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冬夜の巫  作者: 真鴨子規
第二章 応援挽歌
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応援挽歌 22

 あやふやな現実感を抱えたまま、何事もなく跳ね橋を渡り、城門をくぐった。いかにもな造りの城だが、その割に見張りの兵士はおらず、そもそも人が住んでいる様子さえなかった。

 いくつかの階段を上る。やはり人の影は一つも見えないが、さりとて荒れ果てたという感じもない。踏み締める石段もつい昨日積み上げられたかのごとく真新しい。それが逆に不自然で、意識の端に不協和音を残していた。

 階段を上ったあと、一度屋外に出てすぐ、目的地へと続く扉が視界に入った。

 別塔と呼ばれたその建物も薄灰色の石造りで、外観では二階建ての一軒家ほどの大きさだった。

 少し見渡すだけでも、大小の差はあれど近い雰囲気の建造物が複数見えた。城壁の中に一つの街があるようなものだろうか。もちろん、相変わらず人の気配はないので、街と言うよりゴーストタウンの雰囲気に近い。

「こちらですよ」と、光永会長は特に怖じる様子もなく、別塔の扉を開く。木製の扉は見た目以上に軽々と開き、初めて訪れる俺の心の準備など、毛ほども待ってはくれなかった。

 別塔の内部は洋風の一室だった。内側の壁や柱は大理石で作られているようで、外観と比べるとやや明るめの印象を持った。

 天井は高く、一階と二階が吹き抜けとなっていた。見える限り、どうやら別塔のほとんどがこの一室で占められているようだった。二階部は、一階部を取り囲むような通路ギャラリーがあるだけだ。

 光源は二つ、天井から吊るされた小さなシャンデリアだった。備え付けられた計二十本のロウソクの火がゆらりくらり、不規則に揺れている。さほど広い部屋ではないが、光量としては若干心許ないだろうか。

 内装は、高級ホテルの応接間のイメージだ。チェス盤の乗った小さなテーブルを囲うように、豪奢なアームソファ一つと一人掛けの椅子が三つ並んでいる。

「ようこそいらっしゃいました」

 待ち構えていたのは、二人の人物だった。そのうちの一人がソファから立ち上がり、深々と一礼した。

 頭の動きに合わせ、長い黒髪が滑らかに揺れる。シルクのような、それこそ由緒正しい城に飾られるカーテンのような、そういう上品さが見て取れた。

 背筋が伸びると、その顔――整った目鼻が露わになる。邦人らしい丸く小さな顔の輪郭はやや幼さを感じさせるが、薄らと影を落とす睫毛や切れ長の瞳は、成人した女性の魅力で間違いなかった。

 身につけてるのは、いかにも高級そうな着物だった。帯の光沢はほのかに輝き、深い藍色の布はよく見れば精緻な文様が敷き詰められている。着物の知識が一切ない俺であっても価値があると分かる、そんな服装だった。

 あの洋風の城塞にこの和装は不釣り合いに思えた。しかし、この部屋だけを見れば高級ホテルのようでもあり、そこで客を迎える若女将と思えば、これ以上相応しい装いはないかと思い直した。

 伝統衣装の性として、身体の線は隠されているが、何ら魅力を損なわない。その着こなしや、先ほどのお辞儀の所作からして、育ちの良さが表れている。この女性に悪い第一印象を持つ人はいないだろう。

「一星さんは、お久しぶりです。何年ぶりでしょうか、見違えるほどご立派になられて」

「世辞はいい、撫子」

 おおらかで穏やかな女性――撫子さんに対して、一星はぶっきらぼうに返した。さっさと本題に入れと言わんばかりであったが、そうしないのはきっと、俺のためだろう。

「一格さんは、初めましてですね。一星さんの旧知、つなし 撫子と申します」

 流れるような撫子さんの挨拶に、初めましてと俺も返す。正直この異質な場所や、高嶺の花とも言うべき大人の女性を前に、尻込みする気持ちでいっぱいなのだが。応援団での精神鍛錬のたまものか、礼節を欠くことを許さない意地が勝っていた。

「それから――」

 促されずとも、視線は否応なく、もう一人の待ち人へと移る。その人物はツナシさんの座っていたソファの横で、腰掛けていた。

 腰掛けて――そう、ソファの横の、車椅子に。その人物は腰掛けていた。

「初めまして」

 その声が美しい、恐らくは少女のものであったことに、俺は少なからず驚いていた。その外見からは、性別や年齢といったものがほとんど読み取れなかったからだ。

 その理由は、例えばあのヨアヒムのような不可思議な現象とは違い、明らかだった。なぜなら、その少女は全身を真っ赤な包帯で覆った、まるでミイラのような出で立ちをしていたからだ。

