4 飛行少年 勉強する
貴重な昼休みに担任に呼ばれたあたしは職員室に向かった。
担任の机に向かうと、もう先客がいた。
「――お、大沢も来たか」
担任が気づいて手招きする。
同時にこちらに視線を向けた長身のイケメンは、同じクラスの天野空良だ。
イケメンのくせに頭もいい、天が二物も三物も与えたような天野は常にテストではあたしの左隣だ。
でも、高舘と違って悔しいそぶりを見せることもないし、女に負けたことを気にするような器の小さい男でもない。世の男がみんなこんなだったら、世の女もみんな幸せだったろうに。
「先生、なんであたしを呼んだんですか? 天野も?」
最後の問いは天野にだったが、天野は小さく頷いただけだ。
「そうだ、お前達二人を呼んだのには訳がある。大沢、お前、渋谷和美と仲いいよな」
「は? ええ、うちが近所で幼馴染ですから」
でも、天野との接点はないぞ。
「ここ最近の渋谷和美の成績だ。軒並みクラス平均を下げまくってる。いくらお前達が点を稼いでも追いつかん」
「はあ」
「渋谷もクラス編成の際の成績は決して悪くなかった。このままでは来年には再編の対象になる。だが、担任として、それはどうしても避けたい」
再編とは、次年度の進級時にどうしてもクラスに馴染めなかったり、進路を変えたりする生徒のみクラス編成することをいう。
そこでピンときた。
「まさか、あたしと天野とで和美に勉強教えろってんですか?」
「さすが、ものわかりいいな」
「先生――」
クラス平均を下げたくない担任の気持ちはよおくわかる。
でも、天野にまで頼むのはおかしくないだろうか。
「同じクラスに1番と2番がいるんだ。頼むぞ、二人とも」
「俺はいいですけど、代わりに何か融通してくれるんですよね。貴重な放課後を奪うくらいですから」
「自習室を融通してやる。奉仕活動として内申が上がるぞ」
「アルバイト申請してるんですけど」
「わかった。優先してやる」
「二人分お願いします」
「わかったわかった。じゃあ、早速今日から頼むぞ、天野、大沢」
待たれよ、何で天野と担任の間でだけ取引が成立したんだ?
あたしはただ働きかい。
「了解――」
交渉上手な天野は意気揚々と職員室を出て行った――ように見えた。
大人しい草食系男子だと思っていた天野の強かさに暫し動けなかったあたしは、
「大沢?」
担任の声に我に返り、早速交渉に入り、天野に比べるとささやかな権利をいくばくかもぎ取った。
放課後、帰ろうとする和美を引き留め、自習室まで引っ張っていくと、すでに天野は座って今日の課題をやっていた。
「天野、早いね」
「HR終わってすぐ来たからな」
「きっか、なんで自習室なんて来たんだよ」
「今日からここで勉強するからだよ」
和美はきょとんとしている。
「誰が?」
「お前が」
「なんで?」
「テストの結果が悪いから」
「はあ?」
「担任命令だから、和美に拒否権はない」
「取り敢えず、渋谷には次のテストまでにせめて最下位は抜けてもらう。理系は俺が、文系は大沢が教えて効率化をはかろう」
天野の落ち着いたいい声が文句たらたらな顔の和美にかかる。
「なんで天野までいるんだよ」
天然な和美も、さすがに天野のことは知っているらしい。
「一つは担任命令だから。もう一つは渋谷の成績上げると、俺の内申上がるから。アルバイト申請も通るし」
天野も和美の無礼な言い草に気を悪くした風もなく冷静に答える。
「ドライだな~」
「いや、身内でもない赤の他人にここまでするのに、見返りないとやらないだろ、普通」
あくまでも、天野は正論だ。
その時、控えめなノックの音がして、自習室の扉が開いた。
顔を出したのは、
「空良」
同じクラスの高森さんだ。
「花音」
天野が立ち上がる。
「ごめんね。遅くなって」
「大丈夫。今から始めるとこ」
およ、およよよ。
名前を呼び合っているということは、この二人は付き合ってるってことか?
普段もよく一緒にいるし、他人に無頓着なあたしでもさすがにここでただの知り合いとは思わんな。
「二対一って、非効率だろ。大沢が文系、俺が理系を教える。もう一人いれば効率よく教えられる」
確かに。
「大沢さん、渋谷くん、ごめんね、急に。私、数学と古典が苦手で。よろしくお願いします」
ふんわりとした雰囲気のかわいい人だな。
ついつい笑い返したくなる。
和美もなぜこの場に高森さんがいるのかを正しく読み取ったのだろう。
「効率云々いうより、天野は高森と一緒にいたいだけだろ」
あきれたようにぼやく。
しかし、天野はしれっと言い返す。
「当然じゃん。貴重な放課後、一緒にいたいの」
「そ、空良」
高森さんが恥じらっている。
くぅ~。萌える。
しかし、萌えてる場合ではない。
名残惜しかったが、あたしは気持ちを切り替えて声をかける。
「じゃあ、全員そろったことだし、貴重な時間を使ってさっさと勉強しよう。天野、先に和美に数学教えて。あたし、高森さんと古典やってるから」
「了解」
一人だけ渋い顔の和美と天野が座り、その向かい側にあたしと高森さんが座り。
こうして、あたしたちの放課後の勉強会は始まったのである。
学校を出ても、外はまだそんなに暗くなかった。
部活動が終わる20分前に出たのは正解だった。
この時間に帰る生徒はまばらというよりほとんどいなかった。
校門を出ると、
「俺ら電車だから」
天野と高森さんが右手側で一旦止まって声をかけてきた。
反対に、あたしと和美は地元だから徒歩で帰れる。
「そっか。じゃあ、また明日」
とたんに和美のいやそうな声。
「げ、明日も勉強すんの?」
高森さんが困ったように笑った。
天野は軽く息をついてから言った。
「成績上がるまでずっとだよ。正直、長期戦を覚悟しといたほうがいいよ、大沢。渋谷の理数壊滅的だから」
「あたしもそう思ったよ」
現国はいいとして、古典や地歴も壊滅的だもん。
「とにかく、次のテストまで教えられるとこは全て叩き込むから。またな」
「大沢さん、渋谷くん、今日はありがとう。またね」
「こっちこそありがとう。明日またよろしく」
軽く高森さんは手を振ってくれた。
そうして、二人は駅の方に向かっていった。
高森さんはかわいい人だな。
素直に聞いてくれるし、一生懸命だ。
天野と本当にお似合いだ。
「帰ろう、きっか」
「あ、うん」
和美が言って、あたしたちも反対方向の帰り道へと歩き出す。
とたんに和美はのびをしてから大きなあくびを連発した。
「つかれただろ、和美」
「うん。一生分勉強したって感じ」
「おおげさな」
でも、いやそうな顔してたのは最初だけで、和美は大人しく勉強してた。
天野はいつも通りちょっと低いいい声で、「わかんない。もう一回」を連発する和美を根気強く教えてくれていた。
「とりあえずさあ、最下位を抜ければいいから、がんばろう?」
あたしの言葉に、和美は、もう一度あくびをして、
「うん、わかった」
なんとも気のない返事をした。
まるで勉強のことなんてどうでもいいみたいに。
きっと、本当に和美には勉強なんてどうでもいいんだろう。
和美の心を占めているのは、現実的なことじゃない。
それでも、あたしは正直嬉しかった。
昔みたいにまた一緒にいられる理由が見つかったから。
それは、吹けば飛ぶように頼りないものだったけど。