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The Left Arm Wars  作者: 過酸化水素水
【5章 偽りの想念】
100/121

95: 談笑

 

 それからアーラ達は幾人の教師達を廻ったが、該当する人物は未だ見つかっていなかった。

 逆説的に考えると、それなりに時間が経過しているのに、まだ幾人しか廻れていないのが原因とも言える。


 ただ、それには別の要因も挙げられる。

 一人の教師と会う度に、時間を四半刻は取られていたからである。

 その原因の大半はエレーナにあった。


 エレーナは気さくで、何だかんだ言っても教師達の皆と親しげだった。どの教師も何だかんだ言いながら、エレーナを蔑ろにしたりはしなかった。もしかしたら同性の教師たちの中では愛玩的存在なのかもしれない。

 しかし、そんな貴重な人脈も、話をいつもややこしい方に持っていくのでまるで役に立たなかった。

 これが意図してやっていることではなく、天然だからどうしようもない。


 何人か目で、ようやくアーラは悟った。

 エレーナには教師達との繋ぎだけを頼む事にし、それからの話し合いには参加させないようにすれば良いのではないかと。

 その考えは当たり、それからは格段と捗る様になった。


 ただ一人に掛かる時間は減ったものの、肝心の医師の娘は発見できていない。医師本人の情報も掴めなかった。

 また尋ねた教師達もそれぞれで、親切に答えてくれた人も居たが、外出中の人、今は忙しいから後にしてくれと言う人、様々だった。

 そういう人達は後に廻す事にして、次へ次へと廻す事を優先した所為で休む暇も無く、アーラ達は既にこの学校を端から端まで何往復もしていた。



「……疲れました。本当に疲れました……」

 リシャールがトボトボ歩きながらぼやいている。歩き疲れというより、精神的な問題だろう。

 エレーナがおかしな事をする度に、リシャールがその被害を受けていたからだ。

 例を挙げると、教師の実験を強引に手伝わされたり、実験台にされたり、代わりに叱られたり、と、疲労も当然だった。


「ううむぅ。中々捕まらんな……」

 アーラはそんなリシャールを困ったように眺めながら、後ろを歩いていたエレーナに振り返った。

「後、条件に合う教師は何人位いるのだ?」

「ええとぉ……ひー、ふー……三人ですねぇ」

「三人か……」

 アーラは暫し考え込む。

 その人数であればもう休まずに一気に行くか、それとも一度休憩を挟むか、その葛藤だった。

 そうして、結論を出せないまま『中庭』前に差し掛かった時、リシャールがそれまでの調子の違う声を上げた。

「あ、マリッタさん」

「ぬ?」

 アーラはリシャールの視線を追い、その先にマリッタの姿を見つけた。向こうもこちらに気付いたのか、のんびりとした歩調でアーラの元に近づいてくる。

「お嬢さん。ようやく見つけましたよ」


「ん? マリッタは一人か? コニー師はどうした?」

 アーラは二人はずっと一緒に居ると思い込んでいた。しかし、中庭中を見回してもコニーの姿は何処にも見当たらない。

 顔に一瞬面倒そうな影が過ぎったが、それを押さえ込んだマリッタは小さく答えた。

「いえ、それが逸れちゃって……」

「そうか。ならば私達に合流するがよい」

 アーラはマリッタの嘘を素直に信じた。

 こういう所は本当に楽だと、マリッタはアーラからは見えない位置で、ふぅ、と吐息を漏らした。


 ただその後で、

「……でも、ここの関係者が一緒じゃないと、見つかったら追い出されますよ」

 などと、自分の事を棚に上げ、マリッタはそう進言する。

 だからとっとと学校を出ようと、暗に主張しているのである。


 長身なマリッタがアーラと視線を合わせようとするなら、必然的に頭を下げる必要がある。

 その結果、マリッタは視界の下の方でにこやかに両手を振っているエレーナに気付いた。

「マリッタさん。やほー」

 マリッタの目に理解の色が表れる。

