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The Left Arm Wars  作者: 過酸化水素水
【5章 偽りの想念】
102/121

97: 暴力(上)


「落ち着いて頂けましたか?」

「…………ああ」

 オーベールの穏やかな言葉に、男は静かに頷いた。

 その様子からは先程までの興奮は感じられない。どうやら元の落ち着きを取り戻したようだ。やはりグラストスがこの場を離れたことが良かったのだろう。


 男が冷静であることを確認し、オーベールは改めてヴェラに尋ねた。

「この方とは、お知り合いなのですよね?」

「…………コンラッドだ」

 男が口を挟み、自分の名を答える。

 ヴェラはオーベールに小さく頷いてから、コンラッドを見ながら簡単に説明した。

「……コンラッドさんは、以前ビリザドに住んでおられた事がありまして、その時にお嬢様共々親しくさせて頂いておりました」

「なるほど、そうでしたか」

 理解の色を見せるオーベールとは対照的に、ずっとビリザドに住んでいるサルバは不思議そうに首を捻る。

「そうなのかぁ? でも俺はおっちゃんと会った事ねえなぁ?」

「コンラッドさん一家がいらしたのは、数年前でそれほど長い期間ではありませんでしたから」


 ビリザドは辺境である。王都と比べるとその人口比は十倍ではきかない。

 しかし、それでも一万人近くは存在する。ビリザドの街周辺だけを考えても、その四割近くは住んでいる。いくらサルバが幼い頃から住んでいるのだとしても、全員と知り合いというわけにはいかない。すれ違ったことも無い、という人間は少ないかもしれないが、話したことがないという相手はそれなりに居た。

 なので数年住んでいた、というコンラッドの事をサルバが知らなくても何の不思議もなかった。


「ご家族も住んでらしたのですね」

 オーベールが何気なく、”一家”という言葉を捉える。特に深い意図はなかったが、それによりコンラッドの雰囲気が少し変わる。何かを思い出したのか、瞳が悲しみに彩られていた。

