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冬夜の巫  作者: 真鴨子規
第二章 応援挽歌
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応援挽歌 24


「一星」

 別塔の扉をくぐり、迷いなく進む一星が、俺の声に応じて振り向く。

「なんだ」

「少し戻っていいか」

 俺だけが。だから一星は、少し待っていて欲しいと。その意に至り、一星は俺をじっと見つめた。

「異論があったか」

「いや。ただ――そう、俺の兄について、もう少し聞いておきたいんだ」

 嘘ではない。

 彼女たちは兄を、野宮 誠一を知っているのだ。あるいは、その最期すらも。

「そうか」

 とだけ言って、一星は俺に背を向け、下り階段の横まで歩いて行った。そしてもう一度振り返り、若干不機嫌そうな顔で、腕組みをしてみせた。

「悪い。時間は取らせない」

「気にするな。後腐れを残すなよ」

 という一星は、どうやら一応、気を遣ってくれているらしかった。

 その様子を見てふと、一星はどうなのだろう、と思った。

 一星もまた、俺と同様に兄を喪っている。であれば怒りだけではなく、悲しみや後悔のような感情はないのだろうか。そもそもどのような兄妹で、仲は良かったのか、それとも悪かったのか。

 まだ少しの付き合いだが、照れ隠しで兄にキツく当たるような性格では、一星はないように思えた。であれば、敵と戦い使命に殉じた兄に対し、敬意の欠片も見せないというのは、少し違和感があるような気がした。いくら負けたとは言え、死人に対して悪態を吐くほどに、一星が兄を嫌っていたようには思えないのだが。

 聞きたくなって、けれど飲み込んだ。それはきっと今ではない。一星の信条、その強い意志の根元にあるもの。それを知るのは、少なくとも今この時、この場所ではないと、そんな風に思った。

 ありがとう、とだけ一星に返して、俺もまた振り返った。

 目の前にあるのは、今しがた通った別棟の木製扉。一度出て行った手前、もう一度入るというのもやや気後れしたが、一星を待たせているのだと思うと躊躇ってもいられない。それに――

「すみません、もう一度失礼します」

 それに俺には、今言うべきことがあるのだ。




 返事を待って扉を開けると、先ほどと変わらない様子で鬼贄さんが待っていた。

 全身に真っ赤な包帯を巻いた、車椅子の上の少女。

 何度見直しても異様な出で立ちでしかない彼女の生い立ち、背景は非常に気にはなるが。同時に、土足で踏み込んでいい領域ではないことも明らかだ。今は、本題に専念すべきだろう。

「撫子さんは席を外していますが。誠一さんのことでしたら、私がお話ししましょう」

 鬼贄さんは相変わらず、目に見える身動きも一つなく受け答えした。そして確かに、撫子さんの姿は見当たらなかった。出入り口は一つのようなので、きっと部屋の奥にでもいるのだろう。

「いえ、その。もちろんそれもなんですが」

 意図して少しだけ、声量を抑えて喋った。

 応援団をやっている影響なのだろうが、俺の声は相当に大きいらしい。鬼贄さんの先の言葉にしても、扉の外での俺と一星の会話が、筒抜けだったことが汲み取れる。

 けれどこの会話は、一星には聞かれたくないのだ。

「一星のことなんですが」

 鬼贄さんが言ったとおり、兄さん――野宮 誠一の話は勿論聞きたい。

 俺が、兄さんのことを死んだと思い込んでいた間の出来事。どこで何をして、どんな風に過ごしていたのか。何を話していたのか。家族のことは。俺のことは。未来のことは。そして、その最期は。聞きたいことは山ほどある。

 でも、どれほど気になっていても。どれほど大切なことであっても。今、俺の目の前にあることは、それ以上に優先しなければならないことだった。

「アイツのことを、あまり、嫌わないないで欲しいんです」

 俺のその言葉を受け、初めて鬼贄さんが身動きをした。いや、そういう錯覚だった可能性もあるなと思えるほど、一瞬の仕草ではあったが。

「一星も、自分の兄を亡くして、ショックを受けているはずなんです。それで少し、鬼贄さんたちに辛く当たったんだと思います」

 一星の顔を思い出す。先ほどではなく、あの夜の顔を。そして、その時の言葉を。

 一星は死んだ家族や、その仲間のことを、容赦なく辛辣に突き放した。それは事実だし、正直に言って、周囲に与える印象は最悪と言ってよかった。どうしてあそこまで突き抜けてしまったのか、今の俺には到底理解できることではない。

 それでも、あれだけが本心だとは、俺にはとても思えなかった。一星の涙と、お人好しと言ってもいいほどの優しさを、俺は身をもって知っているから。それを知らずに、一星が嫌われたり、邪険に扱われたりするような事態は、絶対に避けたいと思った――一星を応援する者として。

「あの、どうでしょうか」

 しばらく返答がなかったために、不安になって聞いてしまった。格好は全然付かないが、仕方のないことだと割り切る。呆れられているのか、不快に思われてしまったのか、こうして対面していても何も分からないのだ。

「失礼。少し、思い出していたのです」

「思い出して?」

「誠一さんのことを」

 ひとつ、心臓がなる。

「一星さんは、一臣さんとは違うタイプのようでしたが。貴方と誠一さんは、本当によく似たご兄弟ですね。誠実で、真っ直ぐで、調和を尊ぶ。私も皆も、彼には随分と助けられました」

 兄さんのことを話す鬼贄さんの声は、少しだけ穏やかな色をしていたと思う。

 昔から、兄さんのことを褒める言葉は、俺にとっても嬉しいものだった。兄さんの才能を誰よりも知っていると自負していた俺からしたら、それが他人にも伝わったのだという事実がひたすら誇らしかった。

