第一章 一.内容はないようであるようだった 改
「メルヘン世界に基本的に韓国人は酔っているという事を主張し、論理的な弱点を克服する為のこの書なのである。
その弱点とは、ほんわかした日常である。極めて論理的なこういう批判はほんわかしたマイホームのような雰囲気の人には受け入れがたいものである。だから、論理だてて、わざわざ説明しているのだ。」
実は、韓国はこういう国だったんだ!というのを内容にしていきたい所であるが、徹底的な批判を加える為にこの書を書いた訳ではない。こういう現実もある。けれども、「「嫌韓流」はなぜ売れない」かを検証していくのがこの書の目的なのであるから、その内容は内容として、これから語っていくのは、あくまでも「なぜ売れない」かという所であり、内容はある。けれども、その中で批判すべきものがあるという論述をする為のものである。
それはこういうくだりから始まる。
普通の日常を歩む主人公 沖鮎 要。
普通の日常からドロドロした韓国フィールドとなっていく物語である。
本文ではまず、韓国という国について知っておこう。
テーマとなっているのが、韓流。最近の韓国への関心だ。
ヨン様とかキムチとかは聞いた事があるだろう。それらに対して、いかに韓国が美化されているか?
いかに日本がけがされているか?をめぐる漫画である。
漫画では侍とか慰安婦とか色々みだれているが、要するに、韓国がどう酷いかを語る物語となっている。
その根拠となっているのが、何なのか?
分からない所であるから、論拠を示してほしい所である。
という事で調べてみたが、国家は「相互承認によって」確立されるという記事があったので、主張を掲載してみると、
「日本国が、正当なのは(いまの日本国であってよいのは)どうしてか。それは、相手国が日本を承認しているから。では、相手国が、正当なのはどうしてか。それは、相手国にとっての相手国(日本国を含む)が、相手国を承認しているから。これは、ぐるぐる回りである。要するに、互いに正しいと承認し合っているのである。
キツネにつままれたように、思うかもしれない。だが、よく考えてみると、こういうやり方以外に、国家の正しさを証明できないことがわかる。国際関係の、本質である。」
こういう前提があって、つまりは、国際的に承認しあって、国家がなり立っているという事である。
まず、その前提があって、国家の方針は二の次であるはずなのだが、今の文在寅大統領は親日を淘汰すべき、と主張しており、相互承認にひびが入りつつあるのだが、ただでさえ、その国家の方針が異常なのに、そのまま突っ走ろうとしているのだ。
まず、順序立てて説明してくれた。
「国家と国家は、承認しない→承認する→国交を結ぶ(外交代表部をおく)→基本条約を結ぶ→同盟を結ぶ、の順番で関係が深まっていく。
逆に対立が深まると、戦争になる。」
という訳だから、ムン氏は戦争を望んでいると遠まわしに理解出来る。つまり、日本との共生を望んでいない。という明らかな方針があるのだ。
こう書いてある。「平和条約を固く守ることは、調印した国々の義務である。平和条約を守らないことは、即、戦争を意味する。平和条約は、重い。平和条約は、平和の基礎であることを、よくよく理解しなければならない。」
そして、憲法より大切な条約を守る事。「条約に従う義務は、しばしば、憲法に従う義務以上のものである。このことは、学校でよく教わらないけれども、とても重要である。」
「国民が存続する以上は、条約を守る義務も、条約にもとづく国際秩序も、存続するのである。
このことがよく理解できない指導者が、ときどきいる。どんなに異常か、噛みしめて考えてほしい。」
それがムン・ジェイン氏だという事である。
国家という仕組みを勉強していない。調べてすらいない大統領という事で、やはり、韓国は異常な国だ。補佐官すら消し飛ぶような状況にある事を韓国人は理解すべきだ。補佐官が補佐官としてなりたっていないという事実を把握するべきだ。
大統領が国家を理解していないという事は、国際情勢にもついていけてないという事である。
まず、韓国の異常を語るには、過去をたぐる必要がある。
これも引用になるが、「1876年の日朝修好条規」で日本によって開国を迫られたのである。
まず、それ以前にさかのぼる必要がある。
15世紀頃の朝鮮半島では漢字ではなく、ハングルへと言語的組み替えが行われていた。「朝鮮王朝第4代王の 世宗 」がハングル文字を導入し、支配体制をより確かなものとした。実は、このハングル。漢字に出来るのであるが、韓国人の間では、いまだ支配体制が第一優先として、ハングル文字を使用している。
ハングル文字は独裁に適した言語であり、北朝鮮がいかに、独裁国家として安定しているのかがうかがい知れるのだ。
