第3章 由美子の父とよしやってみるか
第3章 由美子の父とよしやってみるか
由美子は、今、父が決心を固めようとしていることを知っていた。
父の持つ技術と工場の機械の性能は非常に高い。品質が別格なので、一部の熱狂的なメーカーからは絶大な信頼を得ていた。ただ、新しい依頼が舞い込んでこないのも間違いない状況ではあった。それが、時代の急激な変化から、ポツリポツリと新しい仕事の打診がくるようになった。
これもその案件だった。今のドローンは電池とモーターで飛んでいる。しばらくは画期的な電池が誕生しようともペイロード(荷物)と対空時間は劇的には増えないだろう。その点、エンジンはもっとも効率的なエネルギーをもたらしてくれる。特に構造からして最も効率がよいとされているロータリーエンジンの一つ、ターボジェットエンジンはその点をクリアしている。また、エンジンが消えていく原因である二酸化炭素の排出に関しては代替燃料という手段があるので、おそらくこれは少なくはなるが、消え去ることはないだろう。父が打診されているのは、ドローンをジェットエンジンで飛ばそうというプロジェクトからの声がけなのだ。基本的にはターボファンジェットを積み、4~12か所のノズルからジェット噴流を排出して制御するものだ。
初めて実戦投入されたVTOL(垂直離着陸機)にイギリスのハリヤー戦闘機というのがある。このジェット戦闘機はお尻からジェット噴射するのではなく、胴体の脇についた4つの吹き出し口からジェット噴流を排出するのだ。この噴射口はそれぞれ後方から下向きに回転していき、90度を若干超えて動かすことも可能なのである。このノズルの制御によって普通の飛行機のように真っ直ぐ飛ぶだけではなく、垂直離着陸や飛行機なのにバックすることも可能なのだ。この戦闘機が実戦投入されたフォークランド紛争では、相手の超音速戦闘機をその奇妙な動きを駆使して互角以上の戦闘を繰り広げたという。
今回、このノズル動きを前後だけではなく、左右にも自在に動かせるようにするためのアクチュエーターの開発を打診されたのだ。
プロペラと違い、お互いのペラがぶつからないようにノズルの距離をうんと離さないといけないことはないが(※1)、ペイロードのことを考えるとある程度ノズル間の距離離さなくてはいけない。中心から外にアームが伸びるほど、てこの原理で重量の制約と強度の制約が厳しくなる。当然、噴射も細かい微細な制御が必要となる。中心にノズルがある場合との比較では、ノズルまでのアームの長さが積算されるので、弱い噴射でも機体の動きに大きく影響するのだ。それはそれで効率がいが、より繊細なコントロールが必要となる。
ジェットエンジンをそれぞれ4箇所に配置してもよいのだが無駄だし、ジェットエンジンはレスポンスがよくないので細かい制御は大きなエンジンになる程4つのバランスをとるのが難しくなる。元々ジェットエンジンの場合、4箇所に配置する必要はない。3箇所でも問題ないのだ。プロペラの場合は進行方向に向かって右側と左側でそれぞれ向かい風と追い風になり、揚力が左右で違うので、それぞれ反対(時計回り・反時計回り)に回転するプロペラを2個1組の対にして配置するのが望ましい。(※2)そのためドローンの代表、マルチコプターは偶数プロペラなのだ。え?プロペラが一つしかないヘリコプターはどうしてるかって?いい質問だ。実はプロペラのピッチ(角度)を回転に応じて変化させるという複雑な仕組みとなっているのだ。おまけにプロペラ一個では機体そのもプロペラの回転とともに反対に回ろうとしてしまう。反作用というやつだ。それを抑えるために、尻尾のところに小さなプロペラを縦向きにつけて機体がくるくる回ってしまわないようになっている。とっても複雑なんだ。最近では二重反転プロペラといってそれぞれ反対方向に回るプロペラを上下に取り付けて作用を打ち消そうとしたものもあるが、効率の問題もあり、主流とはなっていない。ライト兄弟が初めて空を飛んでから飛行機が目覚ましい進歩を遂げたのに、ヘリコプターが実用化されたのはうんと後になったいうのもうなずける話だ。ちなみに単発のプロペラ飛行機もこの影響をわずかに受けている。エンジンや垂直尾翼の向きをちょっと曲げてあったりするんだ。話を元に戻そう。
