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由美子の読書感想文 ~「悪魔に魂を売った人々」編~  作者: mugi_LEO
第1章 由美子と通子と読書と
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第18章 先生の海外旅行

第18章 先生の海外旅行


夏休みもあと数日というところで由美子から電話がかかってきた。まだ少々時差ボケがある頭と長時間座席にめり込んでいたために痛む腰を押さえながら電話に出た。

「先生、お盆過ぎから何回か電話したんですよ。」

「わるい。しばらくこっちに居なかったものでね。」

「どこかに行っていらしたんですか?」

「ちょっとイタリアまでね。」

「え!イタリアってあのイタリアですか?」

「ああ、妻との約束がやっと果たせた。妻と結婚した年に『研究指定校』になってね。新婚旅行はお預け。『研究指定校』から異動してやっとと思ったら、今度は新型コロナウィルスが流行してご存じの通りさ。」

「やっと世の中も元通りになりましたのものね。それで・・・。」

「そう。円が安くなって大変だったけど、この機会を逃すと大変だと思ったから、妻と一緒に遅ればせながらの新婚旅行に出かけたってわけ。由美子には悪いがお土産はない。」

「先生って律儀ですね。全然気にしてません。それよりも・・・・」

明らかに由美子の目が輝き初めたのが電話越しの村上にもはっきりと分かった。この子は新しい知識とかには本当に貪欲だ。ねらいは『土産話』だ。長くなりそう。

「で、要件は?」

「一応原稿は書いてみたんですけど、どうしても規定の枚数に収まらなくて。」

「だろうと思う。文章を書く上で一番に難しいのが、できるだけ要点を押さえて簡潔に書くことだから。やっと30%ってところだね。」

「結構頑張ったのに3割ですか?目標はまだ大分先ですね。」

「まあ、それが醍醐味なんだけどね。」

「で、明日学校にお邪魔してもいいですか?」

「明日は出勤日だからいいけど、なんか別の話で終わりそう・・・。」

「私もそんな気がしてます。」

「おい、おい・・・。助けてよ。」

「先生だったら、ただの観光じゃなくて、きっといろいろな事を感じ、考えてるはずですから。きっとヒントが・・・。」

「それなぁ、お前ただの口実だろ。海外、イタリアのこと、知りたいんだろ。全く。」

「先生、分かっているじゃないですか。じゃ明日9時にお邪魔していいですか。」

「はい、はい。」

「先生、嫌なんですか。『はい』が二つも続いています。」

「んんっ。じゃ9時ね。分かった。」

一姫二太郎は実家のじいさんとばあさんに預けてきた。やっと二人とも小学生となったので、我慢できるはずだし、孫とゆったり過ごせるのは親孝行にもなる。新婚旅行は二人きりで・・・。でも、子供たちのことはやっぱり気になったよな。けれども結果的にはちょっと間が開いた分、親子の絆はむしろ強くなったように感じる。可愛い子には旅させよだ。

(自分が旅に出たんだけどね・・・)


ヨーロッパと比べるとこんなにも日本は蒸し暑いのか。羽田空港に着いた瞬間から日本はアジアなんだって嫌でも感じてしまう。近年の地球温暖化により異常気象により、イタリアでも極端な高温になることがあると地元の人が言っていた。また、湿度が高くなって過ごしにくくなったとも言っている。もっとも、日本に帰ってくるとそれどころではない異常な湿度で汗が噴き出す。もわっとしている。俺はタジン鍋の食材か。汗が蒸発出来ずに体中の皮膚の上で水滴を作る。この水滴は汗の蒸発を妨げ、気化熱を奪っていかない。小まめにタオルで拭き取らないとあっという間に熱中症になってしまう。

イタリアでは日向こそフライパンのソーセージのようにジリジリと焼かれるような強烈な日差しだが、いったん日陰に入ると別世界となる。風があれば本当に涼しい。ヨーロッパの街角でお店の前にタープを張って席を設けているのがよく分かる。日本では湿度が高すぎ、日差しを遮ったくらいじゃどうしようもなくて結局店内のエアコンの効いたところでとなる。ヨーロッパは日陰に入れば、別世界だ。焼かれる暑さと蒸される暑さだ。そう言えばイタリアではエアコンを設置してるところが比較的少なかった。最近の異常気象でエアコンを設置するところも増えたとは聞いたが。



