応援挽歌 29
※N.M
肺が縮んだのではと思うほど、苦しい。
手足が鉛になったのではと思うほど、重い。
一体どれだけの木人形を打ち倒しただろう。まだ、数えられないほどの数を倒してはいないが、呑気に数えていられるほどの余裕もなかった。
間の悪いことにゲームが始まり、更に面倒なことに、僕が参加者としてエントリーしていない。その状況下で、たまたま職員室に立ち寄っていたのは幸運だったのか、悲運だったのか。
先ほど微かに悲鳴が聞こえた。撫子さん曰く、剣道場にいる女子剣道部員の声らしい。そちらは、一星さんが八面六臂の大活躍をして凌いでいるようだ、が。
残念なことに、僕にそんな芸当は不可能だ。擬獣未満の木人形の群。一体一体は僕でも対処できるが、複数、それも無限増殖など相手にならない。正直に言えば、今すぐにでも退散してしまいたかった。
それでも。
それでも、目の前で気を失っている人がいるから。
僕が逃げたら、確実に死んでしまう人が、目の前にいるから――
群がる木人形を、木の薙刀で振り払う。力一杯振り抜けば、僕でも木人形を撃退することはできた。僕だって、腐っても能力者なのだ。
しかし、全力で戦わなければ勝ち目はない。全力など、常時出していられるものではない。まして今は、外部の介入を受けている。参加者に選ばれなかったがためのデバフ――界装具の出力が明らかに弱い。膂力の強化が限定的だ。ただでさえ、僕は弱小の部類だというのにーー
「っーー!」
背後から迫る影に、反応が遅れた。しなる枝にわき腹を鋭く抉られ、激痛が走る。
意識が飛びそうになる。とたんに弱気で臆病で、狡い心が鎌首をあげる。
鬼贄さんや撫子さんのように、機関に所属しているわけでもない。戦いの心得など、僕は欠片も持ってはいない。覚悟など固まる以前の問題なのだ。辛うじて、祖母に習った薙刀術が役立っているが、それだって素人に毛が生えたようなもの。切っ先など常に鈍っている。
それでも、倒れるわけにはいかないから。
木人形を巻き込みながら、壁際に飛び込む。ろくに切れない刃と壁で人形の首を挟み、ギロチンのようにはね飛ばす。
一体撃破。安堵する間もなく、薙刀を構える。ーーあと三体、いや四体。まずは邪魔者を消してしまおうと、鋭利な枝の四肢がじりじりと迫ってくる。
……どうしてこんなことになったのだろう。
昨夜、一星さんと一格君を鬼贄さんたちの元へ案内したが。別段、先輩風を吹かそうという気にはならなかった。この世界を知ったのだって、つい最近の話だ。こんなことになると知っていたなら、生徒会長の職だって辞退していたかもしれない、それくらい最近の話だ。
機関とやらの志に、共感しているわけでもない。たまたま界装具なんてものを手にしたはいいけれど、この通り最弱だし、誰かを守る力だってない。いてもいなくても変わらない存在で、だから今だって、逃げて何が悪いのか。一目散に逃げたって、誰にも責められる筋合いはないはずだ。
でも。でも、だめなんだ。
誰も僕を責めなくても。罪に問われることがなかったとしても。
弱さを理由に、誰かを見捨てた僕を、誰より僕が誇れない。
昨日までと同じように、笑うことができなくなるから。
ーーあの、驚きました。生徒会長だなんて、素敵です。みんなが、貴方を信頼しているんですね。
ーー直紀さんは、うんと優しい人だから。だから、私も……。
ーー今日も、おうちで待ってます。早く、帰ってきてください、ね?
あの子に、合わせる顔がなくなるから。
覚悟を決めるより先に、精神が耐えかねた。絶叫し、ただ前だけを見、突撃する。
渾身の一撃を、木人形の頭部に叩き込む。手足となる枝を支える幹が、派手な音を立てて真っ二つに割れた。
次だ、と。振り下ろした薙刀を持ち上げることは――叶わなかった。
木人形に、仲間がやられたからひるんで立ちすくむ、なんていう余分は起こりえない。相手が無謀にも突っ込んできたなら、一体を犠牲にしてでも、敵を倒す。
もとより一対多、囲まれることは想定している。残り三体、誰からでもいい、切り崩して突破し、同じ手順でもう二体を下す。それでひとまず、この場は保つ。
そしてなんとか、倒れている先生達を安全な場所まで運び、僕自身も退散する。それができれば充分だ。そうして僕は帰路につき、家に帰り、もう一度――
「あ――」
包囲を崩すため、斬りかかった薙刀が、木人形に掴まれる。枝そのものとも言える細い手足が、ぐるぐると柄部に巻き付き、対抗手段を封じられてしまった。
「このッ!」
歯を食いしばる。戦いというには無理矢理な、まるで子どもがおもちゃを奪い取るような無様な抵抗だが。武器を両手で引っ張りながら敵を足蹴にすると、ぶちぶちと小気味良い音を立てながら枝が千切れる。
手負いにした正面の敵を横薙ぎに粉砕する。そのまま右から迫る枝の槍を弾く。だがーー間に合ったのはそれまで。
頭で分かっていても、身体がついていかない。いなし切れなかった最後の一体が、僕の視界の外にいる。
ぞわりと、冷たい恐怖が走った。
頭を砕かれる? 首を斬られる? 背骨を折られる? 臓器を貫かれる? そうして激痛で崩れ落ちた僕は、そのあとーー何をされる?
寒いな、なんて、呑気に思った。事が起こる前から、死人になったみたいだった。
ただ、耳だけで感じ取る。自分の後ろで、かたん、かたんと。それは僕の背後で狙いを定めた、人間を壊す化け物の、あざ笑う声のようなーー
「会長ーー!!」
響いたのは、身体の芯を揺さぶるほどの、それはそれは力強い声だった。




