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二人きりの三角関係

作者: 七原七原
掲載日:2021/08/20

 僕には親友がいる。名をアイラク・マナルウ・ィレヨン・リンドリウムという。長ったらしいなどと思ってはいけない。これは誇りある名前なのだ。何せ彼女は、リンドリウム竜族はィレヨン家、マナルウの子のアイラク。つまりは竜の王族の姫なのだから。


 そんな彼女と親しくなった切っ掛けは、何てことは無い偶然だった。帝国学園の入学式で、偶々話しかけただけだ。おどおどと不安げに周囲を気にする彼女が、まさか竜の姫だったなんて。後で知って僕は大変驚いた。


 だが、その時は僕も何とか友達を作ろうと必死だった。そのために口数少ない彼女をあの手この手で楽しませようと、様々な話題を振ったり、学園内を探索したりして、そうしている間に親しくなったのだ。


 傍目にもアイラクは魅力的な少女だった。血筋に刻まれた魔術属性がそうさせるのか、髪色は燃え立つほどの赤色で、太陽の光を受けてきらきらと輝いた。細長い瞳孔は竜の気高さを見せながら、大きく丸く開かれて、伝説的な赤色の宝石を思わせた。


 そんな彼女だから、僕が話しかけなくてもきっと、友達を作れていたに違いない。現に彼女は今やクラスの人気者だ。入学当時のおどおどとした様子は何処へ行ったのか、元気で、明るくて、ハキハキとして、誰とでも仲が良い。


 そして、そんな彼女だったから、僕は何時からか彼女に気後れするようになった。


 何せ、アイラクの周りを囲んでいるのは、皆が皆、人気者で、実力者だ。広大な帝国領土各地の、高貴な血筋を引いている。いくら僕が皇帝の血族に連なるとしても、流石に四十七番目の子ともなれば重要性は低く、彼らと比べるまでもない。現に、僕にはまだ許嫁さえいないのだから。


 その事を笑い話としてアイラクに語ると、彼女は何故か、喜びながら怒るという変なことをした。


「何でそんな事を言うのさ。君はボクの、その、大切なヒトだよ。うん」

「そう言われるのは嬉しいけどさあ……」

「君がどうこう言おうと、ボクがそう思っているんだからそれでいいでしょ! ……そ、それでさ、許嫁がいないって言うのはホント?」

「え? ああ、うん。笑っちゃうよね。学園でも全然モテないんだ。あはは……」

「へー……そうなんだー……。あははっ」

「笑うなよぉ」

「えへへっ。ごめん。ごめんね。えへへへへ……」


 アイラクはにやにやと笑っていた。その日一日中、彼女は謎に上機嫌だった覚えがある。


 さて、そんな不釣り合いとも言えるような関係のために、僕には、他に友達という者がいなかった。


 友達の友達はいるのだ。アイラクの周囲に集まる彼らだ。だが、彼らが友好を結びたがっているのはアイラクの方で、彼らからしてみれば、僕は所詮、先んじただけの取り巻きの一人に過ぎなかった。


 しかし、そんな評価でも一応は有名なグループの一員であるから、他で友達のグループを作っている生徒や、一人でいる生徒などには遠慮されて、余り深く付き合えないでいる。


 僕はそういう、人間関係で思い悩むごく普通の学生だった。


 だが、実は一つ、僕は周りに秘密にしていることがあった。その秘密は、図書室にある。


 その日も僕はいつものように、放課後に図書室を訪れていた。日没に、風景は橙と黒とに二分されていて、その上から照らす魔力灯の人工的な光が白かった。


 僕は、入口付近の机で勉強する生徒達と、小説棚で無造作に本を選んでいる生徒達を尻目に、歴史書の棚へと向かった。それも国家や民族の棚ではない。学園史という、誰も興味ないのに数だけは多いから、一つ分の棚を与えられている場所だ。


 予想通り、今日もそこには誰もいなかった。それどころか、歴史書の棚付近には人の出入りした痕跡さえ僅かだった。好都合だが、薄暗い場所で一人きりというのも、何だか寂しい。


 しかし、好都合。そう、好都合なのだ。僕は学園史の1152巻と1153巻の間に手を伸ばした。

 そこには分厚い学園史に挟まれて、一冊の全く異なる本があった。それをそっと手に取って、目当てのページを開く。左側には白紙で埋められていて、右側には文字で埋められていた。印刷ではない。手書きの文字だ。


 僕はそれを読む。初めて読む文章だ。当然だ。それは日記だった。それも昨日の日記だ。右に捲れば、一昨日の日記が、その隣には一昨昨日の日記があった。その一昨日の分は僕が書いたものだ。


 そう、これは交換日記だった。秘密とはこれだ。僕は顔も名前も知らぬ誰かと交換日記をしているのだ。


 文字は流れるように美しく、事細かに日常の機微を伝えていた。文章は格調高く、豊富な語彙も相まって、一見、硬く撥ね除けるように思えるが、内容を見れば、それは相手への親しみに満ちている事が分かる。


 僕は昨日の分を一通り読んで、今日の分を考え始める。入口付近の空いている机に本を広げ、慣れた手つきで文を書く。こちらもまた、親しみを込めて。


 もう9ヶ月になるだろうか。僕たちはずっとこうやって親交を交わしていた。


 入学してすぐの春の事だった。僕は、多くの生徒がそうするように、何となく図書室を訪れていた。アイラクも誘ったのだが、来なかった。と言うのも、その時点で彼女は人気の片鱗を見せており、既に他の生徒とサークルを見回る約束をしていたのだ。それも女子系のサークルだけだったから、僕が入り込む余地は無かった。