「ああ。エレーナ先生と一緒だったんですね」

「うむ」

「頑張って案内してますよぉ」

 元教え子に良い所でも魅せたいのだろう。エレーナは自信に満ち溢れた台詞を吐く。


 その後ろ、リシャールが引き攣った顔で、力ない笑いを浮かべていた。

「…………確かに頑張ってはくれてますよね。過程はともかく」

 この時点で、リシャールの中でエレーナの存在は、女版サルバという認識が確固たる地位を築き上げていた。

 つまり、嫌いではないが一緒に行動するのは遠慮したい。そんな相手だという事である。


 リシャールのそういった感情を漠然と察したのか、アーラは一度オホンと咳をする。

「ともかく、マリッタも合流したのだ。気を取り直して次に向かうぞ。エレーナ師よ。案内を頼む」

「はぁい」

 身体全体でやる気を示しているつもりらしい。エレーナは身体を最大限大きく伸ばして万歳をする。

 テコテコと先頭に立つと、鼻歌を口ずさみながら大きく両手を振って歩き始めた。

 エレーナはもういい年齢の筈だが、背が小さい事と童顔が相まって、子供のような振る舞いは妙に似合っていた。

 その様子を見ていると、疲労から若干燻り始めていた苛立ちを忘れさせてくれるようで、アーラ達は心なしか軽い足取りでその後に続くのだった。


+++


「ほら、もっと速く歩かないかリシャール!」

「うぅ、さっきのお菓子の苦しみが、またぶり返して来ました……」

「耐えろ!」

「む、無理ですよぉ」

 アーラとリシャールが言い合いをしているのを背中で聞きながら、マリッタは小さく溜息を吐く。

「はぁ……」

 やはり学校を廻るのは気が重く、合流するのはもう少し後にした方が良かった、などと考えていた。


 そんな後ろ向きな感情に襲われていたマリッタの隣に、エレーナが急に移動してきた。

 マリッタを見上げるようにして、にっこり笑いかける。

「マリッタさん。今、楽しいですかぁ?」


「…………」

 マリッタは一瞬ハッとしたように黙り込んだ。

 質問の意図が分からなかったというのではなく、エレーナの唐突さに若干の懐かしさを覚えていたからである。

 そして、この学校の事で懐かしさを覚えた自分にも驚いていた。

 なので咄嗟に返答が思い浮かばず、マリッタは質問で返した。

「……これが楽しそうに見える?」


「う~~ん…………はいっ!」

 エレーナはマリッタをジッと見つめてから、ハッキリと肯定した。

 途端にマリッタは呆れ顔になる。

「どこをどうしたらそう見えんの?」

「昔と比べて、とても表情が明るいですぅ」

「……そう?」

「はぁい。前はもっとこーんな……こーんな顔してましたよぉ」

 エレーナは両手で自分の顔を挟み込み、ぎゅーと押しつぶしたり、逆に引き伸ばしたりする。かと思えば眉を両人差し指でグイと持ち上げる。”怒”の表情のつもりだろうか。

 どうであれ変な顔には違いなく、マリッタは苦笑する。

「そんな顔はしてなかったでしょ?」

「じゃあ、こーんな顔ですよぉ」

 と、エレーナは更に顔を押しつぶす。

「いや、だから……」

「こほーんな、かほですよぉ」

 捩れを加えて、左右不均衡な顔を作る。

 どうやらどうやってもマリッタの変化を指摘したいらしい。しかし、どう考えてもその方法は妙齢の女性が取るべき選択ではない。

 それを思うと、流石のマリッタも耐え切れなくなった。


「…………ぷっ」

 小さく噴出しただけだったが、エレーナは敏感に反応する。変な顔を作るのを止め、嬉々として騒ぎ立て始めた。

「ほらぁ、やっぱり変わりましたよぉ!」

 

 堪え切れなかった自分が何かとても恥ずかしい行いをしたような気にさせられ、マリッタは照れを隠すように友人の言葉を挙げる。

「……オレリア達は変わってないって言ってたよ」

「そうですかぁ?」

「うん」

「なるほどぉ。なら、そうなのかもしれませんねぇ」

 ウンウン頷きながら、エレーナは納得してしまった。

 先程と言っている事が間逆である。

「って、どっちなのよ」

 思わずマリッタは突っ込む。

 

