後日談 ~シルヴァン幼少期~
シルヴァンがカンタール家から連れ出されて、二か月くらい経った頃。
カンタール侯爵に領地で蟄居させられていた前侯爵夫人が、お忍びでグランジェ家を訪れたことがあった。
「おばあさま!」
「ああ、シルヴァン! よかった、よかったわねぇ」
すっかり健康優良児と化していたシルヴァンを見るなり、涙目で抱きしめていた姿は、今でも印象に残っている。シルヴァンがあんな環境でも真面に育っていたのは、前侯爵夫人の存在が大きかったんだなと、ルシアンはこの時初めて知った。
聞けばシルヴァン、四歳になる少し前までは領地で祖母の下で育てられていたようだ。なんでもあの侯爵夫婦が長男から妹が欲しかったんだ、弟なんざいらんと言われて、生まれて間もないシルヴァンを前侯爵夫人に押し付けたらしい。どうりで、赤ん坊のころのシルヴァンを親戚どもでさえ碌に知らなかったわけだと、ルシアンは呆れた。
領地での暮らしは随分と質素ではあったようだが、祖母や使用人たちからはたいそう可愛がられて育てられていたらしい。しかし、祖母が体調を崩して十分な世話が出来なくなったらしく、本当に仕方なく両親の下へ戻すことになったのだそうだ。生活にそんな余裕があったわけでもなく、使用人も最低限しか置いていなかったので、シルヴァンにまで手が回らなくなってしまったらしい。その後は、知っての通り。
そしてこの訪問で、ルシアンは前侯爵夫人がもう長くないことを知った。
養子に出された経緯を知らなかった夫人は、最後にどうしてもシルヴァンが元気でいるか、幸せに暮らせているかを自分の目で確認したかったようでルシアンに連絡を取り、弱った体に鞭打って領地から出てきたのだ。
「おばあちゃま?」
シルヴァンが笑顔で抱き着いている夫人にレティがきょとんとしながら近づくと、夫人は目を細めて頷いた。
「そうよ。初めまして、可愛いお嬢さん。お名前は何ていうのかしら?」
「れてぃよ!」
「レティちゃんっていうのね。ありがとうね、シルヴァンと仲良くしてくれて」
頭をなでてもらって、レティご機嫌。
そこからは、あっという間に懐いたレティを加えて夫人に相手をしてもらい、楽しそうに過ごした子供たち。
その間にルシアンは夫人の従者と話を聞き出して、今後の事で色々を話を詰めていた。夫人の現状を聞き、放置できないと考えたのだ。
「それで、先ほどの話ですが……夫人の病ですが、具体的には?」
「はい。主治医からは、次の春を迎えることは叶わないだろうと言われております。ですので、こちらへ来るついでに、奥様はご自身の個人資産を整理してシルヴァン坊ちゃんへ相続させるための手続きを終えてまいりました。その時が来ましたら貴族院より連絡が来るかと思いますので、ご対応をお願いしたいのです」
その時というのは、夫人が儚くなった時、という事だと察したルシアン。
シルヴァンがあんなに懐いている以上は出来る限り長生きしてもらいたいとは思ったが、こればっかりはどうすることもできない。夫人の体を蝕んでいる病は、現状では治療法がない類のモノだった。
「わかりました。全てシルヴァンの個人資産として貴族院に届け、成人まで管理を委託することにします」
元から、自分できちんと育てる覚悟をしていたルシアン。シルヴァン宛てに財産が残されると知っても、それに手を付けるつもりは全くなかった。
しかし、従者はその答えに困惑顔。
「いえ、それですと……坊ちゃんの為に使っていただく分には」
「ああ、いや。そこはご心配なく。引き取った以上は私の息子ですし、夫人から受け継ぐものは、あの子が将来的に何かをやりたいと考えた時の為に置いておきましょう。幸いにも我が家は経済的には余裕がありますので、ご心配頂かなくとも大丈夫です。どうぞ、安心してお任せください。大切に、育てますから」
カンタール家へ引き取りに行き、その腕に抱いた時から可愛い可愛い息子として接してきたのだ。今後もそれは変わらないし、息子への出費は自分の義務とルシアンは考えている。だからこそ、シルヴァンの個人財産に手を付けるつもりはなかった。