「……申し訳ありません」

 何故かヴェラが神妙な表情で深々と頭を下げる。

「え? え?」

 突然の雰囲気の変化に、オーベールは戸惑う。

 何か自分が触れてはいけない部分に触れてしまった事は感じたが、事情が分からなかったのだ。

 そんなオーベールの慌てぶりを見て、コンラッドは少し頬を緩める。

「いや……気にする必要はねえです。こんな所まで参りに来てくれて感謝してます」

 更に付け加えて言った。

「……あの子も喜んでる筈です」


 コンラッドは話を変える。

「それよりヴェラさん」

「はい」

「さっきん奴は本当に……」

 コンラッドが言っているのは、グラストスの事である。本当に憎むべき相手とは違うのか。そういう意味だった。

 ヴェラはその問いへの回答は控え、逆に尋ねる。

「……それ程に、似ておりましたか?」

「ああ……。ヴェラさん達はアイツの顔は知らねえんだったか」

 コンラッドは思い出すように呟く。一つ頷いた後、ヴェラの目を見ながら答えた。

「似ていた。ハッとしちまうぐらい」

「では、同一人物だと思いますか?」

「……いや。そう言われると…………雰囲気はまるで違ってた気がする」

「そうでしたか……」


 コンラッドは目を固く瞑る。

 憎むべき相手の顔を思い出しているのか、眉間に皺を寄せながら小さい声で言った。

「…………アイツはどこか、人を馬鹿にしたような空気を出してたかんな」

 声の裏からやりきれない怒りが感じられる。

 どこか声を掛けにくい雰囲気を醸し出していたが、やがてふっと力が抜けた。

「人違いなら、申し訳ねえ事を言っちまった」

「だ、大丈夫ですよ。グラストスさんならきっと――――」

 オーベールが宥めるように言葉を掛けようとする。

 だが、言い切る前にコンラッドは声を被せた。

「言っちまったが、それでも儂はあの顔は見たくねえ」


「お察し致します」

「手前がってな言い分とは思うが、さっきん人には儂の近くに来んで貰いたい。正直、自分を抑えられるかどうか自信がねえんで……」

 泣き笑いのような表情で、コンラッドは言う。

「承知しました。彼も理解してくれる筈です」

 ヴェラの言葉に、コンラッドは得も言われない顔になる。

「そうか…………本当に違うんだな……」

 しみじみと呟くコンラッドの声はか細い。

 相手の感情を慮る事が出来る。

 その一点だけで、グラストスが憎い相手とは違う事を感じさせずにはいられなかったのだ。

「コンラッドさん……」


「……まぁ、ヴェラさんがアイツと行動を共にするとは思わんし。何よりアイツはここ数ヶ月前から行方不明らしいからな」

「そのようですね」

「ああ、ヴェラさんの耳にも入っていたかい」

「先月知りました」

 ヴェラは先月の学校からの手紙を思い出しながら答える。

 コンラッドは「そうですか」と頷きながら、幾分声の調子を上げる。

「何にせよ、生きていて貰いてぇもんだ」

 変わってゾッとするような声色で、コンラッドは一人ごちる。

「あの子の仇をとるのは……儂でありたいからな」


「…………」

 そう呟いたコンラッドの目はどこか虚ろで、話しかけることを許さない排他的な雰囲気を醸し出していた。

 そのあまりの声の冷たさに、オーベールとサルバは何も言えずに固まっていた。事情はよく分かっていなかったが、コンラッドの声からは、それと分かる憎しみが感じられたからだ。 

「そうせんと、あの子も浮かばれん」

「…………あまり無理を為さらぬよう」

 唯一事情を知るヴェラは、それだけを言った。

 コンラッドの考えを翻意させる言葉はかけない。どんな優しい言葉を掛けようが、男の決心を変えさせることなどできない事を悟っているのだ。

「ああ。有りがてぇ言葉だ。だけども、もう気にする事はねえです。儂がどうなろうと責を負わされるもんはもう居ねえからな……心配してくれるもんもいねえ」

「そんなことはありません。お嬢様はきっと心配します」

 アーラの名を挙げられて、コンラッドは言葉に詰まる。

 暫く黙り込んでいたが、やがて後悔を感じさせる目で天を仰ぐ。


「…………どうしてあのままビリザドに居なかったのか……儂はその事だけは、悔やんでも悔やみきれねえ……」

「先の事を知る事など、誰にも出来ません」

「…………本当に、そうだ。本当に……」

 男の呟きには、後悔、悲しみ、怒り。様々な感情が込められていた。

 その慟哭にも似た感情を受け取る者は無く、ただ宙に消えるのだった。



***



「はぁ、はぁ……」

 少女が東の廊下の隅で膝に手を付き、荒い呼吸を繰り返していた。

 ようやく息を整えて、ゆっくりと体勢を起こす。

「い、一体何だったんだろう……」

 そう呟いたのは、先程妖しい雰囲気を醸し出していたディアナの前から逃げた少女だった。名はロナといった。同い年の女生徒と比較しても小柄で、短く整えた茶色の髪がよく似合っている。どこか仔栗鼠のような雰囲気を持った可愛らしい少女だった。


 ロナはディアナの様子を思い出し、小さく震えた。

 元々憧れの人物であった為か、悪感情とまではいかないが、少し不安は覚えていた。少なくとも今までのような手放しの好感情を、ディアナに抱く事は出来ないかもしれない。

 そんな事を考えながら、ロナは友人達の待つ教室に向かって歩き始めた。


 その道中にある教室を通り過ぎようとした際。普段運動をしない人間が急に走った為か、膝が笑い出し大きく体勢を崩した。ロナの運動神経では立て直す事が出来ず、運悪く教室の中から出てきた生徒とぶつかってしまう。

「きゃっ」

「いてっ」

 相手は男子生徒だった。衝突した反動で、小柄なロナは後方に倒れこむ。

 痛みは感じていたが、立てない程ではない。ロナは慌てて起き上がり、ぶつかってしまった事を謝ろうと頭を下げた。

「ご、ご免なさい。急いでいたので…………あっ」

 ロナは深々と下げていた頭を上げ、ゆっくりと顔を上げて――――呆然とした声を挙げてしまう。

 その声の中に怯えの色が含まれるのは、無理からぬことだった。

 

