1 いよいよゲームがスタートします
早いもので、あの決意から十数年。
来週、愛娘が王立学園に入学します。
「怒涛の十年だったなぁ」
いや、正確には十二年か。なんかもう、今この段階ですでにやり切った感が。
今からスタートというかこれからが正念場なんだけどね? なんつーの、こう……準備を頑張りすぎて、本番当日に思いっきり寝過ごす的な。
まあ、とにかくやれることはやって来た。
一番の懸念事項だった娘の性格だけど、それはもう優しくて素直で可愛い子に成長しましたとも! 俺も心を鬼にして時に厳しく言って聞かせたりと、本当に頑張ったんだよ。一番の功労者は奥さんだけどね。レティシアを本当に素敵なレディに育て上げてくれた。
所作は完璧だしダンスも上手、昨年のシーズンに社交界デビューさせたんだけど、大人気です、ウチの娘。
レティは売約済みなので騒がれたところで関係ないけどな。
そうそう、シルヴァンとは相変わらず仲良しだ。小さいころは純粋にお兄ちゃん大好きって感じだったんだけど、数年前から変化がみられてきた。今では完全に異性として意識している。
父親としては少々複雑な部分もあるが、シルヴァンは今や俺の自慢の息子でもあり、レティの婚約者だ。仲良くなるのは問題ない。シルヴァンも相変わらずレティへの溺愛ぶりがハンパないしな。たまに見ているこっちが恥ずかしくなるくらいの溺愛ぶりだよ。
だけどね、仲が良いのは構わないんだが、頼むから親の前でイチャイチャするのはやめて。地味にダメージ食らうからね。
まあ、レティが嬉しそうだからいいっちゃいいんだけどさ。一応、その辺りはわきまえて行動しているしね。
あと俺のほうは数年前に近衛騎士を辞めた。騎士のままだと、何か起こった時にすぐに駆け付けることが出来ない。近衛は特に王族の警護が主な仕事だ、たとえ家族に不幸が起ころうとそちらを優先するわけにはいかないからだ。
なので、思い切って辞めて、いまは前世の知識を生かして、色々な魔道具を開発してる。一応使い手がレアとされている付与魔法を使えたので、思い切って転職したんだ。これには大学時代の知識が意外と役に立ってる。
「失礼します」
来週の事を考えつつ仕事をこなしていると、ノックが響いた。
入室を許可すれば、銀髪にサファイアブルーの瞳をした青年が入ってくる。綺麗な顔に綺麗な笑みを張り付けてるが、なぜか機嫌が悪いらしい。
そう。これ、シルヴァンです。予想通りに超ハイスペックなイケメンに成長したよ。
いやもう、本当に予想通りと言うか、この人目を惹く容姿に加えて多方面であまりにも優秀なもんで社交界にデビューさせたその日から引く手数多の大騒ぎだった。レティと婚約させてなかったら、我が家には釣書の山が届いていただろうな。……今でもわりと届くけどさ。もちろん、すべて受け取り拒否している。
そういやデビュー直後に元の両親が返せって言ってきたりもしたけど、当然ながら追い返した。母親面したバカ女に、会いたかった、また一緒に暮らしましょうと言われたシルヴァン、鮮やかなほどに鼻で笑ってたよ。
しかし、なんで今になってと思って調べてみたら、どうも優秀なご長男さまが色々やらかしたらしくて、廃嫡にせざるを得なくなったんだと。あそこ、子供二人だし長男もいまだに結婚してなかったらしくで跡継ぎもないってんで焦ったんだろうけど、知らねーよそんなこと言われても。
シルヴァンは俺たちの大事な息子。レティが学園を卒業したらすぐに結婚して、本格的に俺の後を継がせる準備に入るんだし、その手続きも済んでる。
とまあ、それはともかく。
自慢の息子君はなんでそんなに機嫌が悪いのかな。
「どうした?」
「入学式の事で報告と相談が」
「わかった」
俺が頷くと、シルヴァンはソファーへと腰かけた。俺は執務机から離れるとその正面に座る。
するとシルヴァン、数枚の書類をテーブルに置いた。
「当日のスケジュールと、今後の予定です」
受け取り、内容を確認。
学園内でのことは、シルヴァンに任せることになってる。コイツも色々と優秀すぎるので、卒業後は二年という期限付きで臨時講師として学園に残ることが少し前に決定したからだ。今回もその一環で、入学式の準備に駆り出されていたりもするんだけどね。
いやぁ、これにはマジで助かったよ。
