せんコニーは実物の魔物を見た経験が殆ど無かった。その為、怖さはあったがギルドに仲介を頼み、自由騎士達に同行して魔物討伐の現場へ足を運ぶ、などをして徐々に見識を深めていった。

 本来コニーは別の研究をしていたのだが、続けていく内に魔物の研究の方により楽しみを覚え始め、そちらは次第におざなりになっていった。

 とはいえ、コニーには他の多くの生徒の研究の補佐という役割もある。満足に自分の研究のみばかりに時間は割けず、未だ然したる成果は為し得ていなかった。


「まだ明確な展望はないけれど、最近ようやく研究の方向性が見えてきた気がするの。マリッタの進めていた研究とは、全然違う方向なのかもしれないけれど……」

 それを教えてくれたのがこの魔物だと、コニーははにかみながら説明する。

 それに対して、マリッタは何も答えなかった。

 コニーはマリッタが関心を抱いてくれていると考えたが、よくよく見るとマリッタの表情は興味、というものではない事に気付いた。

「何か、気になる所が……」

 コニーが尋ねる前に、マリッタは険しい表情で叫ぶ。


「そんな事より先ず布で覆って下さい! それから檻ごともっと厳重な箱に詰め替えて! 決して鳴き声が外に漏れないように」

「え? え?」

「急いでっ!」

 まるでコニーを恫喝するように指示を出すと、マリッタ本人は急いで教室の窓や扉を締め切って廻った。

 そんなマリッタを、コニーは呆然と立ち尽くして眺める。

「早くして下さいっ!」

「え、あ、でも、そんな箱は…………」

「なら、もっと沢山の布で覆って!」

 マリッタの表情には反論を許さない厳しさがあった。コニーは言われるままに再び檻を黒布で覆い、更に適当な布で包み始めた。

 その作業過程で檻が揺すられた事を怖がっているのか、中の蝙蝠はキィキィと微かな鳴き声を上げていた。

 漏れ出る声を聞いて、マリッタは表情を顰める。


 やがて布で何重にも括り終わったコニーは、理由を問うような視線をマリッタに送った。

 マリッタは怒りを内に宿したまま、努めて冷静を装って問い返した。

「……先生。この魔物の危険性については、どれ位把握してる?」

「え……ええ。文献では危険の低い魔物だって……」

「……危険の低い?」

 マリッタは静かに復唱する。

「そ、そう。簡単に捕まえられたし、夜行性で、性格も穏やかで、人に危害は加えないって……あ、本当に大人しいのよ? 人懐っこいし」

「…………はぁぁ」

 マリッタは眉間に皺を寄せたまま、大きく溜息を吐いた。

 心底疲れたように、腰を折って項垂れる。


「ま、マリッタ? 一体その子がどうしたって言うの?」

 マリッタの全身から発せられている怒りを感じ取ったコニーは、恐る恐る尋ねた。

 その言葉に身体を起こしたマリッタは、キッパリと言った。

「コニー先生。ともかく、急いでその魔物を放して下さい。ここでは駄目です。ここじゃない……どこか周囲に何も無い場所で」

「ど、どうして? 危なくは無いのよ? 王都の文献にもそう記されてたし……」

「そんな役に立たない本は、破り捨てて下さい!」

 マリッタはこめかみを押さえながらそう言い放つ。

 そのあまりの断定ぷりに、マリッタがこの魔物について詳しく知っている事を悟ったコニーは説明を求めた。

「それは追って説明しますから、ともかく放す方が先です。魔物の目は警戒色ではないですから、今ならまだ大丈夫な筈。アタシは周囲の大気を操って鳴き声の音を阻害するから、先生はその箱を抱えて下さい」