「誰かと思えばお前は……」

「はっ、まさか自分から近づいてくるとはね」

 中から出てきたのは、騒動の時にロナに掴みかかっていた貴族の生徒達だった。

 人数は四人。男子生徒三人に、女子生徒一人。どの顔にもロナを蔑むような哂いが張り付いている。


「あ、あ、その……」

「……好都合だ。周囲に誰も居ねえ」

「そりゃあいい。さっきは邪魔が入ったからな。今度は邪魔の入らない所にいくか」

「自分から突っ込んできたんだから、それが望みなんでしょ」

 生徒達はロナの意志を置き去りに、勝手に話を進める。

 エルネスタに解散を命じられた時は素直に従ったが、平民に楯突かれた事は彼らにとって歯軋りするほど不愉快なことだった。

 さっきも止めたのがエルネスタでなければ、とても聞き分けることなど出来なかっただろう。


 とは言え、ロナが彼等に突っかかっていた訳ではない。が、彼等としてはそれはどうでも良い事だった。腹いせに誰でも良いから平民をいたぶる。その事だけを望んでいたからだ。

 それが騒動の原因となった女生徒であれば、その生贄としては最上だった。

「ち、ち、違いますっ」

 ロナは不穏な気配を感じて何とか否定しようとするが、

「違わないでしょ! アンタがぶつかって来たんじゃない」

 女生徒の威圧に、何も言えなくなってしまう。

 

「東の森の中なら邪魔は入らねえよ」

「じゃあ、そこに行くか」

 男子生徒はそう言うなり、ロナの腕を乱暴に掴んだ。

 男の力に敵うべくも無く、そのまま引きずられるようにして連れて行かれそうになる。

「い、いやっ」

「うるせえっ! 平民が貴族様に逆らってんじゃねえよ!」

「だ、誰か……」

 縋るような気持ちで周囲を見回すが、運悪く誰の姿も見受けられない。

 叫ぼうとするが、恐怖から声がうまく出せなかった。

「ち、騒がれるのもやっかいだ。急いで連れて行くぞ」

「そうね」

「あ、待て」

 男子生徒の一人が仲間を手で止める。


「何、先公か?」

「いや、あれは……」

 四人は警戒するように廊下の先を見つめる。

 ロナも願うような気持ちで視線を送り――――思わず声が漏れ出した。

「ディアナさん!」


 そこには別れたばかりのディアナの姿があった。

 どこかに向かっていたのだろう。名前を呼ばれて始めてロナの存在に気付いたようで、ピタリと歩みを止めた。そのまま状況の把握に努めるかのようにロナ達を眺める。


「た、助けて下さい!」

 今こそロナは腹から精一杯の声を出した。

 助かる機は今しかない。何せディアナはさっきも身体を張って自分を護ってくれたのだ。そんな勇敢で優しい相手が、助けを求める声を無碍にする筈が無い。

 そうロナは期待していた。


「……………………」

 だが、ディアナは何を言うでもなく、ただジッとロナの姿を無表情に見つめるだけだった。

 そして、次に三人の顔に次々に視線を移していく。

「何だお前! 何か文句あるのか!」

「ちょっ、止めた方がいいよ。あの女は……」

 女生徒は同性ということもあってか、ディアナの事を知っていたようだ。どうやらディアナの事をよく知らない男子生徒の言動を押さえる。

 そのまま両者は警戒を続けていたが――――

 

 ディアナはつまらなそうに視線を切ると、ロナ達に背を向けた。躊躇う気配も無くそのまま歩いていく。

「そ、そんな……」

ロナの顔が絶望で覆われる。

「はははっ。残念だったねアンタ。今度は見捨てられたみたいよ」

「はんっ。他に目撃者もいない。今の内に連れて行くぞ」

四人の哂い声を耳に入れながら、ロナは去り往くディアナの後姿を呆然と眺め続けた。



***



「おっかしいなぁ。いつもはここら辺にいるんだけど」

 そうぼやいたのはオレリアだった。頭を掻きながら、困ったような顔で周囲を見回している。


 今この場にはオレリアとベルナルド、そしてアーラの姿しかなかった。

 というのも、アーラ達が次に探そうとしていた教師が癖のある人物だったからである。

 なんでも放浪癖のある教師、というよく分からない存在であった。学校の敷地内を転々として、一刻以上同じ場所に留まる事のない人物なのだそうだ。

 オレリア達の知りうる心当たりを探していたのだが、中々見つからない。

 仕方なく通りすがりの生徒達に話を訊き、その目撃証言に従って行く内に、いつの間にか森の中に足を踏み入れる事になっていた。

 森といっても学校の敷地内にある森なので、それほど深くはない。だが、道が多少入り組んでおり、侵入口も複数あることからアーラ達は南北に二手に別れる事にした。アーラ達は森の南側を担当し、残りのマリッタとリシャールとカリーヌの三人は、北側から探す事になっていた。


