序章 「普通」ってなんだ?
担任村上に読書感想文を書いてみないかと誘われた小学校5年生の由美子。初めての感想文を書くにあたり、責任をとってよと由美子は夏休みを利用して担任に疑問をぶつけていく。担任の村上もそれに答えていくが、もはや感想文の指導を超え、知識の切り売りとなった今の授業では絶対に学べない世の中の仕組みや世界へと話は広がっていく。
【注意】・登場人物の考え方や意見、特にタブーとされている事柄を打ち破る考えなどは、そのキャラクターから創造的に生み出されるものであり、筆者の考えを述べるものではありません。・登場する人物、国、書籍その他は全て架空のものです。・科学的な知見等を思わせる記述もありますが、正しい科学的知見に基づいたものではありません。・全てにおいて責任を負いかねます。
筆者が1年以上かけ、A4用紙百ページにも及ぶ原稿を書きためてきました。整合性が不十分なところも多いですが、時間が経つにつれ、急いだ方がよい内容もあるので、分割しながらアップロードしていきたいと考えています。よろしくお願いいたします。
序章 「普通」ってなんだ?
明日からお盆というのに律儀に由美子は訪ねてきた。小学生女子だから高学年になったとはいえ、日傘は持っていない。朝から30度近い。汗びっしょりだ。本当は読書感想文の指導のはずだが、最近はもう読書感想文から離れ、もはや社会科学や哲学の討論会の様相になっている。今日は事務の小林さんも居ない。相談室の冷房は忘れずに自分でつけておいた。地球温暖化は確実に進んでいるようだ。今日も耐えられないくらい暑い。
由美子はいつもの相談室の椅子に座る間もなく口火を切った。
「ねえ、先生、『普通』って何ですか?」
担任の村上も椅子に座りながら答える。
「いきなりどうしてそんなこと聞く?」
「逆質問ですね。なんか先生と議論しているとなんか心が揺らぐんです。通子たちは『普通』で、私はなんか『普通じゃない』って気がしてきて。私ってなんか違うんですよね。ゲームもしないし、まぁ持ってないから仕方ないのもあるんですけど。通子たちは、テレビや動画サイトでアイドルや音楽に夢中になっているのに、私と言えば今時本に夢中で、しかも先生となんか小難しい議論をしていて、しかもそれがなんか楽しい。通子たちだったら、きっと3分も経たずに『もうこんなムズい話なんてやめよー』って言うと思うし。」
村上は椅子の背もたれにどんとのしかかると、
「『普通』か?由美子はどう考える?」
「ずるい!2回目の逆質問ですよ。」
「はは、悪い。これが先生の『普通』だから。」
由美子は早くもいつものペースに乗せられてしまったことを自覚した。
「まぁ確かにそうですね。またなんか大きく脱線しそうな気がしますけど。」
「で?」
悩んでいることを改めて聞かれても困るんだけどなぁと思いつつも頭の中をかき回してみる。
「う~ん『普通』か。ますます分からなくなってきたけど、『スタンダード?』、つまり『標準?』、『もっとも多くの選択?』、つまり『多数決?』、多数決とくれば『民主主義の根本原理』・・・ということは私は民主主義から外れた存在?私は確かにみんなに『付和雷同』することはあまりありませんね。」
「『付和雷同』することはあまり(・・・)ありませんね、か。『あまり』じゃなくて、『ほぼ』だろ。」
「長いものに巻かれない。多数の中に入れない私って民主的ではないのかもしれない・・・。むしろ、民主主義への抵抗勢力なのかもしれないって気が。」
「おい、由美子、通子たちとなんかあったのか?それにちょっと待て。第一、民主主義は多数決じゃないぞ。民主主義は多様性だ。多様だからこそ、最終手段として多数がやむなく選択されるんだ。
「?」
「一人一人を見ると個はすべてバラバラだろ。人って同じ面もあるが別の面がほとんどだ。それぞれ通子たちも同じようなことをしているように見えても、実は推しの歌手は違ったり、ゲームだって対戦ものが好きだったり、コレクションものが好きだったりするだろう。よく見れば人によって『やりたいこともやれること』もバラバラだ。」
