表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
満ちゆく月と孤独な天の川  作者: 月岡 結
月を美しいと評する人間であること
2/11

であい

それから数日。思い返せばこの日も、雲のない、よく晴れた日だった。


「おはよう、ハルトくん。おはよう」


そんないつもの声に、真っ暗な底の方にあった意識が、ふいっと明るい方に引っ張られる。うっすらと瞼の隙間から眩しい光が差し込んでくるのを見て、昨日の、ほんのりした温かさを思い出しながら、いつもの通り上体を起こした。


「……起きました」


そんないつも通りの言葉を聞いて、パソコンの中の推し活AI、「アイちゃん」はいつも通り声を止めてにっこりと笑う。


「良かった。今日も一日頑張ろうね」


一体何を頑張れと言うのだろうか。サッと暗い画面の中に消えていったアイちゃんに問いかけてみようかとも思うが、自分のこの感情は答えを欲してのものではないことはよく知っているので、いつも通り黙ってベッドから抜け出した。


上弦の月を迎えた今日は、ようやく生活に余裕が出てくる日でもある。二日月や三日月の日は身体が薄い分、ものに力も伝わりにくいらしく、扉をあけるのにも、両手でぎゅっと力を込める必要があった。しかし、身体が半分現ずる今日は、満月よりは力が必要なものの、高望みさえしなければ、普通に生活はできるのであった。ふんと息を吐いて扉を開け、部屋をでてすぐ左手にあるリビングに入る。部屋に残る少しの肌寒さに身震いをしながら冷蔵庫の横の棚から昨日置いておいた食べかけのパウチゼリーを取り出し、口に流し込んだ。

咀嚼をするでもなく、ただ口をモゴモゴ動かしながらカレンダーを見ると、今日は一週間に一回の家事代行の人が来てくれる日だ。危うく気が付かないところだった。

いつも通り、シンクの生ごみを取り出し、部屋の中のごみを一つにまとめる。いったん口を閉めて、手を洗った後、先日洗って片づけたタッパーを棚から出して机の上に並べた。

誰に言われたのかももう覚えていないが、家政婦さんが来る日は必ずやっている日課だった。こうしておくと、家政婦さんは俺がいる部屋以外の掃除をして、タッパーに一週間分の作り置きをし、ゴミ出しをして帰っていってくれる。まあ、家政婦さん、とは言っても、いつも業務が終わった後に机に添えられるメッセージカードを見て、その存在を認識しているだけだから、人間かどうかさえ分からないが。



とにかく、正体がどうであれ、今日の自分のやるべきことは、家政婦さんが来るまでに最低限の整頓をすること、そして家政婦さんが帰るまで自室で静かに過ごすことだ。自室の温かさを思い出し、そそくさと部屋に戻ろうとしたところで、ピンポンとインターフォンが鳴る。家事代行サービスの時間にはまだ早すぎるし、置き配の合図か何かだと思い無視していると、もう一度ピンポンとインターフォンが鳴った。初めての現象にどうすればいいのか分からず、思わず固まってしまう。 


人と人との関わりが希薄な現代社会のことだ。インターフォンを押すのはAIを起動して置き配を告げる時ぐらいで、他人の家を訪れるということは、よっぽどでない限り行われない。たまに来るセールスや勧誘は、AIが自動で判別して門前払いをしてくれるので、チャイムが二回なるというのはすなわち、「扉を開けるかどうかの判断は、家主に委ねる」とAIが判断したということだった。モニターに映る人影を見る勇気も出ず、とにかく自分の部屋に急いで駆け込む。自分には家を教えるような間柄の友人はいなかったし、家族と呼べる存在だって、生きているかどうかさえ分からない。一体だれが何の目的で。口に手を被せて、弾む息を押し殺す。落ち着け。


ゆっくりと息を吐いたことで、徐々に頭も落ち着いてきた。そうだ。そもそも、家主が許可をしなければ来客者は玄関のAIに弾かれて屋内に侵入することはできない。だから、この俺が自室にこもった時点で、この家に俺以外の人間が出入りすることは不可能になったのだ。