「えへへ。わかりませぇん」

「ぷっ」

 純真無垢を絵に描いたような笑顔で応えるエレーナを見て、マリッタは再び噴出してしまった。

 今度はひとしきり笑った後で何とかそれを収めると、照れ臭そうに鼻の頭を掻いて、柔らかく微笑んだ。

「……先生は全く変わってないね」

 そう言うマリッタは、いつもの他人に対する厳しい様子とは違う。

 慈しみ、そんな感情に満ちた表情だった。


 なお、そんなマリッタの言葉に対して、エレーナはキッパリと否定する。

「そんな事ありませんよぉ。前より大人のみりょくが増してる筈ですぅ」

「それはない」


 

 そんな穏やかなやり取りをしていたマリッタ達を、いつの間にか騒ぐのを止めていたアーラ達がジッと観察していた。

 目敏いリシャールがそれを指摘する。

「…………何か、マリッタさん。いつもより明るくないですか?」

「そうか? 普段よりずっと大人しいではないか」

 アーラの脳裏には、いつものリシャールを折檻する時のマリッタの様子が浮かんでいた。

 確かにその時の騒々しさからすると、今は静か過ぎるくらい大人しいと言えよう。リシャールは同意しながらも、どこか釈然としない表情は消えなかった。

「何というか、穏やかっていうか……険が無いっていうか……」

「ふむ……」

 言われてみて改めて見直すと、確かにアーラも少し違和感を感じた。

 ただし、それは決して悪いものではなく、もしかしたらこの穏やかなマリッタこそが本来の素のマリッタのなのかもしれない。

 だとすれば、他の誰も知らなかったマリッタを、あのエレーナが暴き出しているのだ。

 それはきっとマリッタにとって良い事で。そして、恐らく大切な事に違いない。

 アーラはそんな事を考えながら、マリッタを眺めるのだった。 



***



 それから更に二人の教師を廻り空振りに終わった後、残す一人の教師に向かっていた時。

 背後からアーラ達を呼ぶ声がした。思わず全員立ち止まって振り返る。

「ああっ! こんな所に居た!」

「や、やっと見つけたな……」

 そこには息を切らせて立つオレリアとベルナルド、カリーヌの姿があった。


「おお。オレリア達か。何だ用事はどうした?」

「うん。こっちの方は一段落したから、アーラ達を手伝おうと思って。もう目的の人は見つかった?」

「いや、まだだ」

 アーラの否定に、ベルナルドが一歩前に出て胸を叩く。

「なら、僕達も手伝うよ。何でも言ってくれ」

「格好言いこと言ってるけど、ベルはマリッタに良い所魅せようとしてるだけだからね」

「ち、ちがっ! うるさいぞオレリア!」

 オレリアの茶々入れに、ベルナルドは激しく動揺する。

 ただ今のオレリアの発言について、どう思われたのかは気になったのか、マリッタの方をチラチラと盗み見ていた。


 しかし、思い虚しく、当の本人はまるで意に介していないように、エレーナと会話を続けていた。

 オレリアはこれ見よがしに含み笑いを浮かべ、ベルナルドを挑発する。

 対してベルナルドは半分安心しながらも、虚しさもまた半分で、モヤモヤとした気持ちを持て余していた。


 そんなベルナルドの内心など露知らず、アーラは素直にオレリア達の参加を喜んだ。

「済まんな。助かる」

「いいっていいって。えーと、教師巡りしてるんだっけ? 次は誰のとこに行くの?」

「えぇとぉ、次はぁ……」

 エレーナが次に向かう予定の教師名を挙げる。

「じゃあ、早速行こうよ……っと、その前にエレーナちゃん」

「先生を『ちゃん』付けで呼んだら駄目ですぅ」

 エレーナの抗議も何処吹く風で、オレリアは用件を伝える。

「学長が呼んでたよ」

「ほえぇ? 学校長が? 何でしょう?」


 学校長とは、その名の通りこの学校の教師を管理する立場にいる人物のことである。

 教師陣は皆敬意を込めて『学校長』と呼んでいるが、生徒達の大半は省略して『学長』と呼ぶのが通例だった。

 その地位である為には、魔法の実力はさることながら、豊富な知識をもつ事。人格者である事が求められる。この国唯一の魔法学校を運営していくのに、生半可な人物では勤まらないからである。

