1 飛行少年 サボる
いつも和美は空を見ている。
まるで飛べない鳥のように。
いつも和美は夢を見ている。
まるで小さな子供のように。
そしてあたしは和美を見ている。
いつもあたしは和美を見ている――
とある六月の晴れた午後、多少イライラしながらもあたし、大沢雪香は学校の裏の林の中を探し続けた。
いつもこの辺りにいるはずなのに、今日に限って見当らない。
二つ分の荷物の重さがやけに今日は気になる。
なんでだろう。
一つは『昔のお医者さんのカバン』と、異名をとるほどぶあついショルダーストラップつきのリュックバッグ。
もう一つはこれまた対照的に超うすっぺらいリュックバッグ。
「ああ、くそぉ、重い、捨てていきたい!」
もちろん、お医者さんのカバンの方が自分のモンだから、ぺラぺラのリュックの重さには何の罪もない。
しかし、いらついてる時、何かに八つ当りしたくなるのは世の常人の常、この世の真理なのである。
だいたい、あたしがこんな苦労してるのに、あれは一体何やってるんだ。
「あ――」
いた。
目標物(?)を見つけると、カバンをその場に捨て置いて、あたしはずんずんそれに向かっていった。
死体のようにごろんと仰向けになって、口なんかもあけて、幸せそうに眠ってる。
苛々は、たやすく最高潮に達し、ゲージを振り切った。
あたしはその傍らにしゃがみこんだ。
「ばか和美っ! 起きろ!」
ごいん、と鈍い音がした。
もちろん眠ってる幼なじみの同級生、渋谷和美の頭をぶちのめした音である。
「……痛い……」
しかし、殴られた本人は起き上がる気配がとんと無い。
「……痛いけどあと5分……お願い、愛してるから……」
言って、和美は目を閉じたまま寝返る。
「――新婚メロドラみたいなふざけた戯言いってっと、も一度ぶちのめすぞ。起きろってば、和美!」
背を向けてる和美を引き戻して、横っつらをひっぱたく。
ぱぱぱんぱん、と漫画みたいないい音が響く。
「ち、ちょっと待った。待て待て待て待てってば――きっか!」
仰向けのままこれ以上ぶたれないよう両の頬を押さえて、和美はやっと目を覚ました。
それから片手をついて、体を起こす。
「――あのさあきっか、も少しやさしい起こし方って、できない?」
恨めしそうな和美の顔。
しかし、そんな顔ぐらいで動じるあたしではないのだ。
「授業さぼって居眠りこいてるような奴に、そんなこと言う資格はない」
「つ、冷たい――」
「なーにが冷たいだ。だいたいなぁ、お前ってば今年に入ってもう3回目だろ、午後の授業サボるの?
いいかげんにしないと、留年するぞ」
和美はぶつぶつと呟く。
「――別に、サボろうと思ってサボったわけじゃ……」
語尾がきえちゃうのは、図星をさされてるからだ。
小さいときからの癖。
そして、上目遣いにあたしの顔色をうかがう。
子供の時から、和美はちっとも変わらない。
ガキをいじめてるみたいだ。
あたしは溜め息をひとつ。
それ以上怒る気も失せてしまう。
「――で、今日さぼった理由は?」
和美の顔がパッと明るくなる。
「そう、それだよ。雲が、いつもと違ってすごく速く流れてくんだ」
へ?
「ほら、見ろよ」
和美の人差し指がさすままに、上を向く。
うん、確かに、いつもより雲が速く流れてる。
見上げた顔の上に、影を落としては去っていく。
けど、それがどうしたってゆーんだ?
「な、きれぇだろ」
屈託の無い、無邪気な声。
きれぇ?
雲がか?
そりゃいつだって、雲は真っ白できれぇだ。
そうして和美はぱふっと、また芝生に横になって、真っすぐ空を見つめたまま動かない。
ただ、動かない。
「――こうしてると、動いてるのは雲じゃなくて、横になってる自分のほうなんじゃないかって、錯覚する。それが、とっても気持ちいい――」
そこであたしの頭にぴん、とくるものがある。
「――もしかして、そうやって雲を見ててあんまり気持ちよくって、そのまま眠ってしまった、なんていうんじゃ……」
ここで和美があたしを見て、にっこり笑う。
「うんっ」
これだ。
このウルトラ脳天気っ!!
幸せそうな顔で断言するな!!
とどめの返答に、あたしはこれ以上ものを言う気をなくしてしまった。
これほどの、常識無しは見たことがない。
「……も、いい。帰るぞ。ほらカバン」
諦めて立ち上がり、放り出しといたカバンを取って、一つを和美に渡す。
「ありがと」
あくまで和美はにっこり笑う。
「まったく、いいかげんまっとうに生活しろよな。その頭ん中開いて覗いてみたくなるぞ。お前ときたら、常識がすっぽり欠如してるんだから」
「そうかな?」
「そうだっ! 雲なんか見てたって、腹が膨れるわけもない」
ぎっと睨み付けるあたしに、和美はささやかな抵抗を試みる。
「でも、あれ教えてくれたの、きっかだぜ」
えっ!?
「自慢たっぷりに、『ほら、地面が動いてるんだよ』って。俺、あん時すっごい感動したんだ」
「そんなこと、言ってない」
「言ったぞ。俺ちゃんと憶えてる」
「あたしは忘れた。帰るぞ」
すくっと立ち上がって、あたしはずかずか大股で歩きだした。
本人でさえ忘れてる、そんな昔のこと持ち出すな、馬鹿。
恥ずかしい。
「きっか、待てよ。おい、きっか、きっかってば」
「――」
「きっか、きっか、きっか、きっかってば」
後ろからしつこく呼ばれて、あたしはぴたっと立ち止まる。
和美は息も荒く追いついて、あたしの隣に並んだ。
「あいかわらず歩くの速いな、きっか」
あたしは和美に向きなおる。
「その呼び方はやめろって、何度も言ってるだろーがっ! あたしには大沢雪香って立派な名前がちゃんとあるんだ!」
「だって、初めて会った時から、俺『きっか』って呼んでただろ?」
ちっとも和美は悪怯れない。
「もう、6つのガキじゃないだろ! ああ、もうお前と話してるとイライラするっ」
「野菜足りないんじゃない?」
「は?」
和美が笑う。
「ほら、野菜食べないと怒りっぽくなるっていうじゃない。今日うち帰ったら、野菜いっぱい食べればいいよ」
「――」
「さ、帰ろ」
そうしてすたすた歩きだす。
脳天気な和美。
時々言葉が通じてないんじゃないかと思うくらい、会話が噛み合わなくなる。
ふわふわふわふわ。
まるで和美は宇宙人。
いつでも地面から10㎝離れて生きてるみたいだ。
どうしてだろう。
こんなに近くにいるのに、和美が全然わからなくなったのは。