 マリッタは質問に答えず、矢次に指示をする。

 コニーは躊躇いつつも、マリッタの表情の真剣さを見て、素直に言葉に従うことにした。

 マリッタは意味無くこんな態度を取るような娘ではない。そのマリッタの警戒ぷりからすると、自分の知らない事実はとても深刻なことであると察したのだ。

「わ、分かったわ」


 頷いたコニーを見て、マリッタは教室の扉に向かった。扉の取っ手に手を差し込み、大きくそれを開くと廊下に溢れた光が、締め切った教室内に入り込んでくる。

 マリッタはその明るさを少し気にしながら、コニーを振り返った。

「先生、早く……」


 しかし、返答は無かった。

 コニーは何故か床にうつ伏せになって倒れこんでいた。そして、ピクリとも動かない。

 どうしたというのか。マリッタの位置からでは状況を確認できない。急いで駆け寄ろうとしたが、途中で足が止まった。


 倒れたコニーの後ろに、立ち尽くす人影があった。

 この教室の中に隠れる場所はないので、奥の部屋に潜んでいたのだろう。

 その人物はつまらなそうに倒れたコニーを見下ろした後、ゆっくりと顔を上げてマリッタを見つめた。

 そして、この場には似つかわしくない、優しい天使のような微笑みを浮かべたのだった。



***



 ロナが倒れるという不測の事態は起こったが、ほどなくオレリア達の事情聴取は再開された。

 オレリア達に含む所はなく、ただ真実を告げれば良いだけである。なので、説明に矛盾点がなかったからか、特段突っ込みも受けることもなく、やがて解放された。

 続いてアーラ達の番となったが、肝心のマリッタが戻ってこない。その為、アーラ達や教師達は、廊下で待たされる事になっていた。


 生徒達の聴取は既に終えたようで、彼ら全員の姿が廊下の隅に見受けられる。

 アーラ達とは少し離れているものの、騒動を起こした者達を一緒の場所に待機させておくのは不適当だと考えたのか、教師達の指示により生徒達全員が教室内に消えていった。


 それらの様子を見るとはなしに眺めていたアーラだったが、次第に焦燥感に襲われ始めた。

 アーラとしてはこんな所で捕まっている場合ではないのだ。まだ医師の娘の手掛かりすら得られていないからだ。

 その焦りが身体を支配したのか、アーラは無意識に足を小刻みに揺らし始めた。トントンとアーラの足裏が廊下の床を叩く。その微かな騒音に苛立っていた教師はアーラに厳しい視線を送っていたが、無意識下の世界に没頭していたアーラは気づいていない。

 リシャールは隣でハラハラしながら、その様子をチラ見していた。ただ、アーラを止めるのも叱られそうで怖く、結局あたふたを繰り返すことしか出来なかった。


 そして、オレリア達も聴取を終えてから、どこか様子がおかしい。三人とも何か考え込んでいるのか、先程から一言も発しようとしない。

 教師達もコニーが遅い事に苛立っていたが、敢えてそれを口に出したりはしていなかった。なので、この場にはアーラの靴音以外の音は無く。張り詰めた空気が形成されていた。


 教室の中で聞いたマリッタの話をずっと脳内で反芻していたオレリアだったが、ある決意を固めると、ようやく現在の状況に意識が向いた。

 先ず目に付いたのが、焦燥がだだ漏れているアーラである。何をそんなに焦っているのかと考えて、直ぐに理由に辿り着く。

「アーラ」

「…………」

「アーラってば!」

「…………ん? 何だ? 誰か呼んだか?」

 二度目の呼びかけでようやくアーラの注意を引く事が出来た。オレリアは苦笑しつつ、自分が呼んだ事を告げる。

「どうした? マリッタが戻ってきたか?」

「それはまだみたい。何してるんだろうね? ……ってそうじゃなくて」

「何だ?」

 オレリアは逸れそうになった話題を修正する。

 ふっと表情を緩めると、安心させるような声色でアーラに言った。

「最悪、私達が代わりに探してあげるから、そんなに心配しないで」

「む?」

 アーラは暫し考え込んだが、オレリアが探し人の事を言及しているのだと気付いたようだ。


「そうか……それは……助かる」

 この後の展開が先程壮年の教師に指摘された通りに進むと、再び魔法学校を訪れるのは厳しいだろう。

 つまりそれは医師の娘への手掛かりを掴めないまま、という事になる。

 仮にオーベールやグラストスに代わりを頼んだとしても、先ずは彼ら自身が魔法を習得しないといけない、という大きな壁がある。

 ずっと魔法の修行を続けていたのであればともかく、殆ど一から始める事になる彼らが、僅かでも使えるようになるのには、どんなに少なく見積もっても一年は必要だろう。

 ちなみにアーラは三年はかかった。

 なので、アーラ達が自分で探すことはほぼ術を絶たれることになるので、オレリアの提案は非常に有り難いものだった。

 オレリアの提案を傍で聞いていたベルナルドも「任せてくれ」と胸を叩いている。

 カリーヌも控えめに、ただしっかりと頷いた。


「良かったじゃないですか、アーラ様」

 リシャールも自分の苦労が泡とならずに済みそうだからか、満面の笑みをアーラに向ける。

 それに頷き返したアーラに、オレリアは尋ねた。

「だから念のために、もう一度詳しい事情と、あと連絡先を教えてくれるかな? 手紙が出せるように」

「なるほど、そうだな」

 アーラは納得すると、これまでの経緯と、ここでの目的について改めて説明することにした。自然五人で輪を作るような形となり、それが教師達の目を引いたが止められはしなかった。