由美子は相変わらず湯だってやってきた。今日も35度を超える予報だ。勘弁してくれ。「母が先生にって。」

「ん。『河川蒸気』か。あれ?こっちは『磐梯太鼓』?(しかもちゃんと保冷剤入りだ)」

「ご家族にもどうぞって。」

「これって。」

「母の実家の方の銘菓です。」

「お母さんの実家なの?あっち方面へは『政令指定都市』になったから異動することはなくなったけど、ちょっと懐かしいお菓子だな。家族も好きなんだ。ありがとう。」

「で、これなんですけど。」

由美子は封筒から原稿用紙を取り出した。規定は3枚、1200字以内だ。明らかに多い。

村上は読み始める。書き出しはとても重要だ。もうここで8割を「ふるい」にかけても間違いはないだろう。ぐっと原稿用紙が村上の視界を独占してそのスイッチが入ろうとした正にその瞬間、

「先生、どちらを回られたんですか?」

スイッチは逸れて入り損ねてしまった。予想通りといえば予想通りなんだけど。真面目に答えるか、ばっさりと切って原稿に専念するか。こりゃ、由美子が満足するまで、きっと無理なような気がする。まあ、自分が感じてきたことは由美子の主張と重なる部分があるから、それはそれで伝えておいていいのかな。それにしても、もう由美子は原稿うんぬんじゃなさそうだ。うずうずしている。ホントにこの子ったら。

「イタリア縦断の旅で、アルベロベッロ・・・」

「トゥルッリのとんがりお屋根ですね。あの屋根が雨を集めて地下に溜める仕組みになっているんですよね。」

下調べ済みか・・・。

「その後マテーラで洞窟住居を見た。」

「7000年も前から続く町なんですよね。」

「いや一度は政府から無人の廃墟とされたんだけど、価値が見直されて今では世界遺産となって活気あふれる街となっていた。ヨーロッパは石の文化とキリスト教の文化なんだなと感じ始めた街だったよ。」

「先生、写真ありますか?」

当然、一眼レフなど持って行くわけは無い。スマホがすべてだ。仕方なく由美子に見せる。

「あ、綺麗な人!奥さんですか!?」

無視・・・。

「その後、ナポリへ行った。」

「ナポリといえば、当然、カプリ島も行かれたんですよね!青の洞窟は見られたんですか?」

俺だって、ツアー前はそんなに下調べなんかしてない!ツアーに誘導されるままに行っただけで、ナポリ=カプリ島なんて、公式みたいな知識なんてなかった。そんなネタバレ旅行じゃ楽しくないんじゃないか?おい、おい。まあ、由美子なんで・・・。

「今のシーズンはそれほど荒れないから確率は悪くないんだけど、朝一だったのは正解だったな。波は穏やかだった。午後はちょっと風が出てきたから、きっと駄目だったろうと全く別の人たちは言ってた。皆さんはラッキーだったねと言われた。」

「洞窟の入り口って狭いですよね。写真に定規を当てて計算してみたんですけど、写真の舟だけが通れるような大きさで、人間の高さまでの大きさがないんですよ。ぶつからずにどうやって中に入るんですか?しかも公園の池に浮かべてあるような手こぎボードですよね。」

「(そこまで普通やるか!)どうしたらいいと思う?」

「あ、先生得意の逆質問だ!う~ん、・・・みんなでボートに寝そべり、入り口を通過したら起き上がる・・・?でも、それでは、左右ギリギリなので、漕ぎ手まで寝そべったら横にぶつかってしまう・・・???降参です。」

「入り口天井に鎖が渡してあって、漕ぎ手は入り口ではその鎖伝いに中に入るのさ。」

「へえ~!」

やばい、由美子にさらに火が付いた!聞かれるのは1カ所だけじゃないぞ。延々となりそう・・・。

「洞窟の中で反転して入り口を見ると、そこから差し込んだ光が浅くて白い海底に反射して青い光だけが反射するんだ。その神秘的な色が世界中の人々を魅了して病まないのさ。確かに最高の青だったと思う。」

