第一章 二.過激な思想は他者に伝えづらい 改
過激な思想というものは、たとえば、グノーシス。キリスト教の異端とされるこの教えは、かなーり人に伝えにくいものである。
天地を創造した神の事を偽神、デミウルゴスとし、それすなわち、悪とした。
肉体を悪なる物とし、霊こそ、純然たる善とした。
どうだろうか?
過激だろう。しかし、伝えられない訳ではない。
それと同じ様に、客観的に唱えるならともかくとして、主体として唱えるのは、難しいという事である。グノーシスと同じ様に、「嫌韓流」も過激ではないか?
つまり、過激な思想は常識をもって、寸断されるものなのであるから、全部を受け入れるのは、難しい事なのである。
実際私自身も信じ切れない部分がある。
まず、前提として、韓国人の力有る日本への過去へのルサンチマンを挙げているからである。
ルサンチマンとは、ニーチェによって挙げられた「弱者が強者に対して、「憤り・怨恨・憎悪・非難」の感情を持つことをいう。」である。つまり、韓国人にとっては、弱者=ただしいであり、強者=間違っていると脳内変換されているのである。もしも、それを認めるのだとすればである。
それ自体成り立つか分からないが為に、いわゆるネトウヨ等も懐疑的なベクトルを膨ふくらませるツールと成っており、やはり、信用し切れない部分がある。
つまりは、ルサンチマンというものを信じるか?という所にも繋がり、そういうものがそもそも地上にあり得るのか?という懐疑すら覚える程である。
ともかく、韓国人がルサンチマンを持っているという事を証明するには、参考例を持ってきて、そもそも、韓国人というのは、ルサンチマン状態なんだよ。という事を説明し尽くすより他にない。
真実だから受け入れるはず。という論法は成り立たない。いわば、こう言えば、ああ言う事が出来るし、ああ言えば、こう言う事が出来るのである。
もちろん、堂々巡りであり、もしかしたら、真実かもしれない程度のものなのである。
ただし、前に述べた様に、歴史上の空白期間がある為に、精神疾患、具体的には統合失調症等の様に、被害妄想等の火病を韓国人が巻き起こすという具体的な病名診断が為されるならば、逆転するだろう。
韓国人は公私共に、それに協力すべきなのである。それを否定するか?肯定するか?しなくてはならないのである。火病が果たして、現実に与える可能性についてをである。
韓国人が過去の朝鮮人に感情移入して、怒りをぶつける事を示唆しさするのなら、やはり、「嫌韓流」は読まれるべきである。
ただし、それは証明されるべきものである。具体的に示されるべきものなのである。
完全に信頼出来る資料を集めて、いわゆる妄想癖の症状を具体的に集めて発表しなくてはならないのである。
それならば、それらの韓国人に改心を促うながさなければならないだろう。
なぜなら、それ(「嫌韓流」の内容)があるのだとすれば、韓国人自身の口からそれを自供させる必要があるからである。
過激過ぎるがゆえに、発表しにくいものなのであるという理解がなければ、それを前提に発表しなければならないのに、その理解がない為に、知られるべきなのに、知られないという矛盾に陥っているのである。
日本人、韓国人にとって、重い記憶である事を意識しなければならない!
無論、韓国人が日本人を侮蔑するやり方の事である。もし、そうなのだとすれば、やはり、火病を疑うべきだろう。
「嫌韓流」が失敗したのは、韓国人は主張する人ほとんどが病人であり、精神障碍者なのだと発表する機会を失ってしまった為である。
つまり、それを知らなかった。火病と被害妄想を繋げるものがなかったからである。
私によってそのピースが埋められ、やはり、韓国人は一方の主張によると、病人だらけなのだ。という事実を知らしめなければならないのかもしれない。