2 先手必勝
翌日、予定通りに王宮へと来ていた俺は、早速宰相の元へ突撃しましたよ。
魔道具関係の事で元から宰相閣下との打ち合わせがあったんでね。特に怪しまれるわけでもなくさくっと執務室まで来たら、待ち構えてやがった。
「遅いぞ、ルシアン」
「お約束の時間にはまだ早いと思いますが」
促されて席につき、宰相閣下が正面に座る。
すぐに人払いされ、部屋には俺と宰相の二人だけ。
「で?」
促されて座ると、いきなり宰相が聞いてきた。
「で、とは?」
「惚けるな。妹から連絡が来たぞ。明日にでも書類を持っていくと思うからよろしくと」
「ああ、妻から連絡がいってましたか」
なるほどと頷きつつ、例の書類一式をテーブルに並べた。
この宰相、実は俺の奥さんの実兄だったりする。
そもそも俺がいま当主に治まっているグランジェ家は奥さんの実家なんだよ。で、本当はこの人が家を継ぐはずだったんだけど、急遽まとまった縁談がまさかの公爵家、しかも一人娘だったもんで義兄が婿に入ったんだ。で、俺も伯爵家の次男で兄が家を継ぐことは決まっていたから、婿入り可能だったこともあって奥さんと婚約出来たって感じ。
……ん? 何をきょろきょろしてんだ?
「レティは?」
「連れてくるわけないだろ」
有り得ない問いかけに、思わず素で答えてしまった。
「なんでだー! もう二か月も会えてないんだぞ!?」
「知るか」
「シルヴァンも最近は顔を見せに来ないし!」
「あいつも忙しいんだよ」
「久々に甥っ子姪っ子自慢したかったのに!」
「やめろ、俺の子だぞ」
俺と宰相、素だと常にこんな感じだ。
歳はまあ、ちょいと離れてはいるんだが、色々と馬が合うというかお互いに遠慮なく話せる仲。うちの子たちのことも可愛がってくれていて、特にレティのことは溺愛している。自分とこが息子二人だから羨ましいらしい。
「くそー、シルヴァンも卒業後は私の補佐官にするつもりだったのに!」
「勝手に決めんな」
「いいじゃないか! あんな優秀な人材、そうはいないぞ!」
「そこは認めるが、あいつの将来はあいつに選ばせる」
後、優秀な人材に目がない。当然のことながらシルヴァンも引き取った直後くらいから目をつけられていた。出来れば自分が引き取りたいとまでぬかしやがったからな、断固拒否したけど。
「まったく、エレーナもお前も! もう少し兄を敬ったらどうなんだ」
「だったら敬いたくなるような言動しろよ」
「それは無理だな」
「即答すんな!」
あっさり拒否しやがった。
これでも普段は切れ者の宰相と言われているんだから笑えるよ、まったく。俺とか親しい連中の前では常にこんな感じなんだぞ。これで敬えとか言われても無理だろ。
「えーと……ああ、これでいいぞ」
こんな無駄話をしながらも手続きはサクサク進めてくれたようで、署名捺印された書類を渡してきた。まあ、仕事はできるからな、コイツ。
「原本は私が責任をもって貴族院の担当者に……ああ、いいか。下手に渡すと無くされそうだしな。うん、取り敢えず私が持っておこう」
そう言って、原本を自分の懐に入れた。
待て、なぜそこに入れる?