由美子が胸の前で両手をぐっと握りしめた。由美子の想像力を忘れていた。きっとこいつは青色の波長まで特定してイメージに入り込んでいる。

「次はどこへいったと思う?」

「ん、ローマですか?コロッセオ、トレビの泉、スペイン広場・・・やっぱりメインですよね!『ローマの休日』も観ちゃいました。オードリー・ヘップバーン、」

「その前にポンペイに寄った。」

「確かローマ帝国の港町として栄えたところで、火山の噴火で厚い火山灰の下に埋もれ、農夫に発見されるまで約1700年もの間、伝説の都市だったところですね?」

目が・・・。もうとことんつき合うしかない。

「私がネットで読んだ旅行記にはオプションツアーなので行かなかったって書いてあるんですけど、先生たちはオプションを付けたんですね。」

「いや、俺たちはゆとりが欲しくて長いツアーを選んだんだ。ちゃんと行程に入っていたよ。ここは本当はもっと時間が欲しかった場所だけどね。当時栄えた街の一つが発掘されて、見所満載なんだけど、広いし、時間は限られているし、トイレが混んでてその貴重な時間は30分も無駄になるし。」

「で、先生、石膏の人型も見ましたか?」

「ああ、展示されていたよ。」

「亡くなるときのそのままの格好だったんだでしょ。赤ちゃんをかばって亡くなった女性もそのまま・・・。」

「それは展示されていなかった。でも恐怖だっただろうね。その恐怖を制御し、真っ先に逃げ出した市民はそれなりに助かったと聞いているが、恒常性バイアスを打ち破れなかった人々の多くが犠牲になっているんじゃないかな。」

「先生は、ポンペイでどんなことを感じたんですか?」

「(お、いきなり)主観?」

「もちろん。」

「ポンペイが火山灰に沈んだっていうのもセンセーショナルなんだけど、火山灰がタイムカプセルの役割を果たして1700年も前の町並みや人々の生活の痕跡がそっくりそのままの形で発掘されたというのがすごいことなんだ。21世紀の今に紀元一桁の街がそのまま現れたんだから・・・。」

「タイムスリップ感覚?」

「まさにそうだった。東西南北に広いメインストリートが作られ、そこに接続する数々の路地には石造りの建物が整然と並び、パン屋などの店の跡が連なっているんだ。もちろん、すべてが石畳で覆われ、馬車が通りやすいように轍も作られている。これらの道は水が流れるようになっていて下水道の役目も果たしている。水道が整備されていて、道の所々には水を溜める場所があり、公園の蛇口のようにそこから水を飲むことも出来るようになっている。広大な広場には2階建てのマーケットもあり、人々が集まって会議をした場所もある。なんら今の都市と変わらないじゃ無いか。・・・これが、日本では弥生時代だっていうんだから。」

「日本だってもっと古い縄文時代から三内丸山遺跡みたいにすごいところも残ってますよ。」

「残念ながらこれだけ組織的、文化的、科学的だったかは疑問だな。それに日本の場合、木の文化だから基本的に現物はほぼ残らないんだ。」

「文化の圧倒的な違いを感じたというのが、由美子への答えかな。」

由美子は村上のスマホに示される写真を眺めた。確かにスケールが違う。それは写真からでも分かる。

「圧巻ですね。とても弥生時代なんて思えないですね。日本では竪穴式住居がこの後も延々と続くんですよね。・・・それにしてもよくこれだけのものを。どうやって作ったんでしょうか?」

「ホントだね。」

「先生、ごまかしてません?」

「この当時重機なんてないでしょうに、例え木組みのクレーンなんかあったとしてもせいぜい牛や馬、ほとんどは人力で動かしていたでしょうから。」

「ローマはもっとすごかったよ。」

「コロッセオとかも見たんですか?」

「車窓からだった。これも見たら一日じゃ済まない代物だったけど、ポンペイでも闘技場とか、剣闘士の訓練施設とかも見たからね。で、コロッセオで面白かったのが、あれって半分崩れているだろ。あれどうしてか分かる?」

