8 準備を始めます
あの夜会から一月もすると、予想通りに周囲はだいぶ落ち着いた。
学園ではすでにシルヴァンとレティが夫婦だという事は知れ渡っているけど、特に何か言われるといったことはないようだ。普通に学園生活を楽しんでいるようで一安心。ウチの子たち以外にも数組、すでに婚姻済みな生徒がいたのもあって、そこまで騒がれなかったのも幸いした。
だが、相変わらずな人たちもいるわけで。
注視すべき点としては、シルヴァンを落したいヒロインが第二王子に接近しているらしいとの報告を受けていることだろうか。いっそのこと、このまま二人がくっついてくれるのであれば有難いのだが、恐らくそんなことにはならないだろう。ヒロインはわからないが、マリウス殿下は王妃殿下の言いなりな部分があり、そして王妃殿下はなぜかレティへの執着がハンパない。そう簡単にあきらめるとは思えなかった。
なので、レティには学園内だろうと単独行動は禁止、誰の誘いだろうと絶対に乗るなと言い聞かせてある。このまま無事にシルヴァンと式をあげたかったら、絶対に守れと。
今回は、それが功を奏した。
今日はシルヴァンが午前中で終わりだった為、レティは一人で帰って来たのだが。
「……レティ、もう一回言ってくれるかな?」
帰宅したレティが珍しく真っ先に俺の執務室へ来たと思ったら、衝撃的な言葉を聞かされた。
「魔法科のクラスの方からお茶会に誘われたの。お話したことがあるわけでもないし、お近づきになりたいとは思えない方からのお誘いだったのでお断りしたけれど」
「うん、だからどうしてそう思ったのかを教えてほしいんだけどな」
「あの方、夜会のすぐ後くらいから、度々シルヴァンに何かを渡そうとしてるの」
少々ムッとした顔でレティが教えてくれた。うん、レティは名前を出してないけど、この時点で該当者は一人しかいないだろう。
直接的な行動に出始めたかと思いつつも、ちょっと意外だなとも思った。
ゲームに忠実に、というのであれば、今年度はまだ接触して来ないのではと、俺は考えていた。シルヴァンが登場するのってゲーム開始二年目だし。
「シルヴァンもね、断ってるのよ。でも、無理やり押し付けて行こうとするから困ってるみたいで」
その件は、俺もシルヴァンから報告を受けている。どうも言葉で誘っても歯牙にもかけないシルヴァンに焦れているようで、最近は手紙を渡そうとしたり作ってきたとお菓子を渡そうとしたりしているらしい。当然、シルヴァンは受け取らない。
「うん。それで?」
「それにね、私が彼と婚姻済みだと言うことは知っているはずなの。それなのに、私にシルヴァンには近づかないほうがいい、貴女の相手は彼じゃないのよって」
ああ、バロー嬢の中ではレティたちが結婚していることはなかったことにされてんのか。そんな事を言われりゃいくらレティでも怒るわな。
「知らない方にどうしてそんなことを言われなくてはいけないのかわからなくて……そんな方からのお誘いだったから、気持ち悪いというか……失礼かとは思ったのですけれど」
「いや、失礼なのは相手の令嬢だよ」
つーか、失礼すぎるだろバロー嬢。いくら何でも。
二人の婚姻は学園には報告済みだし、夜会で陛下から祝福して頂いたこともあって社交界にはあっという間に広まっている。当然、貴族の子女が多く通う学園でもそれは同じだ。ましてバロー嬢はあの時の夜会にいたし、その場を自分の目で見ているはず。知らないはずがないのだ。
「それに、私も書類上とは言えシルヴァンの妻です。知り合いでもない殿方に迎えに行かせると言われて頷くわけにはまいりません」
「は?」
ちょっと待て。
え、何それ? どういうこと?