「なら、教員室じゃないのか?」

 ベルナルドが推測を述べる。その言葉にオレリアは露骨に嫌そうな顔をする。

「えーー。あそこは居心地悪いからあまり行くのは嫌なんだよねぇ」

「そうだなぁ」

 二人は互いに頷き合う。ただこれは別に二人だけの気持ちという訳ではなく、大多数の生徒達にとっても同じだった。


 教員室とはその名の通り、教師達の集まる部屋の事である。

 教師達は基本的に一人一室自分の研究室を持っており、大部分はそちらで一日を過ごしている

 教員室には朝の朝礼時に集まるだけで、それ以外はそれぞれの研究室に篭るのが一般的だった。

 ただ本来は空き時間には教員室に戻るというのが規則であり、中には律儀に教員室に戻ってくる教師も居る。そして、そのような真面目な教師は大体が厳しかった。

 なので、進んでそんな教師達の元に行きたがる生徒は居ない。


 ご多分漏れず、二人も教員室に行くのが嫌だった。

 考えた末、オレリアは教員室に入る事を二人程嫌がらない、今この場にいない同級生に白羽の矢を向ける。

「だから、次はカリーヌ行って貰おう」

「良いのか? 勝手に決めて」

 カリーヌが居ないのをいい事に、役割を押し付けようとしているオレリアを、アーラは呆れた顔で見つめる。

 オレリアはアーラの方をクルッと振り返り、にこやかに告げる。

「心配ないよ。カリーヌは教師達の受けも良いし」

「オレリアと違って真面目で素直だからな」

「自分も同じでしょ。まぁ、という訳で決定!」

 と、強引に決めてしまった。

「まぁ、私は案内してもらえるなら人選は任せるがな」

 カリーヌと合流したら一揉めあるな、とアーラは思った。が、カリーヌの人となりを思い出して、彼女は戸惑いながらも断わらないような気がした。


 三人はそういった雑談をしながら、ワイワイと林道を進んでいった。

 大体中程まで進んだ頃か、前方から物音が聞えてきた。

 その音にオレリアが表情を明るくする。

「あ、先生かな?」

「……いや、違うみたいだぞ」

 

 声は複数聞こえていた。どうやら数人いるようだ。聞き覚えの無い声なので、マリッタ達ではない。恐らく別の生徒達だろう。

 だが、どこか様子がおかしい。仲の良い友人同士の会話とは思えない荒々しさが感じられた。

 声は徐々にアーラ達の元に近づいてくる。警戒するように黙り込んだアーラ達の居る空間に、苛立ちの込められた声が響いた。

「ほら、さっさと歩けって」

「い、痛いっ」

「それ位でいちいちうるさいわねぇ。黙ってなさいよっ!」


 そう叫んだのは、先程ロナに絡んでいた貴族の生徒達だった。つまり彼等に無理やりに連れられているのはロナであった。結局助けを得る事は叶わず、ここまで連れてこられてしまったのだ。

 生徒達の一人が、腕を掴んで引きずるようにしていたロナの胸を突き飛ばす。

 小さなロナの身体は、勢いよく地面に倒れこんだ。

 そのまま痛みで中々起き上がれないロナに苛立ったのか、髪を乱暴に掴んで無理やり立ち上がらせようとする。


 その光景を見るや否や、アーラは居ても立ってもいられず生徒達に向かっていった。

「貴様ら何をやっているっ!」

「やばいっ、先公か!?」

「逃げるぞっ」

 アーラ達の存在に気付いていなかった生徒達は、突然の怒声に驚く。倒れこんだロナをそのままに、顔を伏せて逃げ去ろうとした。

 しかし、その前にそれを生徒達の一人が押し止める。

「待て、違うぞ」

 仲間に止められ、逃げ出そうとしていた生徒達は改めて闖入者の姿を見た。


「何をやっていたと訊いている!」

 怒り心頭の様子で近づいてきているのが、自分達と同年代の少女だという事に気付いたのか、安心したように息を吐く。

「ん、何だ。生徒かよ」

「一人は、外来みたいね」

 生徒達はアーラ姿を上から下まで眺める。


 この学校の生徒は平民・貴族関係なく、入学時に私物を持ち込む事を認められていない。教師同行でなければ学校の敷地の外に出ることも叶わない為、衣類などは学校で支給されているものしか持っていなかった。