「ほ、本当にゴメンね。折角誘ってくれたのに」

「いいって、いいって! 何となくだったからさ、図書室なんか行くよりも絶対そっちの方が楽しいだろうし」

「……そんな事、ないけど」

「うん? 何か……」

「えっ!? う、ううん。何でもないよっ!」

「そうか」

「――あっ、そ、そうだ。実はね、昨日図書室にノート忘れちゃったんだ。それっぽいのがあったら持ってきてくれないかな」

「ん。任された」

「中身とか見ないでよ!」

「分かってるって」


 そうして僕は一人、図書室へ行った。当然そこは本が詰めてあるだけで、学園だけの特色と言えばこのつまらない学園史しかなかったものだから、冒険心を満たすような物は何も無かったと言える。


 しかし、何となくで並ぶ膨大な書籍の内の一冊を……そう、1152巻を手に取ったとき、床に落ちる物があった。


 それは一冊の薄い本だった。開かれたページが思わず目に入った。そこには幾らかの詩が書かれていた。美しい詩だった。多くは自然の風景や街並みを詠んだもので、情感に及ぶ詩は少ない。外装には題名もなければ装丁もなく、加えて全ての詩は手書きで書かれていたために、すぐにこれが個人のものであると分かった。


 しかし、僕は夢中でそれを読んでいた。他人の詩集を勝手に盗み見ていることに後ろめたさを感じながらも、それは純粋に綺麗で、読んでいて楽しかったのだ。


 そうして読み進める内に、僕は、その詩の全てに日付が記されていることに気が付いた。見れば、一番古くは入学式の三ヶ月前から、一番新しくはつい昨日の物である。その日の詩は珍しく、情感を描いたものだった。孤独とか、寂寥とか、そういう言葉が目に付いた。


 それを見て、僕は無性に衝動的なものを感じた。気が付けば、僕は詩の感想を書いていた。適当に切った白紙に、幾らかの感想と、最後に自分の名前とをしたためて、最新の部分へと挟んで、元の場所に戻した。思いもよらぬ出会いに、わくわくしながら帰路についた。


 その翌日のことである。僕は放課後に図書室に行った。詩集の続きは書かれていなかった。代わりに、その隣に一冊の本があった。一番最初のページに、あの格調高い文字で感謝の言葉と、驚きと、迂遠な調子で交換日記の提案とが綴られていた。


 僕は了承を返した。その翌日から、僕たちは日々のことを書き合うようになった。……。






 余談ではあるが、結局、アイラクの無くしたノートらしき物は見つからなかった。

 まさか、あの詩集がアイラクの物ではあるまい。イメージが違いすぎるし、何より彼女の物であるのなら、僕の名前に気が付いて、こちらに一言、言ってきても良いはずだ。


 しかし翌日、ノートは見つからなかったと告げた際、アイラクは、何処かいたずらっぽくにやにやと笑って、


「大丈夫。見つかったから。えへへっ」

 と言った。






 暫くは、僕は相手の性別も分からずに日記を書いていた。名前を書いたので、当然、相手は僕のことを知っているが、相手の文章は意図的に固有名詞を避けているようで、その正体を決める手掛かりすらなかった。ただ、女子生徒であるという事だけが、彼女自身から語られた唯一の情報だった。


 しかし、それでいいと思っていた。誰だか分からない相手と文を交わすというのも、中々風流なものじゃないか? 一方のみが名前を隠しているというのは不公平に見えるかも知れないが、僕はその事を了承しているし、彼女もまた、僕が了承することを了承していた。それでいいのだ。


 その様な事を日記に書けば、相手もまた同意した。『私達は、互いに互いを知らない方が良い』と。


 そんな事が幾らか続いて、僕たちはいつの間にか、込み入った話もするようになった。しかしそれは一方的な相談だった。僕が、彼女に愚痴るように語るだけなのだ。それを彼女が受け止めて、解決方法を見出してくれる。対して、彼女は僕に何かを語ると言うこともなかった。


 これは酷く情けないようにも感じられるが、僕は自然と文章を綴っていた。と言うのも、彼女の語り口は絶妙で、自然と思い悩みを打ち明けさせるように誘導してくれるのだ。まるで、以前からその悩みを知っていたかのように。


 そして僕は悩みを打ち明けた。悩みとは当然、アイラクのことだ。


 以下、日々交わした文章の意を示す。


『――アイラクさんですか? 彼女に何か問題があるというのでしょうか。一体、どのような問題が? 私は貴方とアイラクさんの関係性をよく知っていますが、それは非常に密な物と聞いております。何か不満があるなどと聞いたことがありませんが……』


『いやあ、不満と言うほどの物ではないのですがね。実に小さな事です。実の所、僕はアイラクに気後れしているのです。と言うのも、彼女は高貴な血筋で、人気者で、成績優秀で、眉目秀麗と、非の打ち所のないような人です。そのために気後れしているのです』


『何を言っているのですか。貴方も皇帝の一族の一人ではないですか。高貴な出である事は疑いようもありません。アイラクさんとも釣り合うでしょう。……婚姻も結べるのではないですか? それに、人気者や成績優秀や眉目秀麗や、そんな評価などどうでも良いことです。そんな、他人の評価など……』


