第20章 由美子の読書感想文(初稿)を読んでから
第20章 由美子の読書感想文(初稿)を読んでから
「兄のお古のパソコンを使うって言ってたけど、おいおい結局は手書きかい。もっとも、清書は手書きでなければいけないけど。」
手書きの原稿には何度も書き直したらしいあとがたくさんあった。(ちなみに原稿用紙ではなく、A3のコピー用紙?)この年齢はシャープペンシルを使う子が多い。でも由美子はおそらく2Bの鉛筆だ。紙が黒く薄汚れている。シャープペンシルだと紙への負荷が高いし、薄い。汚れている割には読みやすい。初稿にしては完成度が高いとは思う。ただ、完全に規定の枚数を超えている。コンクールは原稿用紙3枚以内。1200字が上限である。ところがどう数えてもこりゃ5枚だ。
原稿を追う視線。
夢の実現のためなら手段を選ばずともいい?人類全体からみれば必要悪もあり?最終的に人類への貢献ができればよい?・・・善か悪かなんて考えていたら人類の夢は実現しないって言いたい?いやそんなことさえ関係ないと言いたいのかもしれない。「危険思想」だな。そう捉えられかねない。正論、正義を振りかざす教員にとって、これは刃物を振り回す人間に見えるはずだ。選考委員はおそらく教員だろうから、これはヤバい。そう思いつつも、由美子は「怖い」と思う自分もいる。
やはり戦争の悲惨さを全面に打ち出す今の平和教育は正しいのかもしれない。由美子はあまりにも俯瞰しすぎだ。もし、兄が本当に死んだら、例えばミサイルの直撃を受け、手足がちぎれ、焼け焦げながら機体ごと海に激突し、肉片となって飛び散る。それらはやがて甲殻類や魚たちが食べてしまい、骨も残らない。ひしゃげたヘルメットだけが遺族の元に返ってくる・・・なんて、由美子ならそこまで想像するはずなんだけど、この文は、何か別人の由美子のようだ。
村上は教務室の受話器をとると由美子の家に電話をかけた。いつものように母親が丁寧に電話口に出た。おれ、由美子をモンスターにしてしまったのか?
目の前には由美子がいた。
「みんな必死だったんです。」
「良いとか悪いとかじゃないってことか?」
「やろうと思っても出来ないことがある。でも、フォン・ブラウンはそうじゃない。確かにラッキーだったところもあるけど、彼はやっぱり違うんです。歴史に名を残す人って違うんです。偉人なんです。」
「それが戦争協力者だとしても?」
「はい。」
「断言するねぇ。」
「戦争に協力した人は彼だけではありません。アメリカで液体燃料ロケットを飛ばしたゴダード、初めて人類を宇宙に送ったロシアのコロリョフもそうです。」
「でも、『ロケットの父』とも呼ばれる科学者で「ツィオルコフスキーの方程式」を生み出したロシアのツィオルコフスキーは戦争に関わっていないんじゃ?」
「ツォルフスキーは、確かにたくさんの理論やアイディアを残しているとは思います。でも、私には空想科学冒険小説の作者のイメージが強いんです。しかも結構政府からは危ない人物として遠ざけられていたようで、ツォルフスキーが活躍するのは理論家としてであり、実用的なロケットの開発というところにはちょっと。結局ロシアのロケットと言っても第2次世界大戦後にドイツから押収したV2号が元になってコロリョフが開発しているから、毛色は違うんじゃ無いでしょうか。」
「まあよく知っているね。」
「全部正しい知識ではないとは思うんですが、一通りいろいろな本に目を通しましたから。ツォルフスキーの話は学習漫画だったかな。どれも面白かったです。地球の重力から脱出するための方程式とかはよく分かんなかったけど。」
「野球のボールを投げるとやがては落ちるね。今度はもっと強く投げるともう少し遠くへ飛ぶね。そして落ちるね。次にもっと強く投げるとさらに遠くに飛ぶね。そして落ちるね。こうしてどんどん強く投げる、つまり、スピードをあげていくと地球が丸いためにどんどん落ち続けるが、地面が丸いために最終的には地球の周りをぐるぐると落ち続けてしまうループに落ちいる。ここでは空気の抵抗等を考えないからスピードは落ちない。ボールはずっと地球の周りを落ち続けることになる。この速度を何て言うか?」
