歴史改編:軍縮条約
こうして終結を迎えた人類最初の世界大戦ですが、結果としては史実どおり、中央同盟国側の敗北と革命による大帝国の滅亡をもたらしました。
それに続いてやってきたのが、いわゆる「ヴェルサイユ体制」という世界です。
これは、イギリス、フランス、イタリア、日本、南部連合といった戦勝国による、世界支配の新たな枠組みと言っていいでしょう。
敗戦国であったドイツは領土や植民地を奪われた上で多額の賠償金が課せられ、もうひとつの当事者であったオーストリア=ハンガリーは複数の独立国に分裂して国家体制そのものが消滅していました。
そして、本来なら戦勝国として何らかの美酒を得ていたであろうロシアは、革命にともなって発生した内戦にイタリアを除く協商主要国が干渉戦争を仕掛けたため、それどころではない大混乱に陥っていました。
これらの混乱自体は、協商主要国のシベリア撤兵(史実と異なり、日本も足並みを揃えて撤兵しています)とソビエト連邦の誕生によって落ち着きを見せるわけですが、それに代わって戦勝国、特にイギリスにとっては座視できない状況が新たに発生していました。
それは、アメリカ合衆国の軍事的膨張です。
当初危惧されていた日本の火事場泥棒が杞憂に終わった一方、参戦しなかった唯一の大国である合衆国は、協商国側に貸し付けた膨大な資金を背景にそれらへの政治的影響力を強めつつ、同時に強力な海軍の整備にも邁進していたのでした。
伊藤博文の読みどおり、ドイツの持っていた太平洋植民地と中国における権益とを「飴玉」として日本に与えることで東洋の仕置きを済ませたイギリスは、間を置かずこの問題へと取りかかります。
1921年11月、そんなイギリスの提唱によって世界初の軍縮会議が開催されました。
それが「ワシントン軍縮会議」です。
ところがです。
この画期的な国際会議も、土壇場になって南部連合の側が「休戦中の敵国の首都で開かれる国際会議などには参加できない」とボイコットを表明することで、あえなく流産する羽目になってしまいました。
ただし、仮に南部連合が参加していたとしても、この会議が何か実のある成果をもたらせたとは思えません。
というのも、この会議の謳う「軍縮」が合衆国海軍に制限をかけるためのお題目であることについて、疑う余地などなかったからです。
日本が就役させた世界最初の16インチ砲戦艦「長門」に刺激された合衆国海軍は、カリフォルニア級戦艦の準同型艦であるコロラド級の主砲を16インチ砲に換装することでこれに対抗。
ワシントン会議開催までに日本が「長門」「陸奥」の2隻をやっと竣工させたのを尻目に「コロラド」「メリーランド」「ワシントン」「ウエストヴァージニア」という4隻の16インチ砲戦艦を保有し、次級であるサウスダコタ級を進水させるまでに至っていたのです。
これは工業力の差ばかりではなく、大戦に参加しなかったことで大型艦の建造に足枷が加わらなかったことも大きく影響していました。
しかもこれに加えて合衆国は、14インチ砲を搭載した巡洋戦艦レキシントン級6隻の竣工も間近に控えていたのです。
もしワシントン会議が行われていた場合、竣工していない戦艦は破棄するよう取り決めがなされていたはずで、そんな理不尽な内容に合衆国が黙って従うわけなどありえませんでした。
しかしながら、無制限な建艦競争が国力浪費以外の何物でもないことを、ドイツ相手にやらかしたイギリスは嫌と言うほど知悉していました。
ましてや、自国は大戦争を終えたばかりで、そもそもそんな余力などありはしません。
必死の根回しの末、2年後の1924年7月、日本領である布哇のホノルルで2度目の軍縮会議が開催されます。
この「ホノルル軍縮会議」では、日英が大幅な妥協案を提示したことで合衆国政府は納得。
世界は、ある程度の安定を取り戻すことに成功したのでした。
ここで、取り決めの内容を簡単に述べて行きたいと思います。
・主力艦の保有比率を、米︰10、英:10、日:7、仏:3.5、伊:3.5、南:3.5とする。
・アメリカ合衆国
コロラド級戦艦4隻、レキシントン級戦艦6隻に加え、建造中のサウスダコタ級戦艦を3隻まで保有できる。