(※1)ジェットエンジンを2機ぴったりとくっつけてしまうと確かに片方が故障しても左右のバランスは大きく崩れない。しかし、ジェット噴流がお互いに干渉し合い、効率が著しく落ちてしまうこともある。(※2)
ドローンの場合、(基本的に)4カ所に配置してあるプロベラの向きを統一してしまうと反力が生じ機体が回転を始めてしまう。ただ、飛行機の場合は複数プロペラを同じ方向で回すことが多い。原理的には反対方向に回すのが望ましいのだが、左右で部品が異なるとなると整備性が極端に悪くなり、事故も起きやすい。また、単発機と同様にエンジンの方向や垂直尾翼等をわずかに傾けることで反力を打ち消すようにできる。そのことは方肺(片方のエンジンのこと)が故障してもバランスの崩れは少なくなる。なんと言っても部品も整備も統一出来るため、コスト削減の効果が絶大なためだ。
由美子は、複雑な気持ちだった。父が認められているのは嬉しいといえば嬉しい。
ただ、父は今の状況が危ういながらもそこそこ安定して家族を養っていることも理解している。新製品の開発はリスクだ。しかし、夢でもある。ただ、開発依頼元が得体の知れないベンチャー企業なのだ。採算が採れるのだろうか。初期の採算度外視といった大企業とはわけが違う。兄は少しでも家計を助けようと給料をもらいながら勉強できる自衛隊の学校に行った。新規開発には、そこそこの資金と安定的な支援が必要だ。今までの仕事も今まで通りいかなくなるわけだから、そうでないとあっという間に倒産だ。このベンチャーにはそれだけの資金があるのか。最初の資金として提示された額を信用するしかない。自信はある。ただ開発は自信だけではどうにもならない。資金と時間が必要だ。今その片方が目の前にぶら下がっている。父の決心は?
父の思いを考えながら、由美子は考えていた。『読む』から『書く』へは、挑戦だ。自分でもなんか大袈裟だと思ってはいるが、由美子の性格上、仕方ない。ただ、父と違って何もリスクは無い。ただただ、何だか正反対のことに挑戦するのは自分が自分でなくなるようでなんか怖いのだ。本当はどおってことないんだけど。通子ならきっと何も感じずに受け入れてしまうんだろうな。いや、通子だけじゃない、クラスのみんなもそうだろう。私が異常なのかもしれない。父のように前向きに考えようにもしがらみがあって迷っている人がいるというのに。私は迷う必要なんてない。
「由美子~!!おーい由美子!なにぼーっとしてんの?」
「あ」
「女たらし先生に無理矢理チューされる白日夢でも見てた?」
「おい卍!あのなぁ~通子ぉぉっ卍卍卍!」
「あ、やばっ。先生が本気で怒った。」
「先生、通子。私、ちょっといろいろ考えてました。」
由美子の言葉が先生の怒りを遮った。
「やるだけやってみようと思います。」
「よし!・・・でも、なんでこんな苦労するんだ。すんなりOKと思ったのに。」
「それ、先生があわよくば由美子を口説こうとしたからでしょ。この可愛い通子という女が居ながら・・・。」
「*※#$¥・・・。もう駄目だ。俺は死んだ。」
じゃれあっている二人を見ながら、由美子は次のことを考え始めていた。
「悪魔に魂を売った人々」・・・由美子は頭の片隅にこびり付いていたこの本を選ぼうと思った。前に読んだ本でしばらく忘れかけていたのだが、自分でも結論が出ていない、立ち位置を決めかねていた本だ。結論を出したいとは思うのだが、それは短時間では無理な話で、比較的時間的なゆとりがある、いや、ありすぎる夏休みは良いチャンスではないかと思ったわけだ。コンクールには課題図書だけではなく自由課題もあるのは図書室で見たポスターに確か、書いてあった。
帰り道、由美子は通子に尋ねてみた。
「ねえ通子、いつも冷めているのに先生をからかうときはホント生き生きしてるよね。私まで見ていて楽しくなっちゃう。」
不思議と通子が黙ってしまった。次に口を開いたときはめずらしくしおらしくなってしまっていた。
「冷めててごめんね。」
「あ、ごめん。上手にみんなと一線を引けるから羨ましいと思って。」
「別にいいよ。由美子が悪い意味で言うわけないモン。担任の村上ちゃんも同じ。あんなに悪いこと言ってるのにちゃんと受けて止めてくれる。・・・内緒だよ。私、村上ちゃんのことが好き。だーい好き。家に帰って思い出すとドキドキしてくるの。これって初恋かな。でも妻子あるんだよね。これ、不倫だよね。やっぱあいつ、芋じゃなくてプレイボーイかも。」
急になんだ?別の世界に入り込んでしまった。