その名は『ワンダーラ』
お世辞にも寝相が良いとは言えない人間ではあるけれど、目覚めて上下逆さになっている事に気づいた時の驚きはそこそこのものだった。そんな冬の朝に、駅前の駐輪場で防犯の啓発活動に従事しているらしい地元のマスコットに出くわす。配られたクリアファイルには地元に縁のあるアイドルがプリントされていて、意外と価値がある品なのではないかと。
「ありがとう!」
景気付けにと思って声を掛けると、どことなく愛嬌のある柴犬をモチーフにしたマスコットが手を振ってくれる。こういう場面があると巷に溢れている『推し』の感覚が朧げながら浮かんでくる。そういえば知り合いにグッズの制作、販売を手掛ける業者の人がいたのを思い出した。本業には直接関係はないのだが、何かの参考になると思い、
『自治体などからローカルキャラのグッズ制作依頼とかって意外と多かったりするのですか?』
とメッセージを送ってみたりしたところ『売れ行きはやっぱり知名度に比例しますからね。私のところでは数はあまりないですね』との返答を得た。これが有名なキャラのご当地だと話は全く変わってくるのだろう。ほのぼのとした雰囲気とは裏腹に現実はシビアなものだと感じ。
そして何を思ったか、多少の絵心があるつもりの「一般人」は某サイトにマスコットの応援イラストを投稿してみたのである。バズらせるつもりなどは毛頭なく、またバズる気配もないだろうと思ってはいたが投稿した翌朝珍しく「いいね」が数件ついた。
<どうしてこんなに付いたんだろう?>
気になって少しリサーチしてみたところ柴犬のマスコット、半年前に誕生した『ワンダーラ』は地元名所の『湾』に掛けて命名されたキャラクターで舌をだらりと垂らす少しとぼけた表情が見方によっては『ちょっと危ない』感じに映るらしく、そういう視点で微妙に笑いを誘うらしい。実際、ネット上に投稿されている動画の中に【どうしてこうなった】という簡易のテロップが施されたものが存在し、その投稿の返信欄も思いの外盛り上がっている様子であることが分かる。
そして自作のイラストを見直してみたところ、『現物に忠実に』と心掛けた甲斐もあってその「ちょっと危ない」感じが意図せず現れている模様。念の為、現在は隣県に住んでいる姉の方に画像を送信し評価を求めたところ、
『なにこの変なキャラクター?りょうもおかしいって言ってる』
と返信が来た。5歳になる甥のりょうくんもそう言うのだから『インパクト』は間違いなくあるのだろう。そういう話ならばと、夜食のカップ焼きそばを頬張りつつ夜な夜な『ワンダーラ』の応援イラストを制作し始めるに至った。
☆☆☆☆☆☆☆☆
気候的にも『春の訪れ近し』という日々がやってきて、各所でイベントごとが増える時期。都合で市役所を訪れた際に一枚のパンフレットを手に取り、「これだ!」と思った。いそいそと姉に電話を掛ける。
『あ、もしもし?今大丈夫?』
『うん、大丈夫だけどどうしたの?』
『この間りょうくん、『ワンダーラ』に会いたいって言ってたよね』
『言ってた。会えるの?』
『今月『ワンダーラ』とのふれあいイベントあるよ』
中の人などいない…『ワンダーラ』が参加するイベントにどれくらいの人が訪れるのかは未知数な気もするが、市のイベントだけあって参加費も無料だし自作のイラストがきっかけで甥のりょうくんの最近の推しは『ワンダーラ』になっていた。『ワンダーラ』関連で投稿されたイラストの数は2ヶ月余りで30件にのぼり、その半分は自分のものという特殊な状況ではあるが結構いい数字ではなかろうか。中でもそこそこ名の知れた絵師が『ワンダーラ』の特徴をやや過剰に強調した作品を投稿し、
『狂気が見え隠れする』
と『界隈』で受容されていったのはハイライトと思う。ただ、当然ながら個人的には『原作』へのリスペクトは一定数必要だと感じていて、自作のイラストはあくまで『忠実さ』をずっと心掛けている。忠実にすればするほど何かが際立ってしまうような気がしなくもない。イベント当日になり、
「おじちゃん!こんにちは!」
天使の血筋を引いている(と勝手に思っている)りょうくんが満面の笑顔を向けながらこちらに駆け寄って来てくれた。姉はいつものように困った表情でその様子を見守っているが、周囲を見渡しても同じような年頃のお子さんの姿は極端に少ない。姉が不安そうに、
「本当に『ワンダーラ』くるの?」
と訊ねてきたが、こちらも念の為市役所の人に確かめていたから大丈夫な筈である。そしてイベントがぬるっと始まり、いわゆる「うたのおねえさん」を思わせるようなマイクを携えた司会進行の女性と共に正面の壇に現れた『ワンダーラ』に一斉に視線が注がれる。好天に恵まれた屋外の会場にはまばらではあるが拍手が巻き起こり、キャラクターの紹介が始まったと思ったら意外なほどあっさり『握手会』が始まった。隣で目を輝かせているりょうくんの姿を見て、少し安堵したのと同時に嬉しくなる。
りょうくんと手を繋いで列に並び、壇上に上がり自分達の番が来て…
「絵にそっくり!!」
握手する直前、『ワンダーラ』の姿をまじまじと見たりょうくんが放った言葉に『ワンダーラ』も少し驚いた様子。二人でもふもふとした『前足』と握手をしながら司会の『おねえさん』に、
「実は私、『ワンダーラ』のイラスト投稿してたんですよ」
と照れながら告白。おねえさんは「ええぇ〜!ありがとうございます!」と結構なテンションで喜んでくれた。そして、何を思ったか『ワンダーラ』は突然近づいてハグをしてくれたのである。
【ありがとう】
あの時『ワンダーラ』から聞こえてはいけない「声」が聞こえたような気がする。なかなか渋い声だったように感じたが、なんだか可笑しいのと嬉しいのとで思いっきり笑っていた記憶。当然ながら、りょうくんもハグを求め、それ以後は求めに応じてハグをし続けた『ワンダーラ』。
「『プロ根性』って凄いよなぁ」
そう、なんとなく呟いた言葉を引き継いで姉がこんなことを言った。
「わたしもすっかり『推し』になった。グッズとか無いのかな?」
その日の会場では『ワンダーラ』の唯一のグッズである缶バッチが販売されていた。もしかしたら別なグッズが登場する日もそう遠くないのかも知れない。