基準排水量で最大2万7000トンまでの空母を計9万トンまで新造できる。
既に保有しているラングレー級空母1隻を空母試作艦艇とみなし、条約締結後の代艦建造を認める。
・日本
長門型戦艦2隻に加え、建造中の加賀型戦艦2隻、天城型戦艦2隻を保有でき、基準排水量で最大4万5000トンまでの16インチ砲戦艦1隻を新造できる。
基準排水量で最大2万7000トンまでの空母を計6万トンまで新造できる。
既に保有している鳳翔型空母1隻を空母試作艦艇とみなし、条約締結後の代艦建造を認める。
布哇諸島の軍港化を禁止。
・イギリス
基準排水量で最大4万5000トンまでの16インチ砲戦艦3隻、基準排水量で最大3万5000トンまでの16インチ砲戦艦4隻を新造できる。
基準排水量で最大2万7000トンまでの空母を計3万トンまで新造できる。
既に保有している「フューリアス」級空母1隻、「アーガス」級空母1隻、「イーグル」級空母1隻、「ハーミース」級空母1隻を空母試作艦艇とみなし、条約締結後の代艦建造を認める。
・フランス
建造中のノルマンディー級戦艦を4隻まで保有できる。
基準排水量で最大2万7000トンまでの空母を計3万トンまで新造できる。
・イタリア
基準排水量で最大2万7000トンまでの空母を計3万トンまで新造できる。
・アメリカ連合国
建造中のジョセフ=E=ジョンストン級巡洋戦艦を4隻まで保有できる。
基準排水量で最大2万7000トンまでの空母を計3万トンまで新造できる。
その他については、おおむね史実の「ワシントン軍縮条約」に準じる内容となります。
これにより、ロンドン条約締結まで各国が保有した戦艦・空母は次のような陣容となったのでした。
・アメリカ合衆国
サウスダコタ級戦艦
「サウスダコタ」「インディアナ」「マサチューセッツ」
コロラド級戦艦
「コロラド」「メリーランド」「ワシントン」「ウエストヴァージニア」
カリフォルニア級戦艦
「カリフォルニア」「ノースダコタ」
ニューメキシコ級戦艦
「ニューメキシコ」「デラウエア」「アイダホ」
ペンシルベニア級戦艦
「ペンシルベニア」「アリゾナ」
ネヴァダ級戦艦
「ネヴァダ」「オクラホマ」
レキシントン級巡洋戦艦
「レキシントン」「サラトガ」「ユナイテッドステーツ」「レンジャー」
「コンスティチューション」「コンステレーション」
ヨークタウン級航空巡洋艦
「ヨークタウン」「エンタープライズ」「ホーネット」
ラングレー級航空母艦
「ラングレー」
計:戦艦14隻、巡洋戦艦6隻、航空巡洋艦3隻、航空母艦1隻
・日本
紀伊型戦艦
「紀伊」
加賀型戦艦
「加賀」「土佐」
長門型戦艦
「長門」「陸奥」
伊勢型戦艦
「伊勢」「日向」
扶桑型戦艦
「扶桑」「山城」
天城型巡洋戦艦
「天城」「赤城」
金剛型巡洋戦艦
「金剛」「榛名」「比叡」「霧島」
飛鶴型航空母艦
「飛鶴」「神鶴」
翔鶴型航空母艦
「翔鶴」「瑞鶴」
鳳翔型航空母艦
「鳳翔」
計:戦艦9隻、巡洋戦艦6隻、航空母艦5隻
・イギリス
ネルソン級戦艦
「ネルソン」「ロドニー」「アンソン」「ハウ」
リヴェンジ級戦艦
「リヴェンジ」「レゾリューション」「ラミリーズ」「ロイヤル=サブリン」「ロイヤル=オーク」
クイーン=エリザベス級戦艦
「クイーン=エリザベス」「ウォースパイト」「ヴァリアント」「バーラム」「マレーヤ」
インヴィンシブル級巡洋戦艦
「インヴィンシブル」「インドミタブル」「インフレキシブル」
フッド級巡洋戦艦
「フッド」
レナウン級巡洋戦艦
「レナウン」「レパルス」
グローリアス級航空母艦
「グローリアス」「カレイジャス」
ハーミース級航空母艦
「ハーミース」
イーグル級航空母艦
「イーグル」
フューリアス級航空母艦
「フューリアス」
計:戦艦14隻、巡洋戦艦6隻、航空母艦5隻
・フランス
ノルマンディー級戦艦
「ノルマンディー」「ラングドック」「フランドル」「ガスコーニュ」
プロヴァンス級戦艦
「プロヴァンス」「ブルターニュ」「ロレーヌ」
クールベ級戦艦
「クールベ」「パリ」「ジャン=バール」