だってシルヴァン、来年で卒業だから。そうなると学園でレティを見れる人間がいなくなるわけだ。
今でこそ素直で優しい子に育ったから、悪役令嬢になる心配はしていない。だけど、恐らく入学してくるだろうヒロインと接触するようになったら、何が起こるかわらないじゃないか。さすがに俺が学園にまで付いてくわけにもいかないし。
「……うん?」
そんなことを考えつつ明日のスケジュールを見ていて、とある個所に目が留まった。
それは、来賓予定者の一覧。
「は? なんで陛下が出席されるんだ?」
そう。そこには我が国の国王陛下のお名前が書かれてあった。
王子の入学に合わせて来るとかならまだわからないでもないが、王子二人はいま二年と三年。どう考えてもオカシイ。
ちらりと息子に視線を送ると。
あ。シルヴァンの笑みが深くなったぞ。これ、すでに何か掴んでるな。
ただ、まあ……正直に言えば、予想はついている。
「……そんなにレティが気になるのか」
うんざりしつつ呟けば、シルヴァンが怒りの笑みで頷いた。正解だったようだ。
「しつこいな」
思わず愚痴がこぼれる。
幼い時から一部では美少女と評判だったレティシア。王家からというか、王妃さまからは度々お声はかかってたよ。歳の近い王子たちがいるから、会わせてみないかってね。
当然のことながら、何かと理由をつけてお断り。だって、その時にはすでにレティにはシルヴァンという婚約者がいたし。いくら子供とはいえ、婚約者以外の男性とあまり親しくするのは外聞悪いでしょっていう建前上の理由を伝えれば、たとえ王族と言えど強くは言えないのわかってたから断るのはそう大変ではなかった。ただまあ、それでもかなりしつこかったけどね。
これがね、我が家がもっと格上とか政治に深くかかわっている家とかだったら、政略的な意味合いで強引に話を勧められる可能性はあった。だけどまあ、ウチはそこまでな家じゃないし。
「父上に言ったところで無理だから強硬手段に出たようですが、そのきっかけがどうも王妃殿下が何やら第二王子殿下に頼みごとをした事によるもののようでして」
「頼み事?」
「はい。入学式の日に合わせて何かの準備をしているようです。第二王子殿下もこれに手を貸していると。あの方達はずいぶんとレティに興味があるようですから」
「あ~……」
思い当たる事のある俺は、思わず声が漏れてしまった。
以前から、公式の場などにレティを連れて行くと、マリウス王子はレティを見つめていることが多かった。まあ、俺も奥さんも警戒してたから接触させることはしなかったが……気が付くと側に来ようとしていたことは一度や二度ではない。
「マリウス王子はなぁ……」
そして、それに気づいた王妃殿下からのお誘いは確実に増えたんだから、間違いなくマリウス王子が原因だろう。でも、今のところはマリウス王子が直接誘ってくることはないんだよなぁ……どう見ても王妃殿下の字でマリウス殿下の署名がある手紙は届いたことあるけどさ。
今回の件も恐らくは王妃殿下の暴走だろうが、なんであの人、あそこまでウチの娘に執着してんだろうな。本気でわけわからんわ。
「どうも王妃殿下が少し前から計画を立てていたようです。多少は手を打ったが、注意するようにと帰りがけにリオネルから忠告を受けましたので、ご報告に上がりました」
「ああ、そういう事か」
なんとなく、事情が呑み込めた。
陛下は二人の王子どちらにも公平だが、王妃さまは第二王子を溺愛している。これに関しては、王子を甘やかすばかりで叱る事をしない王妃さまに関わらせると、将来的に国の存亡にかかわりかねないと判断した陛下が、王太子であるリオネル殿下には必要以上に口出しをできないようにしていたためだ。第二王子に対する制限もあったのだが、王太子ほどではなかった為に特に第二王子には甘い。というか、王妃殿下が常に自分の側に置こうとしてる。
今回の件も、恐らく王妃さまの暴走を阻止すべく陛下が動いてくださったという事なのだろう。……さっきは思いっきり疑ってました。ゴメンナンサイ、陛下。
「まあ、あっちが何か言ってきても強引なことはできないだろうが……いや、警戒はしておいた方がいいな」
来月行われる王家主催の夜会の件でも頭が痛いのに、勘弁してほしいわ。
とにかく目先の問題として、入学式だな。