「イタリアも地震が多いから、地震で崩れた?」

「東京ドームより若干小さいんだけど、それでも当時としては破格の大きささ。答えを言うと、コロッセオから石を建築資材として持っていった後の権力者がたくさんいたのさ。」

「えー!」

「有名な歴史的建造物の中には、それだとはっきり分かっているものも多い。」

「ちゃっかりしてますねぇ、ひどい。」

「『真実の口』とかもバスの窓から眺めただけだったし、第一ローマの街並みそのものがほとんど遺跡といってもいい。石造りの巨大な歴史的建造物だらけで、そうでないものを探す方が難しいくらいだ。」

「???ローマの人ってどこに住んでいるんですか。どこで仕事しているんですか?」

「普通に住んでいて、普通に仕事をしているよ。」

「歴史的建造物で?」

「まあ、重要な建物は国が管理しているみたいだけど、普通の建物でも取り壊したり、外観を変えたりしなければ中は結構暮らしやすいようにしているらしいよ。全然それらしくない狭い入り口を入っていくと中は広いスーパーマーケットだったりすることもある。この点はヨーロッパではすごい制限があって歴史的な街並みがずっと維持されてきた理由の一つだと思う。外見を変えることは出来ないし、建物の高さや色なんかもものすごく厳しい。外観も痛むのでそれは住んでいる人が修理も負担する。フランスもそうだった。日本人が自由だと勘違いしている部分とは全然感覚が違うんだね。東京の夜の街の乱立するビルと節操の無い色使いのネオン、まるでカオス・・・とは違うんだよね。ああ、その点でもう一つ思い出した。」

由美子の目が輝く。

「都市間は貸し切りバスで移動したんだけど、移動の最中に丘ごとに城壁に囲まれた街と教会が見えたんだ。日本ならば田んぼの中に集落が点在していてようなものなんだけど、どれも丘の上に村があって城壁に囲まれているんだ。そして丘の下には広々とブドウ畑や牧草地が広がっているのさ。ここに文化の違いを感じたんだ。」

「ブドウや牧草?」

「単純に作物じゃ無い。文化の違いが分かるかな。」

「城壁?日本はお堀?」

「イタリアのお城の周りもお堀で囲まれているものも多いよ。」

「街が城壁で囲まれている?」

「そうなんだ。そこ。」

「そこ・・・?」

「日本では城主を守る場所なんだけど、イタリアに限らずヨーロッパでは街ごと城壁で守るんだ。」

「?」

「日本でも戦国時代なんかに代表されるようにせめぎあってはいたんだ。そのために立派なお城が建てられたよね。ヨーロッパも同じではあるんだが、やはり陸続きだけあってスケールが違う。日本ではせいぜい同じ民族間の争いだったけど、ヨーロッパはイスラムやモンゴルといった他民族の侵略と支配を味わってきている。教科書では詳しく触れられることはあまりないとは思うが、単なる勢力争いじゃ無い、略奪の限りが尽くされる。それはお宝にとどまらず、食料はもちろん、人々もその対象となるんだ。」

「人も?」

「人々は捕まえられて奴隷として売られるなどするのさ。じょ・・、あ、いや。剣闘士なんかはそうだって分かるだろう。」

「奴隷・・・ですか。アメリカだけのことじゃないんですね。」

「ローマ帝国もそうだし、エジプト文明なんかもそうだが、奴隷がいなければきっとあれだけの建造物も美術も、そしてあれほどの文明も生まれなかっただろう。少数の為政者が多くの奴隷を使って富を集中させることが出来たからなんだろうな。当時のポンペイは交易で財をなしたが、実際は荷を運ぶためには膨大な数の奴隷がそれを支えていたんだろうと想像できる。」

「ローマもそうなんですよね。」

「だからといってこの時代を否定するわけにはいかないんじゃないかな。」

「・・・トレビの泉は?」

「行ったよ。ただ、ちょうど清掃の時間でコインを投げることは出来なかった。仕方ないからすぐ目の前のジェラート屋さんでピスタチオとマンゴーのジェラートを食べた。この手作りジェラートはとてもおいしかった。その後バチカン市国に入り、バチカン美術館とサン・ピエトロ大寺院を見学した。」

