第11章 「死」って何だ?
第11章 「死」って何だ?
今日も由美子はやってきた。予定はしてあっても必ず母親から事前に連絡がある。由美子のきちっとした性格は母親譲りなんだろう。
教室の扉を開けて軽く会釈をした由美子は相談室の椅子にいつものように行儀よく座った。でも、ゆだっている・・・。
そんなことはお構いなしに、急に前屈みになると由美子は唐突に尋ねてきた。
「死」
「?」
「先生、『死』って今まで考えても見なかった。言葉を聞いてもただ何となく素通りしてたような気がします。」
「どうした、急に。」
「戦争のことについていろいろ考えさせれたんですけど、『死』って戦争と切っても切り離せないですよね」
「そうだな」
「普通に暮らしていれば、相手を銃で撃って殺すなんて絶対にしませんよね。なのに戦争っていうだけで、相手の命を奪うなんて。」
「由美子は戦争を人殺し競争みたいなもんだととらえているようだな」
「え?違うんですか?」
「そんな単純なものじゃない。もっと悲惨なものだと思うよ。」
「人が殺されちゃう以上に悲惨?どういうことですか?」
「由美子は戦争においてもまだ人を人と見ているよね。それは当たり前の感覚だ。でもね、人を人と見る感覚そのものが無くなる。これが戦争の本質であり、これってもっと悲惨だよ。」
「???」
「例えば相手を銃撃し殺してしまうのは、人を殺すという意識よりは単純に戦力を減らすということだ。」
「?」
「殺すのは相手の戦力を奪うもっとも単純な方法かもしれない。でもあえて殺さないことで相手の戦力を何倍も削ぐこともできるんだ。分かりやすい例が対人地雷だよ。」
「?」
「あれは、わざと威力を調整してあるんだ。軍隊は単独行動はまずしない。大抵は何名かのチームを組んで行動するんだ。その中の一人が地雷を踏んで明らかに死んでしまったとする。するとチームはその人を置き去りにして前進する。目標があるからね。でも、足だけを吹き飛ばし、大怪我をさせるだけだったら生きているその人を置き去りにすることはできない。みすみす見殺しにするようなことはしないはずだ。何人かでその人を後方に運び治療を受けさせる必要が出てくる。チームはそのために大幅に人数を割かれ、目標達成に大きな支障となる。そのためにあえてひと息に殺してしまわないように調整してあるんだ。」
「ひどいですね。何かゲームというか、人間の存在の現実感とかがありませんね。単なる駒というか、数字というか・・・」
「まあ、銃撃とか地雷とかで死んでしまうことは、実は数の上ではそんなでもないんだけどね。映画とか見ていると銃でバンバン撃ち合うイメージだろ。でも、実際はそうじゃない。」
「?」
「犠牲が多いのは実は砲撃によってなんだ。映画でもあるよね、不利になると無線で連絡して敵のいる地点を砲撃してくれるよう要請しているのが。」
「私、小学生女子ですから戦争映画なんてほとんど観ません。アニメならそこそこみますけど。もっともメインは読書です。」
「そうだな。その砲撃には榴弾砲というのが使われる。」
「榴弾、砲?ですか」
「手榴弾の『りゅう』だ。」
「砲弾が爆発するってことですか?」
「その通り。砲弾と言われるものは、相手の戦車とかに向けて破壊することを目的とした弾なんだけど、榴弾は破片をばら撒いてその近くにいる人や車なんかをことごとく破壊するのが目的なんだ。」
「榴弾ってそんなに怖いんですか?」
「由美子は小学生だから、物理学とか運動エネルギーとか習ってないよな。」
「はい。物理学ってそもそもどんな勉強かは分かりません。でも、エネルギーという言葉はよく聞きます。」
「簡単に言うとスピードが速くなればなるほど力が強くなるっていう決まりがあるんだ。運動エネルギーつまり破壊力は弾の重さと速さで決まる。テニスボールがゆっくり窓にぶつかってもガラスは割れないが、大阪直美のサーブのような速い打球になればガラスは割れるだろう。」
「なんとなく分かります。」
「運動エネルギーば物の重さとスピードで決まると言ったが、ゆっくりテニスボールをぶつけてもガラスは割れないけど、同じくらいの速さでもバスケットボールをぶつければガラスは割れるよな。」
「ずっと重いですもんね。」
「でも、問題は重さよりもスピードなんだ。重さが2倍になってもエネルギーは2倍になるだけだが、同じ重さでもスピードが2倍になると、そのエネルギーは4倍になる。スピードが3倍ならエネルギーは9倍だ。では、スピードが4倍ならエネルギーは?」
「16倍!」
「正解」
「2回掛けるんですね。」
「そう、物体のスピードが速くなればなるほどエネルギーがうんと大きくなっていくんだ。ちなみに、ピストルの弾は先生の人差し指の先くらいあるんだが、スピードは音の速さくらいだ。しかし、ライフル弾だと鉛筆の先っちょくらいに小さいんだけど、スピードは音の速さの2から3倍にもなる。どっちが強いと思う?」