「父上」
「ん~?」
どうしようか考えていたら、息子が声を掛けてきた。
「学園には、一定の条件さえ満たしていれば誰であれ通う事は可能です」
「? ああ、そうだな」
なんだろーかと思いながらも、続きを促す。
「貴族が多く通う学園です。家の事情等ですでに婚姻関係を結んでいる生徒もいます」
ぴん、ときた。
確かにそれは有効な手段ではあるだろう。だからと言って、何も無しに承諾はできない。
俺は頷くと、シルヴァンを見据えた。
「条件がある」
「なんなりと」
「取り敢えず、書類上で手続きを進めることは許可する」
「ありがとうございます」
「だが、レティシアを留年させることなく規定通り卒業させることが条件だ。退学や休学になるような事態は認めない」
「心得ています」
迷うもなく頷いたシルヴァン。レティが学園生活を楽しみにしていたことを知っているから、それを邪魔するようなことはしないだろうと、俺もわかってはいる。だけど、一応はけじめとして言っておかないとね。まあ、色々と思う事はあるけれど、絶対に手を出すなとは言わないさ。
「ならば、私からは特に言う事はない。レティにはお前から説明して理解を得なさい」
「すでに承諾してくれています。というよりですね」
そう言ってシルヴァンは苦笑した。
「これ、レティから提案されました」
「は?」
レティから?
なんであの子がそんな事を思いついたんだと疑問に感じていたら、その答えはシルヴァンが教えてくれたよ。
「母上からの知恵、と言っていましたよ。なんでも母上の従姉妹は学園に通っている時に婚姻を成立させたそうですね。婚約者が他国から留学中だった王女殿下に見初められて、一応念のために、と」
「あ~……」
そう言えば、そんなこともあったな。
俺と奥さんは学園時代に知り合って俺が一目惚れし、付きまとってたら奇跡的に意気投合、その後しばらくして婚約した。その時、一つ上の学年に奥さんと仲の良かった友人が通っていて、俺たちと同じような流れで婚約者がいたんだけど、一時的な留学で訪れていたどこぞの国の王女がその婚約者に一目惚れしたんだよね。で、この婚約者が友好国からの留学生だったんだが公爵家の嫡男という、身分的な意味で王女と釣り合ってしまうのがマズかった。
この王女さま、色々と注目の的だったんだよ。悪い意味で。
最初は普通にアプローチしてたんだが、婚約者は全く相手にせず。失礼のない程度にうまくあしらってたんだけど、それがかえって王女を引き付けてしまったらしい。
そのうち王女が強引に婚約者を奪おうと画策し始めて、偶然にも俺と奥さんがそれを知ったんだ。で、このままじゃマズイってんで二人を煽って取り敢えず籍だけでも入れてしまえばと提案してみた。婚約は割と簡単に解消できるけど、離婚となるとそうはいかないからさ。
王女の言動に二人とも辟易していたのと俺たちからの助言もあって、二人は両親に相談して翌月には書類上では夫婦となった。
もちろん、公にはしてなかったよ。する必要もなかったし、先に籍を入れただけで二人も生活を変えてた訳じゃなかったしね。
そのすぐ後くらいだったかな。その王女の国から正式に婚約の打診があったのは。
これ、正直に言えば婚約状態ならかなりヤバかった。
だって向こうの国王の直筆で打診来てたんだもん。婚約状態だったら政略的な意味合いでも、王女との話が優先された可能性は高い。
ただ、その時点ですでに二人の婚姻は成立していたから、それを向こうに報告してその話は消えた。さすがに婚姻済みじゃ、あちらとしても強引に話を進めるわけにはいかなかったんだろう。王女は納得できなかったようで、帰る直前まで喚いていたけどな。
…………。
今更だけど、俺の時も色々あったな。そう言えば。
「まあ、レティも納得しているなら問題はない。私も余計な事に頭を悩ませずに済む」
取り敢えず、現状で出来る対策はしておくに越したことはない。いつどこで、どんなフラグが立つかわからんのだし。
「そうですね。そう言えば、まだ団長殿から復帰の要請は来ているんですか?」
「ああもう、しつこいくらい来てる」
団長の事は尊敬しているし嫌いではないんだが、いかんせんあの人の補佐官やると忙しすぎるんだよ! 書類系は全部ぶん投げて来るから!