そして、きっぱり言い切ったルシアンに、従者は目じりに涙を溜めつつ頭を下げた。
「本当に、ありがとうございます。私も奥様も、坊ちゃんの事だけが気がかりでございました。あまりの扱いに、何度か奥様の元へ戻そうと手を尽くしたのですが、どうにもならず……こちらに引き取っていただいたと聞いた時には奥様も驚いていらっしゃいましたが、坊ちゃんの姿をみて本当に安堵いたしました」
「あの歪んだ環境にいて、どうしてあんなにまっすぐな良い子に育ったのかが不思議だったのですが。あなた方の愛情を受けて育っていたからだったのですね」
シルヴァンの様子を見ていれば、どれだけ大切に育てられていたかは伝わってきた。きちんと、シルヴァンを大切に思ってくれている人たちがいたという事が分かっただけでも、ルシアンにとっては収穫だった。
そんな感じで、夫人に育てられていたころのシルヴァンの様子を色々と聞いていると。
「ちちうえ!」
シルヴァンが飛びついてきた。
元気な男の子そのものな姿に、従者の目にまた涙が浮かんでる。
「うん? どうしたんだい?」
「あのね、おばあさまに、おにわ、みせてあげたいです。おばあさま、おはながすきなの」
「そうなんだね。じゃあ、シルヴァンがちゃんとエスコートしてあげなさい」
「はい!」
にこっと嬉しそうに笑って頷く息子の頭を、ルシアンが優しくなでる。
たたっと走って祖母の元に戻ると、手を引いて庭の方へ案内した。その後をレティがちょこまかと付いて行ってる。そして、さりげなくルシアンに視線を送ってきたザックが、少し距離を置いてその後を付いて行った。
この時の訪問で、シルヴァンを大切に育ててくれたいわば恩人でもある前侯爵夫人の境遇を知ったルシアンが黙っているわけがなかった。
伝手という伝手を使いまくってさくっと手続きを済ませ、前侯爵夫人を王都にある貴族用の療養施設へ数人の使用人と共に入居させてしまった。そこで、孫の成長を見守りつつ穏やかに余生を過ごしてもらう事にしたのだ。
当然、カンタール侯爵本人から横やりが入ったりもしたが、ルシアンが病人の療養に最適な場所だと強調した上で、前侯爵には世話になったのでこれはその恩返し、費用はすべてグランジェ家が負担することになっていると明かすと、あっさり引き下がった。
相変わらずのクズっぷりに怒りを通り越して呆れるしかなかったルシアンだったが、関わってほしくはなかったので引き下がってくれたのは純粋にありがたかった。
そしてシルヴァンは、会いに行こうと思えばいつでも会いに行ける場所に祖母が引っ越してきたことに、大喜びした。
レティシアと一緒に頻繁に祖母に会いに行き、婚約した時もすぐに報告に行って祖母を喜ばせた。
そうして穏やかに過ごした前侯爵夫人、次の春は迎えられないだろうと言われてたにもかかわらず、夫人が永い眠りについたのは春も大きく過ぎてもうすぐ冬になるかという時期だった。
穏やかな顔で静かに息を引きとるその時まで、シルヴァンは大好きな祖母の手をずっと手を握っていた。
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春の心地よい陽気。
貴族用の共同墓地の一角、そこにシルヴァンはレティシアと共に訪れていた。
本当の意味で夫婦となり、その報告の為に祖母の墓参りに来ていたのだ。
「……お久しぶりです、おばあ様」
カンタール侯爵家の前当主夫妻の墓。
通常であれば、領主を務めた者は領地内の墓地に埋葬されるのが慣例ではあるのだが、この夫婦に関してはここへの埋葬を生前に希望して手続きも済ませていた為、この場所に埋葬されている。