 一応、中には教師たちの検閲を掻い潜って、持ち込んでいる者もいる。だが、こう堂々と学校支給の法衣以外の衣類を着用している生徒は皆無だった。見つかれば没収は確実なのだ。そんな危険を冒すような真似はしない。

 そんな環境にあって、アーラは法衣を着ていない。外来である証以外の何物でもなかった。


「何をごちゃごちゃ言っている! お前達、その娘に何をしたっ!」

「余所者が何の用だ。引っ込んでろっ!」

「何を!?」

 生徒達が何をしていようと、部外者であるアーラに口を挟む資格はない。それはその通りだが、これが弱者への暴力となると話は別だった。

 生徒達の拒絶の言葉に、アーラは苛立ちを露にする。

 そんな今にも飛び掛りそうだったアーラを、オレリアが腕を引っ張るようにして止める。

「アーラ。アーラ! ここは私達に任せて」

 背後でベルナルドも頷いていた。


 アーラは二人の真剣な表情を見て、少し冷静になった。確かに同じ学校の生徒であるオレリア達に任す方が、皆にとって良い方向に転ぶかもしれない。

 アーラは黙って頷き返し、前を譲るように一歩脇に移動した。

 入れ違いにベルナルドが前に出る。威勢良く口火を切った。

「おい。お前ら。その娘を放せ! 大人しく放して、金輪際彼女に近づかないと約束するなら、この事は黙っといてやるぞ」

 生徒同時の喧嘩はご法度である。厳罰が下されても不思議ではない。

 だが、今回のは喧嘩どころか一方的な暴力である。退学でもなんらおかしくは無い。

 その事をベルナルドは警告していた。


 生徒達もそれが分かったのか、一瞬怯んだような様子を見せた。が、先の事よりも同年代の人間に咎められた方に気がいったらしい。

 自分達の行いは棚に挙げて、逆に怒鳴り返してきた。

「うるせえっ! 関係の無い奴は引っ込んでろ!」

「そうだ! 平民が偉そうな口を訊いてんじゃねえよっ!」

「僕達は貴族だ! ……一応」

「……一応は余計だよ、ベル」

 ボソリと付け加えたベルナルドの小言を拾ったオレリアは、情けない顔で首を振った。


 そんなオレリアを生徒達の一人の目が捉える。

 数歩近づいてオレリアの顔を確認すると、優越感に浸ったように嫌らしく言った。

「……確か、そっちのアンタ。オレリアって言ったかしら? アンタ貴族って言っても田舎の三流の出じゃなかった?」

「ぐっ」

「なんだ。なら仲良く居る所を見ると、そいつらも貧乏貴族か」

 オレリア達の貴族としての格の低さを悟ると、生徒達は途端に強気な様子を見せる。

 嫌らしい哂いを貼り付けて、オレリア達の姿を見下ろすように眺めた。


「い、今はそれは関係ないだろっ! いいからその娘を放せよ! このまま教師に伝えられて、退学になりたいのか!?」

 ベルナルドは若干圧されながらも、勇気を振り絞って生徒達に意見する。

 生徒達は忌々しそうにベルナルドを見つめる。にらみ合いが続いたが、やがてその中の一人が諦めたように呟いた。

「……ちっ。分かったよ。持っていけ」


「どうして!? こんな奴らの言う事を聞くの?」

 仲間の戸惑う声は聞えているに違いないが、その生徒は何の反応も返さない。無表情のまま、倒れたロナの腕を掴み上げて強引立ち上がらせた。

 ロナは怯えきった表情で、されるがままになる。

 ベルナルドが少女に手を差し伸べる。

「じゃあ、君。こっちに……手を放せよ」

 ロナの手がベルナルドの手に触れるか、という所で男子生徒の手がロナの肩に乗る。ベルナルドの手がギリギリ届かないようにロナの肩を引いていた。

