表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/105

歴史改編:アンティータム会戦

 「アンティータム会戦」とは、「第二次ブルラン会戦」で大敗した北部に追い打ちを掛けるべくメリーランドとペンシルバニアに侵攻したロバート=リー将軍の南軍を、ジョージ=マクレラン将軍率いる北軍が迎撃した戦いです。

 この会戦の北軍による勝利が、「第二次ブルラン会戦」の大敗で高まっていた諸外国(というより大英帝国)による南部連合独立承認の動きを粉砕したと言えます。

 なぜなら、この会戦の5日後、リンカーン大統領が「1863年1月1日付けで反乱州(=南部連合)の奴隷をすべて解放する」という、いわゆる「奴隷解放宣言」を行ったからです。

 綺麗事大好きだった当時の欧州列強にとって、この宣言は絶大な効果を及ぼしました。

 国際世論的に、南部連合の独立承認を口にできる雰囲気でなくなったのです。

 もし「アンティータム会戦」で負けた後で同じように「奴隷解放宣言」を行っても、それは「負けた奴がなに空手形切ってやがる」と国際世論で苦笑される結果になったでしょうから、会戦の勝利がどれほど絶大だったかは説明する必要もないでしょう。

 ある意味、リンカーンの政治的センスがどれほど卓越していたかがわかる一件だと思います。

 さて、歴史改編するためには、この会戦で北軍に負けてもらわなくてはなりません。

 それもごく自然な成り行きで。

 そのためには、やはり指揮官の変更が手っ取り早い近道であります。

 本作では、北軍指揮官であるマクレラン将軍に前もって「退場」していただくこととします。

 では、このジョージ=マクレランという将軍は、いったいどんな人物なのでしょうか?

 個人的には好きな人物であるので、ちょっとだけお付き合いください。

 辞任したウィンフィールド=スコット将軍の後を継いで合衆国軍総司令官になった彼は、訓練と組織化の名人ですが、軍人としては酷評されることの多い人物です。

 曰く「敵を過大評価する傾向が強く、恐ろしいまでに慎重で進撃が遅い」

 でも、国力で勝る合衆国にとって「まず勝ってから戦う」ことは理に適った選択であり、その点で言うと、彼は戦略家として正しい道を選んでいたとも言えます。

 兵と部下とを心から愛し、細かいことに気を配り、士気を鼓舞することに長け、整然と物事を処理する頭脳を持ったマクレランは、北軍の中で最も愛された将軍でした。

 しかも戦場での力量は、あのリー将軍をして「一番手強かった敵は誰かって? 文句なしにマクレランだ」と言わしめるものを持っていました。

 まず名将と言っていい人物だと思います。

 ところがこのマクレラン将軍、直面した戦争指導の内容において、国のトップであるリンカーン大統領と決定的に意見が相違していたんですね。

 合衆国の対南部連合戦略として有名なのが、前述したウィンフィールド=スコット将軍が策定した「アナコンダ計画」です。

 これは、自陣営の優勢な海軍力を用いて南部連合の港湾とミシシッピ川流域を封鎖してしまえば、経済的に困窮した南部連合を最低限の流血で屈服させられるというもの。

 マクレラン将軍も、おおむねこの戦略を用いて南部連合と対峙するつもりでいたわけです。

 ですが、この戦略はリンカーン大統領には受け入れがたかった。

 なぜなら、「アナコンダ計画」は長期戦になることが明白だったからです。

 長期戦になれば、あのブリテンがよからぬことを考え出すのは間違いなく、それは政治家としてのリンカーンには国家的脅威に見えたのです。

 リンカーンは、この戦争を短期決戦で終わらせたかった。

 たとえ流れる血の量が増えようとも、です。

 でもそれは軍人としてのマクレランには「愚行」と思えた。

 長期戦になれば黙っていても勝てるのに、自軍の損害をわざわざ増やす速攻にこだわってどうするのだ?