それなりにある墓所の敷地内は、色とりどりの花が植えられていた。花が好きだった祖母が寂しくないようにと、幼いころのシルヴァンが墓の周りに花を植えたのをきっかけに、長年この状態が続いている。現在はこの墓の管理は、かつての祖母の執事とその家族が志願してくれて、任せている状態だ。かつての執事はシルヴァンも幼少期に世話になった相手でもあったので、安心して任せることが出来た。
シルヴァンに祖父の記憶はない。生まれる前に亡くなっているので当然ではあるが、それでも祖母や当時の使用人たちから話を聞いていたので、自分がその人に良く似ているのだという事は理解していた。自分を大切に育ててくれた祖母からもたくさんの話を聞き、会ってみたかったなと幼心に残念に思っていたりもしたものだった。
「おじい様も……お久しぶりです」
先に祖母の墓前に花を添え、そして祖父の墓前にも同じように花を添えた。
「一年後に、正式にグランジェを継承することが決まりました。カンタール家は、父上が暫定的に継ぐことが決まりましたので、安心してください」
優しくて色々なことを知っていて、大好きだった。産みの親に引き取られた以降は、祖母の元へ帰りたくて仕方なかった。
グランジェ家に引き取られてからは、祖母も会いに行ける場所へ転居してきたので頻繁に会いに行けたし最後にも立ち会えたが、それがルシアンの提案によるものだと知ったのは本当に最近になってから。言葉にするまでもなく、父には本当に感謝した。
「おばあ様、素敵なレディだったわ。……もう少し、長生きしていただきたかった」
呟くレティシアの肩を抱き寄せる。
五歳だったあの日、レティシアと正式に婚約が調ったことが嬉しくて、さっそく祖母に報告に行ったシルヴァン。祖母も喜んでくれて、後日、レティシアにお祝いねと言って綺麗な扇を贈ってくれた。
小さかったレティに合わせて作ってくれた、可愛らしい扇。
今はもう使うことはできないが、それでもレティシアが大切に保管していることをシルヴァンは知っている。いずれ自分に娘が出来たら渡したいと言って。
「ね、シルヴァン」
「うん?」
「私ね、おばあ様に感謝しているのよ」
唐突なレティシアに、シルヴァンがきょとんとする。
そんな夫の様子にレティシアはくすっと笑った。
「だって、私の大切なシルヴァンを育ててくれた方だもの。おばあ様がいたから、今のシルヴァンがいるのでしょう?」
「……そう、だね。おばあ様がいなかったら、今の私はないだろうね」
物心ついた時には、側にいた祖母。
シルヴァンにとっては母に等しい存在でもあった。大切に育ててもらったからこそ、愛情深く育ててくれたのを理解していたからこそ、今こうして自分が受けた愛情を自分以外にも伝えることが出来ているのだと、シルヴァンは思っていた。
「あの家で、いない者として扱われていた私を連れ出してくれたのは父上だが……父上が連れ出してくれるまで、あの家で耐えることが出来たのはおばあ様のおかげだ」
そう。連れ戻す事は出来なくとも、支援はしてくれていたのだ。前侯爵を慕っていた使用人はまだ当時の侯爵家にはかなり残っていて、そう言った使用人たちが主人たちに気づかれないようにこっそりと手を差し伸べていた。だからこそ、幼かったシルヴァンは耐えられたのだ。
「少しも……孝行できなかったのが悔しいよ。叶うなら、私たちの子も抱いてほしかった」
「ええ。本当に」
シルヴァンの思いに、レティシアも頷いた。
今、レティシアには新たな命が宿っている。それが判明したのは年末だったが、レティシアの体調を考慮して暖かくなるのを待って報告に訪れたのだ。
「生まれたら、会いに来ましょう」
にっこりしながらレティシアが提案すれば。
「そうだね。……また来ます。おばあ様」
シルヴァンも頷く。
二人が他愛ない会話を交わしながら墓地を後にした、その時。
墓標の側にいつの間にやら佇んでいた一組の老夫婦。若い夫婦の姿が見えなくなると、老夫婦の姿も風に薄れて消えた。
一瞬ではあったが、確かにそこにいた老夫婦がにこにこと二人を見送る姿。少し離れた場所で一部始終を見ていた墓守は、その光景を、目を潤ませて見つめていた。