『婚姻だなんて……。そんな事は出来ませんよ』


『――すみません。昨日は言葉が過ぎました。しかし、何故ですか? その、婚姻が出来ないというのは』


『だって、僕は皇帝の血筋とは言っても、その地位は非常に弱いのです。四十七番目の子であるし、何より母が側室の中でも地位の低い方だ。竜族の姫たるアイラクとは、到底釣り合っていないのです』


『――なるほど』


 それから暫く、僕の悩みが話題に上がることは無かった。まあ、つまらない話だった。そう思いながら、僕は、誰かに打ち明けたことで意識せざるを得なくなったアイラクとの関係性に、一人考え込んでいた。教室で、ふと、会話を楽しむアイラクをぼうっと眺めることが多くなった。


 しかし、その時分のアイラクは少し妙だった。どうも寝不足の時が多かったのだ。課題の量は大した物では無い。何か娯楽に嵌まっているという風でもなかった。どうにも、彼女は焦燥するような表情を浮かべていた。


 流石に心配で、僕は言った。


「どうしたんだよアイラク。最近、寝不足のようだけど」

「え、えへへ……そう見える? 実はそうなんだ」

「実は、じゃないよ。はっきり分かるぞ。……それで、原因は? 夜遊びやら、遊戯盤やら、楽しんでいるって感じでもなさそうだしな」


 そう言うと、アイラクは何処か遠くを見るような目をした。しかし、視線は僕を捉えて放さなかった。

 アイラクは、呟くように言う。


「……実はね、古い文献を漁っているんだ。リンドリウムはィレヨン家に伝わる、秘伝の書物をね」

「秘伝の? 何でそんな物を」

「……キミの為って言ったら、どんな顔するかな……」

「え?」

「……えへへっ。ちょっと、興味があっただけだよ。大丈夫! もうすぐ、全部読み終わるから」

「お、おう……。力技だな」

「えへへ……」


 僕の戸惑いの声に、アイラクはにへにへと笑っていた。


「……それにしても、アイラクって、実はかなり賢いよな。古い文献って、そういうのは古代文字とか古代竜文字とか、色々混ざってるんだろ? そういえば、詩の授業でも凄い褒められてたっけ」

「それ、失礼だよっ! その通り、ボクは賢いんだから。……キミの考えている事も、全部知っているんだからね?」

「……まさか」


 僕は軽口を叩いたつもりだったが、返されたアイラクの言葉は、何故だか真実味を帯びているような気がした。それは、彼女が言いながらあの、遠くを見るような目をしたからだろうか。


 しかし、彼女はすぐに破顔して、いつものように元気に言った。


「……冗談だよっ!」






 それからのことである。もう終わったと思っていた話題が、交換日記の間に再び持ち上がったのは。


 ある日、いつものように日記を開いて、僕は驚いた。と言うのも、そこには常日頃のような日常雑事はまるで書かれていなかった。代わりに占めていたのは、彼女による提案の言葉だった。


『貴方の悩みを解消する方法を思いつきました。ずばり、貴方の劣等感は、貴方自身が己に価値を見出していないのが原因です。それを解消するためには、貴方自身が納得するだけの価値を、自分で手に入れるしかないのです。――私は貴方をよく知っています。貴方には才能がある。戦闘の才能、つまりは、騎士の才能です。それを伸ばす手助けをします』


『……いきなりそんな事を言われても困りますよ。僕に、騎士の才能が? まさか、そんなわけがないですよ。そりゃあ学園の成績は良いですけれど、実戦で通用するかは、どうにも分かりません』


『ありますよ。断言します。私を信じて下さい。……それに、貴方自身も、今を改善したいのではないですか? いや、今だけでなく、このままでは将来も不安なはずです。小耳に挟んだことがあります。許嫁も居ない自分では、このままでは権威を笠に着て商人でもする他ないと』


『それはそうですが……』


『才能を伸ばせば、貴方は必ず騎士になれます。所か、帝国剣聖に名を連ねる事が出来るかも知れません。そうなれば、貴方の名はこれ以上ないほどの賛辞と共に語られるようになるでしょう。私もまた、貴方を格好の題材にして詩を書くことになる。どうですか? 将来を見据えて、不埒な商人か、清廉な騎士か。商人の場合、私は何も出来ませんが、騎士の場合、私は最大限に貴方を手助けすることが出来ます』


 ……その文を呼んで、僕は思わず日記から目を離し、天井を見上げた。


 分かっているのだ。このままでは碌な人生が待っていない。ふらふらと、三流四流の人生を歩むことになる。ここの多くの生徒のような、アイラクのような、高貴な人生とはまるで交わらないようになる。


 僕の頭の内に、自然とアイラクの、あの快活で朗らかな姿が浮かび上がった。そうか、このままでは、僕は彼女と友達であったことだけが取り柄の人生になるのか。それどころか、身を持ち崩して一文無しになった時に、情を頼りにみっともなく金を借りに行く羽目になるかもしれないのだ。


 それは嫌だった。そんな自分が惨めとか、醜いとか、そう言うのではなく、僕の存在自体がアイラクの人生を汚すことになるようで、嫌だった。


 僕は決心して、返事を書いた。


『決心しました。僕はあなたを信じます。僕は帝国剣聖を目指します。そのために何をする必要がありますか? 何でも言って下さい』


『――よく決心してくれました。ああ、良かったです。いえ、信じていました。貴方はそういうヒトですから。……それでは、私が知っている、特別に鍛え上げるための方法を教えます。これは、竜族の古い文献にあるのですが……』