 ベルナルドは当然の如く抗議する。

「放せって言ってるだろ!」

 もう一度強く言うと、男子生徒は眉間に皺を寄せたまま、ロナをベルナルドに向かって強く推した。

「ふんっ」

「きゃっ」

 ロナは再び突き飛ばされるが、今度は地面に倒れ込む前にベルナルドが前に出て、その身を受け止める。

「あ、ありがとうございます……」

 ベルナルドは少女を安心させるように力強く頷き返した。

「ああ。もう大丈夫だよ。オレリア、彼女を……」

 オレリアにロナを預かってもらおうと、ベルナルドは後ろを振り返る。

 同時にオレリアが叫んだ。

「ベル!」


「え? ぐあっ!」

 ベルナルドは一瞬に呆然とした後、真横に吹き飛んだ。抱えていたロナも一緒に巻き込まれて、地面に倒れ込む。

 それまでベルナルドが居た場所は、足を振り上げた格好の男子生徒が立っていた。ベルナルドの意識がオレリアに向かった隙に、横からベルナルドを蹴り飛ばしたのだ。

 男子生徒達はそのままベルナルドに近づいていく。

 立ち上がろうとしていたロナを乱暴に押しのけると、再び大きく足を振り上げた。

「カス貴族が格好つけてんじゃねえ!」

 叫ぶなり、地面に倒れこんだベルナルドを踏み付けるようにして蹴たぐり始めた。

「あぐっ!」

 苦痛の声がベルナルドから漏れる。


「や、止めてよっ!」

 オレリアは身を挺して護ろうと近づいていくが、生徒達の一人が薄笑みを浮かべたまま、進行方向を塞ぐように立ちはだかった。

 その間にもベルナルドへの執拗な攻撃は続く。

「ぐっ! や、やめろっ……ぐはっ」

 後頭部を護るようにして抱えて攻撃を耐えていたベルナルドだったが、頭を踏み付けられた際に前頭部を強かに地面に打ちつけてしまい、遂に意識を手放してしまった。

 そのまま地面にグッタリと横たわり、動かなくなる。


「雑魚が」

「ベルッ!?」

 オレリアの悲鳴が木霊する。

 突き飛ばされたロナを介抱していたアーラは我慢の限界に達し、男達に掴みかかっていく。

「貴様らああぁぁぁ!」

 突然の少女の特攻に驚いたのか、棒立ちになっていた男子生徒の一人の横っ面にアーラの拳が突き刺さった。


 アーラは侯爵家の令嬢である。

 普通その地位に居る女性が、殴り合いの経験などある筈も無い。

 だが、アーラは普通の貴族の令嬢ではない。幼い頃は近所に住む子供達と身分関係無く遊んでいたし、その過程で殴り合いの喧嘩をしたことだって何度もある。

 

 それ以外にも、アーラはずっと剣の鍛錬を続けてきた。

 その際に使っていたのは、木剣ではなく鉄剣である。

 鉄剣は人を殺す為の道具だ。それはそうなって然るべき威力を発揮する為か、非力な女性ではとても振り回す事の出来ない重量がある。

 それをアーラはほぼ毎日振り回していたのだ。

 一見華奢に見えても、アーラの腕の筋力は鍛えていない同年代の男などより、ずっと上だった。

 そして、今目の前にいるのは権力を笠に立て、自分の拳で殴りあった事も無いような若者である。単純な腕っ節では、アーラの方に分があるようだった。


「ぐあっ」

「ちょっ、何よコイツ! 部外者の癖に!」

「黙れ! 貴族の風上にも置けぬ奴らめっ! 貴様らの言動こそ貴族には相応しくないわ!」

 アーラの怒りの拳が男子生徒達に飛ぶ。

 生徒達も応戦するが、鍛えられていない拳をその身に受ける位では、アーラはまるで怯む事は無かった。『グレーターベア』や『リザードドラゴン』を間近で見た事があるアーラにとって、この生徒達など全く脅威に感じられなかったのだ。