「で、これは両家でそれぞれ保管する分だ。ああ、今回の場合は両方をお前が保管していれば問題なかろう」
「そうする。つーか原本どうする気だ?」
「ん? そんなの決まってるだろう、この後貴族院へ行って自分の手で保管庫へ入れてくる。どこの誰が買収されているかわからんだろう。可愛いあの子たちの幸せを邪魔するなどあっていい事ではない」
「あ、ああ、そういう……」
ものっすごいマジメな顔でさも当然とばかりに言われると、どう反応したらいいのやら。いや、ウチの子たちを大切に思ってくれているのは有難いんだけどね。さりげなく買収どうの言ってたけど、なんかあったのかと勘繰りたくなる。
ただまあ、その懸念は正直に言えば理解できる。レティもシルヴァンも婚約してるっつってんのに、いまだに求婚者が後を絶えないから。特にレティは王妃殿下に目をつけられているから、シルヴァン狙いの連中が自分が協力しますよと声を掛けているのも知っている。
こんなことが割と日常茶飯事だったもんで、シルヴァンの過保護っぷりに磨きがかかったってのもあるんだけどね。
「それはそうと、ルシアン」
「うん?」
「来月の夜会、レティたちも連れて行くんだろう?」
「おう」
「準備は進んでいるのか?」
「順調だぞ」
「うむ。それは何より。でな、ウチのディオンは昨年早々にデビューを済ませているじゃないか」
「知ってるよ」
何言ってんだ、コイツは。家族でお祝いにも行ったんだから、改めて言われなくても知ってるっつーの。
「なので、今回は婚約者のレオミュール嬢のエスコートをすることになっている」
「あ~……そっか。確か去年は喪が明けてなくて延期したんだったな」
「うむ。一年遅れてしまったが、まあ問題はなかろう」
通常、貴族の社交界デビューは十四歳~十六歳の間に済ませる。傾向としては、令嬢のほうが早めにデビューさせる。
これは早めに社交界へ出て、より良い相手を見つけるための人脈作りに欠かせないからだ。貴族社会だと令嬢の適齢期が十八歳前後なので、婚約者が決まっていない令嬢は少しでも早くデビューする傾向が強い。
「しかしな、ディオンがルシールの隣に並ぶのに今の自分じゃ力不足なんじゃないか! となぜかここ数日になって騒ぎ始めているのだ」
「…………なんで今更?」
疑問しかない。本当に、なんで今更?
ルシール・レオミュール嬢は伯爵家の長女。なのでディオンも俺と同じで何れはレオミュール家に婿入りすることになっている。その繋がりでレティとも仲良くなってくれて、いまでは良い友人関係だ。で、このお嬢さんがまた頭の回転が速い子で、それはもう、シルヴァンが感心するほどなんだけど、そこはディオンも負けていないはず。
「いやな、ルシールってものすごく頭いいだろう。入学試験、トップだったんだよ。で、勉強だけは勝ててるつもりだった息子が自信をなくしてしまってなぁ」
あ、なるほど。負けちゃったのか。
だとしても。
「めんどくせーな、おい」
「そんなこと言うなよー」
なんだかんだ言いつつも、コイツもかなりの親バカなので心配らしい。つーかあの子、ウチにくるとレティと一緒になってシルヴァンに勉強教えてもらってたからなぁ。ディオン抜くのもわかる気がするわ。
ただまあ、昔の勉強しかできないディオンならあれだが、今のディオンは文武両道だ。俺の基準でそこそこ強いと言えるレベルになってるから、そっちで頑張ればいいんじゃねーのと思うんだけど。
「ほっとけばいいだろ。親が口出すことじゃないんだから」
「そうなんだけどー、心配なんだよー」
「語尾を伸ばすなシナを作るな普通に話せ」
「いいじゃないかー、他に誰もいないんだし。宰相モードは疲れるんだよー」
「お前、ホントいい加減にしろよ」
十も年上なのに、なんなんだよコイツは。こんなのが切れ者と評判の宰相とか、誰が信じるんだ。別に嫌いじゃないんだが、仕事している時と気を抜いている時との差が激しすぎて相手すんの疲れるんだよ。
本当は魔道具関係の話をしに来たんだけど、なんかもうめんどくさくなってさっさと帰ろうかと思い始めた時。
ノックの音に一瞬で宰相の仮面をつけた義兄が返答すると。
「邪魔するぞ!」
「殿下……どうしてこちらに?」
呆れ顔で義兄が尋ねる。
入ってきたのは、王太子リオネル殿下。ソファーから立ち上がろうとした俺に手でそのままでいいと合図を送り、ついてきた従者に扉前で待機するように言いつけて俺の隣に座った。
いや、あの。なぜに俺の隣?