 と、彼女は事細かに僕を鍛え上げるための方法を示した。そのどれもが聞いたことのないような方法や、聞いたことのないような土地に関わる物だった。


 例えば、彼女が紹介した修練場の一つに、学園からさほど遠くない山の奥地にある遺跡があった。それは竜族の秘匿された古代の遺跡だという。僕はそんなところに遺跡があるなんて知らなかったし、国もまた、この事実を知らない筈だった。


 何せ、そこでの鍛錬の効果は劇的だった。遺跡そのものが巨大な魔法施設となっているのか、実力はメキメキと上がる。魔力で生み出されるモンスター相手に、剣術だけでなく魔術も上達する。


 こんな便利な物を知っていたら、国が放っておく筈が無い。ならばここは秘匿された遺跡だと言うことだ。僕は、何故そんな物を知っているのかと、日記の彼女に問い質したくなったが、ぐっと堪えた。空恐ろしくはあるが、僕の役に立っていることは事実だ。それも、これ以上ないほどにだ。感謝こそすれ、疑念や悪意を持つ理由はないのである。


 その事を、僕は正直に日記に書いた。


『随分正直ですね。そう言うのは普通、内心に留めておくものではないですか?』


『いやあ、僕はすっかり世話になりっぱなしですからね。こういった機微も伝えて、あなたに感謝していることを示したいのです。最近では授業の成績もますます上がり、騎士の家系に属する生徒達からも声を掛けられることが多くなりました。この間は、彼らと一緒に鷹狩りに行ったりもしたのです。全てあなたのおかげです』


『……そうですね。随分仲の良いようで。こちらもよく知っていますよ。ええ。……しかし、そんな程度で満足して貰っては困ります。貴方が目指す帝国剣聖になるためには、まだまだ実力が足りません。この地位は年齢や家格ではなく、純粋に技量が問われます。騎士団長のような、騎士を纏め上げる為の地位ではなく、超越的な一個戦力が必要とされる地位なのです。その事をよく分かって下さい』


『勿論ですとも! 僕自身、まだまだ未熟を感じています。この間の王竜谷深淵での修練や、神竜宝物庫、裏古竜骸迷宮での戦いでも、まだまだギリギリの相手だと感じたものです。あれくらいは容易に打倒できなければ……。そうで無くては、何時だか貴方が言ったように、アイラクと結婚できませんからね』


『――結婚するんですか? 私は聞いていませんが。え? そうなんですか? 貴方はわた……アイラクさんと結婚したいんですか? 本当ですか?』


『あはは、冗談ですよ』


『………………そうですか』


 その日の文章は短かった。






 そうして日々を過ごしていったある日のことである。僕に大変喜ばしい事が起こったのは。学園に登校する際も、寝ぼけ眼所か、ウキウキしながら行ったものだ。「おはよう!」と、僕はいつもとは逆に元気よく、アイラクに話しかけた。


「あれ? どうしたの? 珍しいね。凄い元気だよ」

「あはは、そうか? そう見えるかなあ?」

「うんっ。それで、何があったのさ。教えてよー」

「いいだろう! 実は、実はな――僕に、婚約者が出来るかもしれないんだ!」


 僕は高らかに言った。とても喜ばしいことだ! アイラクもきっと祝福してくれて、茶化したり、からかったりしてくるだろうと、僕はそう思っていた。


 しかし、返ってきたのは、ぞっとするような冷たい声だった。


「――――は?」

「え? な、何だよ」


 アイラクはポカンと口を開けて、大きく目を見開いている。その視線は落ち着かないでいる。ぐるぐると、細かく震えている。


「え、な、な……え? ど、どういうことなのさ。こ、婚約者って、は、はあ? 何それ、どういう……っ、どういうことなのさあっ!」

「うわっ、ちょ、近い!」


 アイラクは僕に迫って、糾弾するようだった。瞳孔は鋭く縦長に煌めいて、口の端から火炎が漏れ出していた。


「いいから、説明してよ! ねえ、婚約者ってどういうことなの? 何で黙ってたの。嘘を吐いてたの? ボクに嘘吐いてたんだ。……こ、のっ。このおっ!」

「お、落ち着けって。嘘なんか吐いてないよ。僕も昨日聞いたんだ」

「……昨日?」

「そうだよ。ほら、もうすぐ授業始まるからさ。わけは後で話すから……」

「……絶対だよ」


 アイラクは名残惜しそうに自分の机へと戻っていった。しかし、授業中、その強烈な視線は背後からずっと感じられた。


「――ほら、最近僕にも友達が出来たじゃないか。騎士の家系の。それでその内の一人がさ、婚約者がいないのなら、妹を紹介しようかって言ってくれたんだ。その子も一緒に遊んだりしてたから、僕のことも気に入っているって。だから……」


 僕たちは昼休み、人気のない階段裏で話していた。アイラクの強烈な視線はその間もずっと衰えることなく僕を見つめていて、怖いものがあった。


「……そんな、そんな浅い付き合いで」

「え?」

「そ、そんな、出会ってすぐじゃないか! よく知らないんでしょ!? ボクの方がずっと一緒だったじゃない。ボクの方が、ずっとキミの事を知ってるし、ずっと親しいし、ずっと、ずっと……。な、なんでなのさ……」

