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冬夜の巫  作者: 真鴨子規
第二章 応援挽歌
57/61

応援挽歌 34

 いよいよ脚から力が抜けて、膝から崩れ落ちた。

 悠助の顔を思い出しながら。

 兄さんの顔を思い出しながら。

 冗談のように、無数の枝が生えた悠助の背中を見つめる、その最中で。


 ――焦げ臭い。そう思った。


 何かが燃えている。直感的にそう思ったが、燃焼しているものなど視界にない。だから、気のせいだと思った。というより、考えるのも億劫だった。頭の中で、色んな記憶や感情が渦巻いていて、逆に無感情になっていた。

 悠助を、助けないと。

 腹部に大きな風穴が空いて、もう手遅れだとしか思えなかったが。

 それでも、なんとかしないと。その使命感だけで、俺は再び立ち上がった。逃げるつもりなど毛頭ない。俺はここで、あの敵と対峙する。そこに後から、アイツが文句を言ってくるとするのなら。俺だって言ってやる、言い返してやる。俺の退路を塞いだのはお前なんだと。――たとえもう、文句も何も、アイツの声を聞くことがなかったとしても。


 でも。

 でも、何かがおかしかった。


 悠助を貫いた枝が、一向に次の動きを見せない。引き抜いて体勢を整えたり、そのまま俺を串刺しにしたり。そういう気配が、まるで感じられなかった。

 海老原先輩も、怒りの中で困惑しているようだった。動かない木龍に、次の指示を出せずに、呆然と立ち尽くしていた。

「……悠助?」

「なに?」

 悠助が、こちらを向いた。

 本当に、何事もなく。けろりとした顔で。

「いや、何度も呼ばなくても聞こえてるって。君の声、バカでかいんだから」

 悠助は腰に片手を当てながら、身体ごとこちらを向く。すると、悠助の背中から突き出ていた枝が、すべてガラガラと崩れ落ちた。

 崩れた枝の末端は、黒く変色しひび割れていた。見覚えがあると思えば、炭火焼きに使う材木のようだった。

「なに、馬鹿みたいに口かっぴらいて。簡単なことだよ。でまかせ半分ではあったけど、なんとなく上手くいくような、そんな予感はしてた」

 悠助は再びこちらに背を向け、手にしていた木刀を手放す。

 からん、と。木刀は、乾いた音と共に床に転がる。それもまた、木龍の枝のように……いや、それ以上に黒焦げになって、中心から粉々に崩れてしまっていた。

「だって、これはゲームなんだろう? 善いや悪いや、好きや嫌いはさておいて。そういう定義づけがされているんだから。ゲームらしい、都合のいい展開だって起きるものだ。そうでしょ?」

 手ぶらになったはずの悠助の右手には、長い棒きれが握られていた。

「土壇場で能力が覚醒して、ボスキャラを倒す、大どんでん返し。まあ、個人的な好みで言わせてもらうのなら。その役は僕じゃなくて、君であってほしかったんだけどね、一格」

 棒きれ――いや、それは一種の刀だった。

 一星が持つような、鋼を鍛え上げた日本刀とは違う。溶かした金属を型に流して鋳造ちゅうぞうする古代刀。七支刀のような奇抜さはない、無骨なだけの両刃は、赤銅色に染まっている。