「ルシアン、すまない!」
いきなり頭を下げられ、俺も宰相も???状態。
え、なに?
「あ、あの、殿下。どうなさったのですか」
「殿下、人目がないとはいえ、軽々しく臣下に頭を下げるなど」
俺の戸惑いと宰相のたしなめる声に殿下は顔を上げた。
「入学式の件だ。母上がマリウスを巻き込んで色々と指示を出してる」
それだけで、殿下がなぜここに来たのかは理解できた。
「詳しくお伺いしても?」
「もちろんだ」
そうして殿下から語られた内容に、俺と義兄は頭痛が止まらなかった。
簡潔に言えば、王妃さまから来るレティに会わせろという要請を俺が一切合切拒否しているので、強硬手段に出たらしい。入学式で、陛下から送られる祝いの言葉の名代という名目で入学式に行くことを王妃さまが勝手に決めて通達しようとしていたらしく、その時に偶然を装ってレティの前に現れ、そのまま王宮へ招くと。
待てや、おいっ。
「誘拐する気ですか?」
「……本当にバカどもが申し訳ない、そう捉えられても否定できない」
思わずそう言ってしまったんだが、殿下は否定しなかった。だからこそ、俺が来ていると聞いて慌てて駆け付けてくれたんだろうけど。つーか、シルヴァンにも昨日忠告してくれてたんだったよな、この方。
王太子殿下とシルヴァンは同じ学年で、今は良い友人関係を築いている。我が家にもお忍びで来ることがあり、レティを妹が出来たみたいだと可愛がってくれていることもあって、奥さんも殿下には好意的だ。……腕白小僧だったんだけどな。立派に育ったもんだよ、本当に。
「殿下が謝罪されるような事ではございません。事前にお知らせくださっただけでも感謝いたします」
「本当に、バカな身内が申し訳ない」
若干、いたたまれない様子の殿下には申し訳ないが、王妃さまには軽く殺意を覚える。ホントいい加減にしてもらいたいわ、そろそろマジでブチ切れそう。
「ルシアン。気持ちはわかるが抑えろ」
義兄の呆れ声に我に返ると。
手にしていたカップにヒビが……ああ、いかんいかん。
「母上が何を考えているのかはわからないが、そんな犯罪を起こさせるわけにはいかない。父上に話をして、入学式には名代を立てずに父上が自ら出席してくださることになった。ついでと言っては何だが、大臣が二名ほど同行する」
「おや。それは私も初耳ですが」
宰相がそう突っ込むと、殿下は頷いた。
「すまない、とにかく母上が暴走する前に先手を打っておきたかったので先に父上と決めてしまった。ここへ来る前に、母上には名代は不要、今年はかなり有望な新入生が数人いることもあるので、父上が確認がてら自分で行くと言っていたことを告げてきた。大臣も同行するとなれば母上も疑う事はしないだろう」
うん、要するに青田買い候補を見繕いに行くってことだもんな。人手不足が常な大臣クラスの側近候補を探しているんだってアピールか。それじゃ王妃さまも口挟めんわな。あの人、相変わらず政務には一切かかわってないらしいし。
「随分と手回しの良い事で」
「グランジェ家を敵に回すなど、そんな恐ろしいことできるか。それに、レティシアは私にとっても妹のような存在だ。だいたい、あの子がシルヴァンしか見ていない事は誰の目にも明らかだろう。なぜ婚約者のいる相手を望むんだ、あの人は」
溜め息交じりにそうこぼす殿下に、他意はなさそうだ。殿下は将来的にはシルヴァンを自分の側近として側に置きたいらしい。それもあるからこちらに全面的に協力してくれているのだろう。
シルヴァンがそれを選ぶかはわからないし口出しするつもりはない。そこは自分で考えて結論を出せばいいだけだ。