思わずレティを凝視したら、少し首を傾げて困ったような顔をした。
「その……私に紹介したい人が居るので、是非にと言われたの。一度、ゆっくり話をする機会を作ってあげたいので、迎えに行ってもらうからって。私は夫がいる身だから、身内でもない方と馬車で二人きりになるなど無理ですとお伝えしたんですけど、気にしすぎだと言われてしまって」
「…………」
頭痛い。
マジで頭痛い。
だいたい夫がいると公言している女性に男を紹介したいってどういうこと!? 常識ないにも程があんだろ!
「……バロー嬢だよね?」
頭痛を堪えつつ、一応確認しておく。他にそんな非常識人間がいたら嫌すぎるが、間違いだったら大変な事になるので確認はしないといけいない。いないと思うけど。
「はい」
はっきり頷いてくれて、ちょっと安心。いや、安心してる場合じゃないな。
「わかった。その件は私から男爵家に抗議を入れておく」
「お願いします、お父さま。それと、今後も彼女からのお誘いはお断りするつもりです」
「そうしなさい。どうやら我々の知る常識とはかけ離れた常識をお持ちのようだ。彼女もそうだが、普段から彼女と接触のある者や近しい者からの誘いも断りなさい。レティにそのつもりはなくても、知らぬ間に醜聞を作られる可能性もある。警戒は怠らないように」
「はい」
神妙な顔をして頷くレティ。
この子、あまり人を疑うって事をしないから心配だったんだけど、さすがにレティの中でもあ奴は警戒対象になったらしい。良かった……!
どうかそのまま警戒しまくって、ついでに避けまくっててくれ!
それにしても、どうしたもんかね。俺の予想の遥か上を行く常識ハズレだったわ、ヒロイン。これ、マトモな対処しても無駄だよね……?
「シルヴァンにも話を通しておくか」
とにかく、当事者であるシルヴァンにも注意喚起しておくべきだろう。まあ、俺が何か言わなくてもすでに警戒度MAXになってるけどさ。
ベルを鳴らして執事を呼ぶと、シルヴァンを呼んでくるように言いつける。
レティにもそのまま待っているように言い、ほどなくしてシルヴァンがやって来た。
「お呼びですか?」
ちらりとレティに視線を送りつつシルヴァンが聞いてくる。
多分と言うか、間違いなくブチ切れるだろうなぁと思いつつも先程の話を掻い摘んでシルヴァンにも聞かせたんだが。
「ほう。つまり、私の妻と分かっていてそのような不埒な誘いを掛けているという事ですよね。随分と独創的な常識をお持ちの方なようで」
うん。やっぱり、ブチ切れた。
でもね、シルヴァン。そのキレイな顔にキレイな笑顔を貼り付けてドス黒いオーラを纏うのは止めようね。普通に怖いから。
どこぞの魔王か、お前は。
基本的にレティ命なシルヴァンにしてみたら、今回の件は間違いなく激怒案件。こうなるのは仕方ないっちゃ仕方ないんだが、ここで暴走させると怖いことになるからな。レティが絡むと、本当に沸点低くなりすぎんだよコイツは!
「落ち着きなさい、シルヴァン。取り敢えず、私から男爵家には抗議を入れておく。さすがに常識が無さすぎるからね。こちらに関わらないのであれば好きにすればいいが、巻き込まれてはかなわん」
貴族にとっては、醜聞は本当に怖いもの。一つの醜聞で家ごと没落など珍しくないのだ。だからこそ、普段から些細な事にも気をつかって付け入る隙を見せないよう、他の者の見本となれるよう自分を律して過ごさなければならないし、身分に応じた責務を果たさなければならない。
まあ、たまに勘違いして傲慢になるおバカさんはいるけどな。
「私とレティには基本的に関わらないよう通達していただく事は可能ですか?」
「レティは学年が同じだし完全には無理だろうが、お前への付きまといはすぐにでも止めさせるように伝えておく。そもそも、何ひとつ接点などないはずだろう」
「ありがとうございます。ええ、本当になぜ私の所へ来るのか疑問です」
うんざりした様子なのを見ると、本当に嫌だったんだろうな。
シルヴァンは生家での扱いがかなり酷かったこともあって、今でもあまり人付き合いは好まない。まあ、それを感じさせない程度に取り繕うことは出来るので気づいている者は多くはないが……あんなに可愛かったシルヴァンにろくでもないトラウマ植え付けやがった奴らには未だに殺意を覚える。そして今回、そのトラウマを刺激しているだろうヒロインにも軽く殺意を覚え始めてるぞ、俺はっ。ウチの可愛い息子に何しやがるんだっ。
「……父上」
ふとシルヴァンに呼ばれて顔を上げると。
なぜかシルヴァンは仄かに顔を赤くしてて、レティはにこにこ。
「? どうした?」
「いえ、あの……」
珍しく言い淀むシルヴァンに変わり、レティが答えてくれた。
「お父さま、声に出ていましたわよ」
「は?」
何が?