 その為、歴代の学校長達は皆一角の人物だった。言い代えると、それほどの人物でない限り学校長にはなれないという事でもある。

 とはいえ、今代の学校長は歴代の学校長が残した業績と比較すると、まだそれだけの成果を示せてはいない。魔法の技量も突出して優れているわけではない。巷では、どうしてあの人が学校長に納まっているのか、と疑問符を浮かべられるような人物だった。

 だが、そこまで優秀でない事が功を奏しているのか、妙な取っ付き易さがあり、この学校内の教師や生徒達からは概ね好評であった。

 エレーナも例外ではなく、気安ささえ感じる学校長のことは素直に敬愛していた。

 当然、学校長からの用事を忘れる事など無い。


 突然の呼び出しに心当たりが無いのか、エレーナは首を左右交互に傾けながら考え込んだ。

「何か、頼んどいた薬草がどうとか……」

 そのオレリアの言葉で、エレーナはパチンと手を合わせて理解の色を目に宿す。

「ああ! 分かりましたぁ!」

 エレーナは叫ぶなり、くるりとアーラの方に身体を向けた。

 申し訳無さそうにアーラに詫びる。

「すみませぇん。ちょっとお呼ばれしたので行ってきますねぇ」


 アーラは一つ頷く。

「そうか。それならば致し方ないな。ここまでの案内助かった」

「あ、有難うございました?」

「じゃあね。先生」

 アーラ、リシャール、最後にマリッタが感謝と別れを言う。

 それを受け、エレーナは天真爛漫な笑みを浮かべた。


「はぁーい。じゃあ、あとは皆さん宜しくお願いしますぅ」

 エレーナはそう言ってオレリア達に後を託せると、

「ではぁ~」

 胸の前で小さく両手を振りながら、小さい足取りでテコテコと立ち去っていった。

 それを何となく見届けてから、一行は再び行動を再開した。



 道中。

 リシャールが思い出したように話題を振った。

「そういえば、さっきディアナさんをお見かけしたんですが」


「ディアナを?」

「ディアナさんって、見かけによらず凄い勇気があるんですねぇ」

「どういうこと?」

 意味が分からず、オレリアが尋ね返す。

 リシャールは先程の騒動の話を一通り話して聞かせた。


「なるほどねぇ」

「ディアナは優しいからな。ほっとけなかったんだろう」

 ベルナルドはそう理由付ける。

「貴族と相対してるのに、凄く堂々としてましたよ。ね? アーラ様」

「うむ。中々の胆力の持ち主だ」

 アーラも認め、そう言って頷く。

 ただ、オレリア達はそれには得心しかねるようだった。

「うーーん。そうなのかなぁ?」

「いつもの可憐な印象しかないなぁ」


 オレリア達にとって、ディアナは一つ年上の頼りになる友人だった。

 優しく、親切だということに異論の余地は無いが、勇敢という感じを抱いたことはなかった。

 ただ逆に、ディアナが臆病だと思ったことも一度も無い。

 総じて考えて、オレリアは何となく結論を出した。

「近くに居ると分かんないものなのかも」

「なるほど。そんなものですかねぇ」

 その身も蓋もない説明に、ただリシャールは納得した声を返した。


「あ、でも」

 と、オレリアはふと何か思い浮かんだように声を上げる。

 そして、傍らに立つカリーヌを見つめた。

「カリーヌも前、そんな事言ってなかったっけ?」


「え?」

 オレリアの突然の振りに反応できずに固まったカリーヌを尻目に、リシャールが尋ねる。

「何て言ってたんです?」

「えっとね。ディアナは時々怖く感じる時があるとか何とか……だったよね?」

「あ、お、オレリアちゃん!」

 いきなりの暴露に、珍しくカリーヌが憤った。

 そこだけを取られると、まるでディアナの陰口を言っているように聞こえたからである。

「ご、ごめんって」

 オレリアもそれに気付いて、カリーヌに触れながら謝罪した。


「ふむ、怖い時かぁ……僕にはパッと来ないなぁ。カリーヌの気のせいじゃないのか?」

 ベルナルドが不思議そうに、カリーヌへ水を向ける。

 カリーヌとしてはそこで終わらせたかったのか、その結論を素早く肯定する。

「う、うん。そう。だから気にしないで。そ、それより早く先を急ごう?」

 必死に話を終わらせようとするが、オレリアは再び話を広げる。

 何かを思いついた顔で二人を見返す。

「あ、もしかしたらアレじゃない?」

「え?」

「ディアナの研究よ。アレがあるから、そう深層心理に植えつけられた、とか!」