「確か、キリスト教の一番偉い人がいるところですよね。新しくその方が決まるときに煙突の煙の色で決まったか決まらないか分かるんですよね。なかなか決まらないから『コンクラーベ』っていうんでしょ。その煙突も見ました?」

「いや、煙突はその時に臨時で作られるんだ。常にあるわけじゃないんだ。」

「ふ~ん、そうなんですね。知らないことばかり。」

「なんといったらよいか、日本人の感覚といったらいいのか、キリスト教文化の民族じゃないといってよいのか・・・まあ、肌で感じなきゃ分からないことなんだけど、その程度の感覚なんだよなぁ。」

「その程度の感覚?」

「ん。きっと分からない。キリスト教文化っていうのは西洋人の遺伝子レベルまで浸透しているというか、もはや不可分なというか、絶対的なものなんだ。この感覚はおそらく日本人が理解しようとして出来るレベルとはかけ離れている。」

「?」

「それこそ今の法王、フランシスコさんはバチカン宮殿にも住まず、別荘も利用しない、とても質素でちょっと異端を感じさせる方だけど、教皇というのは、本来は絶対的な存在で、教皇がカラスは白いと言えばカラスは白となるくらいなんだ。白と黒の定義がひっくり返り、世界中の辞書が書き換えられるくらい・・・んー、ぴんとこない。」

「なんかご自分で言ってらっしゃるのに、ご自分でぴんとこないと言っていらっしゃいますね。」

「難しい!西洋文化の根底というか、すべてで教会があり、いや教会がないこと自体がありえない。というか、キリスト思想そのものが、まるで不織布のようにヨーロッパ全体に敷き詰められていて、教皇がその一端をちょいと持ち上げるとヨーロッパ全土がひっくりかえってしまうような・・・。やっぱり分からんだろう。由美子も見なければ分からないと思う。今すぐ見てきなさい!」

「そんな無理ですよ。」

「いや、それくらいのものだってことだ。」

「お気持ちは分かったような気はしますけど。」

「バチカン美術館では最後にシスティーナ礼拝堂に行くんだ。天井には多くの宗教画があり、壁面にはあのミケランジェロの『最後の審判』が描かれているんだ。」

「あ、知ってます。ミケランジェロ本人がビロビロの皮になって描かれているんですよね。」

「よく知っているね。で、本来はみんな裸で描かれていたんだけど、不謹慎ということで役人の命令で他人の手で腰布等が描き足されたと言われている。その役人をミケランジェロは画面の右下に鬼として描いたとも言われている。確かに鬼が描かれていた。」

「ミケランジェロって茶目っ気もあるんですね。」

「いや、茶目っ気じゃなく、本気で復讐したんだと思うよ。この時代の絵描きさんというのは、芸術家ではあるんだが、時代の最先端を主張する『思想家』としての姿を強く感じるんだ。きっと美術史を勉強したら、とても面白いと思うんだけどね。」

「へぇ~。『思想家』ですか。」

「思想的な面もそうかも知れないけど、やっぱり画家はみんなとても勉強家で優秀な人たちだと思う。学ぶことや工夫することにはとても貪欲な人たちだったのだと思う。例えばね、時代とともに『マリア様』の絵も多く描かれてきたんだけど、ずっと見比べてくると最初平面ぽくて3D的にはでたらめだったんだけど、一点透視法とか空気遠近法とか、どんどん新しい技法が編み出され、リアルな空間が表現されていくようになるのが見て取れる。」

「先生、その画像、もっとみたい。今まで宗教ってあまり意識したことがないいんですけど、なんか違いますね。キリスト教の世界というか、宗教に染まりきっていませんか?」

「由美子の感覚は、たぶん正しい。日本もそういう時代が長く続いてきたんだけど、歴史にはあまりにも大きな差があるように思う。日本にも宗教画はあったんだけど、時代の中で芸術として発展したかというとちょっと違うような気がする。仏像なんかはいい作品も多いのだけど、こぢんまりしたものに思える。これはキリスト教が絶対の権力をもっていたからに他ならない。国家をも左右し、膨大な資金と権力に任せて信心を集めていったのは、ドゥオーモなどの建物に象徴されている。」