「第1宇宙速度でしたね。方程式はうまく理解出来ませんでしたけど。」
「そう、第1宇宙速度というね。大体これが秒速8キロメートルくらいと言われている。これだけの速度でボールを投げるにはもの凄い力が必要だね。プロ野球で使うボールの重さが150g弱だから、軽自動車位の重さの中型の人工衛星を飛ばすっていったらとてつもないエネルギーが必要なのは実感できるだろう。」
「だから、とてつもなく大きなゴムパチンコじゃなくて、ロケットなんですね。」
「で、もっと力を入れてそれよりもうんと速く投げたらどうなる?」
「洗面器にビー玉を入れてくるくる回しているとちょうど洗面器をぐるぐる回る軌道が作れますけど、もっと速く回すということですよね。洗面器を飛び出すます!地球をぐるぐる回る軌道を飛び出してしまうということですね。」
「その速度を。」
「第2宇宙速度?」
「そういいたいけど、ちょっと違う。また落ちていくんだ。というよりも引っ張れていくと言った方がいいかも。」
「? 落ちるって。地球じゃ無いですよね。飛び出したんだから。」
「地球もある意味おんなじなんだよ。地球も落っこちないで回っている。」
「太陽ですか?確かに地球も太陽からみたらさっきの野球のボールみたいなものですね。ということは、やっと地球を飛び出した野球のボールも今度は太陽に捕まって落っこちてしまう・・・ということですね。で、太陽に落っこちてしまわない速度。太陽の周りをくるくる回ることの出来る速度ということですね。」
「そんなところだ。それを第2宇宙速度というんだ。秒速11キロメートル強といった速度かな。」
「なんか、第3宇宙速度とかもありそうな勢いですね。もしかして、太陽系を脱出し、銀河系を回るような軌道に乗る速度だったりして。」
「まあ、正解だな。」
「え?!」
「宇宙を脱出出来る第6宇宙速度までは考えられているみたいだ。暇だな。という俺たちも暇だった。大脱線してるので、感想文に話題を戻そう。さて。」
「やっぱり、どう表現していいか、うまく言えないんです。一番初めに『みんな一所懸命だった』って言いましたけど、そこじゃないんです。」
「ほう。」
「お盆直前に先生とお話ししてときに、『あ、これだ』と思ったことがありました。先生もやりたくでもいろいろなものに縛られてやりたくても出来ないことがあるんだって。理論的には可能だけど、現実問題となると出来ないことってあるんだって。」
「あれって忘れるはずの話だったと思うけど。」
「一旦忘れましたが、今また思い出しました。」
「なんかズルいような気がする。」
「『可能なことであればやれよ』って、出来ないことを無責任に責める人もいるけど、そうじゃないんですよ。本当はそうじゃない。実は世の中って多くのそういう『良識的な人たち』で出来てるんだって。だから、フォン・ブラウンのような『悪魔に魂を売る』ことの出来る人間がいないと世の中は成り立たない、だめなんじゃないかって。」
「『悪魔に魂を売る人間』も必要なんだってことだね。戦争の肯定かい?」
「まさか。私は起こしませんよ。起きてほしくもありません。反対に決まっています。でも、歴史上ずっと起きていましたし、これからも残念ながらなくならないような気がします。最後は滅亡までいっちゃうんでしょう・・・。」
「おい、小学生女子。人生の最期で棺桶に片足つっこんでいる人が言うようなセリフはやめてくれ。人生これからで夢だらけ希望だらけの年代だろ。」
「先生、そうでもないですよ。人生に手詰まり感を抱えている友達はたくさんいます。学校に来てないミチヒト君も将来に悲観してました。現実問題を早くから突きつけられる私たちの年代はたいへんなんですよ。」
「ま、確かに俺らの時代と違うな。なんとかしたいんだけどなぁ。悔しい。」
「・・・なんとかしたい内容は違いますが、フォン・ブラウンはやっちゃたんですよ。凄いです。やったんです。」
「やっちゃえ、◯っさん。」
「やっちゃえ、おっさん、やめてくださいますか?」
「やっちゃえ、・・・。」
「いい加減にしてください。」
「はい、すみません。」
