第2章 大造じいさん騒動と読書感想文
第2章 大造じいさん騒動と読書感想文
由美子はランドセルから学校のマーク入りの大きな茶封筒を取り出した。中には原稿用紙が入っている。しばらくそれを眺めた後、そのまま封筒をランドセルに戻した。
終業式も近づいたある日の放課後、教室で通子と話しながらランドセルに教科書やノートを詰め込んで帰ろうとしている時だった。担任の村上先生がふらりとやってきて、近くの椅子に反対向きに座ると、背もたれに両腕のっけて話しかけてきた。
「おい、由美子・・・・・・・ぉぉさん。」
「あ~、先生、今『さん付け』せずに呼ぼうとしたぁ。」通子が横からちゃちゃを入れる。
茶封筒から原稿用紙を出しながら横目で通子を抑え、ひとつ咳払いをして、
「由美子さん、夏休み中に読書感想文を書いてみないか?」
「?」
図書室の一角にそんな題名の書籍が並んでいた。年度毎にそろえてあったので、毎年発行されているようだ。ただ、読書感想文集となっていたので、明らかにたくさんの感想文を集めたものだと思われる。不思議と由美子はそれを手にとってみたことはなかった。
「由美子さん、お前の書いた国語の時間の初発の感想や学習の最後に主人公に向けて書いた手紙なんかは、とても面白い。みてて新鮮なんだ。」
「?」
「読書感想文コンクールに出したら、結構いい賞をとれるんじゃないかと思って」
「コンクールですか?」
「ああ、『大造じいさん<は>ガン』の時は・・・」
「それじゃあ、大造じいさん、死んじゃう。」とすかさず通子。
「もとい!『大造じいさん<と>ガン』の最後の感想は、作者の椋鳩十をボロボロにけなしていたよな。椋鳩十って動物物語の作家として、失格だって。いくら読む人が無知で、文章に書かれたことを自分の都合のいいように想像するとしても、あれはひどいんじゃないかって。」
「そう言えば、あの感想発表の時、クラス中騒然となって、あの後2時間もみんなで大討論になったよね。」
通子は額に手を当てて天を仰いだ。
「そう、あの視点は先生も含め、誰も気付かず、新鮮だった。一言で言うとフィクションの中のリアリティのあり方というか、面白ければリアリティはある程度無視しても許されるのか、それとも一定のリアリティは保たれるべきなのかってところだったよな。それで作品から受けるイメージが大きく左右されるって。」
「は?何言ってんだか、分かんない!先生、難しすぎる。言い方。」
通子が先生を睨む。
先生って呼ばれている人、由美子と通子の担任である。村上修正という。30代前半の男性で、既婚、赤ちゃんもいる。何でも一生懸命やる年代なのか、あらゆる事に首を突っ込み、色々なことに精通している。社会科が専門と言っているが、運動や美術も得意で授業は面白い。最近は算数の教え方にはまっていて、あらゆる勉強会に参加しているらしい。が、学校が校内で力を入れている研究は国語なので国語の教え方も色々と研究しているようだ。ただ、どうも音楽だけは苦手らしい。こればっかりは小さい時からコンプレックスがあるようで近づきもしない。音楽の授業はもちろん、学校の音楽発表会も完全に他力本願だったから間違いない。これで音楽も得意だったら、超モテモテなんだけどね。関係ないからこれ以上つっこみはしないけど。
日本に飛来するガンの代表的なものはマガンである。渡りで日本にやってくるガンカモ類では大きい方で体調は65cmから85cm程度、体重は2500gにもなる。そして翼を広げると女性の身長くらいになる。その点、白鳥は飛び立つ時に長い助走が必要なくらい大型の鳥類で別格だが、普段ハヤブサが狙うハトやヒヨドリ、コガモなんかは体長が30cm程度、マガモでも50cmとカラスくらい。ハヤブサについてはメスの方が一回り大きく、体重はオスの1.5から2倍で700から1500g、オスなんかは350から1000g程度しかない。全長も40~50cmほどでそこまで大型の鳥ではない。たまにシラサギを襲い、捕食することもあるようだが、サギは体長こそ100cmになるが、体重は1000g程度しかない。ハヤブサが雁が多く集まる場所を狩り場にすることは珍しくないが、そういう場所は他にも沢山の種類の渡り鳥が集まる場所でもある。