「何でって……婚約者なんてそんなもんでしょ。それに、アイラクにはあんまり関係ないじゃない」


 そう言うと、何故かアイラクは裏切られたような顔をした。赤色の瞳には涙が浮かんでいる。かちかちと、牙が震えて音を立てていた。


「えっ、ちょっと、どうしたのさ。泣かないでくれよ……」

「……何でもない」

「でも……」

「何でもない! そうだよ。ボクは、そうだね。関係ないね。そうだよね! そうさ、そうさ……」


 ぶつぶつと、何事かを呟いている。良く聞こえない。たまにアイラクがこうなることはあったが、今回のそれは、異様に鬼気迫る物があった。


「……そうだ。そうさ。そうすればいいんだ。そうしてやれば良いんだ。うん。そんな、いきなり表れたヤツなんか。どうせ、最近になって目を付けただけに過ぎないんだ。卑劣なヤツだ。卑怯なヤツだ。そんなの……」

「アイラク?」


 僕が心配して声を掛けると、それまで俯いていた顔を上げて、アイラクはにっこりと笑った。その笑みは強ばっていた。瞳が震えていた。額に、苦しむような皺が寄せられていた。


「うん……。良かったね!」

「え、ああ、うん」

「ボクは、キミを祝福するよ。うん。良かった。良かった。……じゃあ、ちょっとやることがあるからさ、じゃあね!」


 そう言うと、アイラクは駆け出していった。


「え? いや、おうい。まだ授業はあるんだが」

「今日は早退する。忙しいから!」

「ええ……」


 その後、アイラクは本当に早退したようで、教室に姿はなかった。珍しいことだった。余りにも珍しい物だから、日記にも書いた。


『珍しいこともあるものだ。一体、どんな用事だったんでしょうね』

『――きっと、とても大事なことなのでしょう。それこそ将来に関わるような、とても重要なことです』


 その日は、彼女の文も簡潔で、短かった。


 その明後日の事である。僕はすっかり意気消沈したまま登校していた。一歩一歩が酷く重かった。しかし、対照的にアイラクは酷く元気で、教室に入るなり「おはよう! 今日も良い天気だね!」と言ってきた。


「良い天気でも、僕には土砂降りに、いや、嵐に感じられるよ……」

「……どうしたの? 元気ないね?」


 アイラクはニコニコと言う。その笑顔は眩しいほどだ。僕はいつもとは別の理由で気圧されながら言った。


「その、例の婚約者さんの事、やっぱりなかったことにして欲しいって言われたんだ。何でも竜族の方でもっと良い縁談を貰ったとかで……。そりゃあ単なる口約束、いや、口約束以前の話だったけどさ、何だかなあ……」

「へえ! そうなんだ! それは大変だったね。辛いよね」

「……アイラクは、竜族のお姫様だろ? 何か知らないか。この事」

「全然知らない!」

「そうか……」


 僕は重い足取りのまま席に着く。いつものようにアイラクが付いてくる。


「――でもさ、それって裏切りだよね」


 と、いつものように机に体重を預けながら、唐突にアイラクは言った。


「え?」

「だってさ、口約束でも、その彼女は婚約者になりたいって話を通したんでしょ? それを、もっと良い条件が来たから翻すっていうのはさ、裏切りだよね、そんなの。酷いことだよ。もっと、怒っても良いんじゃないの?」

「そんなやる気もないよ……」

「――ボクなら、裏切ったりしないよ。ボクは、キミを裏切ったりなんかしない。ボクだけは、ずっとキミの味方だよ。ねえ、キミもそう思うよね。ボクとキミは、ずっと一緒だって」

「え? ああ……」

「ね?」


 ニコニコ、ニコニコと、アイラクは笑みを浮かべている。


「……確かに、そうだな」

「! ……そうだよね! ボク達は、ずっと……」

「そうだな。僕達は永遠の、親友だ! そうだ、婚約者が何だ! 僕には立派な目標があるんだ! 僕は絶対に剣聖になるのさ!」

「…………」

「どうした?」

「…………別に」


 放課後、その日の日記は何故か異様に長かった。


『貴方はもっと周囲に目を配った方が良いのではないでしょうか。貴方が何気なく接しているものを、捉え直す必要があるのではないでしょうか。婚約が空振りに終わったことは聞きました。それは大変気の毒に思いますが、しかし、だからこそ、周囲の異性に目を向けてみることも必要ですよ。例えば、クラスメイトとか、例えば、アイラクさんとか。どうですか? 貴方は単なる友達としか思ってないかも知れませんが、彼女からしてみればどうでしょうか。もしかしたら酷い勘違いをしているのではないでしょうか。愛情を友情と見紛う事ほど非情で残酷な事はありません。今一度、関係性を捉え直してみてはいかがでしょうか』


『あはは、アイラクは僕を友達としか思っていませんよ』


『は?』


 その次の日記は、もっと長かった。






 日々は瞬く間に過ぎていった。その間にも、僕は日記の彼女に教えられた数々の遺跡を踏破していった。炎竜の塔、水竜の宮殿、風竜の墓、雷竜の城……そのどれもが一級の、いや、桁外れの難易度のダンジョンだ。それこそ剣聖が挑むようなダンジョンだ。


 僕は試行錯誤を繰り返し、何度も何度も挑戦し、遂には、教えられた全ての遺跡を踏破した。そのおかげで、もうすぐで卒業という頃には名声も高まり、将来は剣聖も確実と言われるようになっていた。


『全てあなたのおかげです。あなたが居なければ、僕はずっと、僕のことを嫌いなままでした。お礼はここに書き尽くせないほどです。いや本当、どうしてここまで良くしてくれたのか、疑問に思うほどですよ』