「ライフルの方なんですね。」
「そうだ。ピストルの弾は穴が開くくらいだけど、ライフル弾が当たったところは肉や骨がバラバラになる。大きな弾だと手足がちぎれてしまうこともある。」
「おえ。」
「あ、ごめん、小学生女子。」
「もうちょっと、柔らかい表現でお願いします。私、きっと人より想像力は豊かだと思いますから。」
担任は焦って握り拳を口にあて、ひとつ咳払いをした。相手は小学生だ。しかも5年生の女の子。つい忘れてしまう。
「気を付ける。でも、ライフルだって人が持って撃つもんだから、おのずと限界がある。榴弾砲とは違う。安全に発射できるようにわざとゆっくりにしてあるんだ。威力を強くすれば、強度を高めるために重くなる。だから、人間が持って撃つには限界がある。だが、榴弾は違う。爆発で散らばる破片のスピードは音の速さの20倍近くにもなるものもある。小さな破片でも致命傷を与えることになるんだ。しかも最近は敵の真上で爆発するのものもあり、伏せても逃げられないとか、遮蔽物の上から襲ってくるため、逃げ場がないようなものも多い。一発の榴弾で多くの兵士がなぎ倒されてしまうんだ。もちろん、防弾チョッキなどが役に立たない場合も多い。」
「草むしりがパンパン撃ち合う銃撃戦なら、榴弾砲の使用は刈り払い機どころか除草剤をまくようなものですね。そこに人間がいるということは本当に忘れさられているというか、人間であるということが関係ないというような感じ。」
「また変な例えかたをする。でも、人間という言葉が「敵」に変わってしまうことで、戦車も戦闘機も兵士もみんな「敵」という無機質なものに変わってしまう。戦争の怖さはそこにもある。」
「『死』という言葉さえ、無意味なものに思えてきました。生きているからこそ、死というものが一つの形になると思うのに、生きていることさえ、そこでは考える対象から外れてしまう。おかしいです。」
「イスラエルの学者ハラリ氏が書いた「サピエンス全史」という本がある。由美子にはまだかなり手強いと思う本ではあるんだけど、その中で人間は虚構を生み出せる唯一の生物だと述べられている。虚構って作り話のことさ。フィクションと言えば、読書好きの由美子には分かりやすいかな。まさにそうだ。敵という虚構に踊らせられている。味方もそうだ。庭に落ちる落ち葉のことでいがみ合っている隣人同士でさえ、味方という言葉のもとで簡単に一致団結してしまう。敵よりは味方で。ただし、その敵は個人的にみれば隣の味方より、ずっと善人かもしれない。」
「フォン・ブラウンはもしかしたら、戦争なんて虚構だっていうことが分かっていたからこそ、くだらない戦争にも逆らわず、自分の道を突き進んだんでしょうか。」
「いや、単なるわがままだよ、きっと。でも、人類にはそんな人間も必要だったんだんじゃないかな。みんながみんないい人ばかりだったら、大きな変革はきっと起きないからね。」
「そう言えば歴史上の人物ってわがままそうな人が多いような気がします。」
「それ、わがままじゃなくて、信念を貫いているんじゃないの?」
「たぶん、そうかわりはないはずです。」
「また、由美子節が始まった。」
「フォン・ブラウンがミサイル?ロケット?開発に打ち込んだのは、宇宙開発の立場からみれば信念を貫いた。V2号ミサイルの開発に打ち込んだのはわがまま。こんなもんでしょ。」
「いやでも、そこは大きな違いじゃないのかな。」
「う?ん、よく分かりません。もう少し考えさせてください。」
「よし、今日はここでやめとこう。一人で帰れるか」
「大丈夫です。でも、先生、自転車に乗ってきちゃダメなんですか?」
「学校の行き帰りで事故に遭うと大変だから、そういう決まりになっている。」
「私、安全運転なんだけどなあ。交通ルールも頭に叩き込んであるし、全国の自転車安全運転競技会の動画もみました。それくらいの安全運転はしているつもりなんですけど。それに歩いたからといって本当に安全かどうかも。」
「分かっているがそれが決まりだ・・・としか言いようがない。自転車の乗り方ってみんな最悪だろ。」
「確かにそういうお友達もいます。そういう人ほど自転車で学校に遊びにきています。私はちゃんとしているのに。」
「どうあれ、学校に来る場合は歩きだ。なんかあったとしても学校の責任は問われ難い・・・ということらしい。」
「歩きだって、そう変わりないと思うのですけど。まあ、先生の立場上、どうしようもないということですね。分かりました。」
「ごめんな由美子。」
「いえ、夏休み中だって忙しいはずの先生が、こうして何日も付き合ってくださっているんですもの。感謝してます。」
「気を付けて」
「ありがとうございました。失礼します。さようなら」