 それは今も、変わらなかったから。

「あの一臣さんですら、一目置いていたくらいです」

「それは、すごいことだったんですか」

「一臣さん――あの方は紛れもなく、不世出の天才でしたから。あの方に認められるというだけで、機関に属する人間は平服するでしょう」

 大げさ、冗談交じり――だったのかも分からないが。鬼贄さんは、僅かばかり明るめにそんなことを言った。

「いいでしょう。元より、バックアップはするつもりでした。貴方と一星さんを、我々は正しく仲間と認識しましょう」

「ありがとうございます!」

 深々と頭を下げる。ほとんど癖になっている所作ではあるが、やり過ぎだとは思わない。こういうときの感謝の気持ちは、どれほど口にしても伝わりきらないものだから。

「力尽くで拒絶されたらお手上げでしたが、貴方がいれば大丈夫そうですね」

 そんな風に俺まで褒められて、ふと一星の怒ったような顔が頭に浮かんだ。

 お節介だったかも知れない、という自覚はある。自惚れていると、図々しいと、勝手なことをするなと。そう言われても仕方がないのかも知れない。

 こういった根回しは必要だと思うが、陰ながらすべきことだとも思う。あくまで主役は一星であって、主導すべきなのも一星なのだ。観客席の応援団が、存在感を出していい場面ではない。

「ご安心ください。実のところ、私は彼女――一星さんとは、厳密には初対面ではありません」

「え?」

 あちらは覚えていないようでしたが、と鬼贄さんは言うけれど。

 それはその外見のせいではないのかと、そんな言葉を俺は言いそびれた。

「彼女の性格も多少は伝え聞いていました。おおよそ予想の範囲内です。別に、あの態度に幻滅した、だから協力しない、という心配は無用です」

「そう、ですか」

 であればひと安心、なのだろうか。

 今回は鬼贄さんの側が一歩退いてくれた。けれど、これがこの先もずっと続くとは限らないのだ。一星一人では解決できない問題もあるだろうに、傍若無人が許されるにも限度というものがある。

 いつか一星とは、この件で話をした方がいいかも知れない。俺はあくまでサポーターでしかなく、当事者である一星が誠意を見せなくてはならない場面も、確かにあるのだ。

「少し質問してもよろしいですか」

 ふと、鬼贄さんがそんなことを言ってきた。不意打ち気味だったが、なんとか首を縦に振って返答の代わりとした。

「貴方はどうして、八剣 一星に付いたのですか?」

「一星に、付く?」

「ええ。どうして彼女と組むことにしたんですか?」

 二度質問されてようやく、その質問の意味を理解することができた。

 どうして。その理由。背景。

 一星は基本的にあんな感じだ。愛想はないし、よく怒られるし。命を賭けて戦う一星に対し、俺がいる意味などほとんどない。正直、俺たちの関係について考えても、あまり良好とは言いがたいだろう。

 ただ、俺にとってそれは些細なことだ。

 そんなことよりも大事な約束が、俺たちの間には結ばれている。

「依頼されたからです。応援してほしいと」

「応援? それだけですか?」

「はい。それだけです」

 それだけあれば充分で、それ以外は何も要らないとも言える。

 万人に理解できる行動原理ではないだろう。それは間違いないと理解しているし、他人に押しつけようという気だってない。

 ただ、俺はそうだというだけの話だ。

 誰が否定しようと、くだらないと吐き捨てようと、俺にとっては大事なことなのだ。

「……そうですか」

 随分遅れて返事をした鬼贄さんは――やはりというべきか、あまり納得してはいない様子だった。

「ごめんなさい、少し長話が過ぎましたね。もう遅いですから、続きはまた別の機会にしましょう」

 唐突に話を切り上げられて、どうやら俺は、回答を誤ったのだろうと理解した。

 とはいえ、他の回答などなかっただろう。理解しがたかろうが、それが事実なのだから。

 ――あるいは、その包帯の下には、軽蔑の色があったかもしれない。野宮 誠一を知る者として、その仇討ちを考えない薄情な弟を、糾弾するかのような。

 だとしても。そうだとしても、俺は。

「とにかく、一格さん。これから苦労を掛けるかとは思いますが、よろしくお願いいたします」

「分かりました。ツナシさんにも、よろしくと伝えてください」

 意識して、淀みなく答える。

 本音を言えば、兄さんの話はもっと聞いていたい。だが、そんな行為にはキリがない。根掘り葉掘り聞いて、新しい武勇伝だとか、今際の言葉だとか、欲しいものを欲しいだけ貰って。そこに、何の意味があるだろうか。ただ単に、鬼贄さんの時間を無駄に奪ってしまう、そういう結果にしかならないのではないか。それは俺にとって、そして恐らく兄さんにとっても、望むところではないはずなのだ。

 当面は。そう、当面は。

 一星のことだけを考えていたい。どうしたら一星を、精一杯応援することができるのか。そういったことを、ひたすらに。ここに来た目的だって、そもそもそういうものだったはずだから。

「そう、最後に二つ」

 退室しようとする俺の背に、鬼贄さんの声が聞こえた。それは、気のせいかもしれないが――潜めるような、窺うような、そんな印象を与える声だった。

「私たちのもう一人の仲間に、一度会いに行ってください。彼には、一星さんにとって重要な物品を預けています。今後、必要になるはずです」

 分かりました、と言って俺が頷くのを待たず、鬼贄さんは「それから」と続けた。

 それは彼女の、見たこともないはずの素顔――神妙な面持ちが想像できてしまうほどに。

 霧に隠れた向こう側を垣間見るような、湖面を覗いた先に揺らめく影を捉えたような。

 そんな空気の中で、鬼贄さんは言う。

「りんご教には、近付かないように」

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