 なので遠慮なくアーラは説明を続け、誰が病に罹っているのか、という部分を除いて大体を語り終えた。


「で、最後に連絡先だが……」 

 アーラは何処が良いかと思案する。

 自分への連絡先を考えるとビリザドが挙がるが、ここからだとビリザドは少し遠い。またそちらに送られても、入れ違いになり、直ぐには受け取れない可能性もある。

 次に挙がるのはフォレスタだ。

 そちらであれば、ここからは近いので時間的損失は殆どない。ビリザドとは違い交通の便もよい。仮にその時アーラ達は居なかったとしても、誰かしら頼める人は居る。

 アーラは決めた。

「フォレスタの領主館で頼む」


「うん分かった。フォレスタの領主館ね…………ん? 領主館。フォレスタって……ええっ!?」

 アーラの頼みにオレリアは一度頷こうとして、大きく眼を見開いた。

 口がぱっくり開いている。よほどの衝撃だったようだ。

 隣を見るとベルナルドやカリーヌも同様の表情だった。

「どうした?」

 不思議そうに尋ねるアーラに、なんとか落ち着きを装ったオレリアが再度確認する。

「フォレスタの領主館って……フォレスタの領主館ってことで良いんだよね?」

「何を言っているのだ?」

 アーラは不思議そうに、オレリアの狼狽を指摘する。

 オレリアは自分が冷静で無いことを悟ったのか、大きく深呼吸をする。そして、もう一度同じ質問をして、同じ回答を得た。

「だからそう言っている」

「アーラ様、仕方ありませんよ。バレーヌ侯爵様って言えば、侯爵の中でも一番偉いんでしょ?」

 一人訳知り顔のリシャールが助言をする。

 権力に縛られない自由騎士のリシャールからすると、侯爵と言えど恐れ慄く程の存在では無い。だが、同じ貴族であるオレリア達には、その名は絶大な効力を持っているのだろう。

 自由騎士に例えると、マリッタの師匠の名がそれに相当するのかもしれない。

 そんな事をリシャールは思った。


 リシャールに指摘されたことでアーラもその事に思い至り、バツが悪そうに苦笑いを浮かべた。

 アーラにとっては人の良い小父様であるも、一般的に見ると国内でも有数の力を持ったバレーヌ侯爵であるのだ。その事をアーラは完全に失念していた。


 驚きの波が去ったのか、オレリアは若干落ち着きを取り戻し、アーラを見つめた。

「アーラって、やっぱり凄い家柄の娘?」

「それは気にするなと言っている」

「そ、そうだったね。ごめん」

 オレリアはブルンブルンと左右に首を振ると、今度こそ我に返ったようだった。

 驚きではなく、興味を宿した瞳でアーラに尋ねる。

「話は逸れるけど、アーラってもしかしてフォレスタの貴公子と知り合い?」

 その声はどこか期待に満ちていた。

 隣を見ると、カリーヌも似たような表情で、アーラの返答を待っている。


「何だ、その貴公子というのは?」

「何言ってるんですか。オーベール様の事ですよ」

 不思議そうに首を捻るアーラに、再びリシャールが助言する。

 ああ、と納得するアーラに、オレリア達の目が輝きを増した。

「し、知り合いなの? ほ、本当に?」

「す、凄いです」

 