この時、由美子が指摘したのは、そもそもハヤブサがガンを襲うようなシチュエーションは無理があるということだった。いや、由美子の本当の指摘は「大きなガンの頭領が小さなハヤブサに戦いを挑んでも『絵』にならない、というだった。椋鳩十のような動物に詳しい作家が犯すべきミスではない。専門の作家としてはおかしいのではないか。」ということだった。
この発言は、勇気や友情といった、せっかくいい雰囲気で物語に浸っていた同級生の気持ちに水を差したのだ。
「その程度、作ったっていいだろう」「話の主題は動物と人間の友情で、椋鳩十の作品の柱だから、それは大きな問題ではない」「読み手は子供だろ。考え過ぎ。」「大きな鳥、例えばイヌワシとか、出て来たらかえって不自然だろ。身近な鳥で危険な奴だからハヤブサでいいんじゃない。」「キツネとかだったらどうかな。」
話は盛り上がるが、教師村上は「絵にならない」という言葉が脳内にペンキで描かれてしまった。確かにいくら猛禽類と言えども自分の2倍も3倍もある・・・、逆に言うといくら草食中心のガンと言えども、自分の半分にも満たない小鳥相手では体格差があり過ぎて、その場面をもし、映画のようにイメージして脳内映像として作り上げるならばやっぱり由美子の言うとおり、絵にならないのではないかと思ったのである。今まで想像もしてみなかったリアルなイメージを、この子は今してる!これはすごいことだ。映像をリアルに描くと、『やくざの親分に凄まれる』のと、『チンピラに捨て台詞を吐かれる』くらいの違いがある。由美子には後者の情景が浮かんでしまったのだろう。
この感性をもっと然るべき人たちにわかって欲しいと思ったのだ。
「読書感想文を書かせよう!」全国青少年読書感想文コンクールのほか、県でも独自の読書感想文コンクールを行っていたが、こちらは応募者の減少等の理由でなくなるようだ。とりあえず、全国青少年読書感想文コンクールの県予選に出品させよう。他にも民間のコンクールがいくつかあるので、次年度はもっとたくさんのコンクールに挑戦させよう。
「先生、私、無理だと思います。」
「・・・?」
「頭で考えていることを文字で表すなんて、私、絶対無理!」
由美子の抵抗は意外に激しかった。
「先生、『モナリザの微笑み』を作文で表現しろと言われているのと同じです。先生も『最後の晩餐』や『ゲルニカ』を言葉に変換するなんてできますか?」
「いや、モナリザやゲルニカではなく、それを見たお前の感動や考えを表現すればよい。面白い本を読んだ時って、なんか友達にその気持ちを伝えたくて『うずうず』するだろう。そいつだよ。それを伝えて欲しいんだ。文章でね。」
「・・・」
「どうだ。」
「私に出来るかな。」
「書けると思わなきゃ声を掛けないよ。それに構えなくていいよ。由美子らしい書きぶりが大事なんだ。」
「ふ?ん、私には出来ないと思っていたわけね、先生。」
ちょっとふてくされて通子が言う。
「いや、そうじゃなくて、声かけても通子は『めんどくさっ!』ってバッサリ切るだろ。」
「ま、そりゃそうだけど。否定はしない。さらっと『さん付け』もやめてるしね。・・・でも由美子に話しかけるの聞いていたら、私も書いてみたいと思うようになったじゃない、この女たらし!」と先生の腕をバシッとたたく。
「私もやれば、由美子もやるよね。」
「通子、いいぞ!」
「また呼び捨てにする、女たらしのくせに。」
「その言い方、人聞き悪いからそれ、やめて。どこでそんな言葉覚えたんだ、まったく。」
「女子を無理やり誘っているんだから『女たらし』でしょ。」
「女性を甘い言葉で騙し、弄ぶヤツを『女たらし』って言うんだ。俺がプレイボーイに見えるか?」
「確かに見えない。どっちかって言うと『冷涼な気候の中でやっと育った芋』・・・。」
担任と通子のやりとりはいつも漫才で、なぜかこの空間は由美子にとって居心地がよい。
「ねえ由美子、先生って、けっこう強引だから、『YES』か『はい』しかないよ。やるしかないよ。というより、私も由美子の感想文、読んでみたい。私は書くより、由美子の感想文を読むことに決めたぁ。」
「・・・」
担任はため息ひとつ、天を仰ぐ。そして由美子の方を見た。由美子はちょっと別の世界にトリップしてる。邪魔しないでおこう。