ベアルン級航空母艦
「ベアルン」
計:戦艦10隻、航空母艦1隻
・イタリア
カイオ=ドゥイリオ級戦艦
「カイオ=ドゥイリオ」「アンドレア=ドーリア」
コンテ=ディ=カブール級戦艦
「コンテ=ディ=カブール」「ジュリオ=チェザーレ」
ダンテ=アルギエーリ級
「ダンテ=アルギエーリ」
計:戦艦5隻
・アメリカ連合国
ジョン=C=ブレッキンリッジ級戦艦(旧ドイツ戦艦バイエルン級)
「ジョン=C=ブレッキンリッジ」(旧ドイツ戦艦「バーデン」)
ジェイムズ=ロングストリート級
「ジェイムズ=ロングストリート」「ジュダ=ベンジャミン」「ラファイエット=マクローズ」
ジョセフ=E=ジョンストン級巡洋戦艦
「ジョセフ=E=ジョンストン」「ジョン=C=ペンパートン」「ウィリアム=クァントリル」
「ジョン=S=モズビー」
計:戦艦4隻、巡洋戦艦4隻
念願だった高速戦艦6隻(レキシントン級)を獲得した上に日本本土の一部と言える布哇諸島の軍港化を阻止(流石に「本土の一部を要塞化するな」とまで言えませんでした)できた合衆国は、「対英10割」という主力艦比におおむね満足し、布哇諸島の軍港化を阻止された日本もまた、「対米7割」の主力艦比と16インチ砲艦の「対英米10割」に納得の姿勢を示しました。
実のところ、合衆国にレキシントン級6隻の保有を許すことについて日本海軍の一部(主に軍令関係者)から不満の声が上がってもいたのですが、同盟国イギリスからレキシントン級のあまりに貧弱な防御力──ボイラーの半分が防御区画から露出──がもたらされたことで、それらを押さえ込むことに成功しました。
一方でイギリスは、合衆国と主力艦比を対等にさせられた上、財政的に望ましくなかった大型艦の建造をする羽目になり、条約締結は政治的に失敗とも取れる内容でした──表向きは。
しかしながら、友好国である日本が対米7割、南部連合が対米3.5割の主力艦枠を獲得したため、仮想敵である合衆国の東西を同等の友邦艦隊で封じることが可能(この世界では、パナマ運河がないのです)となり、仮に残った仏伊が手を結んで自国に挑んできた場合でも、イギリスは自国艦隊の全力でそれに応じられるようなったのも事実です。
これは形を変えた「二国標準体制」と言え、イギリスが「栄光ある孤立」から友好国を利用した「多国間軍事協力」へ軸足を移したことを意味します。
事実、「ホノルル軍縮会議」の締結と同時に「日英同盟」を更新しない旨も定められましたが、日英間の軍事協力は同盟のあるなしにかかわらず継続されました。
象徴的なのが1918年から建設の始まった日本の大神工廠です。
この巨大軍事施設の建築には、日本企業のみならず、技術支援の名目でヴィッカース社などのイギリス企業も多数参加していました。
その様子はまるで、史実の戦後日本がアメリカ第7艦隊に横須賀基地を提供しているかのごとくです。
当時の日英関係がどのようなものであったのか、これだけを見てもわかることでありましょう。
ましてや日本の大陸利権が事実上イギリスからの「おこぼれ」に近いものである以上、日本帝国が大英帝国に喧嘩を売る可能性はほとんどなく、南部連合もまた、主要な貿易対象が欧州(と、その植民地)市場であるかぎり、イギリス相手に軍事的挑戦を仕掛けるわけもありませんでした。
つまるところイギリスは、友好国との関係を継続することで、自国艦隊にフリーハンドを与えたわけです。
こういう寝業は、合衆国外交にはできない真似であったでしょう。
ただし、7隻もの主力艦を建造することになったイギリスは、経済的な重圧を受けることになりました。
予算的なとばっちりを被ったのは、誕生したばかりの空軍です。
1920年代を通してのイギリス空軍は、機体の開発も機数の充足も思うように行かず、その規模は史実を大きく下回る羽目に陥ったのでした。
この影響は第二次世界大戦に強い影を落とし、「英国の戦い」でイギリス戦闘機軍団が敗れる大きな要因になったのですが、それはまた別の話として語らせていただきます。
さて、こうした主力艦建造が経済負担となったのは、フランスもまたそうでした。