「てめぇ、いつから界装具を……」

 海老原先輩が、戸惑いを隠せないままに問う。

「え、今でしょ。ご覧の通り、これが初戦ですとも。で、界装具というんだね、この武器は。世の中分からないもんだ。こんなものが存在していたなんて」

 悠助は、誰に当てるでもなく、古代刀をぶんぶんと振り回して見せた。

「で、どこからともなくこれが出てきたってことはさ。もう、勝てるっていうことでいいんだよね?」

 悠助が、刀の切っ先を木龍に向ける。

 その刃が、海老原先輩を、捉える。

「――ざけてんじゃねぇぞ、くそがッ!」

 先輩の怒号と共に、周囲の枝がわななく。

 すると、枝の端がでたらめに伸張し、歪み、ばきばきと違うモノに形作られていく。

「悠助、あれは」

「一格。僕の後ろにいてくれ」

 瞬く間に現れた木人形、目算で十体以上。さらに窓の外からも這い上がってきている。これほどの数、たとえ一星であっても簡単にはいかない。

 それでも、悠助は界装具を構える。

 目の前の敵に、必ず勝つのだと、一切のブレもない体幹で。

「君が応援してくれる戦いで、僕が負けたことなんてなかっただろ?」

 言った瞬間、悠助は駆け出す。

 木人形の密集地に接近する悠助の速力は、もはや常人のそれではない。かろうじて目で追うことはできたものの、ほとんど一瞬で移動したようなものだった。

 そして、横薙ぎの一閃。三体の木人形がまとめて両断され、さらに切り口から炭に変わっていく。

 やがてボロボロに崩れ落ちた木人形は、再び再生する気配を見せなかった。

「てめえ、さっきからなんだ、それは――!」

「さあて? 貴方の方が先達なんだし、その豊富な知識で当ててみたらいいよ、海老原先輩」

 そんな二人のやりとりも聞こえたが、俺は内心それどころではなく、悠助の動きから目を離せなかった。

「使いづらいなあ、これ」

 そんなことをぼやきながら、悠助は木人形の刺突を難なく防ぎ、カウンターで敵の首をはねた。

「殺せ――さっさとそいつを殺しやがれ!」

 一斉に飛びかかる木人形を前に、悠助はまったく動じない。

 敵の攻撃を完全に見切り、必要最低限の回避行動から反撃に繋ぐ。時に自ら動いて敵の位置を調整し、まとまったところを一太刀で斬り伏せる。

 あまりにも効率的で、あまりにも手慣れた戦い方。誰もが驚嘆し、目を疑うばかりの光景だったろうが。

 俺は、俺だけは違う。その背景を知り、その道理を知る俺は、さらに高い解像度で理解し、そして唖然とするしかなかった。

 あれは、一星の動きだ。

 最低限の身のこなしだけで移動する歩法。敵の配置を誘導する戦術。どれほど強力な攻撃でも勢いを殺し、無力化した上で急所を両断する鋭い太刀筋。それは紛れもなく、一星がこれまで見せてきた戦い方だった。体格も何もてんで違うのに、さっきから悠助に、一星の影が重なって仕方がない。

 不世出の天才、悠助。そのゆえんは、あらゆる人間の動きを完璧に模倣する、その観察眼にある。俺はその偉業を、これまで何度も目にしてきた。

 だが、それにしたって規格外だ。悠助が一星の技を見たのは、今日の剣道場でのみ、わずかな時間だけ。それだって、剣道部に合わせた『剣道』であって、擬獣という化け物と戦う『剣術』ではなかった。

 それすらも見通すのか。一星の剣道に隠れた癖や加減具合から、本来の戦い方すら導き出せたというのか。いや、それができたからこそ、悠助の今があるのだ。疑う余地などありはしない。才能という一点において、悠助は、あの一星すら完全に凌駕している。

 気が付けば、悠助は残った一体、最後の木人形と対面していた。

「なんなんだよ、お前は――」

 あまりもの不条理、あまりもの理不尽に歯噛みして、海老原先輩が喉元をかきむしる。

「いきなり現れて、あっという間に追い抜いてきやがる……! ふざけんじゃねえぞ、ふざけんじゃねえぞ、和知 悠助!」

 その声に呼応するように、最後の木人形が突貫する。そして悠助に手傷一つつけることなく、炭となって消滅した。

「何が才能だ、何が天才だ、お前は、お前らはいつも、いつもいつもいつも……!」

「先輩――」

 息苦しそうに、血反吐を吐き出すように、先輩は叫ぶ。

 それは、ただ目の前で起きた惨状に対してのみではなく。これまでの、先輩が経験してきたあらゆる艱難辛苦を、吐露するようなものだった。

「最初から何でも持ってて、何でもかっさらっていきやがる。たかが、たかが持って生まれた才能一つで、俺たちが死にものぐるいで手にいれようとしてるもの全部奪って、そして何でもないように捨てていきやがる! 許せるか、許せるかよ、こんなクソみたいなザマが、まかり通っていいはずがねぇだろうが!」