 更に前に前に出て、男達を相手にする。立ち回りは華麗とは言えなかったが、それでもアーラが優勢なのは誰の目にも明らかだった。

 倒れたベルナルドに寄り添っていたオレリアは、あっけに取られたようにアーラを見つめていた。


 単純な殴り合いでは分が悪い事を感じたのか、生徒達は大きく間合いを取った。

「ちっ、ウザイなコイツっ!」

「もういいよ! コイツやっちゃおうよっ!」

 アーラに攻撃されたことで完全に頭にきたのか、生徒達は身体から強い光を発光し始めた。

 その光を見るなり、オレリアが目を見開く。

「ま、魔法を使う気!? 本当に退学になるよ!?」


 魔法の使用しての私闘は、魔法学校では固く禁止されていることである。

 見つかれば、余程の理由がない限り退学となる。どんな有力貴族であれ、それは変わらない。

 この学校に居る生徒が、それを知らない訳は無い。

 そんなオレリアの警告も、生徒達は一笑に付した。

「はっ、仕掛けてきたのはそっちだろうが。俺達は外来に襲われたんだ。正当防衛だろ」

「はははっ。そうよね」

 生徒達は哂いながら、オレリアに向かって掌を向けた。

 魔法の狙いを定めたのである。

「あっ」

 思わずオレリアは身を硬くする。

 傍で倒れているベルナルドの法衣の袖をギュッと握り締めていた。


「くっ、ならば私だけを狙えっ」

 アーラが生徒達とオレリアの間に入るようにして、立ち塞がった。

 大きく両手を横に伸ばして、オレリア達を自分の陰に隠そうとする。

 その様子を見て、生徒達は声を挙げて哂った。

「もちろん。学校の人間に魔法は使わない。……可哀相にな。外来の所為で巻き込まれちまうとは」

「貴様らっ!」

 つまり生徒達は身を護る為にアーラに放った魔法の余波が、オレリア達を巻き込んでしまったと。実際は直接攻撃してたとしても、そういう風に話を持っていくと言っているのである。

 ただその虚言を証言されては色々と面倒である。その為、彼らは口が訊けなくなるぐらいオレリア達を痛めつけるつもりだった。

 それを察したオレリアは青ざめた顔で、アーラに注意を促す。

「……言っても無駄みたい。アーラ気をつけて」

「うむ……」

 オレリアは先程の闘いぶりから、アーラの戦闘技術が自分よりずっと上だと思っているようだ。

 しかし、アーラは頷いたものの、魔法に関しては自信がない。

 正直どうすべきか困っていた。


「ベルは……無理そうね。多分その内カリーヌ達がこっちに気付いてくれると思うから、それまで何とか耐えて……」

 カリーヌが来るという事は、一緒に行動しているマリッタも来るという事である。

 マリッタならば、この程度の相手などどうとでも出来る。そこに多少の希望を見出せたアーラの胸に若干の光が宿った。

 

「ぺちゃくちゃ喋ってんじゃねえよ!」

 生徒達の一人が、怒鳴り声と共に魔法を放ってきた。

 その『火球』がアーラの前の地面に着弾する。

「アーラ!」

「ぬうぅ!」

 威嚇だったのか、直撃はしなかったが余波の熱波がアーラに伝わってくる。

 入れ替わるように、別の男子生徒が腕を突き出した。少年の身体は緑色で覆われている。

「ひゃっはっ! 次はこっちだぜ!」

 強い風がアーラ達を襲う。

「くっ、動きが……」

 アーラは強風を遮るように両手を顔の前に交差して、その場で耐える。

 その背後ではオレリアが自分の身をベルナルドに多い被せるようにして、必死に飛ばされないように堪えていた。


「ほらほら、こっちも忘れないでね!」

 次は強風の風を利用するように、一抱え程もある大きな『水球』が加速しながらアーラを襲った。風によって足止めされていたアーラは、躱す事も出来ずに体の正面で『水球』を受けてしまう。

「うぐあっ!」

 アーラの身体にぶつかると、『水球』形を崩し只の水となって飛び散ったが、その威力は確実に伝わった。アーラは後方に吹き飛ばされ、道の脇に並び立つ樹々の一本に背中から叩きつけられる。

 衝撃で身体の中の空気を全て吐き出し、アーラは声のない苦痛を漏らした。

「アーラ!」

「…………だ、大丈夫だ! これしきの事。何ともない!」

 何とか立ち上がったアーラだったが、呼吸は乱れていた。両足もかろうじて地面を踏みしめている、といった具合だったが気力は失っていないようだった。

 その証拠にアーラの目はまだ強い光を放っている。


 一方、生徒達はアーラの言葉を虚勢と認識していた。

 全員が薄笑いを口元に浮かべる。

「だってよ」

「なら、お言葉に甘えてもっと強いの行くか」

 その台詞を皮切りに、生徒達はアーラ達に向かって次々に魔法を放ち始めた。


 オレリアは気絶したベルナルドを庇っている為その場を動けない。

 アーラもその動けないオレリア達を護ろうとして、吹き飛ばされても立ち上がり、二人の前に陣取って堪えていた。

 動く事の出来ないアーラ達はただの的でしかなく、面白いように魔法が当たる生徒達は一層興奮して魔法を放ち続けた。

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