『私はあくまで道を示しただけですよ。その道を見事に踏破できたのは、全て貴方の才能と努力の賜物です。感謝する必要などありません』


『いや、それでもお礼は言いたい。お礼をしたいんです。どうか僕と会ってくれませんか。直接会って、言葉を伝えたい。名前を知りたい、姿を見たいんです』


『…………分かりました。そこまで言うのなら』


 その返事に、よし! と、僕は日記帳を開きながら喜び浮かれた。


 思えば、この関係も長く続いたものだ。日記帳はもう三冊目だ。丁度三年間、一年ごとに一冊の計算になる。この三冊目の日記帳も残り少なく、否応なしに卒業を、そしてこの関係の終わりを思わせた。


 だからこそ、僕は思いきって『姿を見たい』なんて書いた。書かずにはいられなかったのだ。この三年間、彼女がいなければ、今の僕はなかった。お世辞などではなく、それは真実だ。胸の内に広がる感謝の念もまた、真実そのものだ。


 ……ところで、聞くのを忘れていたことが一つあった。


 僕はポケットから光り輝く宝玉を取り出した。キラキラと、この世のものでは無いように光り輝いている。その色は燃え立つ赤である。その何処までも透き通る様は、アイラクの燃え立つ瞳を思わせた。


 これは、炎竜の塔を踏破した際、その最深部に置かれていたものだ。遺跡の中にいかにも重要そうに祀られていて、本当に持ち帰って良いのかと思ったが、日記の彼女が『役に立つ』と言ったものだから、持ち帰った。


 これと同じものが、踏破した遺跡の数だけあった。それも持ち帰っていた。その数は都合七つである。色も様々で、踏破した遺跡の魔術属性を反映している。


 その中の赤色だけを取り出して、こうして持ち歩いているのは、理由があった。僕はそれが手の中にある事を必要としていた。






 約束の日は、卒業式の日だった。内定が決まっている騎士団の特別騎士の人も参列して、僕をじっと見つめていた。その激しく審査するような視線に晒されながら、僕は立派に卒業生総代としての役目を果たし、歓声を以て送られた。


 父は来なかったが、母は来た。母は泣いていた。僕は母を抱き締めながら、友人達と一枚の写真を撮った。その中には当然アイラクの姿もあった。彼女は僕の隣にいた。しかし、常とは変わって言葉数は少なかった。何かを期待するようなはにかみを浮かべながら、ずっと頬を赤くに染めていた。


 打ち上げをしよう! という友人達の言葉に、「ちょっとだけ遅れるから」と言って、僕は放課後の学園に留まった。昼間の爆発するような声と熱気と涙の塊が、まるで嘘だったかのように静まりかえっていた。日没に、風景は橙と黒とに二分されていて、その上から照らす魔力灯の人工的な光が白かった。


 僕は図書室で人を待ちながら、日記帳の最後のページを開いていた。彼女が書いた文章には、いつも通りの日常の事と、それから少しの感慨だけがあった。そこに別れの言葉は無かった。


 何せ、これから初めて会うのである。――僕は静かに風景を聞いていた。学園で盛大に送別会を行っている生徒達の声や、少人数で静かに別れを惜しむ声、僕と同じように誰かを待っているのか、一人佇む姿もあった。そうして、足音が聞こえた。


 かつかつと、それは慣れ親しんだ音だった。耳に覚えがある足音だった。がらりと、扉を開ける音が、一人だけの図書室に響き渡った。


「――アイラク」

「……うん」


 扉を開けたのは、アイラクだった。今日一日中浮かべていた紅潮は、更に色を濃くしたようで、いつもの活発な様子もなりを潜めてやけに物静かだった。


 僕は立ち尽くしたままの彼女を、席に誘った。しかし彼女は座らなかった。側に近寄りはしたものの座ることなく、また、いつも教室でそうやっているように、机に体重を預けることもせず、両腕をぶらぶらと下げたまま立っていた。


「良く来てくれたね。アイラク。ごめんね、打ち上げに行くのを引き留めちゃってさ」

「う、ううん。別に……よかったよ」


 そう、アイラクがここに来たのは、僕が誘ったからだった。彼女にどうしても会わせたい人がいたのだ。日記の彼女のことだ。僕を、ここまで押し上げてくれた人だ。


 僕は、机の上に広げられた日記帳を、ちらちらと落ち着かなそうに見つめるアイラクに、色々なことを語った。

 僕が出会ってから暫くして、アイラクに遠慮していたこと。それを解消するために僕自身が立派になる必要があったこと。そのために剣聖を目指したこと。そして、その夢を助けてくれた日記の彼女のことを……。


 僕は彼女のことを、魅力たっぷりに語る。


「詩が、綺麗なんだ。文章が、上手でさ。それで僕は思わず感想の手紙を出したりなんかしたんだ。いやあ、今思えばあれは軽率だった。たった数年前だけど、何て言うか、若すぎたね。あはは。落とし物を勝手に盗み見て、勝手に感想を付け足すなんてさ」

「へええー……。でもさ、それは良かったんでしょ? 結局、キミと、その、日記の彼女さんはそれで交換日記をするようになったんだからさ。彼女さんもきっと嬉しかったと思うよ」

「あはは、そうかな?」

「そうだよ。それにさ、きっと、うん。その、一番嬉しかったのは、拾ったのがキミだったって事だと思うよ。きっと、運命だったんじゃない、かな? え、えへへっ」

「運命か……」


 僕は、言ったアイラクさえも恥ずかしげに俯くその言葉を、何故だか素直に受け止められた。運命、運命か。そうだ、運命だ。彼女がいなければ、僕の人生はまるっきり変わっていた。まさしく彼女は僕の運命だった。