鬼贄きにえ 美穂みほと申します。この冬樫の地にて、八卦陣の筆頭を任されている者です。以後お見知りおき願います」

 包帯の少女――鬼贄さんは、ほとんど身体を動かさず、会釈をするような素振りだけを見せた。

「筆頭だと?」

 一星が、あえて感情を押し殺したような低い声で言った。

 隣の一星の顔を覗き見ると、少し赤い顔をしているようだった。ただ、視線は鬼贄さんではなく、撫子さんの方を向いているようにも見えた。

「鬼贄――聞かない名だ。現地の協力者か?」

「いいえ」

 鬼贄さんはあっさりと否定して、しかしその続きを話そうとはしなかった。

 顔どころか、頭の天辺から足の爪先まで包帯で覆い隠した少女は、その素性すら明かす気がないようだった。何かしら、触れづらい事情があることは間違いないだろうが、警戒してしまう一星の気持ちもよく分かる。

「光永さん。お二人の案内、ご苦労様でした」

 いえいえ、と軽い口調で光永会長は答えた。見れば、会長は部屋の中へは深く踏み込まず、扉の前で止まっていた。

「危うく死ぬところでしたが。一星さんのおかげで九死に一生を得た気持ちです。思っていた倍くらい、頼りになりますよ」

 それはよかった、と微笑んだのはツナシさんだった。鬼贄さんの方は当然表情も読めず、反応は窺えなかった。

「と、僕はそろそろおいとましますね。すみませんが、その、家族が待っているもので」

 と、光永会長は若干照れくさそうに言った。時間も時間だ、引き留めるのも悪いだろう。

 ありがとうございました、と俺が礼をすると、「こちらこそ」と会長は微笑み、静かに部屋を出て行った。遠ざかる足音は軽く弾み、駆け足で去っていく様子が窺えた。

「私たちからも感謝を。状況は撫子さんから聞いています。敵を退け、仲間を守りきったその手腕、流石は八剣一門、その宗家。あの一臣さんの妹君なだけのことはありますね」

「世辞はいいと言ってる。それに、お互い様だろう」

 一星の言葉の意味が分からず、思わず首を傾げてしまった。だが、一歩遅れて俺も理解した。

「あのときの?」

 怪物に襲われ、俺が死にかけたとき。炎の柱が怪物を襲い、俺たちを一度逃がした。あれが、この人たちの助力だったのか。

「お気付きでしたか。とは言え、その件について感謝は不要です」

 見逃しましたから。とんでもないことを、まったく感情を動かさないままに鬼贄さんは言う。

「終わった話だ。そんなことより状況を話せ。戦況はどうなっている? 被害は? 敵は何だ?」

 堰を切ったように、一星が畳み掛ける。そろそろ我慢の限界だったんだろう。俺の面通しのために、よく耐えてくれた方だ。あとで一星にも礼を言っておくべきだろう。

「私から説明しても?」

 鬼贄さんの申し出に、一星は当たり前だという風に頷いた。

「十家が、それでいいのであればな」

 含みのある言い方で、一星は撫子さんに言った。

「是非もありません。元より十家はとうに、十字の名に見合う力を失っているのですから」

 撫子さんは、清々しさすら感じるほど穏やかに答えた。推し量るような一星の気勢にもどこ吹く風だ。

 そうか、と一星もあっさり返した。今のやり取りに納得したというより、彼女の顔には諦めが浮かんでいるように見えた。

 俺の知らない話だ。家庭の事情や、彼女たちだけの繋がりがあるのだろう。仕方のないことだが、少しばかり居心地の悪さは感じてしまった。

 相手を本気で応援するには、相手のことをよく知る必要がある。相手の生活や趣味嗜好に関心を持ち、何に笑い何に怒るのかを共有する。そうすることで、その相手の努力や苦境を公正に理解することができる。

 声を、声援を真っ直ぐ相手に届けるには、相手のことを知る必要がある。知らない状態でいくら声を張ったところで、相手はその声が、自分に向けて発せられたものだと実感できない。そんな応援に意味はないのだ。

 相手の家庭、プライベートに、どれだけ踏み込んでいいかは正解がない。踏み込みすぎてぶつかってしまうこともあれば、臆して何も得られなかったこともある。間違えてばかり。何度場数を踏んでも変わらない。

 それでも本当に、相手のことを応援したいと思うなら。きっと俺は遠からず、その場所へ踏み入る必要があるのだろう。

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