しっそう
車を走らせること、と言っても、アヤノが持っている自動操縦の車に、遅めの朝飯を食べながら座っていただけだが、一時間。俺は、今までの人生で名前も聞いたことのないような山にいた。
数十年前までは避暑地として名を馳せていたらしいこの場所には、もう使われていないものの、その頃を思い起こさせるような施設や建物が沢山あった。
「やっぱり合ってた、こっちこっち」
車を停めて、まっすぐにどこかへ向かっていたアヤノは以前ここに来たことがあるのか、ちらっと道の確認をしてから、辺りの景色を眺めていた俺を手招きした。アヤノに道路の道に沿って急な坂を下ると、緑の陰から何かが目に飛び込んでくる。少し目を細め、ぼんやりとする視界を順応させようとまばたきをしていると、徐々に広がった視界に世界が姿を現した。
「っわ、すげぇ」
眩しく届いた輝きは、明るい空を反射した湖の水面だった。
穏やかに波打つ光の隙間を通り抜けた空気が、俺たちの頬を撫でる。
「やっぱり、やっぱり」
小さくそれだけ呟くと、アヤノはゆっくりと湖の畔へと歩いて行った。風に遊ばれた髪が、ちょうど表情を隠すかのように踊るが、その隙間を縫う必要はなく、アヤノはニヤッとこちらを振り返った。
「あそこのデッキまで、競争ね」
ドンッとセルフで合図を出すと、あいつは一目散に風に逆らって走って行った。
「あ、まて、ずるっ」
走るような体力はないので、前のめりになって、風の抵抗を受けないように確実に足を出すが、そんなことで、ちょこまかと走るあいつに追いつける訳はなかった。
「こら!遅い!本気でやって!」
かなり先の方で、そう言ってぶーっと頬を膨らませるアヤノを見ると、ゲームで培われた負けず嫌いの血が騒いだらしい
「ふんっ」
そう言って走り始めた俺は、フォームもスピードも、誰がどこから見ても不格好で、笑いものになるレベルだったと思う。だけど、「やったぁ!」と叫びながらまた走り始めたアヤノの足音を聞いていると、こんな俺のこんなことで喜んでくれる人間がいるのなら、俺は何回だって走ってやろうと思えた。