「ああ。なるほど」

「う、うん。そ、そうかも」


 完全に内輪話の状態となっていた所に、アーラが口を挟む。

「何やら三人で納得した風だが。ディアナの研究とは何だ?」

「ああ。ごめん。置いてけぼりだったね」

 オレリアはアーラに謝って、事情を説明し始めた。


「ディアナはね。魔物について研究してるんだ」

「実際に数匹生け捕りにして、その生態を調べているらしい」

「魔物? 魔物って言うと、魔物ですか?」

 自由騎士であるリシャールが、耳聡く反応した。


「うん」

「あ、危ないですよ!」

 リシャールは血相を代えて、危険を主張する。

「大丈夫。魔物って言っても、簡単に捕まえられるような小さな奴だから。学校の許可も貰ってるらしいし」

「でも……」

 自由騎士にとって、魔物はどんな存在であれ油断してはいけない相手だった。リシャールはそれを怠って、悲惨な末路を迎えた者を何人も知っている。

 体躯が小さい魔物の中には、人間など一瞬で絶命するような危険極まりない毒を持つ者もいるのだ。

 事情を聞いても、リシャールの納得できない顔は消えなかった。

 

 黙りこんだリシャールの代わりに、アーラが話を戻す。

「なるほど。カリーヌは魔物が苦手なのだな? それでカリーヌは深層心理でディアナを怖いと感じていた、という事か」

「は、はい。その通りです」

 カリーヌは小さく頷く。

「得意な人も少ないと思うけどね」

「だから、ディアナは一人で研究してるんだよ」

 オレリア達は三人でやっている事を思い出しながら、アーラは感心したように目を見張る。

「それは大変そうだな」


「まぁ、何といってもディアナは優秀だから」

「それに、コニー先生が担当教員だしな」

 ベルナルドの言葉に、アーラは疑問を浮かべる。

「担当教員?」

「ああ……研究科の研究内容で、特に危険性が認められたものとか、生徒だけじゃ難解な内容のものには、指導役の教師が一人付く事になってるんだよ」

「コニー先生はとても有能で、生徒にも人気が有るから、いくつも掛け持ちしている中の一つだけどね」

 二人はそう説明する。

「だから、ディアナの研究は大丈夫なんだ」


「なるほど」

 アーラは納得する。

 リシャールも微妙な心境を顔に出しながら、一応理解を示した。

 ただ、その微かに溜まった不安を払拭するように違う話題を振る。

「オレリアさん達の担当教員はどなたなんですか? 今日僕達が出会った中に居るかなぁ?」

「私達の?」

 リシャールは昨日の中庭の説明の時には居なかった。

 なので、オレリア達の研究内容を聞いていない。それ故の問いである。

 知っていたら、オレリア達の研究が安全極まりなく、容易いものである事は、直ぐに思い至る筈である。


 自分達でも思ってはいたが、リシャールの指摘によって自分達の研究が取るに足らない研究に感じて、それから目を背けるようにオレリア達は思い思いの方に視線をやった。

 言葉に詰まったオレリアは、リシャールへの返答の代わりに別の話題を挙げる。


「あ、それより。マリッタの研究にはエレーナちゃんが付いてたんだよ?」

「ちょっ! オレリア!」

 それまで一人蚊帳の外で話を聞いていたマリッタは、思いがけない暴露に鋭く叱責する。

 ただオレリアの目論見は成功し、アーラとリシャールの興味はそっちに移ったようだ。二人は目を輝かせてマリッタを見やる。

「ほう。そうなのか?」

「うっ、ま、まぁ……」

 望まない話題だったのか、マリッタは露骨に嫌そうな表情を浮かべる。

 アーラの輝きだした瞳を見て、思わず後ずさりしていた。


「なるほど。だからあんなに親しげだったんですね」

 リシャールも得心がいったように微笑みかける。

「あんな穏やかなマリッタさん。初めて見ましたよ。笑顔なんてまるで優しい女性のようでした」

「…………っ!!」

 この時、リシャールは茶化したつもりは全く無かった。

 ただ純粋に、さっきのマリッタとエレーナの親しげな様子の理由が分かった事に満足したのである。

 だがそのリシャールの言葉に、マリッタを茶色に染め上げたい人物は敏感に反応した。


「へへ~~。それは羨ましいなぁ。私も見たかったなぁ」

 オレリアの邪な感情とは違い、ベルナルドとカリーヌは純真な目で賛同を示した。

「そ、そうだな!」

「(こくこく)」

 