 先輩は一歩駆け出そうとして、たたらを踏んで膝をついてしまう。それに代わるように、木龍が怒りの形相で殺意をたぎらせる。

「万能の天才だと……笑わせるなよゴミが! てめえなんざ、ただ恵まれて生まれ育っただけ、傲慢なだけのクソガキの分際で! へらへら笑って見てくんじゃねえッ!」

 木龍の首、その根本から、無数の枝が伸びる。

 そうかと思えば、その鋭利な先端は、悠助を取り囲むように迫っていた。

「悠助!」

 思わずまた叫んでしまうが。それを避けようともしない悠助の背中に、もう不安の一つも湧かなかった。

 無数の枝が、悠助を貫く。既視感を覚える光景――だが、悠助を貫いた枝は、触れた先から火を噴き出して燃えだし、崩れ去っていった。

「かわいそうに」

 悠助にしては珍しい、ぼやくような言葉に。俺は一瞬、耳を疑った。

「君もその口なんだね、海老原」

 それは、どこまでも冷ややかで、白けきったような声で。

 俺には、いま悠助がどんな顔をしているのか、上手く想像できなかった。

「そうだね。僕らは傲慢で、ただ恵まれただけの存在だよ。端から見たら理不尽で、不条理で、酷くズルいんだろう。誰しもみんな悩みを抱えている、なんていうけれど。『明日食べるパンがない』という凡人の苦悩や苦痛に比べれば、天才のそれは『おやつに貰ったショートケーキのイチゴがわずかに小振りだった』程度の物だよ。とるに足らないし、嫌だと思ったら捨ててしまえる。切実さが足りない。追いつめられることもない。ああ、君たちに落ち度はない。ただ持たざる者として生まれてきただけの君たちに、僕はいつだって同情している」

 それが、天才と呼ばれ続けた悠助の、今の答え。今の本心。

 我妻さんへの励ましに送った凡人の希望を、悠助には本来語る資格などない。紛れもない天才で、いつだって挑まれる側の強者で、そして情け容赦なく踏み潰してきた側の勝者だった。

 天才であることに自覚的で、凡人を哀れんでいた。その様は確かに傲慢だったし。時にそれを隠して相手に共感を示すのも、才能によって手に入れた地位や名声を簡単に手放すのも、端から見ていて清々しいものではなかった。

「君たちと僕は違う。恵まれただけ? そうだね。ただそれだけのことが、こんなにも大きな差を作った。でも、そういうものだと納得し、ありのままでいた僕に落ち度はなかったと思うよ。最適に努力して、最良の結果を出し続けた。納得できず、負の感情を際限なく募らせ、無駄な努力をし続けた君たちに比べればね」

 明確に混じる侮蔑。当たり前だが、悠助もまた、そうした感情を抱くことはある。確かにあったのだ、これまで何度も。

 でも。俺は知っている。

ひがまれた。疎まれた。何が天才、何が才能だと、ふてくされたことが、若き日の僕にもあったさ」

 俺は知っている。その侮蔑が生まれた過程を、育まれた温床を。なぜなら、ずっと側にいたから。なぜなら、ずっと――そんな彼を、応援し続けてきたんだから。

 ――そして。

「だけど、応援してくれた人がいた」

 知っているとも。天才で、そして傲慢で。何でもできて、何でも思い通りだった。そんな悠助の悩みが。『おやつのイチゴが小さかった』程度の悩みが。それでも彼を、無気力と倦怠のふちに追い詰めていたことを。

「彼が許してくれたんだ。才能を武器に戦っていい、もっと暴れたっていいんだって」

 悠助の身体が燃え上がる。いや、比喩ではない。実際に、悠助から炎が立ち上っている。それが闘気の表れであるように、熱風が渦巻く。

 ――だって、惜しいじゃないか。

 悠助ほどの才覚で、一体何が成せるのか。それがどれほどの偉業になるのか。この目で見たい、確かめたいと、そう思うことは自然なはずだ。出る杭として打たれてざまあ見ろなんて、そんな馬鹿なことがあるものか。

 天才で。万能で。でも傲慢で、周りの反応で腐ることもある、紛れもない『人間』の悠助に。俺は確かに憧れ、そして誓ったんだ――俺の全身全霊で、声が枯れても応援し続けるんだと!