げんなりしながら答えると、シルヴァンが苦笑した。
「父上は騎士としても秘書としても有能すぎるんですよ。父上の代わりが務まる者などそう居ないでしょう」
「おや。自慢の息子にそう言ってもらえるのは嬉しいね」
「父上は私の最大の目標ですから」
にこっと笑って、嬉しいことを言ってくれる。
ホント、いい子に育ったよ。シルヴァンもレティも。
「そうだ、父上」
「うん?」
「学園長から例の話、検討してもらえないかと伝言を預かっています」
「そっちもか」
メンドクサイ。
顔に出たらしく、シルヴァンが苦笑している。
学園長からの話というのは、それは俺が騎士団を辞してから始めた仕事に関係している。要するに、魔道具の開発に関する事だ。
当然だが、俺の知識はこの世界の事だけではなく、前世の知識も持ち合わせている。この世界では思いつかないような道具を前世の知識を取り入れることで次々と開発している俺は、魔道具開発の研究者としてかなり注目を受けているのだ。
いざという時の為に手に職をつけておこうと考えて始めた事でもあったんだけど、気づけばかなりの資産家になっていた。ついでに王家に余計な目を付けられたくないから、売れ行きの良い魔道具の権利をいくつか上納してある。袖の下というわけではないが、まだまだ当面は継続的に収入が見込める魔道具だ。喜ばないはずがない。
この件があるから、王家は俺にあまり強く出れないというのもあったりする。狙ってやったわけじゃないんだが、いい方に転んでくれたな。
で、学園長から俺へ来ている話というのは、この魔道具に関する知識の伝授、学園で魔工学を教えている教師相手に講義をしてくれないかというものだ。
まあ、月に一回程度だから受けてもいいっちゃいいんだが。
「別に専門家になったつもりはないんだが」
思わず零すと、シルヴァンが再び苦笑する。
「父上の視点は独特ですから。魔工学に携わる教職員が興味を抱くのはある意味当然だと思いますよ」
「わかった。考えておくと伝えてくれ」
「承知しました」
「それと、書類はいつまでに準備できる?」
コイツの事だから、もう準備してそうだなと思いながらも一応確認すると。
すっと、机に並べた。
予想通りの展開に、思わず苦笑だよ。
「準備済みか」
「母上が揃えてくれました」
ああ、奥さんも噛んでたのね。どうりで。
ざっと確認したけど、すべてそろってる。奥さんが手を貸しているなら当然か。
「明日、王宮に行く用事がある。その時に手続きしてこよう」
「お願いします」
「ああ、そうだ。ついでに来月の王家主催の夜会だが」
「何か問題でも?」
「いや。ただ、会場が王宮だろう。ついでにこの件を公表するつもりだから、しっかりと衣装合わせをしておきなさい」
そう告げれば、シルヴァンがにやりとした。
たまにコイツ、悪い顔で微笑む。それがまた様になってんだよな。
「母上が揃いで誂えてくれています。ただ……そうですね。もう一息、準備をしておきます」
「そうしなさい」
当日は陛下への挨拶は必須。まあ、夜会の時にはすでに二人の婚姻は成立しているので、今更どうすることもできないだろうが、何か仕掛けてこないとも限らない。それに、多くの連中から俺が【金の生る木】と認識されている以上、俺の後継ぎであるシルヴァンも実の娘であるレティシアも狙われる。強引な手を使ってくる相手がいないとも限らない。
「シルヴァン」
「はい」
「当日はレティから離れるなよ」
「わかっています」
夜会当日は時期的にヒロインとは接触済みのはずだし、もしかしたらあちらのデビューも被るかもしれない。あちらが絡んでこなけりゃこっちから接触する気はないので問題ないが、一応警戒はしておいた方が無難だろう。
俺としては別に、ウチの子たちに絡んでさえ来なければどうだっていいんだ。すでにゲーム開始時の基本設定とはかけ離れているレティの存在が、今後の展開にどんな影響を与えるのか。心配なのはそこだけ。
本当に。
平穏に時が過ぎるのを祈るのみだ。