6 飛行少年 なつく
天野の言葉に納得してから、和美は大人しく勉強するようになった。
だからと言って急に勉強ができるようになったわけではない。
わかんないは連発していたが、文句たらたらではなく、本当にわからないから聞いているようだった。
教室でも、和美は天野と一緒だった。
別にめっちゃ仲良く話してるということはない。
ただ近くにいて、別々なことをしていて、時折和美が話しかけて、天野が答えたり、その逆だったり、男子の距離感、っていうのか、実に自然に一緒にいるのだ。
放課後も、自習室では相変わらずよくわかってない和美に、天野が柔らかくていい声で丁寧に説明している。和美はそれを聞きながら、一生懸命問題を解いている。
あんなに勉強嫌がってたのが嘘みたいだ。
「一旦休憩しよう」
天野の声に、和美は大きく伸びをしてから、
「トイレ」
と徐に立ち上がって自習室を出て行った。
「飲み物買ってくるね、大沢さん、何飲みたい?」
「あ、レモンティー」
「渋谷くんは――」
「和美はウーロン茶。甘いのあんまり好きじゃないから」
「花音、俺が行く」
立ち上がった天野を高森さんが止める。
「ダメ、この間奢ってくれたの、空良だから。今度は私」
そう言うと、笑って自習室を出ていった。
いい子だ、高森さん。
あたしが男なら、絶対嫁にもらう。
カタンと音がして、天野が椅子に座りなおす。机の上を片づけるその仕草がまた格好いい。
そうだ、天野は眉目秀麗、容姿端麗、プラスいい声のイケ男だ。手足も長いしバランスがいい。
天は二物を与えず、なんて嘘だと思った。
天野なんて、二物どころか五物ぐらい与えられてんじゃん。
和美なんて何にもないのに。
なんだかちょっと、面白くなかった。
でも、ホントにそれは、ほんのちょっとで、ちょっともやっとするだけのことで、どうしてあたしはそんなことを思ってしまうのか、考えてまたもやっとして――いかん、堂々巡りだ。
「大沢?」
こちらを見ている天野。
「――天野は、なんで和美と一緒にいてくれんの?」
唐突なあたしの問いに、天野はちょっと宙を見て。
「別に、渋谷といるの嫌じゃないし。寧ろ、俺が渋谷と一緒でもいいのかって感じ」
「へ? 何で?」
あたしの心底不思議がってる顔を見て、天野はそれこそ心底不思議そうにあたしを見た。
「その天然なところは、渋谷と幼馴染だから?」
何を言う。和美の天然あほさ加減と一緒にするな。
顔をしかめたあたしの心中を察したのか、天野は声に出さずに笑った。
ずいぶんといい笑顔だな。
やめろ、うっかり惚れたらどうする気だ。
「大沢も渋谷も俺と花音と同中じゃん。俺の中学での評判、当然知ってるだろ」
「――まあね」
「それなのに平気で俺に話しかけてくるのが不思議だから」
確かに、今は天野は成績もよく、イケ男だし、高森さんと付き合ってるし、それ以外では噂されることはなかったが、中学では違った。
クラスではほとんど誰とも話をしなかったし、顔はよくケンカしたようなあざを作ってたし、授業もよくサボってた。五教科の成績はよかったけど、技能教科はほとんど点を取ってなかった。
他中生とケンカしてるだの、親がヤクザだの、いろんな噂が飛び交っていたが、中2の秋ぐらいにしばらく休んでから、なぜか全く授業をサボらなくなり、ケンカを思わせる傷やあざを作ることもなく、ひたすら成績を上げていった。
周りの遠巻きな反応や陰で囁かれる無責任な憶測や噂すら、全く気にせず、この高校に高森さんと一緒に合格した。そういえば、中学で天野と高森さんの接点はほとんどないはずなのに、高校では入学当初から一緒にいたな。
もしや、学校外で何か接点が?
――気になる。気になるが、それは別にあたしが知るべきではないことだし、無責任に他人の事情に首を突っ込むような教育は受けてないからな。
「今の天野しか、あたしは知らないし、噂なんて所詮本人達に関係ないところでされてるもんだから信用ならないじゃん。そっちを信じる根拠がよくわかんないよ」
テレビやニュースだって、本当らしく言ってたって、それがあとから間違いでしたって訂正することだっていっぱいあるし、訂正すらせずに間違いがうやむやになることのほうがずっと多い。
「たくさんある情報を見極めるのは、自分自身の責任だから、誰かが言ったことを鵜呑みにすることはしたくない。そういうことするやつって、大抵あとから自分じゃなく人のせいにするから。天野は、いい男だよ。だから和美がなついてるんだよ。あたしは、あたしが感じたことを信じる」
きっぱり言ったあたしを、天野はじっと見つめていた。
それから、
「――大沢も、渋谷も、変な奴だな」
と、あたしの斜め上をいく返しをしやがった。
「なんだと⁉ せっかく褒めたのに取り消すぞ!」
怒るあたしに、天野はさらに続ける。
「花音と似てる」
「なっ⁉」
高森さんも変だと言うのか。
天野よ、あんな癒し系彼女を変呼ばわりするとは、絶対にお前こそが変だ。
あたしは心の中で天野こそ変認定した。
「ただいま」
飲み物を買いに行った高森さんが帰ってくる。
机の上に飲み物を置こうと近づいてくる高森さんに、あたしは駆け寄った。
「高森さん、高森さん、天野がひどいんだ。あたしも和美も変だって!!」
もちろん、高森さんもその中に入っていることは言わない。
高森さんは、一瞬きょとんとして、あたしを見て、それから振り返って天野を見た。
それからもう一度視線をあたしに戻して。
「空良が、そう言ったの?」
「そう!」
むくれているあたしに、なぜか高森さんは嬉しそうな顔をした。
そこは喜ぶところではない。
しかし、その顔が、本当に幸せそうで、あたしが萌えるのは罪じゃない、はず。
「空良の『変』は、誉め言葉だから」
高森さんは小さくそう言って、唇に人差し指を当てた。
もちろん、天野には見えず、聞こえないように。
くう、かわいくて萌え死ねる。
しかし待て。
変が誉め言葉だと。
それはどう考えてもおかしいだろう。
高森さんも天然か、天然なのか?
「――」
絶句するしかないあたしに、トイレから戻って来た和美が、能天気に聞く。
「なになに、何の話?」
「大沢と渋谷が、変って話」
しれっという天野。
怒れ、和美。
「ああ、確かに」
なぜそこで、素直に肯定する!
「なんだとー、和美には言われたくない‼」
裏切り者め。
ジュースを飲んだ後の和美とあたしの文系の特訓はかなりスパルタだったと言っておく。
向かいでは、天野と高森さんがバカップルよろしくイチャイチャ勉強してた。(ように見えた。)
でも、許す。
高森さんがかわいいから。
しかし、和美よ。
お前は許さん。
帰ったら、地獄を見せてやる――そう心に誓ったのは、言うまでもない。