「本当に、良くしてくれたんだ。色々と、相談にも乗って貰った。アイラクには話せないようなことも沢山だ。あはは、もしかしたら、アイラクよりも、もっと多くの言葉を交わしたのかも知れないな」

「えっ? ……あ、ああ、うん。そうかもね。……ボクよりも……いや、うん。そうかもねっ!」

「ん? ああ……何せ、彼女は落ち着きがあるからな! 知識も豊富なんだ。随分助けられた。それでいて、それをひけらかすようじゃなくてさ、落ち着いているんだ。これで僕と同級生だって言うんだから、いやあ、恐れ入るよ。彼女と過ごす日々は、楽しくてためになることばかりだった」

「……へえ。……ああ、いや、そうなんだね。……それはボクの事なんだけどね。うん。そうなんだけどね。なんでボクは嫉妬なんか……」

「ん? どうした」

「なにもっ!」


 アイラクは微笑んだ。その笑みはいつものように朗らかだった。


「そ、それでさ。なんでボクを呼んだの? 卒業式の放課後に、ふ、二人っきりの教室で……」

「ああ、実はな」

「じ、じつは……?」

「二人っきりじゃないんだ。日記の彼女も呼んでる。いやあ、二人を引き合わせたくてさ。何せ、すっかり世話になった二人だ。三人で仲良くなってみたい」

「――は? ……いや、う、うん? ……あ」


 アイラクは、ぽかんと口を開けた。まあ、突然の事だからな。驚くのも無理はない。寧ろ驚いて欲しくて黙っていたところもある。柄になく緊張しているのか、額に汗を浮かべながら、何事かを呟いている。


「……ど、ど、どうしよう。すっかり浮かれちゃってた。ど、どうするんだ、ボク。……ここで、ばらそうか? い、いや、恥ずかしいよっ。それに絶対変なヤツだと思われるよっ。折角ここまで来たのに、距離置かれちゃったらどうするのさあっ。……」

「どうした? あはは、大丈夫だって安心しろよ。怖い人じゃないさ。優しいよ」


 僕は一人焦っているアイラクを落ち着けるように、努めて優しく言った。


「そ、そうなんだね。よかったっ。……全然良くないよう。どうするのっ。どうすれば良いの。……い、いや、ボク、ここは逆転の発想だ。勇気を出すんだ。きっと受け入れてもらえる。うん。正直ボクだったらドン引きだけど、や、優しいから……。受け入れてくれるから……多分。……うん、よしっ!」

「お? 大丈夫か?」


 僕は軽口を言うように声を掛けた。しかしアイラクの目は据わっていて、興奮にか、瞳は赤色に爛々と輝いて、口の端から炎が漏れ出ていた。


「………ふぅっ。うん。大丈夫。やってやるよ。ボクは、やってやるんだ」

「お、おう。そこまでか……」


 僕は、その余りの気の立ちように若干心配になっていた。だが、日記の彼女が来ることは既に決まっていることなのだ。今更アイラクだけを連れ出すわけにもいくまい。


 僕は静かに時を待っていた。アイラクもまた、深い深い呼吸を重ねながら、一言も発さずに黙っていた。いや、先程からその瞳は大きく開かれて、何か重大な試練に挑戦するのを尻込みしているような異様な雰囲気があったが、ともかくも、僕達は無言に日記の彼女を待っていた。


 それから暫くが経った。


「遅いな……」


 ひょっとして、すっぽかされてしまったのだろうか。僕は心配になって、ポケットの中から赤色の宝玉を取りだして、手持ち無沙汰に弄んだ。その硬く結晶した宝玉の透徹なる様は、人工の灯の元でも澄み切って光り輝き、視界に目覚ましい赤色を見せていた。


「え? それ……」


 ふと、アイラクが言った。アイラクは僕の手にする宝玉を指差していた。


「な、なんで今、それを持ってるの……?」

「ん? ああ、これ? ええと……」


 僕は答えに窮した。まさか竜の姫たる彼女の前で『竜族の遺跡からかっぱらってきた!』なんて言えるはずがない。しかし、その答えを探すための沈黙の内に、彼女の顔からは見る見る血の気が失せていった。


「まさか……日記の……!」


 その呟きははっきりと聞こえた。それはアイラクに、先程の様に呟きを覆い隠して聞こえなくするような余力もないことを示した。そして僕は焦っていた。まさか、気付いたのか? 日記の彼女に言われて、この宝玉を持ち出したことを。


「い、いや、違うんだアイラク! ……ああ、いや、違わないか」

「っ! ……な、あ、あああ……ボクは何てことを……」


 アイラクは信じられないようなものを見る目を僕の掌の上に向けていた。ああ、そうだよな。親友がまさか墓泥棒だったなんて、ショックだよな。……ああ、くそ。いや、糞野郎は僕か。ああ、こんな。


「……すまない。アイラク。僕は君の友達だってのに、こんな裏切りを……」

「い、い、言わないでっ! それ以上、言わないで……」

「……すまない」


 僕の言葉に、アイラクはぽろぽろと涙を流した。カチカチと震える歯に、チカチカと閃光が舞っていた。


「なんで、何でなのさあっ。そんなに、いいの。そんなに、あ、あんなヤツがいいのかっ!」

「……うん?」

「あ、あ、あんなヤツ、どうしようもないよっ。ウソを吐いて、自分勝手にキミを操ってるだけなんだよ!? し、詩なんて、キミと話すのが楽しすぎて、もう碌に書いていなかったじゃないか。浮かれちゃってさ、何でも思う通りに行くと思ってたんだ。こ、こんな、こんなヤツなんかっ!」