「彼が後ろで応援してくれる限り、僕は絶対に負けられない!」

「ごちゃごちゃとうるせえんだよ!」

 海老原先輩が叫ぶ。

 元より、悠助の言葉は先輩を止めるものではない。迎え撃ち、叩き伏せるという決意の表明なのだから。

 だから先輩も、悠助を許すことはない。戦況が変わり、勝敗が読めなくなっても、先輩の戦意が失われることはない。

 いや、それどころか。際限なく、肥大化し続けているようにさえ思えた。

「そんな吠えたって。君じゃ僕は倒せないでしょ、海老原センパイ」

「…………」

 先輩は沈黙する。確かに、木龍の攻撃手段はすべて、悠助に無効化されている。先輩自身が攻めてくれば、どうなるかはまだ分からないが。

 悠助は一星と同じ動き、そして海老原先輩は一星に勝てなかった。直接勝負に移行したところで、悠助が負ける姿は想像できなかった。

 それでも、何かが恐ろしかった。

 海老原先輩は激高している。それは疑いようがない。なのに何も言わず、攻撃性を潜めている。冷静に冷徹に、この現実を見据えているような視線に、感じるこの震えは――

「……?」

 そのとき、視界の端で何かが動いた。

 既視感を覚える。だが今度は、そこで動く何かを、はっきりと目視することができた。

 窓の外で、無数の枝が動いている。それ自体は先ほどから同じ状況ではあるが、動きが少しおかしい。俺たちを突き刺そうと狙っている、とかではなく。まるで……そう、まるで。

 枝を折り重ねて、壁を作っているような。

「一格! 下がって!」

 悠助が怒鳴る。

 その声に押し出されるように、俺はだっと後方へ駆けだした。

 だが、その脚はすぐに止めざるを得なかった。

 俺の目の前に、木人形が続々と集結してきている。一体、二体ではない。獲物を定めた蟻や蜂を彷彿とさせる、夥しい量だ。

 更にその背後では、窓の外と同じように、行く手を阻むような動きをする、枝の大群が蠢いていた。

「悠助、無理だ、もう塞がれる。でも、なんで今更、退路を……」

「退路を断ちたかったわけじゃないよ。多分、僕の能力のタネが割れた」

 横から窺う悠助の表情から、余裕が消えていた。だが、出入り口を塞ぐ枝も、無数の木人形も、恐らく脅威ではない。

「タネって、つまり」

 悠助の状態を思い出す。いくら枝で貫いても効かず、貫いた枝の方が灰になり、崩れ去っていった。それはまるで、強い火に一瞬で炙られたかのように。

「狙いは酸欠か?」

 悠助の無敵性が、悠助の持つ界装具によって獲得された異能であるならば。つまり彼自身の能力が、『炎に変ずる力』であったとするならば。

 空気の流入を完全に止めることができれば、燃焼反応を停止させ、その性質を剥奪することができる。そればかりか、活動に酸素を必要とする俺たちにとっては、新たな時間制限の発生に他ならない。そういうことか?

 悠助は答えない。だから、それが本当に、悠助に対し有効な戦術なのかは分からないが。もし仮に、それが事実であるならば。

「俺に、てめえが倒せねぇかどうか」

 鬼の形相の先輩が、銃口を突き付けるように人差し指を向けてくる。

「確かめてみろよ、クソッタレどもが!」

 一斉に押し寄せてくる木人形と枝。より集まったそれらは既に個体ではなく、津波のような災害に近かった。

 轟音と地響きは、暴風雨と雷鳴のよう。斬るとか刺すとかそういうんじゃない、ただ巨大な物体に押し潰される。そんな光景を幻視して、根源的な恐怖に身体が強ばる。

 思わず、悠助の顔を凝視する。頼りがいのある、真剣な表情が見たかったのか。それとも、絶望し焦燥に駆られた表情を見たかったのか。自分の弱さに嫌気が差しながら、それでも悠助の顔を見る。

