応援挽歌 21
感覚としては、別の部屋に移動したようなものだった。そうとしか言いようがないくらいで、むしろ拍子抜けしたとさえ思った――いや、それは流石に強がりだが。
屋外の寒さが和らぎ、冷えた空気が湿り気を帯び、煤けた臭いが微かに鼻腔をくすぐる。
青空には遠い積雲の群れ。合間から覗くのは太陽じみた光源が二つ。
そして、視線を下ろした眼前には、あまりにも見慣れない建造物が目についた。
「……ファンタジーだ」
それは多分、中世欧州の世界観における城のようなものだった。
細くぐねった上り道が百メートル程度続いた先に、木々に囲まれた丘陵地が見える。それを土台として、石造りと思われる城塞がそびえ立っていた。
まず目に付くのは白亜の城壁、そして鈍色のとんがり帽子を天辺とする門塔だ。城の背後に広がっているらしい樹海を除けば、あそこが死角となる道程はないだろう。
門塔、外郭塔と並んで見える三角屋根の建物は別塔で、俺たちの目的地でもあるらしい。
別塔というなら本塔があるのでは、と当然の疑問を口にしたところ、それは塔の隣、奥まったところに位置する居城のことだと光永会長に言われ、
「ないと思いますが、居城には近付かない方がいいですよ。食べられてしまうから」
と、冗談めかした言葉が続いた。あまりの抑揚のなさに、その真意を掴み損ねてしまう。先を歩く会長の表情は、今はまったく読み取れない。
「その二つの他に、城の奥側には礼拝堂があります。まあ、見る分には趣のある建造物ですが、好奇心は控え目にしておくのが無難でしょうね」
神妙に頷いておく。その手の奇行は竜之介の領分である。いや、流石の彼でも、こんな異次元では大人しくしているだろうか。借りてきた猫が大人しいのは、好奇心に殺されることを恐れているからだ。
「突然、海外にワープでもしたような感じですが、そういうわけではないですよ」
密入国甚だしいので、と光永会長が微笑んだ気配で言う。この人にとっては、もはや慣れた光景なのだろう。
「街の何ヶ所かに出入り口がありまして、全部この道へと通じています。まあ、正確なところは僕もよく分かっていないんですが。一星さんは?」
俺の隣を歩く一星も「いや」と首を振ってから、
「だが、少し伝え聞いてはいる。これが十の持つ魔本の領域なのだろう」
光永会長は首肯して返したが、俺にはさっぱり理解できなかった。
ただなんとなく、これもまた界装具による、異空間のようなものなのだろうな、という曖昧な認識だけ持っておくことにした。異空間などと言われても意味が分からないが、現実としてその場に足を踏み入れている以上、否定する術もない。
そんな風になんとか現像を飲み込もうとしている俺をよそに、一星は続ける。
「この国に渡来する以前から、魔本とともに継承され、数百年維持されてきた『悪魔たちの領域』だそうだ。噂自体は話半分で聞いていたが、実際に訪れてみればなるほど、夥しいほどの視線を感じる」
もう、理解できない事態に陥ったら、とりあえず擬獣か界装具のせい、と言っておけば良さそうな気すらしている。俺の中で、常識という言葉が迷子になってしまった。
「そう言うからには、八剣 一星さん。僕のことも信用してもらえたと、思ってもいいんですかね」
光永会長が言う。歩きながらもちらりと一度、俺たちの方へ顔を向けた。
そう言えば、俺たちは会長の誘いをすっぽかしている。それを気にしての言葉だろう。
俺も『行く』と明言は避けたものの、週明け顔を合わせたときどう弁明したものかと、悩まなかったわけではない。普通に考えれば、誘いをすっぽかすにせよ、曖昧に回答を濁すにせよ、先輩相手にあり得ない話だ。
「それは、どうだろうな」
そんな俺の心配もどこ吹く風で、一星は不機嫌そうに言った。
「……まあ、僕のことはどうでもいいですね。とにかく向かいましょう。十さんと、そして――鬼贄さんが待っています」
とても残念そうな会長の言葉を受けて、一瞬だけ。
一星の視線が、警戒の色を強めたように、俺には見えた。