ふっと笑みを含んだ息を吐いてパソコンの前に座る。今日もいつもと同じゲームを起動して、「ヨロシク」とチャットを送り、いつもと同じようなメンバーから「ヨロシク」と返信を受け取った。政府は、AIを活用し、深層心理や家庭環境、将来のことなども考慮した友人をつくることができる「コネクティングサービス」も打ち出していたが、そこまで深く人と関わるつもりは毛頭ない。「モンスターの討伐の為に協力する」という名目以外が、今の自分が人との関わりを必要とする理由にはなりえなかったからだ。


 昨日の続きをしようとダンジョン選択をクリックし、ヘッドフォンの音量を上げる。前回セーブした岩陰から出てきた自分のアバターの周りをカメラで見渡し、昨日見つけたモンスターの巣穴へと向かった。4人がかりで剣を振り、ようやくドラゴンの巨体が地面にバンと倒れる。よっしゃ。「おつです」とメッセージを送り、一旦ゲームを閉じる。よし、次だ。アプリを切り替えようと、プツリと音が途切れた世界でカーソルを動かしていると、かすかに何か叩くような音が聞こえた。え?バッと扉のほうを見ると、女の人がこちらを眺めながら、「おぉ」と拍手を送っている。


「っ……!」


声にならない声を上げて椅子から飛び上がる。パソコンからヘッドフォンの線が抜けてブッというノイズが耳に響き、机の上の幾つかが床に散らばるが、そんなことどうでもよかった。誰だこいつ。てか、なんで部屋の中に。色んな考えが頭の中に響くが、まとまらず、結局自分が抱いている感情が何かも分からなくなってきた辺りで、そいつは拍手を辞めて、顔の近くで合わせていた手を胸のあたりまで下げた。


「おはようございます。家事代行派遣サービスからきました、家政婦のアヤノです。今日からよろしくお願いします」


一礼をした後、頬にかかった肩まである黒髪を耳にかけて、おっとりとした目が細められる。小さな背丈に、クラシカルなメイド服、という姿の彼女から発された声の優しさとは裏腹に、自分の心臓は、まだバクバクと音をたてて収まろうとしなかった。俺の心臓の音だけが部屋に響く中、胸に手を当て、固まったままの俺を見て、彼女は初めてマイナスの感情を与えたことに気が付いたのか、


「初めての派遣だったから、とりあえずインターフォン鳴らしたんだけど、返事がないから留守なのかと思って。鍵使って勝手に入っちゃった。すみません」


と眉毛を下げて顔文字が如く「しゅん」の表情を浮かべた。そんな様子に罪悪感を抱いたのか、少しだけ落ち着いた自分の心臓の辺りの手に力を込め、声を押し出す。


「初めまして、あの。普段こういうの、なくて。家事だけやって、もらえれば。それで」


気が付いたころから始まっていたサービスだから、契約書の確認なんてしていないが、月々口座から引き落とされる金額から察するに、コミュニケーションのオプションはついていないはずだ。担当が代わったのかなんだか分からないが、後から追加でトラブルになるのも億劫なので、今のうちに伝えておく。しかし、金が貰えないと分かったらすぐ部屋を出ていくだろう、という俺の予測とは裏腹に、アヤノと名乗る家政婦は一向に部屋から出て行こうとしなかった。


「そっか、初めまして。かぁ……」


先ほどまでの表情が「しゅん」だとするのなら、今度は「しょぼん」だろうか。今にも泣きそうな表情を浮かべる彼女に、どうすればいいのか分からず、固まるしかなかった。


「まぁ、そりゃそうだよね、昨日は暗かったし」


あっけに取られる俺とは裏腹に、彼女は下を向いて何かぶつぶつと話している。


「それに、何か言葉を交わしたわけでもないし!」


「っわ」


悩んだ結果、とりあえず一歩を踏み出してみた瞬間、ばっと顔を上げた彼女と目が合ってしまった。にっこりと明るい表情を浮かべる彼女は、慌てふためく俺なんて気にも留めないように口を開いた。


「初めまして、私、『アヤノ』です。特技は掃除と料理、好きな食べ物はアップルパイ!