 だから彼は、リンカーンの軍事的センスを侮り、まともに言うことを聞かなくなりました。

 南部連合の首都リッチモンドへ海上侵攻した戦い、通称「七日間戦役」で大統領の命令に逆らってまで南軍陣地を力押しせず、目標まであと七キロというところに迫りながら遠征軍を引き上げてしまったんです。

 リンカーンはこれに激怒してマクレランを解任。

 西部戦線からヘンリー=ハレック将軍を引き抜いて、後釜に添えました。

 ところがこのハレック将軍、端から見れば采配の名手に見えたものの、その正体は「部下の功績にただ乗りする無能上司」以外の何者でもありませんでした。

 西部戦線での功績も、ユリシーズ=グラント将軍などの有能な部下たちの働きに乗っかったものであり、彼に期待していたリンカーンもすぐさま自身の過ちに気付き「あの人物は一級の事務官であったに過ぎない」という言葉を残しています。

 「南部連合への攻勢」という大統領の意を受けた彼は自分の子飼いだったジョン=ポープ将軍を呼び寄せ、遠征軍の指揮官に据えました。

 だがこのポープという将軍は、一見すると攻撃的で勇猛な指揮官に見えたのですが、その実、軍事的才能に欠けた単なる「ごろつき」に過ぎない人物でした。

 それは、後に彼が起こしたアメリカ先住民への虐殺で証明されています(なお驚くべきことに、リンカン大統領はその行いを「賞賛」しております)。

 このポープ将軍の個性を知った南軍の名将・エドワード=リー将軍は先手を打って彼の軍隊を撃破すべく北進。

 「第二次ブルラン会戦」にて、その軍隊をボコボコにしてしまうことに成功します。

 当然ポープ将軍は指揮官を解任。

 でもハレック将軍は(上司として)責任を問われることはありませんでした。

 そりゃまあ、事実上「何も命令していない」のだから仕方ないです。

 で、そんなポープ将軍の後を受け継いだのが復職したマクレラン将軍でした。

 次のようなエピソードが残されています。

 「第二次ブルラン会戦」で敗れ意気消沈した敗残の列に沿って馬を走らせるひとりの男。

 彼は士気喪失した北軍兵士たちに向かって叫びます。

 「諸君、喜べ。このマクレランが、ふたたび君たちの指揮官になったぞ」と。

 そしてそれを聞いた北軍兵士たちはたちまち士気を回復させ、たった二日間を要しただけで、「敗残の群れ」から再度「戦う軍隊」へと変貌を遂げるのであります。

 彼がどれだけ愛されていたかが伺えるエピソードだと思います。

 そしてマクレランは、立ち直らせた将兵をまとめ上げて一軍を編成。

 北軍に致命の一撃を与えるべくまたしても侵攻してきたリーの南軍をアンティータムで阻止して、その野望を砕くことになるのです。

 ですが彼は、大統領の「追撃せよ」という命令を無視。

 兵と部下とを愛するが余り不必要な流血を(たとえ戦術的には絶対の正解であったとしても)避けたマクレランを、リンカーンはまたしても解任。

 彼はその後、復職することはありませんでした。

 もしポープの後任としてマクレランではなく別の誰かが就任していたらどうなっていたでしょう?

 おそらくは、「第二次ブルラン会戦」に続く敗北を刻んでいただけになるものと予想します。

 事実、解任されたマクレランの後を継いだアンブローズ=バーンサイド将軍は「フレデリックスバーグ会戦」で、さらにその後を継いだジョセフ=フッカー将軍は「チャンセラーズビル会戦」でリーに敗れ、「ゲティスバーグ会戦」でジョージ=ミード将軍がその任に付くまで、北軍は人材の低迷に悩み続けることになるのです。

 それらすべて──とは言いませんが、大半が人事面で「攻撃的である」以外の採用理由を認めなかったリンカーン大統領と、自己保身故にそうした大統領の人事を批判しなかったハレック将軍の責任です。

 その状況はマクレラン将軍なき「アンティータム会戦」でも発生していたでしょう。

 そしてその結末は、「合衆国は南部連合を短期間で打倒できない」という欧州列強の判断を後押しし、ひいては彼らを「南部連合の独立承認」に導いたものと推測します。

 欧州列強がそうなってから「ゲティスバーグ会戦」で勝利してもどうしようもありません。

 本作では実際に「そうなったもの」として、欧州列強の横槍によって南部連合の独立が達成されたものとして歴史の流れを紡いでいきます。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