「確かに戦争は悪なんです。そしてそれは間違いなく正論だと思います。でもね、先生。世の中に正論を振りかざして、結局自分では何もしない。出来ないという逃げ道を口実に生きること。筆者の佐藤さんは正論を言っていますし、正解なんです。でも、私は違う。たとえ正論でもなくても、自分の夢に向かって突き進む、私はフォン・ブラウンの味方であり、よき理解者でありたいのです。」
「戦争を起こしたのは、確かに彼らではないよな。」
「私の上の兄は今、自衛隊の学校にいます。兄は飛行機バカでどうしても空を飛びたいって、航空自衛隊に入るつもりなんです。防衛省が管轄する大学で、自衛官の幹部となるための学校らしいです。でも、兄は給料もらいながら勉強できて、将来はパイロットを目指せるからって、そこを受けたんです。兄は頭がよくないから、体を壊すんじゃないかと思うくらい猛勉強してました。」
「聞いたよ。防衛大学か、レベルは高いし、競争率は半端じゃないからな。」
「本当は航空大学校とか行って、旅客機のパイロットとかもかんがえていたらしいんですけど、これが。」
由美子は人差し指と親指で輪っかを作ってみせた。
「しかも普通の大学に2年以上も通っていないとダメだなんです。私たちの家では厳しいんです。高校も奨学金を借りていましたし、世間では学費は現実的に工面できる範囲だと言っていましたが、うちには厳しいと思ったんだと思います。」
「お兄ちゃんは成績優秀だって聞いてるから、お金は奨学金とかでなんとかなったんじゃないか」
「父もドーンと出してやるって言ってくれたらしいんですが、父にもちょうどいろいろな話が迷い込んできた時期でしたから兄も気をつかったんだと思います。」
「・・・」
「で、何が言いたいかというと、作文にも書いたとおり、兄もフォンブラウンも同じなんじゃないかと思うんです。」
「同じ?」
「軍隊という人殺し集団に対して、佐藤氏の言い方では『戦争の片棒を担ぐ』のは何があっても『悪』なんです。それは正論なんです。でも、二人とも自分の夢のためにそれを選択したんです。同じなんです。二人も『善』も『悪』も関係ないのです。考えてすらいないのかもしれない。それをはたから人がどうのこうの言うのはなんか違うんじゃないかって。」
「確かに日本では旧日本軍の残虐なイメージが色濃いからな。タブーになってしまったところはある。それはそれで嫌戦に機能しているから。」
「先生、タブーって結構宗教色が濃いイメージなんですけど、自衛隊は宗教と同等に考えられるくらいに強い『悪の組織』的イメージになっちゃったんですか?」
「そこは海外と比べても珍しいんだけどね。どちらというと海外では自分たちを悪から守りに来てくれるヒーローのイメージに近いと思われる。だから尊敬されているし、大切にされている。ただ、アメリではベトナム戦争以降、以前よりはイメージが悪くなったけどね。でも、今でも評価は高い。軍隊出身者はチームワークもスキルも高いから企業では人気が高いんだ。日本の悪のイメージは正義の味方のアメリカ軍の敵として植え付けられたものでもあるんだろう。」
「なるほど。でも、今はそれほどひどいイメージではないように思いますけど。」
「それは終戦から70年以上も時間が経ち、人の入れ替わりが多くなったことと、増える災害で自衛隊が活躍するようになったからだと思う。日航のジャンボジェット機が御巣鷹山に墜落したときは、非公式だが、『エスコートスクランブル』の話も出ていたらしい。」
「『エスコートスクランブル』って?」
「ああ、空を舞台にしたパニック映画でよくある、故障したり、ハイジャックされたりした旅客機の近くを戦闘機が飛んで、故障の様子を確認したり、安全なところまで誘導したりするあれさ。日航機の事故の時も『エスコートスクランブル』が出来ていれば少なくとも墜落現場が早く特定でき、救助も早く始められたのに。」
「それだけ、自衛隊に対する世間の風当たりが強かったってことですね。」