とはいえこの状況、王太子であるリオネル殿下が協力してくださるのはとてもありがたい。
「ああ、そうだ。では、殿下、一つ頼まれてくれませんかな」
「なんだ?」
「実は今、ルシアンからこの件で相談を受けまして、手続きを完了させたところなのです」
そう言って宰相が先ほどの婚姻証明書を懐から取り出す。
殿下はそれを見て驚きはしたものの、どこかほっとした顔をしていた。
「私も見届け人として署名しておこう。あとで写しを父上に届けてくれ」
「御意」
そう言うと、さらさらっと自分も署名して宰相に返した。
これ、殿下が署名したというのはかなりデカイ。これにより、この婚姻は王家が認めたものとなるので、国内貴族では不服を申し立てることはできなくなるのだ。それに、この国での順位は王の次が王太子。つまり、王妃さまやマリウス殿下であっても、もはや覆すことは難しいという事になる。
「シルヴァンに先を越されたかぁ」
王太子殿下が苦笑交じりに呟いてる。
殿下の婚約者は殿下の一つ下で、同じく学園に通っている。再来年の卒業を待って式をすることはすでに決まっていて、義兄の話だとすでに準備は始まっているそうだ。まあ、王族の結婚式だから準備に時間も手間もかかるのは当たり前だとは思うんだけど、それでもまだ二年あるんだけどな。本当に王族ってのは大変だなと思う。
「式はレティの卒業を待ってか?」
「今の所はその予定です」
「そうか。取り敢えず、先に祝いの品は送らせてほしい。個人的なものだが、オレリアも気にかけているしな」
「もったいないお言葉です」
一応、頭を下げておきますよ。
オレリア・エマール嬢は殿下の婚約者。つまり、未来の王妃さまだ。ウチの奥さんの友人の娘さんで、ちっちゃいころから知っている。正直、殿下の婚約者に内定したって聞いた時は奥さんと二人で大丈夫かと心配したんだが……なんつっても腕白小僧だったんで。王子二人は。
それがまあ、正式に婚約が成立した以降は特に、殿下がオレリア嬢にべた惚れ状態。何があったのかは知らんが、ウチに遊びに来るとシルヴァン相手に婚約者自慢しまくってたから相当だよな。シルヴァンもレティ溺愛してるし、そんなところも気が合ったのかもしれない。二人とも婚約者自慢始めると止まんないんだよ、ホントに。ある意味、似た者同士だ。
「ああ、長居してしまったな。すまなかった、邪魔をして」
そう言って立ち上がった殿下を見送るべく、俺と義兄も立ち上がる。
「私も極力気にかけるようにはするが、万が一何かあればすぐに教えてほしい。こちらで対処できることはするつもりだ」
「ありがとうございます」
おお、殿下が完全にこっちの味方だ。これは有難い。
やっぱりねぇ、王族相手だと出来ないことのほうが多いからさ。基本的には全方向で付け入られる隙を作らないようにするぐらいしかできんのよ。まあ、かつての同僚たちが協力してくれてるから、ある程度の情報は入ってくるんだけどね。あと、宰相である義兄の存在がでかい。
殿下が退出し、ようやく始められた本題はサクッと終わったよ。
実は俺には魔道具を共同開発している仲間がいるんだけど、少し前にその試作品が完成したんで宰相にしばらく使ってもらってたんだ。使い勝手を確認してもらうためにね。
結果は上々。
返したくないとかふざけたこと抜かしたんで、取り敢えずまだ試作品だから返せと無理やり取り上げてきた。ぎゃーぎゃーあんまりうるさかったから、完成したら一つやると言ったら黙ったよ。現金だな。
とにかく、二人の婚姻は無事に成立し、これで不安材料は一つ減った。
まだ油断するつもりはないけど、それでもこれが一つの抑止力となってくれることを願う。
さあ、次は入学式だ。