「一格――」

 悠助の顔は、思っていた位置にはなかった。

 悠助はやや重心を下げ、普段の腹の高さに置かれた口で、俺の名を呼び。

 古代刀を持った彼の右腕は、身体を抱くように左側へ大きく振りかぶっていた。

「伏せろ!」

 その声に追従し、崩れ落ちるように五体を投げる。その瞬間、頭上を高温の熱風がよぎっていった。

 横薙ぎに振るわれた古代刀は、迫っていた敵の波を大きく削り落とした。単純に切り裂いただけでなく、周辺一帯を抉り取るように焼き払った。

 敵は一瞬で蒸発して灰となり、勢いを殺された。だがそれも一時凌ぎだ。押し返された先から新たな波がその刃を伸ばし、悠助の身体を貫こうとしてきている。

 最後の悪あがきだったか。普段であれば軽口の一つも叩きたくなる状況で、しかし上手く呼吸ができずにむせかけた。

 それでも、俺の視界には映っていた。

 ようやく見えた、悠助の表情。それは敗北の予感に絶望しているわけでも、迫る命の危険に焦るわけでもない。

 いつも通りだった。

 余裕の笑み。あるいは嘲りの混じったようにも見える、吊り上がった口角。人生のあらゆる困難も、愉快なアトラクションに過ぎないと言わんばかりの、軽薄な面構え。

 それは本当に、いつも通りの、悠助の表情で。

 古代刀を、今度は大きく後ろに、仰け反って引き絞るように、振りかざす。

 まさか、と考えるが早いか。悠助は古代刀を、あろうことか前方へ投擲した。

 どれほどの腕力なのか。古代刀は一瞬にして俺の視界から消えた。視界の遙か外で、凄まじい衝撃音が轟いたが、そちらに目を向ける余裕はなかった。なぜなら再び、動く植物たちの刺突が悠助に届き。その都度、明らかな手応えの証として、悠助の身体が不規則に揺れた。

 悠助の口から流れ、胴体から弾け飛ぶ、赤いもの。それは悠助が、先ほどまで見せていた無敵性を失っている証拠に違いなかった。酸素を失わないための配慮なのか、それとも古代刀を手放したゆえなのか。そんなことより、俺は呆然としながらも、悠助のもとへ駆け寄ろうと、身体を起こし――

「一格――!」

 空気が震えるほどの声で悠助に呼ばれ、一気に視界が明瞭になった。それまで視野狭窄に陥っていたことに、俺は初めて気が付いた。

 そして、駆け出す。意図せずもクラウチングスタートから、最速で前方へ。――悠助のもとへではなく、敵のもとへ。

 真っ直ぐに前を見据え、走る先にある目的地を直視する。

 木龍。それは不意を突かれた形で首を持ち上げていた。そして首元、勾玉の埋まる箇所から少し下にずれたところに、悠助の古代刀が深々と刺さっていた。

 作戦なんてない。そもそもそんなものを作る時間はなかったし、話し合う余裕だってなかった。今駆けているのだって、絶対の勝算あってのことじゃない。だけど、考えている時間だって俺たちにはない。

 ただひたすらに、前へと走る。

 地面を這って、俺の邪魔をしようと枝が伸びるも、遅い。走るだけ、走り続けるだけのことなら、応援団だって負けはしない。ほとんど減速することなく、木龍との距離を縮めていく。

 前進する。前進する。どこまでも。

 俺たちは旧友で。互いに尊敬し合っていて、互いに信頼し合っている。たったあれだけのやり取りであっても、意思疎通は充分であると――少なくとも、そう錯覚できるほどには、俺たちは分かり合っている。

 なにより、応援団の誇りに賭けて。

 時にチームメイト以上に、選手達を理解していなければならない俺たちだから。

 唖然とした海老原先輩の脇をすり抜け。

 突き刺さった古代刀に手を伸ばし――柄を掴む。

 最初から、俺の狙いはこれだけで。

 悠助もまた、それに乗っただけのこと。

 俺たちは同じ未来を思い描き、そして共に疾走した。

 応援団のくせに、前に出すぎだと。悠助の満足そうに笑う姿すら、俺には想像できる。

 だから。

 右手で刀を握りしめる。

 駆け抜けてきた勢いのすべてを左足に凝縮し、地面を蹴って飛び上がる。

 なぜだか身体は軽かった。眼前で牙を剥く木龍の威容も、獰猛な息遣いも、何の障害にもならなかった。

 不思議だと、そう思ったのは一瞬だけ。みなぎる腕力も、湧き上がる勇気も、生まれてからずっと共にあったように、身体にしかと馴染んでいた。

 俺は一人ではないから。

 多くの人たちに背中を押され、なおかつ自分自身の意志で、ここまできたから。

 止まらず。

 臆さず。

 すべての力を出し切って、いま、親友の刀を振り抜いて。

 木龍に埋め込まれた勾玉を、切除した。

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