「あの時は、自衛隊の災害派遣が初めて大規模に実施されたと聞いているか、道なき道を登り、お盆の頃の灼熱の中で遺体収容の作業に励んだと聞く。日が暮れそうだから止めようと言ってもまだやらせて欲しいという現場だったと聞く。しかし、世間は到着が遅いなどとバッシングの嵐だった。切ないよな。耐えるしかなかったんだよ。また、阪神淡路大震災時も歯がゆい思いをしながら動けなかったそうだ。地震直後にすぐに動けるよう準備を進めていたのに出動命令は出ない。政権が社会党政権に代わったばかりということもあるが、法整備もろくになされておらず、4時間近くも経ってやっと出された出動命令だったが、警察でも出来る道路の規制とかが出来ず、時間ばかりかかってしまったのさ。ちなみに政権が代わった時に大きな震災が起きている。東日本大震災の時も別の政権に代わったばかりだった。ここも後手後手にまわり、原発の事故も大きくなったと言われている。今も政権が交代しそうだが、南海トラフ地震が起きなきゃいいが。いろいろな災害派遣を経て自衛隊も活躍出来るように法整備等されてきたが、まだまだ課題は多い。犠牲者を出す前に解決出来る動きがまだ少ない。前例が無いからといって動けない体質がなくならないとな。」
「先生・・・。」
「あ、また脱線したようだな。俺は電車の運転手さんには絶対になれないし、なってはいけない人物だ。」
「先生、またー。」
「まあ、昔ほど嫌われることもなくなったし、尊敬される立派な仕事だと思う、自衛隊員や各国の軍人さん一人一人をみるとね。問題は、やっぱり政治家なんだと思う。もっとも前の大戦では軍が政治の実権を握ってしまったし、今でも軍事政権はあるし、問題は多いのだが、現在のようにシビリアンコントロール、政治家が実権を握っている世の中ではね。」
「鍵を握るのは軍というよりは政治家ってことですね。」
「『軍は政治の手段』と言われるが、先の戦争も軍人が政治の世界に入り込んで『手段』と『目的』がぐちゃぐちゃになっちゃったから勝手し放題になったこともあると思う。いずれにしろ政治家がキーだよ。そして、一番はそれを選ぶ国民がしっかり手綱を握らないとね。」
「戦争うんぬんについての感想文を書くわけでは無いので、直接感想文には表れないことだと思うのですが、いろいろと大切なことを考えたと思います。」
「・・・・・。」
「先生?」
「・・・・。」
「先せ?」
「・・・。」
「先生?」
「・・・なぁ由美子、実際にお兄さんが自衛隊に入り、戦争が起こってしまい、お兄さんの操縦する戦闘機がミサイルで撃墜され、ひしゃげたヘルメットだけが帰ってきたらどうだ?また、お父さんの工場がミサイル攻撃を受け、そこで働いていたお父さんとお母さんがなくなってしまったらどうだ?フォン・ブラウンが夢の実現のためにしたことの代償だぞ。これは昔には普通で実際にあったことで、今もその時生み出された末裔のミサイルが同じ苦しみを与え続けている。そして、お前の身にそのような悲劇が絶対に起こりえないという保証はなくなった。ミサイルは生み出されたんだからな。」
「・・・。」
村上は目を伏せた由美子を覗き込もうとはしなかった。由美子が考え、答えを出すことだ。偽善的な答えが返ってきても良い、悪魔の化身のような答えでも良い、無論曖昧な答えでも全く問題ない。なんであろうが、由美子が出す答えでなければならないのだ。
「そんなことわかってます。」「考えていませんでした。」というような答えではないと思う。
由美子はしばらく口を開かなかったが、答えは決まっているようだった。ただ、ちょっと自分の納得を確認する時間が必要だったのかもしれない。しっかり前を向くと口を開いた。
「・・・それが歴史というのなら、そうなのでしょう。私にはどうすることも出来ないことで、当時の人も今の人も精一杯やってきたことなんです。そして今の人たちも精一杯やっていることなんです。私も何とかしたいと、感想文という小さな表現をしています。だから、過去に遡ってフォン・ブラウンを責めることは、やっぱり私には出来ません。」
「ん。そうか。」
由美子はこくんとうなずいた。
「まあ、感想文の制限が400字詰め原稿用紙、3枚だからな。何とかしよう。今は5枚分はある。」
由美子はうなずいた。声は出なかった。