 アイラクは日記帳を荒々しく手に取ると強く強く握り締めた。途端に舞い散る閃光が激しく輝いて、燃えた。炎は日記帳を一瞬で包み込み、瞬く間に消し炭となった。ぱらぱらと崩れ落ちて、そこには灰だけが残った。


「え、えへへっ。ど、どうさ。これでいなくなったよ。あんなヤツ、あんな、あんな自分勝手で浅ましくて、卑しくて、キミに酷いことをするヤツは、これで何処にも居なくなったんだっ!」


 そうして、泣きながら彼女が笑った。その笑みは明らかに朗らかではなかった。活発さなど欠片もなかった。ただ、自らの卑しさを自覚しながら、卑しさに手を染めずにはいられない罪人のような、そういう罪深い表情をしていた。


「えへへっ。これでいいでしょ? ね? 変だったよね? 気持ち悪かったよね? 嫉妬なんかしちゃってさ、ぶつぶつ気持ち悪いことをページ一杯に書いていたんだ。何が交換日記だよ。気持ち悪いなあ。伝わりもしないくせに、夢見てたんだ。これだけ書けば、もしかしたら気付いてくれるんじゃないかって、何にもせずに待ってるだけだったっ!」


 アイラクは宝玉が盗まれたことを怒っているわけではないようだった。彼女はもっと別のことに言葉を荒立てていた。しかし、彼女が何を言っているのか、僕にはよく分からなかった。言葉は抽象的すぎる上に、早口で捲し立てられていた。


 だが、それでも、彼女は涙を流していた。それだけで十分だった。


 僕はアイラクの手を取った。それは小さくて、震えていて、僕を拒絶するように身じろぎをした。しかし僕は彼女を包み込んだ。その内に震えは収まって、僕の手の内に落ち着いた。


「……落ち着いたか?」

「……うん」

「どうしたのさ。どうにも、この宝玉が原因みたいだけど」


 アイラクは逡巡するように目を逸らした。しかし、僕達の距離は近かった。互いの体温を感じていた。だから、アイラクは目を逸らしたまま、ぼそぼそと呟くように言った。


「……だってそれは、竜族が、無条件で婚姻を許可する証。古い古い秘宝だから。……それで結婚を申し込むつもりだったんでしょ? その、日記の彼女に。……ボクじゃない、日記の彼女に」

「――え?」

「え?」


 思いもよらない答えだった。


「えっ、違うけど」

「え? ……ええっ? ええええっ!?」






「――はあ、古代遺跡の最深部に安置された宝玉を全て揃えれば、竜族は、その踏破者の願いを何でも叶えなくてはならないと。それで伝説の踏破者が望んだのが、愛し合っていた竜族の姫を嫁に貰うことだったから、その宝玉自体もまた、そういう恋愛の伝説に絡められて伝えられていると……」

「もう半ば廃れた伝説だけどね。だって、難しすぎるんだもの、その遺跡っていうのは。長い間ずうっと放置されていて、宝玉を集めようとするヒトも少なかったし」

「へえー……。じゃあ持ってっても問題なかったわけか。これ以外にもあるんだけど」

「寧ろ喜ばれるんじゃないかなっ。伝説が、目の前で再現されることになるわけだから、古い竜ほど歓迎すると思うよ」

「そうなのか」

「うん……そう」


 アイラクは、僕の隣で腰掛けて、赤色の宝玉を指先で撫でながら言った。興味深そうに摘まみ上げ、魔力灯に翳してみたりしている。目の色と、透き通る光線の色と……瞳に赤色が二つ重なって、深い深い深紅を湛えていた。


「日記の彼女は、なんでこれを取りに行かせたんだろうな」

「さ、さあ……何でだろうね……ゆ、夢でも見てたんじゃない? 自分が伝説の通りになるような夢をさ……」


 アイラクは、挙動不審な様子を浮かべていた。僕はようやく彼女のそう言った態度に違和感を抱き始めていた。きっと、何かを隠しているんだ。それはとても大事なことの筈だった。


 だが、重要なことは他にあった。彼女が何を不安に思っているのか、何に声を荒げていたのか、僕にはもう分かっていた。……腹を決めた。


 僕は、アイラクの手から宝玉を、そっと取り返した。


「? どうしたの?」

「……あのさ、綺麗だと思ったんだ。似ていたからさ、この赤色が。だから勇気を出すために、持っていたんだ」

「……?」

「だけどさ、そう言うことなら、丁度良かった。これもきっと運命なのかな。いや、彼女は知っていたのかもしれないな。だから集めて、なんて、そんな事を書いたのかもな。結局、僕は世話になりっぱなしか。尊敬しか出来ないよ」

「……えっ、えっ? あっ、ちょっ、ぼ、ボクは……」


 僕はアイラクの瞳を見た。キラキラと輝いていて、赤かった。それは宝玉よりも、何よりも、美しく赤かった。


 その赤色が良かったんだ。


「アイラク。アイラク・マナルウ・ィレヨン・リンドリウム。僕は、君のことを、ずっと――――」


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― 新着の感想 ―
[一言] くっ…コイツらわざわざ遠回りしやがって…(笑) じゃないと物語にならんか〜(笑) 面白かったです!
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