「ドゥオーモ?茶色い四角いやつですか?」

「NHK、BSのキャラね。俺も最初同じイメージだった。恥ずかしながら。あのね、ドゥオーモというのはね、教会の中心というか、司教というとりまとめ役がいる教会を特別に呼ぶ言い方さ。どんな小さな町にも至るところに草の根的に教会が存在しているんだけど、その総本山というか、特別に超豪華というか、荘厳な教会なんだよ。俺は都市を巡る度に目にした巨大なドゥオーモにハラリの言葉を思い出した。『人間は虚構を創り出せる唯一の動物』だってね。神や宗教といった虚構が、実際重たい石を山のように積み上げ、職人が緻密な装飾を施し、差し込む光が美しいステンドグラスをきらめかせる巨大で美しい建造物を作り上げたんだと思うと、改めてその力に感心してしまうのさ。何もかもが桁違いなんだけど、虚構が作り出す世界にため息が出てしまう。」

「ヨーロッパは日本とだいぶ違いますね。」

「まあ、いろいろな違いはあるんだけど、一言で言えば『水』と『石』なのかな。」

「『水』と『石』ですか?」

「当たり前過ぎて意識することはないんだけど、日本って「水」がとても豊かだと思う。雨が多く、山が迫っていて川が至る所に流れている。草木も水に不自由しないから山々はもちろん、道ばたの草も伸び放題!稲作文化だから用水路も張り巡らされ、水道の水も使い放題。しかも安全でどこでも飲める。そしてこの水で車を洗うなんて日本酒で車を洗うよりも贅沢・・・。ヨーロッパでは車はきっちゃないよ、洗ってないから。」

「?・・・だから?」

「ヨーロッパでは『水を制するものは世の中も制する』って感じかな。水ってとても貴重なんだよ。車でずっと走っていても川に巡り会うのは珍しい。『水は買って飲むもの』なんだ。日本でもかっこつけてミネラルウォーターを飲んでいる人もいるけど、趣味とか見栄の問題じゃ無いんだ。お酒やジュースと同列で、高いお金を払って飲む『飲み物』なんだ。レストランで食事をするときにビールとかお酒を注文するだろう。あれと同じように水、ミネラルウォーターだけどね、それを注文するんだ。このときに『ガス入り、ガスなし』、つまり、炭酸水か普通の水か聞かれる。ワインの注文で、『赤』?『白』?と聞かれるのと同じさ。おっと、由美子はまだお子様だから、お酒の話はピンとこないだろうけど。」

「ビールくらい、飲んだことあります!」

「ほう。」

「あのしゅわしゅわってした泡がおいしそうだったんでなめたことがあります。」

「どうだった?」

「特に味はしませんでした。なんでこんなの、おいしそうに飲むんだろうと不思議でした。」

「そうか、由美子でも順当に経験してるんだね。」

「その言い方、なんかちょっと・・・です。」

「あと、『石』ね。」

「あ、またすぐにごまかす・・・。」

「イタリアは昔、海の底でね、多くの微生物の死骸が堆積し、石になったんだ。」

「石灰を主成分とする石ですよね。大理石なんかもそうですね。」

「そう、柔らかく加工しやすい石が比較的容易に手に入ったんだよね。そして、日本と違って乾燥している環境なので木も潤沢に手に入った訳では無い。また、強烈な日差しを避けるために50~60cmどころか、もっと分厚い石を組み上げて住み家を造っていったのさ。乾燥しているから湿気は皆無で強烈な日差しから守ってくれる石の建物は合理的だったわけさ。おまけに異民族から街を守ってくれる城壁にも豊富な石は大活躍したということさ。そして、この石は木と違って何百年も朽ちないで残った。」