 マリッタは最初こそ、ただ動揺しているだけだった。

 だが、返答を期待されたり、茶化されたり、むず痒くなるような憧憬を向けられたり。そういった感情を向けられる中で、逆に冷静になっていった。

「…………」

 このような事態を引き起こしたのは。発端となったのが誰なのかを考えて……冷めた眼をある一点に向ける。


「あ、分かりました」

 冷気さえ感じる冷たい視線を向けられた人物は、何故か納得したように頷いた。

 ゆっくりとマリッタが近づいてくるのを見つめながら、少年は言った。

「この後、僕、多分殴られますね?」

 リシャールは悟りきったような顔で、この後自分に待ち受ける悲劇を、寧ろ感受するように両手を広げた。



 直後、本日数度目となる悲鳴が、校舎に響き渡るのだった。



***



「……………………」

 その女生徒は、薄暗い教室の窓掛けを少しずらして、外の様子を何を言うでもなく眺めていた。

清楚な顔立ちだが、今はそれを感じにくい。階下を見下ろす視線が厳しく、どうにも冷たい印象を受ける為だ。何か考え事しているのか、人を寄せ付けない雰囲気があった。


 それは女生徒の背後に居た、別の少女も感じていたようだ。

 声を掛けようとして、止める。何度かそれを繰り返し、ようやく意を決したのか少女はか細く口を開いた。

「……あの」

 人ごみにあっては間違いなく聞えない声量だった。ただこの教室には二人しかいない。両隣の教室には人が居るようだが、扉を閉め切っているので少女の声を阻害するには足りなかった。

「……うん?」

 少女が傍に居たことを、まるで初めて気付いたように女生徒は定まらない視線をそちらに向けた。


 少女は少し気圧されていたが、小さく息を吸い込み踏ん切りを付けると、深々と一礼した。

「あの、先程は本当に有難うございました」

 いきなりお礼を言われ、女生徒は驚いた風に目を見開く。ただ直ぐに持ち直すと、柔らかな眼差しを少女に向けた。

「ああ……ふふ。お礼はもうさっき何度も聞いたわ」

「あ、ご、ご免なさい」

「いえ、有難う。でも本当に気にしなくて良いのよ? 私は大した事はしていないのだから」

 その言葉に、少女はぶんぶんと首を振る。

「そ、そんなことありません! さっきはあんな事になってとても怖かったので、本当に助かりました」


 少女は先程の騒動の発端となった張本人。といえば聞えは悪いが、当事者であることには違いない。被害者の少女だった。

 そして、彼女が礼を言った相手とは、身体を張って貴族の槍玉に挙げられるのを護ってくれていた女生徒。ディアナである。

 

 ディアナは先程の騒動を思い出したのか、心配そうな表情で尋ねた。

「研究資料は大丈夫? 燃えてしまったんでしょう?」

「それは、一応控えがあるので何とかなると思います」

「そう。それは良かったわ。準備が良いのね」

 ディアナは少女の準備の良さを感心するように褒め称えた。


 少女は瞬時に頬を赤く染める。

「い、いえ……そんなこと、あ、ありません」

 緊張から少女はドモってしまっていた。

 何しろディアナは、少女の憧れの一人でもあったからだ。


 学内でもかなり顔が知られているディアナは、その優秀さと可憐な顔立ちで、多くの憧憬を集める存在である。誰に対しても優しく、親切であるディアナの事を悪し様に言う者は少ない。