「可愛い息子になにするんだって」
「ありゃ」
しまった。心の声が駄々洩れになっていたようだ。
しっかし、まあ……そのくらいの事で照れるなんて、まだまだ可愛いじゃん、シルヴァン。
「まあ、自慢の息子だからな。ちっちゃい時は本当に可愛かったし。レティと一緒にしとくと可愛さ倍増でなぁ」
本当に、セットにしておくと凶悪なまでに可愛かった。あの可愛い言動に、夫婦で何度悶絶した事か。
「私、シルヴァンが来た日の事、覚えてますわ」
「レティは一目見るなりくっついて離れなかったね」
「だって、家族が増えるってお父さまに言われて嬉しくて。一目見た時からずっと一緒にいたいって思ってしまったんだもの」
「おおっ」
すごい口説き文句。レティ、絶対にわかってないだろ。
隣でシルヴァンは真っ赤になってるぞ。
「我が娘ながら、中々に熱烈だねぇ」
揶揄いを含めてそう言っても、レティはきょとんとするだけ。レティの天然発言は本当に効果絶大だな、シルヴァンが面白い事になってる。
基本的に照れ屋さんな我が娘だけど、唐突に天然発言かます事があって周りを硬直させることがたまーによくある。油断も隙もない。不意打ちされると今のシルヴァンみたいになることが多いんだ。しかも本人、自覚無しだしね!
「よかったなぁ、可愛い奥さんで」
ニヤニヤしながら言えば、赤い顔で睨んでくる。
「……やめてください、父上」
うん、可愛いね。息子もまだまだ可愛い。
まあ、揶揄うのはこのくらいにしておこう。あまり弄り倒すと反撃されかねん。
「取り敢えず、バロー嬢に関しては今後も注意するように。出来るだけ接触は避けなさい」
「「はい」」
「特にレティ。これから三年間、同じ学年で過ごすことになるのだろうから、些細な事でも報告を忘れないように」
「わかりました」
うん、二人への注意喚起はこれくらいでいいだろう。おバカさんな子たちではないし迂闊な事もしない子たちだから、あちらが何か仕掛けてこない限りは問題ないはず。
とは言え、だ。
書類上で婚姻しただけ、と言うのもいらぬ憶測を生む結果になっている可能性があるような気がする。ましてウチの子達、引く手数多だからねぇ。
「ん~……」
書類上だろうと婚姻が成立している以上、もはや妙な横やりを入れられる心配はない。ただ、あくまで政略的な婚姻でしかないと思い込んでる連中は今後も何かと仕掛けてくるだろう。それはそれで非常にウザイ。
二人をちらりと見て、決めた。
「うん。レティ、エレーヌを呼んできてくれないか」
「お母さまをですか?」
「そう。ほら、急いで」
取り合ずレティに奥さんを呼びに行かせて。
シルヴァンを見ると、なぜか怪訝そうな顔に。
「何を企んでいるんです?」
開口一番、そう言われた。
失礼な奴だな。
「まあ、少し待て」
エレーヌが来てから話した方が色々と都合がいい。
程なくしてレティがエレーヌを連れて戻って気だ。
「お呼びですか、旦那さま」
「ああ。すまないね、ゆっくりしていたのに」
立ち上がって額に唇を落す。
俺たちにとっては、これはいつもの挨拶。
三人に座るように促す。あ、奥さんは俺の隣に座らせるよ。当然だけど。
「まずは、エレーヌ」
「はい」
「レティのドレス、今から準備して最短でどれくらいかかる?」
詳しい事は口にせずに、そう投げかける。
しかし、そこは俺の奥さん。こちらの意図はしっかり伝わっていた。
