大人の証明
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
つぶらやくんは、自分が大人であるという実感湧いているだろうか?
学生の時分は、卒業式などを迎えることでそのとき、そのときで区切りがついた。卒業証書という名の証拠さえも残っている。
今日から自分は中学生、高校生、大学生と区切りがつく。なんなら大学の卒業証明書もあれば社会人になったという区切りももらえる。
だが、「大人」のカテゴリーはどうだろうか?
子供のころに考えていた大人といえば、人生の酸いも甘いもかみ分けて、この世のことなどなんでも分かっていそうな、場末の酒場にいそうなイカしたマスターのようなイメージだったよ、わたしは。
それが今になっても、この世のすべてを知っているどころか、一部だって全然だ。子供のことには知り得なかったこともいくらかは知ったけれど、堂々とさらせるようなことは多くない。
自分で判断が難しいなら、やはり他の誰かや何かに認められて、はじめて大人になれるのだろうか?
少し前に、大人の判断に関して少し不可解な話を聞いたんだ。耳に入れてみないかい?
私の叔父から聞いた話になる。
叔父は大学生になってから、一人暮らしを始めたらしい。部屋での暮らしにも慣れてきた数ヵ月後のこと、外出帰りにドアポストを見て叔父ははがきが一枚入っていることに気付いた。
叔父はドアポストを頻繁に整理する人。そのはがきも外出中に投函されたものに違いなかった。
宛名に叔父の名があるのみで、差出人に関しては不明。そして裏面を見ると、「大」の一文字が毛筆ででかでかと書かれていたのだそうだ。
インパクトもあって、首をかしげてしまう叔父。いたずらかとも思ったが、あまりに堂々としすぎている。なにか意味あるものだろうかと、部屋の隅にある通知類などを入れるタンスの棚へ格納。
ときにはおかしなこともあるさ、とその晩はつつがなく過ごしたそうだ。
しかし、次の日。
同じようなはがきが投函される。宛名の字からして、同じ人のものに違いない。
そして今度の裏面には「人」の一文字。達筆ぶりは昨日届いたものにそっくりだった。
二枚目となれば、叔父もさすがに怪しむ。昨日届いた一枚を取り出し、床に並べてみる。
「大」「人」
――やっぱり、「大人」だよなあ。
叔父は思った。
これで三枚目以降も届くとなれば、また解釈も異なってきたかもしれないが、あいにく何日が経っても、そのようなことは起こらなかったという。
気味の悪いはがき。それゆえに、処分してしまうのもどこか気が引ける。叔父は、かの二枚のはがきをタンスの棚へ入れたままにしておいたそうだ。
それからさらに数日後。
叔父は午後8時32分ごろを、警戒し始めるようになる。
叔父の住まいはアパート2階の5号室。ちょうど並ぶ部屋たちの中で真ん中あたりに位置していた。
その左側。おそらく1~4の並びの部屋のどちらかだ。
バタンとドアが乱暴に開かれる音が聞こえると、ドスドスと周囲をおもんぱからない音と振動を携えて、何者かが部屋同士に渡された廊下を踏み歩いていく。
部屋そのものも揺れてしまうほどだ、どれほどの丈夫が駆けているのかと思うと、外を開けて文句をいう勇気も湧いてこない。下手に因縁をもったが最後、何をされるかまるで読めない昨今だ。
多少の迷惑くらいは飲み込んで、知らぬ存ぜぬ。ことなかれこそが世渡りの道……当時の叔父もうすうす感じていたことだった。
しかし、いささか妙な点がある。
普通、部屋から出たならば戻るためにまた移動するはずだ。そのためにはこの廊下をまた歩き、ドアを閉めねばならないはず。
なのに、それがない。
開き、揺らしていくのはいつも片道通行だ。帰りの分は聞こえない。よほど気配を忍ばせているのか……と、おじさんは聞き耳を立てるもやはり感じ取ることはできなかったという。
時間が限られているなら、関わり合いにならないのは簡単。おじさんは早めに外へ出る用事は終えるようにしたし、外から帰ってこなくてはいけないときでタイミングがかぶりそうなら、わざと遅れて帰るなどの策は練っていたらしい。
夜にもかかわらず、騒がしい音を立てるのをはばからない住人。そのようなやつと顔を合わせたくはない。
その叔父の考えは自然なものであっただろうが。
とある日曜のことだ。
珍しく日中は体を酷使する用事があった叔父は、早めの風呂に入ったあと、午後7時あたりから起きるとも眠るともつかず、うとうとしていたそうだ。
そこではっと覚めたのが、例の振動。時刻は8時32分を指している。
――またやつかよ。早くどっかへ行ってくれ。
部屋全体に響く揺れを感じながらも、頭の中で悪態をついていた叔父だが、この日は違う。
やまない。
いつもなら廊下を走り去っていく振動が、この日は叔父の部屋の前で足踏みでもしているのか。一向に音を減じる様子も見せず、部屋を揺らし続けていた。
期待の正反対の流れにいら立つ叔父。それでも反応する度胸もなく、黙って横になっていたところ。
にわかに、体が跳ね起きてしまった。
半身の姿勢からぽんと、弾むまりのように軽々と立ち上がった体は、続くドンドンという部屋の揺れに合わせて、勝手に外へ向かっていってしまう。
おじさんの意識は、ずっと「止まれ、動くな!」と制止を呼びかけるも体はきかない。そのまま狭い部屋の中を通り抜け、ほぼ体当たりする形で乱暴に外へ出てしまった。
それはいつも聞く、この振動の主がドアを力任せに開けているであろうものと、そっくりだったのだとか。
部屋の外には、誰もいなかった。
けれども部屋を出たとたん、叔父は自らの体がぐんぐんと背を伸ばしていくのに気づく。
瞬く間に軒を超え、周辺を見下ろすほどになった図体。動きはというと、引き続き言うことを聞くことない、勝手なもの。
大きく幅広くなったのは上半身だけといういびつさ。下半身は常人と変わらぬままで部屋同士をつなぐ廊下を闊歩する。どしん、どしんと音を立てて。
――自分が、例の音を立てる主になっている、ということか?
直感はしても、理解が追い付かない。
そうこうしているうちに、叔父の体は廊下の端まで来るや、一気に縮む。
その戻りようは足もろとも、廊下にのめりこんでしまうかと思うほどのすさまじい速さで、いったんは縮む勢いのまま、廊下と接するタイミングで目の前が真っ暗になってしまった。
気付いたときには、立ち上がる前と同じ、横になった状態で部屋に寝転んでいたという。
先ほどの体験をいぶかしがり、部屋の内外をあらためた叔父は、あのとっておいた「大」「人」の文字を書いたはがきが、なくなっているのに気づいたという。
以降、叔父のもとに例のはがきが届くことはなく、あのにわかに大きくなるような現象にも出会っていないらしい。
あれは叔父を「大人」と認めるための、誰かの思惑だったのではないか、と思っているそうだ。