「それはそうなんですけど。」
「で、この『やりたいこと・やれること』をひっくるめて権利と呼んでいる。この権利は『神の下』、現代で言うならば『法の下』では誰にでも平等に保障されるのだ。」
「そうだとは思いますが、・・・」
「でも、少し考えればこれっておかしいだろ。全員にやりたいことをやっていいとなったら?だって、ある人にとっては当てはまるが、そうでない人もいるだろ。」
「あ、お楽しみ会のレクですね。」
「そう、ドッジボールをやりたい者もいれば、やりたくない者もいる。それ以上に怪我などで出来ない者もいる。大勢の人がドッジボールをやりたいからといって、やりたくない人も出来ない人も無視されるようでは、それは民主主義とはいえない。だからあの時はルールを変えて対応した。」
「そうでしたね。」
「われわれがとった方法と言えば、状況に合わせてルールを変えていくこと。これはある意味、民主主義の原理的な方法でもある。誰でもどんな人でも幸福を感じられることが出来る世界を目指す。」
「ジェンダー関連の議論や制度の様子は正にそうですね。」
「でもそれがすぐに出来ない場合もあるし、制度上、多数決が採用されている例も多い。例えばアメリカの大統領選挙。どちらかの候補に決めなければならない。支持が拮抗していたら二人で共同して大統領になるなんてことは制度上できないからね。この場合は多数決で決めようということになる。もちろん、全員一致は不可能だしね。この制度の根底には多数決で決まったからには、嫌でもそれに従うという暗黙の了解が存在する。」
「ちっちゃい子の中には、負けても従わない子がいますね。かわいいというか何というか、その暗黙のルールが納得できないんですね。」
「いや、小さい子ばかりではないようだよ。負けたら選挙がインチキだって言って認めない大人も確かいたよな。」
「そういう人たちは今度は自分が勝ってインチキだって言われるようになったら、今度は絶対に認めないでしょうけど。」
「まあ、アメリカという国も変わってきたからね。」
「なんか含みがありますね。」
「国によっては選挙制度そのものが怪しいというところはたくさんある。」
「ロシアとか、イランとかですか?」
「ニュースは関心をもってよく見ているようだな。」
「まあ。歌番組やドラマよりは。」
「例えば、ロシアの選挙では候補者が淘汰されてしまっただろう。立候補には一定数の署名が必要だが、そのほとんどを当局に無効にされてしまったとか、ひどいものでは強力な対立候補が獄中死したなんて事件もあったよな。」
「あの選挙では9割近い国民が支持したというニュースが流れていましたよね。本来もっとばらけていいはずなのに、多様性が認められないか、葬り去れているということですね。」
「いろいろなお菓子がある中で、ポッキーの小袋を開けて、『さあ、この中のどれでも好きなものを選んで!』って言ってるようなものだな。」
「それじゃポッキーしか選べないじゃないですか。プリッツが好きな人はどうなるんですか?」
「ちょっと通子との掛け合いのようになってきてしまった。」
「イランも大統領が選挙で選ばれるみたいですけど、候補者が最高指導者の指名した人々の審査を通過しないと立候補出来ないというようなニュースがあったような・・・。」
「先生が『この子たちなら先生たちの意向を忖度してくれるだろう』と言う子ばかりを選んで、その子たちが児童会の役員候補者を限定するようなものだ。だから『下着の色は白しか認めない』みたいな校則が出来てくる。まあ、そんな変な校則が出来てきた背景にはきっと何かあったんだろうけど、それもそれでもよく分からないが。」
「要は『選挙』や『多数決』と言ってもそれだけでは『民主主義』とは言えないし、同じ考え方をするものだけの社会は民主主義社会とは言えないってことですね。」