「気候と風土がその土地の文化を生み出したということですね。」

「・・・。そればかりじゃないように思えるんだ。」

「?」

「人の欲というか、権力や富の集中というか、あの時代、今のように重機もないし、会社組織なんていうのもなかった時代、略奪とか奴隷とか、今あんなことをすればどう考えても悪魔のやることとしか思えないようなことが当時の常識というか、今では現役の権力者がやろうと思ってもできないような『わがままみたいなこと』をしたからなんだと思う。つまり専制が文化を創ったり、残したりしてきたんだと思うんだ。エジプトやギリシャなどの遺跡が略奪され、それらが博物館に平気で展示してあるんだが、見方を変えれば、その価値に気付き、手元において保存したからこそ、今に伝わる文化もあると思うんだ。日本ではその価値に気付かず海外に流出した文化財がたくさんあるよね。」

「確かに展示物の歴史やその陰にはきれい事で済まなかったこともあるはずなんだけど、今は私たちがその恩恵を受けているから結果オーライ的な感じですか?」

「なんとも言えない。いまでこそ、『ピラミッド』や『万里の長城』に匹敵する事業は民主的に行われるようになってきている、あ、宇宙開発とかね。月着陸のアポロ計画とか、国際宇宙ステーション、最近ではスペースXなんかの民間も地球規模の大事業に参入している。昔と比べれば民主的と言えるが、貧富の差は歴然。人口の1パーセントが90%の富を独占しているからね。それは悪なんだけど、それくらい富が集中しないとその事業は成立しないとも言える。もしかすると形態が変わっただけで、構造的にはそう変わってないのかもね。」

「・・・それって、やっぱりフォンブラウンに対する私の見方に近いような気がします。」

「?」

「なんか同じですよね。人類が前に進んでいくには悪も善もない部分があるだって。後から見ればなんてひどいことをしたんだってことになるんだけど、結局はその恩恵に与っているんですよね。そんな意味でフォン・ブラウンも同じなんじゃないかって。・・・・でも、この気候の状況を見ているとやっぱり悪は悪で、昔なんかと比べられないほど凶悪なんじゃないかって。」

「確かに、俺の小さい頃は『気温が体温を超えた!』って大騒ぎになっていた時代だったからね。最近では、平気で40℃を超える日も出てきている。それに伴って気象の先鋭化もすごくて毎年のように甚大な災害が起きている。それを考えると悪を悪として認めしまっていていいんだろうかという気になる。」

「これからは私たちの時代ですよ。それをみんな潰していく大人が許せない!フォン・ブラウンを悪魔に魂を売った人なんて言ってる場合じゃ無い。悪魔が支配しているんじゃないかって。みんなはこの世の中に恐怖を感じないのかな。」

「日本にもあるんだろうけど、石の文化のヨーロッパでは『人間の恐怖』を象徴する文化か結構ある。陸続きの大陸の端から襲ってくる異民族に対してひたすら街を守るために巨大な石を積み上げて造られた城壁、ペストなどの度重なる疫病の流行やそれに対する無知なんかで、墓にはメドゥーサなどの墓守が刻まれていたりする。人々はこれらの恐怖をなんとかしようとして文化を発展させてきたというのも事実だと思う。」

「私たちは気候の変化に『恐怖』を抱いていないということですね。でも、『気候の変化に恐怖を抱く頃』にはもう手遅れという気がします。今のうちになんとかしなければ。」

「グレタ・トゥーンベリさんみたいにストライキする。小学生ならインパクト大だな。」

「先生と同じで、『出来ません』ですね。私にも小学生としての学業もありますし、両親も兄弟もいますから。」

「本当はやりたいんだろ?」

「からかうのはやめてください。先生って、すぐ調子にのるんだから。先生の言った通り、私はペンでなんとかしたいと思っています。」

「ぺんか。」

「先生と話していたら、もう少し書き直したくなりました。」

「ほぉ。原稿はどうする。」

「一応、家ではお古のパソコンでワープロソフトを使っています。原稿だけじゃなく、資料や写真や映像も少しまとまっているので、作業はこの方が捗ります。それで家で書き直そうと思いますが、とりあえず、読んでもらっていいですか?」

「そうか、じゃ原稿は預かって読ませてもらうよ。」


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