国内が戦場となったことで産業基板に重篤な打撃を被っていたフランスは、できることなら海軍予算を大きく削減したいのが本音でした。
ですが当の海軍当局としては、せっかく獲得した建造枠(と、それに付随する海軍予算)を無駄にするなど、およそできない相談でした。
ただでさえ、陸軍と比べて発言力の小さいのがフランス海軍の宿命です。
この機会を逃せば、いつ艦隊拡張が許されるのかわかりません。
結果としてフランス海軍は、財政的な現実論を感情的な脅威論で押し潰し、政府から予算をむしり取ることに成功します。
その際、海軍に「脅威」のひとつとされたのがイタリアです。
条約によってイタリアが自国と同等の艦隊を保持できると定められたことを口実に、フランス海軍は政府を強く説得したのです。
というのも、艦隊規模が同じなら、地中海に全力を投入できるイタリアに比べて、海外植民地にも艦隊を派遣する必要のあるフランスが数的な面で不利になるのが明らかだからです。
そしてフランス政府は、海軍の主張を「もっとものこと」として受け入れました。
自国の保有戦艦のうち3隻が12インチ砲を搭載する旧式な弩級艦であったことも、その判断を後押ししました。
なんと言っても、米英日の3国が保有する戦艦/巡洋戦艦は、すべて新鋭の超弩級艦であったのですから。
ひょっとしたら、そこには一等国としての面子のようなものも関係したかも知れません。
では、そんな当事者のもう一方であるイタリアはどうだったのでしょう。
実のところイタリア海軍は、戦艦部隊の整備にほとんど興味がありませんでした。
条約締結時に超弩級艦であるフランチェスコ=カラッチョロ級の工事続行を求めなかったことでも、それははなはだ明らかです。
もちろん、保有していた5隻の弩級艦で満足していたというわけではありません。
ただその実力を、大して評価していなかっただけのことなのです。
イタリア政府と海軍は、自国の経済力というものを熟知していました。
彼らは高コストの戦艦部隊ではなく、比較的低コストな巡洋艦を軸にした高速艦艇を中心に海軍力を整備しようと目論んでいたのです。
それはまるで、日清戦争時の日本海軍を思わせる判断でした。
制海権の獲得には少数の大型艦より多数の小型艦が必要である事実を、彼らは理解していたのでしょう。
ただその目論見は、後にフランスが巡洋戦艦であるダンケルク級を建造したことで根底から覆ってしまうのでありますが。
さて、このイタリアと似たような状況にあったのが南部連合です。
南部連合もまた、戦時中はジェイムズ=ロングストリート級の旧式弩級艦3隻を保有しているだけでした。
10隻以上の超弩級艦を保有していた仮想敵国とは比較にならない弱体です。
ただイタリアと違って国土が戦場とならなかった分、日本帝国と同様、南部連合には「大戦景気」が訪れていました。
特にイギリス向け船舶の受注を主とする造船景気は、戦後の南部連合に新型戦艦を建造するだけの経済的余裕を与えました。
この時に力となったのが、革命によって祖国を追われたロシア人技術者たちです。
彼らはたちまち南部連合国内で重要な地位に就き、艦艇建造や航空機開発の分野でリーダーシップを発揮していくことになります。
そんなロシア人造船官らの協力によって建造されたのが、初の国産超弩級艦であるジョセフ=E=ジョンストン級巡洋戦艦です。
このクラスの竣工は、それまで戦利艦として入手したドイツ戦艦「バーデン」(戦艦「ジョン=C=ブレッキンリッジ」として改名就役)しか超弩級艦を持っていなかった南部連合海軍に計り知れない恩恵をもたらしました。
それは、日本海軍にとっての金剛級と比肩できるレベルであったと言えるでしょう。
このように、互いの海軍力を制限しあった条約は、世界にひとまず安定と平和とをもたらしました。
しかしながら、その組み上げられたピースは絶妙のバランスの上に成り立っており、ひとたび均衡が崩れたら一気にすべてがご破算になるという極めつけの危険性をも帯びていました。
そしてそれは、合衆国で発生した世界恐慌の影響と、それにともなうファシズムの勃興、共産主義の拡散によって現実のものとなるのでした。