「そうですわねぇ……通常のドレスとは差をつけたいですし……デザインは私が懇意にしている方にお願いしてもいいかしら?」
「かまわないよ。ただし、レティとシルヴァンの意見を優先させてほしいかな」
「それは当然ですわ。でしたら、そうですわね……材料が特殊な物を使う可能性も考慮して、二か月と言ったところかしら」
「二か月か。うん、ありがとう。次、シルヴァン」
「はい」
「夏季の長期休暇中と秋の社交シーズン終盤、どっちがいい?」
「あのですね、父上。色々と端折りすぎていませんか。話が見えないのですが」
呆れ顔でシルヴァンに言われた。さすがに奥さんみたいにはいかないか。
「いや、ほら、な? やっぱり式を挙げないとお前たちが夫婦だと認識できない理解能力の乏しい連中はいるだろう。だから取り敢えず、内輪で式を挙げておこうかと」
「「え?」」
二人の声が揃った。
レティは嬉しいのか、顔を輝かせているけど、シルヴァンは困惑顔だ。
「しかし……レティの卒業に合わせてという事で、各方面には連絡を入れてあります。今更、変更は」
「いやいや、それはそれ。言っただろう、今回は内輪でと。レティの卒業後に予定している式は、慣例に基づいて行うお披露目を兼ねたパーティーだ。それは予定通りに行う。今回のはそれとは別に、親しい人たちを招いて式を挙げたいってことだ。純粋に、お前たち二人を祝うためにな」
「お父さま……!」
おお、レティが目をキラキラさせているぞ。
その隣ではシルヴァンがまだ困惑顔。まあ、唐突にこんな話すればそうだよな。
「お披露目のパーティーと結婚式は別物だ。結婚式は身内や親しい者たちで、お披露目は大々的にってのがこの国での慣例だ。結婚式とお披露目パーティーは必ずしもセットで行うものではないぞ」
実際に、式を先に上げて披露パーティーは半年後、一年後なんてのはこの国では珍しくないのだ。まあ、さすがに間が数年空くってのは聞いた事ないけど。
ただそれも、花嫁の卒業を待っての事と言えば説明ができるので問題はない。先に婚姻を急いだのだって、二人を引き裂こうとする動きがあったのでそうする必要があったのだと言ってしまえば問題ない。だって、事実だし。
「と言うわけで、シルヴァン。婚礼の衣装はレティと一緒にエレーヌに相談して進めなさい。会場は私がいくつか候補を見繕っておくので、後で二人で相談して決めるように。神父も伝手があるので、これは後日紹介しよう。まあ、その辺りの細々としたことは私が引き受けるが、最終的な決断は二人に任せる」
「父上……ありがとう、ございます」
感極まった顔で礼を言われると、なんかこそばゆい。
そもそも、俺に感謝する必要なんかないんだよ。引き取ったあの日から、お前が俺の期待にこたえられるようにと、人一倍努力を重ねて来てくれた姿をずっと見てたんだ。文武両道に育ち、今でも慕ってくれる優しい息子になってくれたことは、俺が感謝している。厳しく接することも多かったのに、俺を信じてついて来てくれた可愛い大切な息子。
そんな自慢の息子が、愛娘と幸せになる未来を選んだ。二人の親として手助けをしたいと思うのは、当然だろう。
「シルヴァンもレティシアも、私たちの大切な子供だ。私たちはお前たちの幸せを何よりも願っているよ」
可愛い我が子たちの幸せを守るためなら、俺はなんでもするよ。