 出身は平民の出ではあるが、それを全く感じさせない程立ち振る舞いも上品であり、貴族の生徒達にも一目置かれている。

 そんなディアナの事を同じ平民の生徒達は、憧れと共に尊敬の念を持っていた。頑張れば平民でも貴族の連中に勝れる。そんな期待を抱かせてくれる存在でもあったのだ。

 自然、”ディアナのようになりたい”と、思う生徒も多く、特に同姓の女生徒達にその傾向は強かった。

 ただ、そう感じられるのはディアナと同学年の生徒達であって、少女のような年下の生徒達からすると、ディアナはただただ崇拝の対象なのであった。


 初々しい少女の反応を楽しむように見つめた後、ディアナは再び訊いた。

「貴女は一人で研究しているの?」

「いえ、友達と三人でやっています。だから急いで二人に事情を説明しないと……」

 少女の巻き込まれた騒動の場には、その友人達は居なかった。

 控えがあるといっても、本資料は燃えてしまっている。共同研究をしているのであれば、確かに説明する必要があるだろう。


 ディアナはそれらの事情を察したように、気遣うような表情で少女を覗き込む。

「お友達はあの場に居なかったのね。大丈夫? 私も同席しましょうか?」

「え、で、でも、そこまでして頂く訳には……」

 少女はずっと前からディアナに憧れていたが、直接話をしたのは今日が初めてである。

 まだ知り合ったばかりの身でそこまでやって貰うなど、少女には無理だった。それでなくとも、ディアナは眩しすぎて気後れがするし、何より窮地を救って貰った恩がある。

 なので本当に残念だったが、ここは丁重に断ろうと思っていた。


 そんな少女の葛藤を見透かすように、女生徒は薄く笑う。

 一歩だけ少女との距離を縮めると、白絹のような美しい肌をした手を、少女の頬にそっと添えた。

「大丈夫。私が貴女を手伝いたいだけなのだから、私の事は気にしなくても良いのよ」

「あ、あ、あの……」

「そう言えば、大丈夫? あの場で誰かに殴られたりしなかった?」

 ディアナはそう言って、少女の肌を検めるように何度も撫で擦る。

 突然触れられた少女は戸惑いを隠せなかったが、振り払う事も出来ず、されるがままになっていた。


「……そ、それは大丈夫です」

「そう、良かった。このきめ細かい肌が傷つけられたかと思うと…………堪らないわ」

 声の質が変わる。

 それと合わせるように、徐々にエレーナの呼吸が深さを増していく。


「は、はい」

「白くて……とても愛らしい」

 ディアナは両手で少女の頬を挟み込む。少女はディアナよりも頭一つ分は小さい為、まるで頭を抱え込むような体勢になる。

「そ、そんな事……」

 少女は何とか距離を取ろうとしているのか、ディアナとの体の間に自分の両手を挟んでいた。ただ押し返す事は躊躇われるのか、自分の身体を護るように押し当てているだけだった。


「唇も」

 ディアナはそれでも少女から離れようとはせず、頬に当てた右手の親指で、少女の唇をツツとなぞる。

「ふっくらしてる……柔らかくて……」

 感触を確かめるように何度もなぞりながら、ディアナは自分の顔を少女の唇に近づけていく。

 少女の顔にディアナの影がかかる。

「あ、やっ」

 少女は流石に身じろぎしたが、ディアナは両手の力を強めて少女の動きを封じた。


「本当に……美味しそう」

 まるで獲物を前にした蛇のような妖しい瞳で、そのまま自身の唇を少女のそれに重ね合わせようとし――――



「い、嫌っ!」


 悲鳴と共に渾身の力を込めた少女によって、ディアナは突き飛ばされた。数歩よろめくように後退する。

 ディアナは拒絶されたことが信じられないような表情で、少女を凝視した。


「あ、あ、あの! わ、私、もう行きます!」

 少女は宣言すると、飛びつくように教室の扉に向かった。

 ディアナもその後を追うように、一歩踏み出す。

「なら、私も一緒に……」

「い、いえ! 一人でも大丈夫ですから。有難うございます。じゃ、じゃあこれで失礼します!」

 少女はハッキリと断わると、ディアナの返答を待たず、逃げるように教室を出て行った。開け放たれたままの扉の隙間から、少女が奔っていく足音が聞えてくる。


 残されたディアナは、少女が出て行った扉の隙間から除く廊下を、静かに眺めていた。

 完全に少女の足音が聞えなくなってから、

「…………そう」

 ディアナはその一言だけ呟く。

 その中には先程までの甘い調子は欠片も含まれておらず、ただその代り、異様な冷たさだけが確かな存在感を放っていた。


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