この事から、当時の大日本帝国は、日本語を学校に導入し、より高度な言語への切り替えを示唆した。しかし、この後、日本の支配を当時の朝鮮半島は逃れて、独立するに至った。その後、北と南に分かれて、北が朝鮮民主主義人民共和国と名乗り、南が大韓民国と名乗った。無論、これもハングルによるものであり、低次元の言語開発を日本と分かたれた時点で、その支配を享受する事になった。そもそも、漢字を読めなくては、昔の文献や植民地時代の日本語を読む事は出来ない。無論、植民地時代・併合時代、統治は日本語で行われており、それらが言語学者によって、翻訳されたかというと、結果されなかったのである。これでは、植民地時代の記憶がすっぽりと抜け出てしまう事になる。その空白を埋める為か。韓国はホラ話を始めた。侍が韓国発祥だとか、日本がその「大韓民国」の発展を遅らせただとか、そういうレベルのものである。
無論、風評被害が既にこの時点で出ており、韓国は異常な国家であるという事が分かるだろう。
実際、在日韓国人のように、不正な利得をえているのは、事実であり、私は作者である以前に、精神病患者なのだが、無理をしてでも、韓国について語ろうとしている。
まずは、慰安婦問題は、高級娼婦並みの稼かせぎをえていた所から、破綻している。まず、説明しておきたいのが、韓国人が精神病を患わずらっているという事である。いわゆる火病である。被害妄想は、私は統合失調症であるから、よーく知っている。私もそういうものに左右される時期があった。いわば、その脆弱性を病気に突つかれ、神だのアッラーズだのとすっとんだ内容を信じ込ませられていたのだ。何より、何者かに狙われているという被害妄想が激しかった。理性的になかったのである。そういう被害妄想を持った事はある。
しかし、韓国人はみんなと言っていい程、その被害妄想にとりつかれている。しかも、自覚なくである。精神病患者ならば、精神病院に行かなきゃ。そういう意識もないのである。
という訳で、内容はないようであるようなのである。
メルヘン世界に基本的に韓国人は酔っているという事を主張し、論理的な弱点を克服する為のこの書なのである。
その弱点とは、ほんわかした日常である。極めて論理的なこういう批判はほんわかしたマイホームのような雰囲気の人には受け入れがたいものである。だから、論理だてて、わざわざ説明しているのだ。
まず、受け入れてほしいのが、言語理解に応用が効く日本語という高級言語と、言語理解に苦しむ韓国語という低級言語の差である。
外国語を理解するのに、子供の頃から親しんでいるか?それとも、母国語を参考にその言語を理解するか?あるいは、既に知識として知っている英語を参考にするか?その中で、日本語というのは、最善の言語であり、ハングルというのは、最悪の言語である。
音のみの実際の意味をなさない言語であるから、英語等のように、統一的にAppleはりんご、Orangeは柑橘類のオレンジとされていないのだ。あくまでも、一つの音であるから、複数の意味をもって、音は一単語でも意味の混同がなされる事が大きなハングルの問題となっている。
通常、私達はハングルを漢字に当てはめて、こう読むという事をカタカナで理解している。その分別が韓国人にとっては異様なものである。科学的に千年も先の宇宙人を見ているような感覚なのである。一見、同じようで、明らかに、言語的にハングルが劣っているのかが、透け見えるのである。
日本語を当時の朝鮮半島に導入したのは、完全な善意からなのである。ハングルとかいうさび付いた支配体制を重視していく政府一強の言語ではなく、この日本語こそが、韓国人の傀儡化を取り去る、新たな言語であると期待されたのである。しかし、ハングル社会はそれにとどまる事はなかった。その末期が、反日を強める傀儡政府のハングル文字しか分からない。小市民の大統領である。この小市民というのは、明らかに支配側に立つ事自体がおかしい人間であるという意味にとれるだろう。
そういう意味である。
やはり、日本語導入は正解であったはずなのに、その過去すら改竄で塗り固めるより他にない。韓国人のあわれさをみよ。
日本語は日本語、韓国語は韓国語なのだから、それぞれの責任として、受け持っていく。
どちらがただしいかは、歴史が証明してくれるはずだ。
精神病患者である作者は病気について、よーく身をもって知っている。韓国人の火病も同じようで、被害妄想、憤激、鬱等がある為に、私の統合失調症と良く似ている。
それだから、あくまでも、理解者として、客観的に韓国人を見る事がより良いのだ。
現実は揺らぐものである。その事を理解しているからこそ、韓国人に理解を示す事が出来るのである。
それは、人間としてあまりにも不出来で、しかし、自己主張が激しく、人間の機能として、でたらめを振りまく。そういう人間性も含んでいるのである。そういう意味で、私はそれと違い、自己完結的で、真実と想った事だけを取り上げて、見せる。おおよそ、精神病患者らしくないのである。