「まあ、そんなところかな。由美子が居て、通子が居て、すぐにわがままを通そうとする男子も居て、村上みたいなものも居る。それぞれが尊重されて誰もが幸せを感じて生きることができる世界。前にスイスの議会のシステムを説明したけど、あれだよ。」
「でも、それってやっぱり難しいですよね。」
「そう。民主主義を貫くのは大変なんだ。政治家も大切だけど、我々みんながしっかりしないとだめなのさ。独裁者任せの社会とは違うんだ。憲法第12条は伊達じゃないんだよ。」
「『不断の努力』っていう条文ですね。でも・・・。」
「どうした?」
「先生、結局大脱線で『民主主義』の話になってしまいましたね。で、結局『普通』ってなんだったんでしょう?」
「そんな話だったっけ?」
「もう、先生!」
最近先生は通子だけじゃなく、私まで茶化すようになってきている。「いじる」って言うんだっけ。
「悪い悪い。『普通』・・・そんなものはない。」
「また~。もう、先生ったら。」
#$%&’@・・・!ふざけていると思うといつの間にか真剣な話に引き込まれている。その落差が大きい。まあ、それが快感なんだけど・・。
「ないとは言い切っちゃいけないのかもしれないけど、まあ『宗教』みたいなもんかな?」
「先生、ふざけてるんですか?今度は『宗教』の話になるんですか?もう!」
「いやいや、至って真面目だよ。イスラエルの歴史学者ユヴァル・ノア・ハラリの話を覚えているかな。『ホモ・サピエンス全史』の。」
「なんとなく。」
「彼は『人間はフィクションを創り出せる唯一の動物だ』と言った。宗教もお金も。見えないはずの神を生み出し人生を捧げ、そこらへんの紙きれや金属片を腹一杯の食料と交換するだけの価値あるものとしてね。実は『普通』も同じじゃないかって。」
「『普通』もフィクションなんですか。」
「少なくとも俺、村上はそう思う。『普通』って信じるか信じないかのものだと思う。」
「確かに『普通』だと思えば普通だけど、そうでないと思えばそうじゃない。」
村上は由美子を見てニヤリとした。
「『普通』は信じるもので、囚われるものじゃない。俺は無神教だと思っているが、クリスマスも楽しむし、初詣も行く。そんなんでいいんじゃない?」
(こりゃ、通子が先生に夢中なわけね。私も煙に巻かれてころっとだまされそう。気を付けないとどこまでも信じてしまいそうになる。)
「先生、とにかく不安はちょっと解消しました。」
「おや、ちょっとだけかい?」
「そうです。後は自分でもう一度考えてみて、しっかり自分で納得できたら安心するんだと思います。」
「うん。由美子らしくていい!」
「当然です。」
「腹減った。もうお昼の時間だぞ。明日はもうお盆だし、俺も今日の午後は家族のための時間にする。由美子も帰ろう。」
「そうですね。無神教の先生に『お盆』ですって言われましたものね。」
由美子はちょっといたずらっぽい笑みを浮かべながら礼をした。
「先生、よいお盆を。」
「由美子もな。じゃ、お盆明けには読書感想文の原稿を見せてくれ。」
「またよろしくお願いいたします。」
由美子は定番となった相談室から、高い雲が現れ始めてちょっと夏の様子が変わり始めた外へ出て行った。ジリジリと焦がすような炎天下を相変わらず徒歩で。自転車で来ても目をつぶるんだけどなぁと思いながらも、まあ由美子だからと一人で納得する村上だった。「さて、マナ(愛美=娘)のために提灯でも買って帰るか。」
と言いながら村上は相談室のエアコンの電源を切った。
あえて途中の章を序章としました。10章を超えてまだ続きそうです。仕事をしながらの執筆であり、途切れ途切れで書いており、章は後で順番を考えていますので、整合性がとれない部分も多々ありますが、ご愛敬ということで。
政治家のみなさんや、教育行政に携わるみなさんで関心をお示しの方がいらっしゃったら、参謀として雇われますのでよろしく(笑)