それから、それから……」


くるくると回りながらマシンガンのように話す彼女は、さながら演劇場のようだった。この場において、彼女が主役であり、ステージであり、小道具であり、演出家である。では、俺は、一体何なのだろうか。ペラペラと良く回る口で話し続ける彼女を尻目にそっとゲーミングPCの前に戻る。特に何かしたい訳ではなかったが、先ほど弾き飛ばした椅子を元の位置に戻し、座り直す。やはり、俺の居る場所はここだ。安心感に包まれながら、ほぼ無意識でマウスを握り、いつもの通りアプリを起動しようとしたところで、ふとパソコンの画面が暗くなった。あれ、おかしい。カーソルを動かしても反応がない。画面をじっと見つめて目を凝らしたところで、画面越しに、こちらをじっと見つめるムッとした表情と目が合った


「わぁっ」


不甲斐ない声と共に椅子ごとひっくり返った俺に、アヤノは腰に手をあてて、ブーッと頬を膨らませた。


「私って、そんなに面白くない?」


ぷんっと言わんばかりにこちらをのぞき込まれるが、それどころではない。


「いや、あの。別に興味ないとかじゃなくて」


無意識に泳がせた視線の先にある、転がった靴下を眺めながらも、なんて言葉を続ければいいのか分からない。だけど、答えの内容なんてアヤノにとってはどうでもよかったらしい。


「良かった、届いてた!」


目を輝かせながらこちらを覗くアヤノは、ばっと膝をつくと、パシッと俺の両手をとって包み込んだ。


「この前横断歩道で話しかけたときも私の声に反応してくれなかったし。見えてない間って、私の声も届かないのかなと思って。ずっと寂しかったんだ!」


そう言ってブンブンと上下に振られる手をみて、今までの発言は、そういうことだったのか。と納得する。


「届いてます、あの。ごめんな……」


いや、納得しかけて、更に謎が増えたことに気が付く。


「待てよ、なんで俺のことが見えてなかったのに、この前ぶつかったのが『俺だ』ってわかったんだよ」


初めての生身の人間との対面に混乱していた頭は、徐々に冷静な思考を取り戻し、それによってさらに現状に困惑した。文面から察するに、この前の散歩帰りにぶつかった、スーツ姿の女がこいつだったのだろう。そして、こいつも、ぶつかった相手が俺だと気が付いている。だが、新月の俺を、世界から『無いもの』として扱われる、認識できるはずのない俺を。こいつはどうして『俺だ』と認識したのだろうか。


「というか、そもそも。今日の俺の身体見て、何とも思わないのかよ。普通の人間からしたら、幽霊か何かだと思ってもおかしくないだろ。だって、誰が見たって透けてるんだ」


次から次に口から出てくる疑問を止めることはできないが、そんな俺をみても、アヤノはきょとんとするだけだった。


「もしかして、知らないの?全部」

 

まるで、幼稚園児が「なんで空は青いの?」とでも問うように無邪気に向けられた視線は、同時に、俺に対して一切の悪意を持たないということを示していた。

だが、悪意なく発されたのが分かるからこそ、俺の中の何かに火がついた。


「あぁ、そうだよ。ご想像通り。俺は何も知らない。俺自身のことですらな」


こんな、ぶっきらぼうな態度で、こんな、なんの救いもないようなことを言ったところで、生まれる物は何もない。分かっているのに、どうしても自分の中に抑えられない衝動があった。

言っていて悲しかったし、同時に自分が情けなくて仕方がなかった。だが、そんなのやっぱりアヤノにはどうでもよかったらしい。


「うーん、そっかぁ……」


腰と顎に指をあてて悩む仕草に、少しイラっとしたが、それ以外の感情を持つ前に言葉が続けられる


「教えてあげてもいいんだけど、無視されたの悲しかったしなぁ」


わざとらしく目線が外されながら、首を右左に曲がるのをじっと見ていると、そうだ、と目の前にぱちんと合わせられた手が飛んできた。


「じゃあさ、明日一日、私に時間を頂戴!それで、私が『話しても良いな』と思えたら、教えてあげるよ。全部!」


そんな言葉と一緒に、ぱっと広げられた笑顔を、俺は、ただ見つめ続けるしかできなかった。自分がどんな感情なのか、どんな表情を浮かべているのかも分からない。だが、一刻も早くゲームの世界に飛び込みたかった。

 何も言わないことを肯定と判断してか、うんうんと頷きながらアヤノが部屋を出て行ったのを呆然と見た後、のっそりといつも通りゲームにいそしむことにした。

 やっぱり俺に「普通」なんてできない話だった。俺の居場所はここしかないのだ。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