 年頃の貴族の子女にとって、避けては通れないのが嫁ぎ先の問題である。

 より力のある貴族に、より裕福な貴族に、嫁ぎ先を求めるのは自身の家の事を考えても当然の事である。

 なまじ権力を持つ貴族の方が現実的である為その想いは強かったが、さりとて格式の低い貴族の娘であっても、その願いを捨て去る事は出来なかった。

 ただ家の格式が低いからと言って粗雑に扱われるのも嫌だ。出来ることなら優しくて、穏やかで、容姿が整っている、有力貴族に貰われるのが理想だった。

 とはいえ、それは幼子がお姫様に憧れるような、そんな夢物語である。現実的に考えて、あくまで自分とは無縁の世界の話であることは誰もが重々承知していた。

 そして、そもそもそんな完璧な存在がそうそう居るものではないことも分かっていた。

 が、皆無と言う訳でもない。

 未だ未婚で、それらの条件に適合する人物。そんな少女達の夢を体現する数少ない存在こそが、オーベールなのだ。


 決して偉ぶらず、誰に対しても優しく、領民にも慕われている。

 上品で、何日見ても飽きない程容姿も端麗で、家もパウルース有数の家柄で生活に困ることなど考えられない。

 そんな三拍子どころか四拍子も五拍子も揃ったオーベールへの噂は、近隣の貴族の子女のみならず、パウルース全土と言っても良い程に広がっていた。

 婚約者が居る、という噂もあるが、公式発表はされていないので、それはあくまで噂として、貴族の娘達の羨望を一身に集めている存在なのだった。


 田舎貴族の出であるオレリアや、平民ではあるが比較的裕福な豪農の娘であるカリーヌも、ご多分漏れず憧れを抱いていた。話したことも無くば、顔を見た事もない。だが、だからこそより想像を掻き立てられていたのだった。

 そんな想像の中のみの存在だったオーベールを、アーラ達は知っていると言うのだ。それも彼の家を手紙の郵送先に指定するくらい親しい間柄ということなのである。

 オレリア達の思いがけない知遇を得た事への興奮も、無理からぬことだろう。


 二人できゃあきゃあ言い始めたオレリア達を、アーラは困惑気に眺めていた。

 リシャールは「流石オーベール様」などと言って何故かご満悦な様子である。

 一人蚊帳の外という立ち位置のベルナルドは、少し不服そうにしている。



「お前達、ここは通行禁止だ。別の場所から回れ」

 場違いに色めきたったオレリア達を眺めていたアーラの耳に、そんな声が入ってきた。 

 見ると、ここの生徒と思われるものが数名、アーラ達の前を通り抜けようとしているところを、教師達に止められたところだった。

 彼らはここで教師達が集まっている理由を知らないのか、困惑の表情が浮かんでいる。

 教師達に迂回するように言われ、仕方なく生徒達は来た道を戻り始めた。

 教師達はそれ以上生徒達に注意を払わず、コニーを探しにいくか、マリッタを待たずして先に聴取を始めるかの方に意識が向けられ、話し合いが行なわれ始めていた。

 アーラも視線を切ろうとした。

 ただ、微かに聞えてくる声が耳に残る。



「…………で、見たんだってよ」

「本当か!?」

「ああ。偶々用事で外に出た時、この先の村でアイツが居るのを見たって。ウチの担当が言ってたよ」

「糞、そのまま居なくなってりゃいいのに」

「またアイツの横暴に振り回されんのかな……」

「戻ってくるつもりなのか? というか戻ってこれるの?」

「家が家だしな。学校もなまじな理由で断われんだろう」



 生徒達はそんな話をしながら、アーラ達から離れていく。

「アーラ様? どうしたんです?」

 不意に強張った表情のまま固まったアーラに、リシャールが呼びかける。

 アーラは返答しないまま、離れていく生徒達に向かって駆け出した。

「おい、君! 何処へ行く!」

 教師達の叱責が聞えるが、アーラは無視した。

「ちょ、ちょっとお前達! 今の話を……」


「ん? 何だあれ?」

 しかし、アーラの問いを遮るように、生徒の口から驚きの声が挙がった。他の生徒達も窓の外を見て、同様の声を上げた。

 生徒達の話は気になったが、アーラはつられるように窓の外に視線を向けた。

 そして、彼らと同じく驚きで声を失った。


 此処から見える窓の外には、広々とした運動場が見える。

 魔法の修練に努めているのだろう。生徒の姿もちらほら散見される。

 はるか遠くには正門の姿が見てとれ、改めてその威容が分かる。正門からはずっと高い塀が続いており、校内を取り囲んでいる。

 左に顔を向けると、先程の森の端や池の存在が視界に入ってくる。

 そこまでは昨日と変わらない風景である。


 だが、視線を上げていくと、異様な光景が広がっているのに気付かずにはいられなかった。

 空の端の方。

 そこから真黒な雲が…………いや雲ではない。

 雲でありえない漆黒の色を帯びた空一面を覆う何か(・・・・)が、こちらの方に向かって徐々に近づいて来ていた。

 アーラは何故かそれが、この学校を目指しているように思えてならなかった。

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